リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

200. ありがとうございました。

2019年12月31日 | 自己紹介

▶今年一年、ありがとうございました。

この花は写真展の前日に教え子が送ってくれたものです。彼女とは46年のおつきあい。カツベー、ありがとう!

 

 写真展を終えて早くも大晦日となりました。この間、部屋のカオスはすさまじく、足の踏み場もないほどでしたが、何とか大掃除をしながら少しずつ片づけて、ようやく落ち着いて来ました。まだまだ名簿の整理やまとめが残っていますが、来年は4冊目の写真集に向けて新たなスタートを切ります。その前に16回目の旅行編を何とか書き進めて本の編集に集中できるようがんばりたいと思っています。

 

 今年出逢った多くのリーメンシュナイダーの追いかけ人の皆さまと、新たな世界に一歩踏み出した感じがしています。今後ともどうぞよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。

 今年、義母が98歳で亡くなりましたので新年のご挨拶は控えますが、皆さまにはどうぞよいお年をお迎えくださいますよう、ちょうどブログの200回目の区切りで一言ご挨拶をさせていただきました。

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199. 日本自費出版文化賞 授賞式

2019年12月16日 | 日記

▶日本自費出版文化賞の授賞式に出席してきました。

 

◆12月15日は、ふた月遅れの日本自費出版文化賞 授賞式でした。

 私は今年、「祈りの彫刻 リーメンシュナイダー三部作」でグラフィック部門特別賞をいただき、昨日、授賞式に行ってきました。
  もともとこの授賞式は10月13日に行われる予定でしたが、大型台風で参加が難しい方も多く出たため延期となっていたのです。12月15日はリーメンシュナイダー写真展を終えたあとですので体調が気掛かりではありましたが、せっかくの機会なので参加することに決め、5分間スピーチにも挑戦してきました。

 今年はスクリーンに画像を出していただけるという連絡がありましたので、「祈りの彫刻シリーズ」の表紙を3冊分、表と裏と30秒ずつ出していただくようにお願いしました。これで3分間。続いてアムステルダムの「受胎告知」、クリーヴランドの「ヒエロニムスとライオン」を出していただき、合計4分。その中でアマチュア写真家のヨハネス・ペッチュからいただいた写真、クレークリンゲンのヘルゴット教会のマリア祭壇の話、写真集1冊目はヨハネスと娘の奈々子が写した写真で、当時日本にはなかった初めてのリーメンシュナイダー写真集を作ったこと、2、3冊目は自分で撮りためた写真を載せたこと、この20年間で自分で調査したドイツ国内406点の作品中約95%を見て回ったこと、3冊目にはリーメンシュナイダーと同時代の作家たちの写真も載せたことなど話していたら終了のベルが鳴りました。最後に「同時代の作家たちのもっと面白い写真も溜まっているので来年4冊目の写真集を作ります。自費出版で!」と締めくくりました。数秒オーバーだったでしょうか。席に戻ってしばらくは汗が止まりませんでした。


 他の方々のお話もどれも興味深かったのですが、特に大賞を受賞された写真集「NO NUKES ビキニの海は忘れない」の著者、岡村啓佐さんの話には深く共感しました。第五福竜丸以外の漁船も1000隻近く被ばくしていたこと、それを政府が長いこと隠していたこと、秘密条約で被ばくの補償額が大きく削られたこと、現在被ばくした方々の裁判支援をしながら撮影を続けておられることなどのあとに、日本政府が核兵器禁止条約を批准するまでがんばりたいと話されました。こうした社会的意義の大きな作品が大賞を受けることに自費出版文化賞の意味があると思いました。

※メモもせずに記憶した範囲で書きましたが、もしかしたら記憶違いがあるかもしれないことをお断りしておきます。

 

 自費出版文化賞の審査員には以前出版社で「売れる本」の編集を長年やっていた方々がいらっしゃいますが、揃って「売れる本を作らなければならないというのがストレスだった」と語られ、自費出版の一番の目的は「語りたいこと、訴えたいことがあって自腹を切ってでも作る本なのであり、売れるかどうかではない」ことが大変「気持ちが良い」とのことでした。そうだろうなぁと思いました。私も数社に掛け合って、どこも出してくれないのでリーメンシュナイダーの魅力を少しでも日本に広めたい、そのためには自分で写真集を作るしかないと思い定め、3冊も出してしまったのですから、老後の資金は相当減り続けています。でも、後悔はしていません。私の後半生はリーメンシュナイダーに捧げてできるところまで追いかけ続けますが、そうした道程の中でも同時代の彫刻家たちの魅力にも目覚め、取材を助けてくれる多くの友人、知人ができて彼らとの交流も人生をとても豊にしてくれていると実感しているからです。そんなことを振り返る良い機会となりました。

