リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

135. 3冊目の写真集 ▶心のエネルギー満タン

2018年04月28日 | 日記

 ▶心のエネルギー満タン

お正月に咲いていたシクラメン


 前回書くゆとりがありませんでしたが、4月20日(金)に丸善プラネットに行ってきました。今回は正式な編集会議で、夫は大学の授業もあり、一人で出掛けました。退社している公文さんが何と今回私の編集には力を貸してくださることになったと聞いたのは2月だったか3月だったか、いずれにしても大変心強いチームとなりました。


 丸善プラネットの会議室で5名の方とお会いしました。デザインや文字入力をしてくださる石井眞知子さん、画像の編集や地図などを担当して印刷まで仕上げてくださる加藤陽子さん、目を光らせて本の全体の校正を担当してくださる公文理子さん、丸善で様々な調整を行ってくださる岩野博子さん、そして編集チームをまとめて進行してくださる白石好男さんです。 私のうるさい注文に耐えて続編を作っていただいたメンバーなので、大船に乗った気分です。三月末に送った原稿を、すでにそれぞれの立場でお試し用の原稿や質問票を作成してくださっていました。

 

 ここで最初に話し合われたのが本のタイトルでした。夫と相談して『新・祈りの彫刻 中世ドイツを歩く』にすると申し出ていたのですが、どうも素直に了解という返事がいただけず、「それについてはまたお話ししましょう」と書かれていたので何かひっかかるものがあるのかなぁと思っていました。けれど、この日の話し合いでようやく理由がわかりました。このタイトルでは「リーメンシュナイダー」という検索のキーワードがないため、今までのせっかくのリーメンシュナイダー本という積み重ねが途切れることになってしまう、というのです。「う~ん、なるほど…」と思える話でした。5人が5人とも口をそろえて「リーメンシュナイダーのキーワードをなくしてしまったら勿体ないです!」と言いきるので、これについては考え直さざるを得ません。私たちとしても、自腹を切って全写真をカラーで印刷するわけですから、少しでも多くの方に本書を手にとって見ていただきたいという思いは同じです。ここは夫を説得するしかありません。これが宿題の一つ目。その他、ここはどうしたらよいか、このアルファベットは何ということばの略かなどの意見を求められ、相談をして2時間ほどで会議を終えました。公文さんからは早速たくさんのチェック項目の一覧表を出されました。合計5つの宿題を持って帰宅。22日には地元で会合があり、そのための準備もしなければなりません。残すは1日のみ。

 この日の夜、夫にタイトルについて理解を求め、

 『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』

 と決め直しました。これで検索のキーワードも継続しますし、リーメンシュナイダー三部作の完結編という位置付けもはっきりします。


 翌21日の土曜日は全国で異様な暑さとなり、世間は大変なことになっていたようですが、私は一歩も外に出ずに部屋の中で腕まくり、足まくりで必死に調べ物をして公文さんの細かな質問に回答していきました。あぁ、この感覚! 2冊目を作るまでのバリバリと音がするようなエネルギーが再び出てきているのです。あんなに重かった出版という車がぎしぎしと動き出したんだと実感した一日でした。これも丸善での編集会議で心のエネルギーが満タンになったおかげだと、たくさんの刺激をくれたメンバーの皆さんに心から感謝しています。


 ※別件ですが、シャピュイさんからお返事があり、ジュリアン・シャピュイさんとお呼びするのが正しいとわかりました。今後はそう書き、呼ばせていただきます。今までの文章まで直すことはしませんが、ご了解ください。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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134. 3冊目の写真集 ▶地名・名前を読む難しさ

2018年04月21日 | 日記

▶地名・名前を読む難しさ


少し前に咲いた金のなる木の花 


 129.「朗報2件届く」で書いた、まえがきを引き受けてくださったシャピエさんのお話です。

 2月末にボーデ博物館のシャピエさん宛に本の原稿をとりあえずPDFファイルでお送りしました。今まででしたらすぐに返事が届いた方なのですが、いっこうに受け取ったとも何ともメールが来ません。もしかしたら出張中か、展示会でお忙しいのか、あるいは全240頁分のファイルですから結構な量となりましたし、パソコントラブルでも起きてしまったのかと気がかりでもありました。しばらく返事を待って様子を見ていたのですが、3月末になっても何も返信が無いため、もしかしたら私の原稿にあまりに細かなミスが多く、「こんな本のまえがきを引き受けてしまって困ったな」と後悔しているのではないかと不安になってきました。

 一方で、原稿を丸善プラネットに送ったあとは急ぎの用件として9月~10月のドイツ旅行プランを練るという仕事が入りました。これはどこでどなたに会うのか順番にアポイントメントをとっていかないと失礼なことになりますし、それぞれの休暇の予定なども入ってくるので早目の対応が必要なのです。大変お世話になった方には是非直接できあがった本を携えてお礼に伺いたいので、シャピエさんにもメールで問い合わせてみることにしました。それが4月の5日のことです。すると即日お返事が来たのです。何と彼は1月末から体調を崩し、手術をして2ヶ月間入院していたとのこと。びっくりしました。ただ、今は普通に動けるようになったと書いてあって本当に胸をなで下ろしました。まえがきはいつまでに必要かと聞かれたので、4月末までにいただければ大丈夫ですとお答えしましたが、9月の旅行でもお目にかかれることになり、ホッとしました。

