リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

223. 16回目のドイツ旅行(26)アルンシュタインへの往復

2020年07月31日 | 旅行

▶アルンシュタインまでの日帰りバス旅とヴュルツブルク

 


フランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館からの眺め 画面右下に見えるのは旧マイン橋
 橋の奥に見える尖塔のある教会は、マルクト広場に建つマリア礼拝堂です。リーメンシュナイダーの騎士コンラート碑銘彫刻があります。

 

◆2019年8月8日(木)

 今日はヴュルツブルク中央駅前のバスターミナルから、まずアルンシュタインに向かいます。宿を7時15分に出発し、小さなコロコロを持って歩いて約10分。バスは6番の発着所から7時37分に予定通り発車しました。車中は私たちだけでしたが、途中のリンパー・マルクトプラッツで9人の若者と地元の人が2人乗ってきました。アジア系の人が多いようです。でも次の停留場でみんな下りてしまいました。ほとんど貸し切り状態でアルンシュタインに到着。まだ8時20分頃と早く、空気もひんやりしています。
 私がここに来るのは3回目、三津夫は2回目ですが、バスは帰りの便が不便なので、今回は待ち時間が長くても相棒がいるのは心強く感じます。同じ小川沿いでも歩く時期が違うと見える景色も変わるのでしょう、何だか本当にここの道で良かったのかなぁ…と不安を感じながら歩きましたが、左手に巡礼教会マリア・ゾントハイムが見えたときはホッとしました。

 今日ここに来た目的は、ペーター・デル(父)の四聖人レリーフを見たときには周りの墓碑をじっくり見るゆとりがなかったのですが、そして多分じっくり見てもどの墓碑が誰の作かはなかなかわからないのですが、彼の手になる墓碑があったのを見落としていたことがわかったからです。せっかくだからもう一度訪ねてそれも写真を写してきたいと思ったのでした。それが、下の写真のルートヴィッヒ・フォン・フッテン墓碑です。ペーター・デルとしては珍しく動物と何かしている(何をしているんでしょうね?)天使が描かれていて面白かったのでアップで写してみました。

 






ルートヴィッヒ・フォン・フッテン墓碑 ペーター・デル(父)1546作 どうみても豚に乗っていますよね?
 

 さて、目的は果たしたし、帰りのバスは11:37までないし、ゆっくりとバス停まで戻りましたが、途中で橋のたもとに池があり、鴨が泳いでいるのが目に留まりました。せっかくだから少し早いけど(まだ10時半頃だったでしょうか)ここでお握りを食べちゃおうかということになり、ちょっと寒かったのですがベンチで早お昼にしました。昨日の中火で炊いたご飯なので少し固いお米が混じっています。そこに1人の婦人がやって来たら鴨がサーッと彼女の方に集まり、投げ込まれる餌を食べ始めました。彼女が去った後、三津夫が「この固いご飯を投げてみようか」と試してみたら鴨たちが寄ってきて食べるのです(写真・下)。それで、かわりばんこに固いところを彼らに食べてもらって無事お握りを平らげました。林檎も食べたし、お腹いっぱい。でも、よくよく見るとどうも鴨に餌をやらないでくださいという札が立っていたようです。ごめんなさい。
 まだ時間はたっぷり。トイレに行きたくなってきたのでバス停からちょっと先まで歩いてみてカフェを見つけ、ここでコーヒーを頼みました。少し冷えた体にありがたく、時間も調整できて助かりました。コーヒー二つで4.5ユーロ。バス停まで戻って確かめると11:37発のヴュルツブルク中央駅バスターミナル行きが電子表示板にちゃんと出ていたのでホッとしました。直行で帰れるのは何としてもありがたいし安心です。他のバスは列車の駅に向かっていますので、切符を買い足さなければならず、バスでの往復ができるまで待っていたのです。
 バスは時間通りにやってきて、私たちの他に2人の乗客が乗り込みました。三津夫が「帰りのバスに何人乗客が乗ってくると思う?」と聞くので、私が8人ぐらいというと彼は6人と予想。途中で9人乗ってきて私の予想が勝ちました。こんなことをしていると約40分のバス旅も退屈しません。

 


アルンシュタインの鴨

 

◆マリエンベルク要塞に久しぶりにバスで行きました。

 確実に20回以上は来ているマリエンベルク要塞のフランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館。ペーターが昨年退職したこと、今は入院中であることから、本当に久しぶりでバスに乗って行きました。以前は旧市街から歩きで登ったことがありましたが急勾配で結構疲れるのです。今回はバス・トラムの一日券を持っていることですし、せっかくヴュルツブルク中央駅で下車したので、ちょうど止まっていたトラム(どこ行きかチェックし忘れましたが)の運転手さんに博物館まで行けないか聞いてみました。すると「これで一駅乗ってバスの7番に乗り換えなさい」とのこと。一駅というのはバルバロッサを通り過ぎた「ユリウス・シュピタル・プロムナーデ」で宿にも近いところでした。下車すると目の前に9番のミニバスがいたのですが、運転手さんが「9番に乗れ!」と言います。急いで飛び乗ったら日本人と他のグループが乗っていてほぼ満席。でもちょうど2人分空いていたので座りました。一般のバスは要塞の下のバス乗り場で下車するのだと思っていたのですが、このバスは城門もくぐり抜け、ほとんど博物館近くまで行ってくれました。これは楽です。普段なら7番のバスで要塞のふもとまで来るのでしょうけれど、多分8月という観光時期なのでこんなミニバスが走っていたのだろうと思います。次回違う季節になってもこの9番バスがあるのかどうか確かめてみたいと思います。