 

 ◆リーメンシュナイダー仲間を一人発見

  最初に授賞式があり、スピーチが始まる前に10分強の休憩があったのですが、何とお隣に座っていた瀧沢敬三さんから声をかけられ、彼もドイツを旅した記録を「西方見聞録 ー西ドイツ一周研究旅行・全記録1964.2.24-10.9」として自費出版、今回入選していたのでした。その旅で多くのリーメンシュナイダーをご覧になったそうです。リーメンシュナイダーの作品は遠くから呼びかけてくると仰っていて、これは先週終わったリーメンシュナイダー写真展に見えた方と合わせても、最長のリーメンシュナイダーファンのお一人と見受けられました。計算すると今現在でファン歴55年!? 20年の私から見たら大先輩ですね。私のスピーチ場面もスマホをお渡しして写していただいたのですが、どうしてもスマホから写真を取り出すことができず(^_^;)、ここにアップできません。でも瀧沢さんのスマホでも写してくださっていてご自身の見聞録と写真も送ってくださると仰っていたので、届いたらアップさせていただきます。集合写真はNPO日本自費出版ネットワークに近々アップされると思いますのでご覧ください。

ようやくアップできました。授賞式のスピーチをしている写真です。2枚とも瀧沢敬三さん撮影。

 

 最後に、富士フイルムグローバルグラフィックシステムズ株式会社からいただいた特別賞の記念品は、蒔絵のボールペンでした。美しい蒔絵が入った赤・黒・シャープペンシルの3本立てという機能的なペンです。大事に使わせていただきたいと思っています。ありがとうございました。

すてきな記念品でした。

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198. リーメンシュナイダー写真展は無事終了しました。

2019年12月09日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は無事終了しました。


全部ではありませんが、およその雰囲気をお伝えします。


◆12月7日、無事写真展を終えることができました。
 この2週間で、ギャラリー古藤(ふるとう)に足を運んでくださった方々は、はっきりわかっているところで496名となりました。忙しすぎて受付で確認できなかった方もいたので500人を越えたのは確かです。個人主催の写真展でこれだけ多くの方が見に来てくださるというのは予想できませんでした。私は、もっともっと閑古鳥が啼くだろうと正直思っていました。

 これも新聞記事の後押しや、ギャラリーオーナーの大﨑文子さん、田島和夫さんご夫妻、武蔵大学の永田浩三先生、写真展開催をリードしてくれた木村まきさんが、あちらこちらのメディア関係に連絡を取ってくださったり、可能な限りの美術館や諸施設でビラを置いてくださったことなどのおかげなのです。私は地元の公共施設にビラを置きましたけれども、もっぱらどの写真を選定するかに頭を悩ませ、どんな資料を作るかに精力を傾けていたので、ただただ皆さまのご努力にお任せでした。この場を借りて感謝申しあげます。


もう一つの要素、リーメンシュナイダーの魅力
 多くの方から話しかけられたことは、「ずっとリーメンシュナイダーのことが気になっていた」「是非一度見たいと思っていた」「以前見て、その魅力が忘れられない」「自分もずいぶん見て回りましたよ」といった、リーメンシュナイダー作品に魅力を感じ続けてきた人々のことばでした。今まではリーメンシュナイダーの追いかけ人は少ないだろうと思っていたのですが、実は私より何年も長いこと追いかけ続けてきた先輩が多くいるということがわかったのでした。こうした方々の思いがこの写真展を成功に導いてくれたと思っています。
 ある方は、植田重雄先生と、フランケン博物館の「悲しむマリア」像が一緒に写った古い新聞を大切に持っていらっしゃいました。昔使った本を寄贈しますという方も2人おいでになりました。そして植田重雄先生が解説した番組のビデオをコピーして届けてくださった方もいらっしゃいました。私が見たくて見られずにいた番組です。家の中はまだ写真展グッズでカオスですが、合間を見て是非連れ合いと一緒に拝見したいと思っています。