 このあと、彼の名前を本当はなんて読むのだろう、と急に心配になってきたのです。アルファベットではJulien Chapuisと書きます。ドイツ語の名前ではなさそうです。1度フランスからお正月にカタログを送ってくださったことがあるので、フランスの方だろうと想像はついていました。今までずっとユリエン・シャピエさんだと思い込んでブログでもそう書いてきましたが、先日、学生時代にフランス語を選択していた姉に確かめてみると、辞書に依ればこの綴りならジュリアン・シャピュイと読むと思うと言います。今回はご挨拶を書いていただくわけで、日本語文で載せたあと原文を載せるという流れになるわけですが、お名前の読み方がちがっていたら大変申し訳ないことです。2012年に西洋美術館で開かれた「ベルリン国立美術館展」の際に買い求めたカタログでは、彼の名前はジュリアン・シャプイスと書かれていました。さて、どうしたものか…。直接お目にかかったときに聞いておけば良かったのに、すぐ会話に入ってしまうためになかなかお名前をきちんと発音して言い合う機会がありませんでした。

 これは地名や美術館の名前にも共通する悩みです。例えばフランクフルトにあるLiebieghausは「リービークハウス」「リービックハウス」「リービッヒハウス」などと読めそうです。一応グーグルで検索してみると「リービークハウス」と出てくるので、この呼び方をとっているのですが、現地に行ったときには受付で「この美術館は何と読んだら良いのですか?」と聞くことをつい失念してしまいます。今回バールケ先生にお尋ねしたときも美術館の読み方などは正確にはわからないこともあるとのことでした。日本人が日本の地名や名前を全部正確に読めるかと言ったら全くそんなことはなく、現地の方やご本人に聞かないと正しくはわかりませんよね。「それなら電話で聞いてみたら?」と思われるかもしれませんが、もともと電話は大の苦手。まして大きな博物館に電話をかけるのは「超」緊張する仕事でできれば避けたい…。またまた悩ましいことです。まずは発音記号で問い合わせてみようかと思っています。

 とりあえず、今からはシャピュイさんと書くことにします。


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133. 3冊目の写真集 ▶地図作りの苦労

2018年04月16日 | 日記

▶地図作りの苦労


ゆすらうめ 


 原稿を出したあとで手を付けたのが地図です。これと作家たちの年表は3月末までに間に合わないと思ってあらかじめ伝えておいたので、主要原稿を出したあとでやることにしていました。

 今までの2冊の本にもリーメンシュナイダー関係作品がある場所の地図を載せてきましたが、今回はそれだけではないので新たな地名も必要になってきました。私が多少いじることができるのはフォトショップだけです。以前の地図ファイルを引っ張りだして少し手直しすればいいかなと考えていたのですが、5年前の記憶はすっかり失われていて、なにどうやってこの地図を作ったのだったかすぐには思い出せません。何枚ものレイヤーを重ねて作ったはずなのに、そしてそれを比較的簡単に手直しできるように統合しないで取っておいたはずなのに、レイヤーががっちりと一つに固まってしまっていてほどけないのです。表示の部分をいじってしまったのか、なにか方法があるのかと冷や汗が流れました。最初から作り直すゆとりはもうありません。なにか新規のレイヤーを重ねてごまかすしかない??? ごまかす方法はある程度記憶にあるのです。できあがっている地図がベースになっているので、その上に新規のレイヤーを作り、「新しく載せる都市の位置に◎や●をつけていけばいいかな?」と。文字はコピーすれば同じサイズの同じフォントの文字で都市名を入れることはできそうです。ところがどうやら都市のマークも当時は手書きで作っていたようで、よく見ると歪んでいます。本をあわててみてみるときれいな形になっている。そうか、きっと私の作った地図は下書きで、それを参考にデザイナーさんが作ってくれたきれいな地図が掲載されていたんだなと、今頃気がつきました。そうとなればおよそのイメージを作って伝えれば、あとはお任せできるかもしれない。ちょっとホッとしました。でも、●の描き方も◎の作り方もすっかり忘れていて、目も肩も凝りっぱなしの作業が数日続きました。あとは丸善におまかせします。

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132. 3冊目の写真集 ▶「叩けよさらば開かれん」を実感しました。

2018年04月07日 | 日記

「叩けよさらば開かれん」を実感しました。


 

 我が家の花桃 2

 