 博物館の受付で重たい荷物を預け、三津夫が持って入ったペーター・デルの本を見せては「この作品はどこにありますか?」と聞きながら周ることの繰り返し。ところが私たちが見たいと思っているメダルと石の紋章はいくら探し回ってもどうしても見つかりませんでした。そのメダルとは「参事会員ヴィリバルド・フォン・レドヴィッツのメダル」です。2004年にこの博物館で大展覧会が開催されたときのカタログにはしっかり写真が載っていて、来る度に気にしてみていたのですがないのです。ペーターに聞くとあっさり「ないね」と返事が来たのであきらめていたのですが、ヴェニガーさんが関わった「ペーター・デル展」のカタログにはちゃんと写真が載っているのです。メダルは結局あきらめましたが、もう一つ、石の紋章のかけらもあるはずです。本を見せると館員さんは見覚えがあるのでしょう、「下の階にありますよ」と返事をします。下の階で聞き直すと「これはここにはないから隣の領主館博物館にあるはずですね」と言われます。そちらに回って受付で聞くと「あると思います。〇〇で聞いてください」と言われ、お金を払って入っても領主の衣類や宝物などで石の紋章はありません。結局全室見て回りましたが見付けられませんでした。途中、お年を召したベテランの監視員さんを見付けたので聞いてみたところ、やはりないとのこと。「暑いだろう? 窓を開けるから景色を見ていったら?」と窓を開け放ってくれました。確かに空気が通って涼しくなり、旧市街が一望に見渡せて気分が明るくなりました。それがトップと、下の写真です。普段上からは見ることのできない庭園もきれいな眺めでした。

 

 リーメンシュナイダーの作品は今回はあまりじっくり写しませんでした。何しろリーメンシュナイダーの作品を世界一所蔵している博物館ですから、初めてだったら一日がかりでじっくりと撮影することになったでしょう。私は今まで何回も撮影してきているので、今回は見慣れた作品には挨拶だけして通り過ぎました。それでも、リーメンシュナイダー広間の手前で周辺作家の「マリアの死」、下の階に下りてペーター・デル(子)の作った墓碑を新しく見付けました。「マリアの死」は帰国後に博物館のリストに加えましたが、墓碑の方はリーメンシュナイダーの作品一覧に入れるかどうか悩んで、結局入れませんでした。世代が違うと作風も大分違いますし、リーメンシュナイダーとの直接の関係性もわかりませんし、私が勝手に周辺作家と決めるわけにはいかないなと判断したからです。

 これだけ探し回っても見つからないのだから仕方がないねと、石の紋章もあきらめて外へ。あまりにも暑いし疲れたのでアイスクリームを買って食べました。バス乗り場まで行って見るとちょうど9番のバスがスタンバイ。ラッキーでした。時刻表では30分に1本あるようです。これでバッチリ宿のそばまで乗って行きました。宿にカメラを置き、一休み。その後、主食がなくなったので買い物に出ました。BIO Markt (有機食品の店)を京子さんと見付けていたので、そこでうどん(乾麺です)とソーセージ、ジュースなどを買って宿に戻り、つけうどんをこしらえましたが、やはり昨夕教えてもらったようにやっても強火にはならず、中火で長い時間煮てなんとか食べられるまでになりました。もうここでは料理ができないねと残念でした。上手に使えたら良かったのですが。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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222. 16回目のドイツ旅行(25)ケールからヴュルツブルクへ

2020年07月28日 | 旅行

▶ヴュルツブルクに戻ってきました。

 


こちらは8月5日の写真です。ケールのマルクト広場にあるMutter Kinzig
 Vater Rheinと対になって作られた彫刻。
戦争で壊れ、本像は3代目とか。
 作者はFranz Xaver Reich、1861年作

 

◆2019年8月7日(水)

   旅の移動日は、いつも何かしらハプニングが起きる可能性大です。

  この日もケールからオッフェンブルクまで地域列車で行き、ここから特急でフルダまで向かいます。この間2時間半ほど乗るので指定席をとってありました。早めに支度ができたのでゆっくり乗り換え時間をとった方が良いだろうと、1本前(30分早いのですが)の列車に乗って出発しました。ICEはほぼ時間通りに到着。指定席には婦人が一人乗っていましたが、予約をしていますと言って移動してもらいました。今日は順調にいくかしらと思いきや、フルダ到着10分前にいきなりストップ。またか…とガッカリしました。これがハプニング一つめ
 今日の宿はヴュルツブルク中心部に近いアパートメントを初めて予約し、大家さんと待ち合わせていたのです。結局25分遅れでフルダに到着。乗り換え予定だったミュンヘン行きはとうに出てしまっているので1時間ほど到着が遅れてしまいます。大家さんに電話を入れて午後2時頃の到着になりますと伝え、無事電話が通じてホッとしました。ヴュルツブルク中央駅に近づくにつれて雨が降り出し、到着したころは本降りになっていました。これが一応ハプニング二つめ。移動日にここまで大雨になったのは初めてですから。大きなトランクを転がしながら傘を差すのは難しく、私は雨合羽をもっていたので傘を差さずにトランクと小さなキャリーバッグを両手に持ち、三津夫が一番大きなトランクをもって傘を差しながら歩きました。アパートメントは地図で確認してあったので安心して歩き始めたのですが、この辺りという所に着いても全くそれらしいアパートが見当たりません。これがハプニングの三つめ。またまた大家さんに電話をすると、「ああ、それは建物の裏側に着いちゃったんだわ」といい、「今から行くから待っていてください」といわれてしばし土砂降りの中で佇んでいました。今までグーグルアースの地図で住所を入れればまず間違いなく着くものと安心していたのに、よりによってこの大雨の中。目的地の裏側に着くとは…。しかも裏と言っても簡単に来られるのではなく、大きなブロックをぐるっと回ってくるのですから少々時間もかかります。結局表通りにそのアパートメントは位置していたのです。なんで地図上にこの場所が出てこなかったのだろう。不思議で仕方がありませんでした。

 表通りに出て2階に上がるまで「私はこの通りの年齢(とし)でトランクを運ぶのを手伝ってあげられなくてごめんなさいね」と申し訳ながっていた大家さん。でも怒るでもなく迎えに来てくださったので、それだけでもホッとしました。何はともあれ無事に部屋につき、たばこ臭くなくて一安心。部屋の大きさもチマチマしすぎず、大家さんの説明も親切だったのでさらに安心して荷物を片づけました。