 皆さま、ようこそ私の拙い写真展に来てくださいました。落ち着きましたら、メールアドレスやご住所を書いてくださった方々に少しずつお礼のご挨拶をお送りしたいと思っています。ありがとうございました。       


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197. リーメンシュナイダー写真展、最終日

2019年12月07日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は最終日を迎えました。


12月6日のギャラリートーク。福田三津夫+私。写真は木村まきさん撮影。


◆12月6日は3回目のギャラリートークでした。

 福田三津夫は私の連れ合いです。約20年間、リーメンシュナイダーを追いかける旅の80%ほどを同行してくれました。二人とも何故か中世の彫刻に惹かれ、目的地については相談しながら決めています。ただ、リーメンシュナイダー作品については私、中世の同時代の作家については三津夫が主導権を握るという違いはありますが。そんな旅の中で築いてきたドイツの友人や博物館の関係者との友情も大いに旅を助けてくれています。そんな内実をざっくばらんに語りました。あまり学術的とは言えないかもしれませんが、お互いがどんな作品に惹かれながらこの写真展にたどり着いたのか、背中を押してくれた木村まきさんも写真を撮影しながらではありましたが皆さんにご紹介して約1時間。時間がもう少しあったら良かったねと言いながら締めくくりました。

 

◆男性だと思っていました。

 会期中、何人かの方から、「福田 緑さんって男性だと思っていました」と驚かれました。そのため、「お名前は何て読むのですか?」と聞かれたことも。そういえば日経新聞の私の写真はショートヘアーで男性と思われても無理がないものですが、恐らく世間の常識として「写真展を開くのは男性だろう」という思い込みがあるのかと感じさせられました。リーメンシュナイダー作品や中世作家の面白い作品を目の前にするとスイッチが入ったように時間も場所も忘れて撮りまくる私に、夫は呆れながら待つしかありません。それでも我慢強く待ち、時間が迫ってくると知らせてくれる大切な役割を担ってくれる人です。さすがに一人の時は戻ってくるバスの時間を気にしながらの撮影で、気が気ではありませんでしたから。夫婦二人三脚でここまで来られたのだなと感謝しながらの写真展でした。


◆今日で写真展は終わりです。

 この14日間で写真展をのぞきに来てくださった方は、わかっている限りで451名となりました。12月2日に掲載された日経新聞の全国版記事が大きく後押ししてくれて、遠い広島からも初めてお目にかかる方が駆けつけてくださったのには感激しました。今日は手が冷たくなるほど冷え込んでいますが、あと何人のお客様と語り合えるのか、終わってしまうのが寂しいような気がしています。午後4時までの開催ですので、ご都合の付く方はどうぞおいでください。今までおいでいただいた方に感謝の気持ちを込めて閉じたいと思っています。ありがとうございました。

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196. 写真展、賑わっています!

2019年12月04日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は大賑わいです。


ギャラリー古藤(ふるとう)の入口。迷子になる方が多いのでこちらを目印にお越しください。


◆リーメンシュナイダーの追い風

 昨日12月3日、ブログをアップして大急ぎでギャラリーに駆けつけると、まだ開館前なのに既に2人のお客様が座って本を見ていらっしゃいました。急ぎ開館準備をすると、次から次へとお客様が見えます。それは、2日の朝に日経新聞の全国紙朝刊で、そして同日、朝日新聞の東京版では夕刊で私の写真展について紹介されていたからです。今回は11月22日に東京新聞の山手版、都心版でまず大きく取り上げられ、29日に赤旗新聞で写真はないものの紹介記事が出て、12月2日には2社からの紹介。何ででしょう? 自分でも訳がわかりません。武蔵大学の永田先生からのご紹介やギャラリー古籐の資料送付などの効果が出たということはありますが、2週間のちょうど良い時期にそれぞれバランス良く出た新聞記事は、リーメンシュナイダーが吹かせた追い風としか考えられません。それほど多くのリーメンシュナイダー・ファンの方が日本にもいらっしゃったということですね。今のところ、早い方は1980年代からリーメンシュナイダーを見て回っていらしたそうです。まだまだ私は新参者なのだと感動しました。また、同じシュヴェービッシュ・ハルのゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学んだという方もお見えになり、故郷談義のようにお話がはずみました。写真集も3冊まとめてお買い上げいただく方が多く、驚いています。値段は高いし、重たいのに、雨の中を大きな袋を持ってお帰りになる姿に手を合わせています。ありがとうございます。