 「ミヒャエル・パッハーのパッハー祭壇(ヴォルフガング教会、オーストリア)、ミッヒェル・エアハルトの主祭壇(ブラウボイレン修道院)、ファイト・シュトースの主祭壇(マリア教会、ポーランド)、そしてハンス・ロイの主祭壇(シュテファン大聖堂、ブライザッハ)の写真も載せたいなぁ」と夫に言われていたのですが、しんどくて手を付けずにいました。1月末に原稿の最終仕上げをしながら、やはりそれぞれの教会にメールでお願いしてみようと決心しました。ポーランド、クラクフのマリア教会以外は撮影禁止で画像が手元に無かったのです。マリア教会では撮影券を買って入ったのは覚えているのですが、おそらく距離が遠くてまともな写真が撮れなかったのでしょう。手元に画像が残っていませんでした。

 こうした願いの全部が全部聞き入れてもらえるとは思っていませんでした。それでも、ヴォルフガング教会とブラウボイレン修道院からは親切なお返事があり、多少時間はかかりましたが大変画質の良い写真を無料で送ってくださいました。その結果、中世ドイツの立派な祭壇が紹介できることになり、とても嬉しく思っています。今まで私が出版してきた写真集には買った画像は1枚も掲載していません。今回も提供していただけた画像と自分の画像だけで出版できるのは、本当にありがたいことです。

 何にしても、最初から「撮れなかったのだからしょうがない」と諦めていたら、この祭壇は私の本では紹介できなかったわけです。特にヴォルフガング教会のパッハー祭壇では全部の扉が閉まっている平日の祭壇、一番上の扉があいた日曜日の祭壇、最後の扉も開いている祝日用の祭壇と中央部のアップの4枚が見られます。しかも、送ってくださったThomasz Klimekさんは専門家のようで、どんなに小さな部分を拡大しても、きりっとピントが合ったすばらしい写真です。どうしたらこんなに良い画質の写真が撮れるのだろうとしばし眺め入りました。

 心を込めて文章を綴って送れば、全部ではないけれども願いは届くものだと実感した体験でした。そして、この心の重い半年間は、戸を叩く勇気をため込むまでに必要な時間だったのだと今は思えるようになりました。

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131. 3冊目の写真集 ▶原稿送付 & バールケ先生

2018年04月01日 | 日記

原稿送付 & バールケ先生


 我が家の花桃 今年はきれいに咲きました。


 大変ご無沙汰していました。

 3月25日、とりあえず書ける範囲の文章を書き、丸善プラネットに原稿を送って一息つきました。


 この2ヶ月強、やはり神経の休まる暇が無く、昨年の後半とは別の意味で大変しんどい毎日でした。極力、画像の色合いやコントラストや明るさなどを家庭のプリンターで整え、私のイメージする写真に仕立て上げるための印刷はハードでしたから。さらにそれを印刷会社が実際にプリントしたときの色調整がこれからの一番の仕事となるでしょう。

 それと並行して気を遣ったのが文字の誤りや名前の間違いです。自分の目で見直していても、正しく書いてあるように見えてしまうということが多く、ドイツ語や英語が入ってくるので、スペルミスも発見しにくいことが気がかりでした。そこに登場したのがルートヴィッヒ・バールケ先生です。昨年12月、生(なま)のドイツ語に触れておかないと前回の旅で反省した会話のミスなどが防げないと考え、地元で長く続いているドイツ語コースに参加することにしました。ゲーテの授業よりある意味私には難しく、毎回何と答えて良いのか目が白黒してしまうような文法の授業が続きます。長年日本に住み、いくつかの大学でドイツ語を教えていらっしゃるバールケ先生は日本語も達者で漢字も読み書きされている方です。この先生に見ていただければスペルミスももっと防げるのではないかという気持ちが次第に高まりました。幸い、最初の授業の時に、「必要があれば個人レッスンもできます」と伺っていたのと、会のとりまとめをしている方からも「必要に応じて個人的にサポートを受けている人は今までにもいましたから、先生が大丈夫でしたらどうぞ気になさらずに」とうかがったので、個人レッスンを申し込みました。

 バールケ先生の目は確かでした。小さなスペルミスも見逃さず、日本語訳も意味を確認しながら「私的にはこのことばよりもこちらの方が良いのではないかと考えますが」とアドヴァイスしてくださいました。以前の先生は日本語訳の部分までは目が向かず、これでいいのかと悩みながら平野泉さん(1冊目の本で一緒に編集に携わってくれた友人)に相談していたのですが、泉さんもお仕事が大変忙しい中、そうしょっちゅうはお邪魔できません。

 個人授業は正味4時間やっていただきましたが、最後の奥付は時間切れで見ていただくゆとりがありませんでした。でも、第一校が届いたらもう一度授業をしてくださるとお返事いただいているので心強く、ホッとしています。先生はいままでリーメンシュナイダーのことはご存じなかったそうですが、私の本はドイツのためにもすばらしい仕事だと言ってくださいました。ありがたいおことばです。こうした方とこの時期に出会えたことも、天の采配のような気がしてなりません。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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