◆まず最初にペーターのお見舞いへ

   このアパートメントのすぐとなりにペーターが足の手術を受けて入院している病院があります。到着も遅れたので急ぎお見舞いへ。受付でペーターの名前を言うとすぐに病室のメモをくれて、迷うことなく彼を訪ねることができました。病室にはイングリッドがお友だちと来ていましたが、挨拶を交わすとじきに町に買い物に行くのでと帰っていきました。足の不自由なイングリッドがここまで来るのも結構大変だろうなと思います。ペーターは肌も艶々輝いていてとても元気そうでした。痛みもまったくないと立って挨拶してくれるほど。良かった。しかも彼の股関節は何回かの手術の間に削られて両脚の長さが違ってきていたので、またそれで痛みが出てくるのを繰り返したそうですが、今度の先生は腕が立ち、両脚の長さまで揃えてくれたんだと嬉しそうに話していました。来週から3週間リハビリにバート・メルゲントハイムに行くそうです。その間もイングリッドは週に一度訪ねてきてくれるとのこと。息子さんたちが車で乗せてきてくれるのでしょう。そんな中で黒人の看護師さんが回ってきて、私たちを紹介されると「私はアジアに行って万里の長城を訪ねるのが夢なんですよ」と元気に語っていました。こんな看護師さんたちのいる病院だからペーターもニコニコ元気でいられるのでしょうね。


◆次は大聖堂へ。ペーター・デル(父)を追いかける旅に変わります。

 昨日まではニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンを追いかける旅でしたが、今日からはリーメンシュナイダーの弟子であるペーター・デル(父 以下省略)を追いかける旅へと変わります。ペーター・デルの展覧会をフランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館で開いたのは2017年10月15日から2018年7月までのことでした。私たちはその2か月後に博物館を訪ね、カタログを買い求めました。その中に載っている写真の多くはマティアス・ヴェニガーさんが撮影したものだったのです。そのカタログのおかげでまだ見ていないペーター・デルの作品が絞られて、今回の旅でも近くに行けば見ようと計画を練っていたのです。エーリンゲンからノイエンシュタイン城に行ったのもその一環ですが、この後はもっぱらペーター・デルの作品を訪ねていく旅なのです。ここヴュルツブルクでも大聖堂内に彼の作品が2点あると書かれていたので、病院から大聖堂に行きました。墓碑がたくさんある中でこの作品を探すのは結構大変なのでインフォメーションにいた女性にカタログの写真を見せて尋ねてみると、ついていらっしゃいと案内してくれました。同じカタログにもう一点 Loy Hering 作と書かれていた墓碑もあったのですが、それもペーター・デルの作品の近くにあり、写真を写してきました。今回、この写真を載せようと思ってこの日の写真を引っ張り出したのですが、ファイルに入れたはずの写真が空っぽで頭が真っ白になりました。悔しいので次回またヴュルツブルクに行った時に撮り直します。今回は三津夫の写真を載せておきます。



騎士リッター・フクス・フォン・ブルクブライトバッハ墓碑(1540年没)
  Peter Dell der Ältere  1540頃



領主司教コンラート・フォン・ビブラ墓碑(1544年没)
 Peter Dell der Ältere  1545頃



領主司教コンラート・フォン・テュンゲン墓碑(1540年没)
    Loy Hering 1540頃 この3枚は三津夫撮影。いずれもヴュルツブルク大聖堂にて

 

◆ダメ押しのハプニング

  これにて今日の目的は達成。いろいろとハプニングはあったけど充実感をもって魚のフライ、お米や野菜の買い物もし、宿に戻りました。でもご飯を炊こうとしたら、なぜか火が大きくならず、いつまで経っても中火なのです。困って大家さんに来ていただきました。すると「説明書きをちゃんと読みましたか」というので「読んだけどよくわからないのです」と答えると、こうするんですよと言って一度最大火力にし、もう一度カチンと回し直すと二重に赤い火が回りました。これで何とか自炊もできるとホッとしたのもつかの間、その後同じようにやってもちっとも彼女のようには火が回らないのです。この日はあきらめて何とか中火でも炊けたご飯とスープで食事をしました。他は不満はありませんが、自炊のためにアパートメントを借りたのに炊事ができないというのが残念。使い方の問題かもしれませんが、今度シルヴィアに教えてもらおうと思います。

 夜は明日のバス便をチェックして早めに就寝しました。

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221. 16回目のドイツ旅行(24)ストラスブールの「瞑想する男」

2020年07月22日 | 旅行

▶ストラスブールの「瞑想する男」は憧れの男性像でした。



ストラスブール・ノートルダム博物館 看板の左上に見えるのがその男性像です。

 

◆2019年8月6日(火)ケールからストラスブールへの往復

 ここのホテルも朝食付きだったのでレストランに行って朝食を食べました。ここの食事内容は昨日の宿より豊かで満足しました。受付で嫌な思いはしましたが、それさえなければ駅前で便利ですし、この朝食付きで1泊94ユーロならリーズナブルです。またストラスブールに来ることがあったらやはりここに泊まることにするのだろうなと思います。

 今日は順調にトラムを1回乗り換えて(工事中のため直通のラインが通れないのです)最寄りの駅に到着。お天気も良く、停留所からみた景色はスッキリ爽やかでした(写真・下)。


 


こちらはストラスブール大聖堂 側面

◆まず最初にストラスブール・ノートルダム博物館へ

 上に載せた写真はストラスブール大聖堂の側面ですが、ちょうどこれを写している後ろ側にノートルダム博物館が建っています。10時少し前に着いたので開館を待つ何人かの人々と数分待ちました。受付の女性は品のある老婦人で、私がお金を渡そうとすると「カードは持っていませんか?」とにこやかに聞き、カード払いを促しました。昨日のスーパーでの会計もお札を機械でチェックし、お釣りも自動で出てくるようになっていたのを思い出して、フランスでは相当偽札を用心しているのだろうかと感じました。