今日は、今まで掲載された新聞記事をご紹介しておきます。

トップは東京新聞でした。


こちらは赤旗 11月29日の記事です。


こちらは日経新聞。少々文字が小さくて申し訳ありません。


こちらが朝日新聞夕刊の小さな記事。


 新聞記事を書いてくださった記者の方々に、そしてリーメンシュナイダーの名前を読んで駆けつけてくださった方々に心よりお礼を申しあげます。

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195. 写真展、残り5日間

2019年12月01日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展はサロンになっています。

❤ご来場いただいた方の了承を得て掲載しました。


◆毎日リーメンシュナイダー談義

 とにかく写真やキャプションをじっくりご覧になる方が多くてつい話しかけたくなる私。すると心にある疑問や感想を語り始める方がほとんどです。入口のドアを開けると大きなマリア祭壇が正面に見えるように構成しているのですが、「お金を貯めてこのマリア祭壇を見に行きます」と、2晩続いてご覧になった方もいましたし、私が追いかけ人となったきっかけのマグダラのマリアを絵に描いてみたいと仰って、祈りの彫刻シリーズを3冊ともお買い上げになった方もいらっしゃいました。リーメンシュナイダーの追いかけ人としては本当に嬉しい反応です。テーブルの上に載せた資料を静かにゆっくりご覧になる方も。お茶とお菓子でサロンのような雰囲気に、毎日何人かはゆっくり腰を据えてお喋りをしていきます。我ながらとても良い雰囲気の写真展になったと嬉しく思っています。

 ただ、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』シリーズの写真集を各15冊ずつ用意したのですが、ギャラリーの残部は現在3冊のみ。丸善プラネットの倉庫にもあと74冊のみとなりました。今日の様子を見て急ぎ取り寄せる予定ですが、増刷はしませんので、この在庫が終わると1冊目は完売となります。現在写真展特別価格でお分けしていますので、もしいずれと思っている方がいらっしゃいましたら早めにおいでくださいませ。


◆彫刻家の棚田康司さんもリーメンシュナイダーの追いかけ人でした。

 11月30日は若手の彫刻家、棚田康司さんがギャラリートークのゲストとして来てくださいました。棚田さんは2001年から2002年にかけて文化庁芸術家在外研究員としてドイツのベルリンに行っていらっしゃいますが、その申請時にティルマン・リーメンシュナイダーの作品を見ると書き込んでいらしたそうです。そして研究機関中にフッセンからレンタカーで北上し、クレークリンゲンのマリア祭壇も見に行ったのだそうです。その祭壇のビデオを撮っているときに我知らず涙が流れていたと話されたのを聞いて、「私のマグダレーナと同じだ!」と感動しました。「ここにも私と同じようにリーメンシュナイダーの作品を大切に思っている方がいた、しかもご自身が彫刻家として活躍している方が!」とわかってとても嬉しく思いました。リーメンシュナイダーの作品には見る人々の視線を促すためのありとあらゆる工夫がほどこされていること、重力にあらがう彫り(例えばピエタなど)というのは大変難しいこと、群像などは土台がどっしり、上に行くにしたがって細くなる三角形の構図をとっていて安定感があること、聖人などの立ち姿はS字型で軟らかく表現されていることなどのお話を伺いました。特に視線を促す工夫のあたりは私には無い観点でしたので、とても新鮮に響きました。


ギャラリートークの棚田康司さんと私。写真は木村まきさん撮影。

 棚田康司さんの作品は、独得の透明感が漂う現代彫刻ですが、静かに考えさせられる作品で、どこかリーメンシュナイダーの内面性に通じるところがあると思います。現在「鎮守の森の入口で」という作品展を常陸国出雲大社境内で開催していらっしゃいます。2020年1月13日までだそうです。少し遠いですが、私もできれば一度行ってみたいと思っています。

 〒309-1634 茨城県笠間市福原2081 電話&FAX 0296-71-6700 常陸国出雲大社境内桜林館1F



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