 以前ストラスブールに来たときにもこの博物館に入っているのですが、何人かの興味深い男性像があったことはおぼろげながら覚えていても詳細は記憶していませんでした。それがここ数年、中世の彫刻家に関心が広がってきてからはニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデン作の「瞑想する男」に憧れを感じるようになっていました。この男性像は中世に作られたという感じがしません。現代にもまさに生きていそうなダンディーで包容力のある男性像なのです。斜めに首をかしげて心持ち微笑んでいるような雰囲気が素敵です。連れ合いの三津夫は私以上にこの彫刻を大事に思っているようです。現在制作中の写真集第4巻にはこの作品を掲載しますが、裏表紙にも載せることにしました。この作品の掲載許可をいただくまでに、ちょうどコロナ禍でやりとりがなかなか進まず大変苦労したのですが、リービークハウスでお目にかかったシュテファン・ロラーさんがこの博物館の方と一緒にゲルハルトのカタログを作っているので、間を取り持ってくださったのでした。掲載許可が出たときに一番喜んだのは三津夫でした。彼にとってこの「瞑想する男」は締めくくりの写真集になくてはならない存在だったのです。

 1階の部屋からずっと拝観しながらそのゲルハルトの部屋が近づいてくると段々ワクワクしてきました。やっと到着。やはり彼も力のある彫刻家だったのだなぁとつくづく思います。彼はこの「瞑想する男」だけでなく、「ある預言者の頭部」、「ある顔面麻痺の男の頭部」も制作しています(3作品とも第4巻に掲載します)。この3点が並んでいる部屋に入ると、しばらく動けないような気持ちになります。特に顔面麻痺の男性像は捻れた口元がシリアスに彫られていてちょっとギョッとするほどです。この彫刻でゲルハルトは何を表したかったのだろうと思います。もしかしたら病気の症状をリアルに表現したかったのだろうか、それとも病気があってもいきいきと生きている男性の様子を表現したかったのだろうか…。
 三津夫に促されて「この男の人はどんな病気だったのですか」と監視員の女性に聞くと、(脳梗塞のというような感じでしたがはっきりと理解していません)麻痺でこのような表情になっているとの答えでした。彼女はドイツ語が通じなかったので英語も交えて尋ねたような気がしますが、一生懸命質問にこたえようと努力してくれている姿に、昨夕のホテルの不愉快なやりとりがスーッと消えていくようでした。イタリアやフランスでごく一部の人からそういう差別的な態度をとられたのは確かですが、やはり大半の人はそんなことはないのだろうと思い直すことができました。

 この博物館を出たあとは大聖堂へ。 
 大聖堂内で見たい作品が一つ残ってはいたのですが、あまりにも長蛇の列でしたし、日差しは暑いし、昨日探して見つからなかった作品なので、今回はあきらめることにして、大聖堂の正面入り口にある彫刻を一眼レフで撮りまくりました。いつものことながら三津夫は撮影が終わるのを待つのは大変だったことでしょう。下に何枚か紹介しておきます。

 早めの帰宿で、この日はゆっくり休むことができました。








ストラスブール大聖堂 正面入口の彫刻群

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220. 16回目のドイツ旅行(23)エーリンゲンからケールへ

2020年07月20日 | 旅行

▶ケールに泊まった理由

 


エーリンゲンのマルクト広場から
何の建物かわかりませんが、8月4日夕方の写真です*

 

◆2019年8月5日(月)なぜケールに泊まることにしたのか、その理由。

 この日は次のケールへの旅で頭と気持ちが一杯でした。ケールはあまり名前を聞かない町ですが、フランスとの国境沿いに位置し、トラムやバスでストラスブールに行けるという地の利があります。ウィキペディアによると1038年に初めて文献に名前が登場し、1338年に対岸のストラスブールとの間恒久的な橋が築かれたそうです。その後はフランスから攻め込まれ、様々に所属が変遷して1953年にフランスの占領下だったのがドイツ連邦共和国に戻されたとのことでした。


 この対岸にあるストラスブールは今回の旅のメイン彫刻家、ニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンが活躍していた町で、ネルトリンゲンに続いて楽しみにしていた場所です。以前ストラスブールに行ったときには町の中での宿を探したのですが大変料金が高く、近郊のホテルに泊まりました。でも、交通が不便だったこと、ホテルで嫌な思いをしたこともあって、今回はドイツ国内で泊まりたいと考え、ケールで宿を探してみたのでした。
 今日のルートは、エーリンゲン → ハイルブロン → カールスルーエ → アッペンヴァイアー → ケールと、3回乗り換えてようやく着くというややこしいものです。乗り換え時間が少ないと次の列車に間に合わず、1時間待ちは覚悟というルートですが、比較的有名な都市での乗り換えが多いので、何かあっても今日中には着くだろうと計画を立てました。順調にいけば朝8時8分のSバーン4(郊外列車)で出発し、午後1時には着けるはずです。

◆朝食は焼きたての目玉焼き

 エーリンゲンの宿は小さな宿でしたが、「朝食の卵はどうしましょうか」と聞いてきたので、「それなら目玉焼きを」と頼んでみました。なかなかホテルの朝食で焼きたての卵を食べられるようなオーダーはとっていませんから。浴室のしつらえや朝食のサービスを考えると元々小さいながらもある程度の格式をもったホテルだったのかもしれません。ここは朝食込みで1泊95ユーロでした。でも野菜や果物はほとんどなく、昨日のネルトリンゲンの方が宿泊料金も朝食内容も良かったなぁと感じながら朝食を済ませました。

 7時半にはチェックアウトしてゆっくり駅に向かい、45分には駅に着きました。ところが私たちが乗るはずの同じホームS4に列車が既に来ていて、しかも目的地にカールスルーエ何とかと書いてあります。調べておいた列車の目的地は西シュヴァイゲルン行きでしたから、それより1本早い列車のようですが、カールスルーエ中央駅近くまで行くのか別の場所に行くのかわからず近くの人に確かめてみると、やはり最初の予定通りハイルブロンで乗り換えなければカールスルーエまでは行けないと言われました。同じ地名だからと乗ってあらぬ方向に行ってしまうと後が大変。聞いて良かったと思いました。でも予定より早い列車ならハイルブロンでの乗り換えにゆとりができていいだろうと、この列車に乗り込みました。

 ところがこの列車、ハイルブロンまであと2駅というところで突如ストップしてしまったのです。何かトラブルが起きたようで車掌が慌ただしく行ったり来たり。ドアは閉まったままです。中に閉じ込められてしまった乗客の表情が段々険しくなり、ドアを開けろというような殺気だったやりとりがあって、ストップしてから10分後ぐらいでしょうか、やっとドアが開くと、ドドッと下りていきました。こういうときに大きなトランクを持って土地勘がない私たちはどう動けば良いのかわかりませんから、途方に暮れてしまうのです。でも、ごくわずかに乗ったままの人もいたので下りて迷子になるよりは早くスタートすることに希望を繋ぎ、車内でそのまま待つことさらに10分。ようやく列車が動き出しました。ハイルブロン中央駅に着くとすでに乗る予定の列車はないので急いでライゼ・ツェントルム(旅の窓口)まで行き、その後の列車の繋がりをインフォメーションでプリントしてもらいました。あとはこのインフォの通りに何とか乗り継いで11時頃ケール駅に着きました。振り返ってみればハラハラドキドキしたのに、日本で調べていった列車より2時間ほど早く到着したようです。予定では準急で行くはずだったのが特急列車に乗ったせいもあるかもしれませんが、何とも不思議です。やれやれ、本当に乗換の多い日は心身共に疲れます。


◆ケールの町からストラスブールへ

 駅前のホテルではまだお昼前なので荷物だけ預かりますと言われ、トランクを預けて町に出ました。ホテルの直ぐ裏に大きなスーパーがあったので帰ってから少し買いものをしようと話しながら町の中央へ。マルクト広場のインフォメーションセンターでストラスブールへの行き方を教わりました。列車では遠回りになるし、トラムの方がずっと便利ですよと、2日間有効だというチケットを薦められたので買いました。そして、どうせならこのまま一度行ってこようということになりました。今日は月曜日なので、一番行きたいストラスブール・ノートルダム博物館は休館なのです。ですから本番は明日と予定していたのでしたが。

 マルクト広場でソーセージを食べられるお店を見つけて入りましたが少々しょっぱくて喉が渇きます。そのままトラムに乗って駅前まで戻り、2回トラムを乗り換えてストラスブール大聖堂の近くと思われる停留所で下車。やはり乗り換えはあってもそれほど遠いとは感じませんでした。地図を見ながら歩いて行くと大聖堂が見えてきました。中は暗くて人が多いので三脚を立てるのも大変そうです。今日はここまで来ると思っていなかったのでコンパクトカメラしかもってきませんでしたが、明日はもちろん一眼レフをもってきます。でも三脚はあきらめることにしました。大聖堂入口の上の外壁にズラッと並んでいる彫刻群はとても面白く、明日は望遠レンズも持ってきて写そうと決心しました。以前来たときにはここまで興味を感じなかったのに、人間って変わるものですね。下の大聖堂の写真はシュヴェービッシュ・ハルで一緒にドイツ語を勉強していたジョン・フィリップと以前待ち合わせた思い出の場所です。確かこのカフェでお茶を楽しんだのでした。


ストラスブール大聖堂

◆ホテルに戻ってチェックイン。再び疑問が…。

 トラムで帰りながら明日の行き方も練習できてホッとし、良い気分でホテルに戻りました。

 しかし、このあとは前のゲストがなかなかチェックインの手続きを終わらせることができず立ったままずいぶん待たされました。ようやく私の番になった途端に大柄の老婦人がサッと来て受付の若者に何やら早口で、しかも小さな声でしゃべり始めたのです。多分ホテルの関係者だろうとは思いますが、ゲストを待たせながら何だか私のことをあれこれ言っているような気がしてなりませんでした。ホテルウーマンだったらゲストのチェックインが終わるまで待つはずだと思いますし、経営者ならなおさら失礼です。ことばはフランス語で全くわかりませんが 雰囲気というのは伝わってくるものです。段々腹が立ってきました。最後にプイと怒った顔のままどこかに行ってしまいました。私もただ黙って見過ごすのも悔しいので、
「何か私に問題があったのですか? 彼女、私のことを怒っているような感じがしましたが」
と男性の目をしっかり見て聞きました。すると、
「いいえ、彼女は長時間働きすぎて疲れているんです」
と弁護していましたが。
 私がドイツ語で話すせいか、どうもフランス語圏ではお店でもホテルでもツンケンされることが多いのは長い歴史のもたらすものなのでしょうか。今日のドームからの帰り道でアイスクリームとコーヒーを注文したときもそうでした。嫌な思いをしたくなければ英語で話せば良いのかどうか。でも、それもまた悔しいですし。疑問がズシリと重く心に残りました。

 入った部屋は狭すぎず、清潔で文句はありませんでした。駅まで歩きながら探索するとケバブやさんがありました。三津夫はケバブが大好きなので夕食はこれに決定。またスーパーに行って果物や野菜、飲み物を買って部屋に戻り、ゆっくり夕食をとりました。こうした食事はとてもリーズナブルです。夜は明日見る予定のゲルハルトの作品をもう一度しっかり復習して見落としのないように準備しました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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219. 16回目のドイツ旅行(22)今日はエーリンゲンまで

2020年07月17日 | 旅行

▶ネルトリンゲンの次はエーリンゲンに泊まります。





ノイエンシュタイン城


◆2019年8月4日(日)似たような名前の町へ移動

  ドイツには似たような名前の町がけっこうあります。「・・・・・リンゲン」という町は多いのですが、たまたまネルトリンゲンの次の日はエーリンゲンに泊まることにしていました。私がドイツ語留学していたシュヴェービッシュ・ハルから北東に20kmぐらいのところにある町なのですが、まだ行ったことはありません。でも今回、リーメンシュナイダーの弟子、ペーター・デル(父)作の浮き彫りが、このエーリンゲンにあるノイエンシュタイン城で見られることがわかり、行くことにしたのでした。近くの宿を探したところ、エーリンゲンにリーズナブルな宿が見つかりました。そのノイエンシュタイン城はエーリンゲンから一駅だけ列車で戻るのですけれど、予約の時点ではノイエンシュタインには宿が見つけられなかったのです。町そのものがエーリンゲンほどは大きくないようです。

 4日の朝。ネルトリンゲンの宿では朝食がついていたのですが、おかずも多く、美味しくて、これで70ユーロは安いと思いました。でも、この日の列車の旅はなかなか大変でした。地元の人の勧めで早めの列車に乗ったら途中で乗り換えなければならなくなり、着いたら目のまえで目的地行きの列車が行ってしまうという悲劇もあって、結局4回も乗り換えなければならなかったのです。ドイツの駅はまだまだエスカレーターやエレベーターのない駅が多く、重たいトランクを持っての階段の登りおりを繰り返して朝からへとへとになりました。2006年に半年間過ごしたシュヴェービッシュ・ハルは私の第2の故郷と言っても良い町です。エーリンゲンからすぐ近くなのにマリアンヌとホールストとも会う時間がとれなかったため、今回は会う約束をしていませんでしたが、こんなに乗り継ぎに費やす時間があったら少しでもおしゃべりができたかなぁと残念でした。

 苦労して着いたエーリンゲンは古い町らしく、道の脇に水路があり、きれいな水が流れていました。ただ、旧市街まで行くとほとんどが石畳でしたので、大きなトランクを持つ身にはこたえました。マルクト広場の横の小道を入ると、ようやく宿が見つかりました。まだお掃除中でしたが部屋には入れてもらえたのでホッとしました。浴室が広々してなかなか豪華な作りです。荷物を置いて、何はともあれ隣のノイエンシュタイン駅までまた戻ります。


◆ノイエンシュタイン城のツアー

 ノイエンシュタイン駅に着く手前で列車からお城が見えたので道に迷うことなく行くことができました。日曜日でお昼が食べられるかどうか気になっていましたが、途中カフェが2カ所開いていたので何とかお腹に入れられるものはありそうです。お城の中にはツアーでないと入れませんでしたが、木の城門は開けることができたので中庭に入ってトイレを借りることができました。でも1時間ほど待たなければなりません。ベンチに座って宿でもらった林檎を食べたり、庭園をのぞいたりしながら待ちました。

 ツアー参加者は10名ほど。ドイツ語のわからないグループが私たちを含めて二つほどありましたが、説明は耳をす通りしてしまうので、とにかく目でペーター・デルの浮き彫りを探し求めながら移動していきました。ここのお城の主は狩りには意欲的だったようで狩り関係の品々や剥製、ポートレートはあちらこちらに展示されていました。でもどうやら私たちの目的の浮き彫りは見当たらないのです。「また空振りだったのかしらね」と三津夫とぼそぼそしゃべりながらついていくと、もう終わりに近いというところでようやくガラスケースに入った装飾品が出てきました。ここならあるかもしれない…。ぐるりと見回したところ、ありました! 入口に近い壁に小さな浮き彫りがかかっていたのです。ペーター・デルのカタログで見ていた浮き彫りです。「やっと見られた~」と心の中で叫び声を上げ、その後は一眼レフで何枚も写真を撮りました。駅での乗り換えの苦労も、あちらこちらで待ち時間をすごした苦労もすっ飛び、充実感に満たされてノイエンシュタイン城を出ました。帰り道でイタリア系のアイスクリームを食べ、コーヒーを飲み、エーリンゲンまで戻りました。

 結局お昼ご飯は満足に食べていないのでエーリンゲンで何か食べたいところですが、宿の真ん前のイタリアンレストランが夕方開店することがわかったのでホッとして一休み。夕方マルクト広場に出てみたら大勢人が集まってきていました。近くにいた女性が「バッハの演奏会があるんですよ」と教えてくれました。こうしたコンサートが目の前の福音教会で開かれるということに音楽環境の良さを感じます。でも私たちは何はともあれ夕食へ。幸いこのイタリアンレストランのカルボナーラもシュニッェルも美味しくて満足でした。夜は大きな浴室でゆっくりシャワーを浴び、ぐっすり眠りました。


ノイエンシュタイン駅からお城に向かう道で。 


ノイエンシュタイン城近くの教会にて。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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218. 16回目のドイツ旅行(21)ネルトリンゲンへ

2020年07月14日 | 旅行

▶ネルトリンゲンは初めて訪ねる町でした。


ネルトリンゲンのマルクト広場
*今日の写真は全部福田三津夫撮影です*


◆2019年8月3日(土)何とも後味の悪いスタート

 ランツフート中央駅までと予約したタクシーは、約束の時間通り9時半に宿の前までやってきました。運転手は生粋のドイツ人らしい雰囲気の中年男性です。安心して乗り込んだタクシーでしたが、大通りと反対方向に向かい、何やら森の中へ入っていきます。「こんな近道があったのかしらね」と三津夫と話していたのですが、なかなか大通りが見えてきません。坂を上ったり下りたり…。「こんなに遠いはずはないよね?」と思う頃に、私たちでさえ歩いて宿まで戻ってきた聖マルティン教会がやっと出てきました。もう確実です。日本人と思ってか、ぼられたのです。それからおもむろに大通りを真っ直ぐ中央駅に向かいました。内心腹が立ちましたが、来たときに乗ったタクシーでは何分かかったとか計ってもいませんでしたし、苦い思いをのみ込んでしまいました。来た日の料金は11ユーロ、今回は15.5ユーロでした。それなのにほんのわずかチップを上乗せして大人しく支払ってしまう自分がなお腹立たしく、何か苦情を言えば良かったなぁと今でも後味の悪い思いです。

 ランツフート中央駅に着いてから雨がひどく降り始め、どんどん寒くなってきました。上衣を引っ張り出してもまだ寒いぐらい。踏んだり蹴ったりのスタートとなりました。ミュンヘンからネルトリンゲンへの旅はさらに大変でした。というのは列車がミュンヘンに11時18分に到着する予定が25分頃になってしまったからです。11時35分に13番線から発車する予定の列車に急いで乗り換えようと思いましたが、私の後から下車したはずの三津夫の姿が見えません。しばらく待ってみましたがいないので、もしや先に行ったのかとホームの端まで行くと「何してたのさ!」と三津夫が怒りながら私を待っていました。いつ追い越されたんだろう? その後二人で13番線まで走りましたが列車の姿がなく、大慌てでスマホ検索してみると15番線に変更と赤い文字で出ていました。また15番線に走ると、Aalen 行きの列車に乗らなければならないのに Treuchtlingen 行きとなっています。「どうすればいいの?」とパニック。車掌に聞くと、ただ「15番線だ」と取り付く島もなく、取りあえずその列車に乗り込みました。混雑の中で辛うじて席を見つけて座り、近くの人に聞いたところ、「この列車は前が Ulm 行き、真ん中が Treuchtlingen 行きで、最後部が Aalen 行きなんですよ」と教えてくれたのです。そうならそうと表示してくれれば安心するのに、もう…。私たちは中央に乗ってしまったので、途中で乗り換えなければならないことがわかりました。そんなこんなでネルトリンゲンへの旅は何ともあたふた、しんどい旅となってしまいました。 

 

◆楽しみにしていたネルトリンゲン

 前回の2018年の旅は同時代の作家たちでも特にミヒャエル・パッハーの作品を訪ねてチロル地方まで出向いたのでしたが、今回はニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンの作品をメインに旅程を組んで、初めてネルトリンゲンにやって来ました。ここは隕石が落ちた跡にできた町として有名ですが、ウィキペディアでは次のように書かれています。

ネルトリンゲンは、1500万年前にシュヴァーベンジュラ山脈に落下した隕石クレーターであるネルトリンガー・リースに位置する。このクレーターは直径23 kmあり、その縁は環状の連丘に見える。リース内をヴェルニッツ川とエーガー川が流れ、この都市の南東約30 kmの地点でドナウ川に注ぐ。
隕石が衝突した際、瞬間的に超高温、超高圧にさらされた地表スエバイトに変化した。このスエバイトは建築用途に重宝され、現在も同市内の建物で見ることが出来る。また、フランケン地方南東部およびシュヴァーベン地方の北部に位置しており、住民の大部分はアレマン語の一方言であるシュヴァーベン語を言語とするアレマン人が多い(アレマン諸語の最北端に属する)。

 私たちが楽しみにしていたのは、この町のマルクト広場に建つ聖ゲオルク教会でした。教会の中央祭壇にニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンが腕を振るった素晴らしい彫刻があるのです。この詳細が書かれた大部なカタログをフランクフルトでシュテファン・ロラーさんからいただき、この日のために毎日のように眺めては予習してきたのでした。

 ネルトリンゲン駅に着くと、駅は工事中。脇をすり抜けると、駅の真ん前に私たちのホテルはありました。新しくてきれいですが、昨日までのアパートメントに比べるとギュッと狭苦しさを感じるのはやむを得ません。まだ寒かったのでもう少し厚着をしてからカメラを持って町に向かいました。Deining Torから旧市街に入ると何やら市が開かれていました。でも食べ物屋さんがほとんどないのです。入口近くでソーセージを焼いているお店を見つけたので「あそこが良いかな」と言っているうちに売り切れてしまいました。こうした市場で焼いているソーセージは結構美味しいのですが、残念。広場の中央に入っていくと年季の入ったレストランは開いていたので、ここに入るしかなさそうです。今日は何といっても土曜日、明日は日曜日ですから、ドイツではレストランは閉まるところが多いのです。うかうかしていると食べ物が手に入りません。明日は朝食付きなのでなんとかなりそうですが、今のうちに昼食兼夕食をとっておかないと夜中にお腹が空きそうです。このレストランはウェイターがツンケンしていて何となく日本人差別をされているような感じがしましたが、やっと持って来てくれたスパゲティは美味しかったのでまぁ良しと思うことにしました。

 

◆中世彫刻の面白さ

 さていよいよ聖ゲオルク教会です。
 中に入ると、カタログで何度も見ていた祭壇がありました。ゲルハルトらしい表情のマリア・マグダレーナ、聖ゲオルク、優しい雰囲気の聖母マリア、そして、不思議な魅力の天使たち。でも、キリストとヨハネは現代に生きている人のような顔で彫られいました。(この辺の写真は第4巻の写真集〈2020年秋発刊予定〉にたくさん掲載します。)
 私はもっぱら祭壇の撮影に集中していました。三津夫は祭壇を見終えると周りの作品もゆっくりと見て回り、面白かった椅子の彫刻を撮影し始めました。それが下の写真です。ウルム大聖堂でもミヒェル・エーアハルトが彫ったベンチの彫刻を見てきましたが、それらは彫りが素晴らしく、深い表情をしていました。一方、こちらは何となくユーモラスで、愛嬌があります。ミヒェル・エーアハルトの彫りとは雰囲気がちがっていてまた面白く、人物像もふわっと親しみを感じさせるものでした。この彫刻が数え切れないほどあって、祭壇を撮影し終えた私も興味を覚え、一眼レフで撮り始めたので、とうとう三津夫は待ちくたびれてしまったようです。ほどほどに切り上げて外に出ると雨に濡れた広場が眼に入りました。市場に出ていたお店も急いで閉めたようで一つも営業していませんでした。
  



聖ゲオルク教会の彫刻たち 
*作者はネルトリンゲンの彫刻家、Hans Tauberschmid*
 
下は雨に濡れた聖ゲオルク教会



 スタートは大変でしたが、終わってみれば素晴らしい彫刻を堪能できて、充実した一日でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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217. 16回目のドイツ旅行(20)ニュルンベルク日帰りの旅

2020年07月12日 | 旅行

▶ニュルンベルク日帰りの旅での失敗




レーゲンスブルク駅前の公園にて


◆まず最初に

 しばらくご無沙汰してしまいました。それなのに毎日のようにブログを訪ねてくださった方、ありがとうございます。このあと何とかがんばって旅の終わりまで進めていきたいと思います。

 

◆2019年8月2日(金)この日はニュルンベルク日帰り往復の予定。でも、あれれ?

 この日はニュルンベルクまでバイエルンチケットで往復する予定でした。そのため、出発も9時をすぎた9:16分の電車でランツフート南駅を出発したのでしたが、中央駅で乗り替えようとすると、行き先がニュルンベルクではなくHof Hauptbahnhofとなっています。あれれ? この駅がどこに位置するのか思い当たりません。でも急いで検索してみたらレーゲンスブルクは通るようなので、そこから乗り換えるしかなさそうです。列車はコンパーメントタイプで結構満席でしたが、少し空いている席に何とか割り込ませてもらいました。そこで落ち着いて検索し直したところ、レーゲンスブルクで乗り換えた後でICEに乗るのだったことがわかりました。つまり、普通列車でつなぐつもりが、特急に乗らなければならないことを見落としていたのです。でも、この日は普通列車用のチケットでもう動き出しているので特急券を買い足すのも勿体ないのです。その次の普通列車が来るまでレーゲンスブルクで1時間待たなければなりません。仕方がないので駅前の公園で時間を過ごすことにしました。レーゲンスブルク駅前の公園には花がたくさん咲いていたのを4日前に見ているので、どこですごそうかと悩むことなく公園に行きました。その間、私は溜まっていた日記を書き、三津夫は周りの写真を写したりしながらも退屈だったようです。最後には二人とも時間を少々もてあまし、駅まで戻ってアジアンフードのお店を見つけ、お寿司を買って駅のベンチで食べました。その分、ゆっくりニュルンベルクで見学できるでしょうから。


◆ニュルンベルクの訪問先は2カ所

 ニュルンベルクには12時半頃到着。まずゲルマン国立博物館に行きました。昨年ここに来たときにはアダム・クラフトの展示をしていてその冊子を売っていたのですが、バタバタして買わずに帰ってきてしまったので、今年は是非買いたいという三津夫の希望。私はリーメンシュナイダーの弟子でもあるペーター・デルのまだ見ぬ作品が2点あるので今度こそきちんと見たいというのが目的でした。昨年までは探し回っても聞き回っても、結局見つからなかったのですが、マティアス・ヴェニガーさんに聞いたら「ここにありますよ」と場所を教えてくださったのです。そしてすでに京子さんと7月に来たときに一点は見つけていたのですが、もう1点がまだです。今日は一眼レフでの撮影も大きな目的でした。今まではペーター・デルだけ見ようと踏ん張っていたのですが、ようやく最後の1点も見つけることができ、ヴェニガーさんに感謝しながら満足。今回は同時代の作家たちにも馴染んできたので、できるだけ多くの作品を写したいと思いました。ただ、ここは過去にトライしても写真集への写真の掲載を認めてもらえなかった博物館です。良い作品もあるのに残念です。

 第二目的は聖ゼバルドゥス教会です。ここにはペーター・フィッシャーとアダム・クラフト、ファイト・シュトースという3人の活躍した作家の作品があるのですが、今までは見落としが多かったのです。それを全部カメラに収めることが目的でした。もう3時を過ぎていたので、午後5時36分の列車に間に合うように必死で撮影しました。
 ようやく目的も果たし、喉が渇いたのでアイスクリームと水を買い、最後に電子辞書の電池がなくなっていたので途中のスーパーで急いで買おうと思ったら、なんとレジでカードがうまく切れない女性客がいたため、延々と待たされて20分もかかってしまったのです。やっと会計を済ませて走って外に出ると三津夫はお冠でした。外で待つ身としてはハラハラ、イライラしたことでしょう。急ぎ駅に向かって何とか列車に乗り、ランツフート中央駅に着いたのはもうすぐ8時という頃でした。

◆タクシーの予約は大変!

 この日の最後のミッションは明日の朝のタクシーを予約することです。今日でここのアパートに泊まるのは最後なのです。タクシーの運転手さんに聞くとカードをくれて、ここに今日中に電話をしなさいとのこと。その後、宿の近くまでバスで行くのにまたまた20分はバスを待ち、下りた停留所はいつも見る景色とちがって不安になりました。少し歩き回ってから三津夫が宿に向かって登る坂の入口を見つけたので心底ホッとしました。

 夜、タクシー会社に電話するも電話が全然通じません。仕方なく、9時をすぎていましたが宿のオーナーに電話をしてタクシーのことを伝えると彼が電話を入れてくれるとのこと。しばらくしてからタクシーが明日の朝9時40分に来てくれるからとSNSが入り、ようやく胸をなで下ろしました。宿のオーナーもここでは大変親切だったので感謝しているのですが、初日の鍵の印象と台所のトラブルと部屋に染み付いたタバコ臭で、総合的にはもうここには泊まらないだろうなと思っています。

 でも、ここランツフートはハンス・ラインベルガーが工房を構えてたくさんの作品を後世に残した場所。以前は名前も知らなかった街ですが、気持ちの良い宿があればまたゆっくり訪ねたいと思える街でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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