リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

244. 写真展の動画を発掘

2021年01月10日 | 日記

▶写真展から1年1か月が経って…

 


ボーデ博物館『竜と闘う聖ゲオルク」
 
ティルマン・リーメンシュナイダー 1490~95年頃 

 

▶こんな動画が出てきました。

 昨日、三津夫から「こんな動画があるの、知ってた?」とあるサイトのアドレスが送られてきました。それがこちらです。

祈りの彫刻家リーメンシュナイダーに光あれ: 日本経済新聞

1999年、ミュンヘンのバイエルン国立博物館。私は薄暗い小さな部屋で、全身を毛で覆われ、天使に取り囲まれた彫刻「聖マグダレーナ」を見た。天使...

日本経済新聞

 

 

 これですぐ思い出しました。日経新聞の若い記者、岩本文枝さんが写真展開催の前日にギャラリー古藤まで取材に来てくれたのです。その時にとてもお話しが弾んで、彼女が動画を作りたいので写真が欲しいと行って社に戻っていったのでした。夜、急ぎ数枚の画像をお送りしたところ、忙しい中、岩本さんが落ち着いた音楽をバックに入れてこのような動画にまとめてくれたのでした。

 ところが、当時は写真展まっしぐらで、この動画を皆さんにご紹介するのをすっかり忘れていたようです。三津夫が発掘してくれたので、ちょうど良い機会だと思い、皆さまにも見ていただければと思ってここに載せておくことにしました。いつまで見られるのかはわかりませんが、もし見られなくなったときにはお知らせいただければと思います。日経新聞の会員さんは記事も読めるはずです。

 

 ちなみにここで紹介した「竜と闘う聖ゲオルク」は以前「聖ゲオルグ」と表記していたのですが、昨年の写真集4冊目で原稿を見なおした時にゲオルクと書くようになりました。ローテンブルク、ヴュルツブルクなど、最後の音の「 g」 の発音には気を遣います。混同しているところもあるかと思うのですが、わかった範囲でより正しい音に近い表記にしていきたいと考えています。

 


ボーデ博物館の「竜と闘う聖ゲオルク」の後ろ姿も載せておきます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

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243. 六草いちかさんの『いのちの証言』を読んで。

2021年01月04日 | 日記

▶六草いちかさんの『いのちの証言』(晶文社 2017年)を読んで。

 


バイエルン街のユダヤ人に関する戦時中の標識「記念碑」所在地一覧

 

▶まずはご挨拶

 昨年は世界中に新型コロナウィルス感染症が広がり、多くの死者を数えるという大変な年でした。身近な方々の中にこうした死を体験された方々に心よりお悔やみ申しあげます。また、このコロナ禍で仕事や住居を奪われたり、倒産を体験されたり、日常生活が難しくなったりした方々に一日も早く希望を取り戻すことができる年となりますようにと祈ります。
 私も
健康には十分注意しながら、少しずつできることを広げていきたいと思っています。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

  2021年1月4日

 

▶ベルリンの旅 二つ目の目的地 ー Bayerischer Platz

 ブログ 229. ベルリンの新たな魅力 『鴎外の恋』のご紹介 で書いたように、私たちは次回ベルリンに行くことができるようになったら森鴎外と恋人エリスの生きていた場所を訪ね歩いてみたいと思っています。そこに、もう一つ新しい目的地が加わりました。

 私は昨日、三津夫が既に読んで感動していた『いのちの証言』をようやく手に取り、読み終えることができました。   
 そこにはナチスの迫害を直接身に受けた人たち、あるいはその体験を聞いていた人たちの証言が生々しく記録されていました。また、戦時中に命の抹殺対象となったユダヤ人を見捨てられずに助けたドイツ(アーリア)人や日本人が思っていた以上に多くいたことが報告されていました。
 こ
うした方々のお話をベルリンに住む人の誰もが聞き取ることができるわけではありません。証言者と記録者とを結びつけるチャンスがあり、そのチャンスを掴むことができ、そして記録に書き留めることのできる人でなければこうした証言を後世に残すことは不可能だったでしょう。六草いちかさんには、きっとどこかのどなたかに「こうした人々の証言をしっかり聞き、書き留めなさい」という使命が課されていたに違いないと感じました。『いのちの証言』の「あとがき」には六草さんの思いがこのように書かれています。

 けれどもその作業の中で新たに発見したことがあった。それは、「いのちは続く」ということ。
 生き残った人々が戦後に新しい人生を歩み、子孫を生むことで受け継がれる「命」というものがあるけれど、それとは別に、生き延びた人々が語ることによって伝わる「いのち」というものがある。無念のうちに死んでいった人々のことも、生き残った人が思い出せば、その「いのち」は甦る。それを人に伝えれば、伝承という形でいのちは続いていく。(212頁)

 今回の「命の証言」を聞いて歩くという作業(偉業です)もまた、ひょんなきっかけからスタートしたというのも興味深いことです。
 そのきっかけとなったのは在ドイツ日本国大使館だったそうですが、生き残ったユダヤの方々の証言を直接聞くきっかけとなった区役所は恐らく下の写真のバイエリッシャー・プラッツ駅から300~400mのところにあるのだろうと思われます。この一画に六草さんご一家は以前住んでいたことがあるそうで、80枚あるユダヤ人への差別を忘れないための「記念碑」(トップの写真)を小さなお子さんと見て回ったと書かれていました。
 私は三津夫と2018年にここを訪ねました。でもたくさん歩いた後だったので疲れていたのと、夕方の日差しがまぶしくてなかなかくっきりと写真が撮れなかったのとで、また時間が取れたらもう一度来たいと思ってホテルに戻ったのでした。

 本書には近くの小学校で毎年のように高学年の子どもたちがグループで近くに住んでいたユダヤ人の家族についてどのような暮らしをし、どのような運命を辿ったのかを調べ、家族の名前を刻んだレンガブロックを積み上げているとも書かれています。是非そのブロック壁も見てみたいものです。六草さんにその小学校の名前を教えていただかなくては…。そして区役所に行って記念碑の内容も書かれているという地図を買いたいですね。区役所には平日に行かないと買えないのかもしれないですが、もし駅のカフェで買えるのなら助かります。

 また、柱の上の方に掲げられている標識(看板)はなかなかうまく写せなかったのですが、多少遠くまで写せる望遠レンズを買ったので、できれば町の風景と共に極力写してきたいと思っています。ただ、三津夫にこんなに時間のかかることはつき合いきれないと言われて地図でがまんすることになりそうな気もするのですが。

 


バイエリッシャー・プラッツ駅(地下鉄4番、7番)


杖の絵(上)
絵の説明文章(下)
 「混雑時におけるユダヤ人の公共交通機関の使用は禁止。
  他に立っている人がいないときだけ座席に座る事を許可」(1941年9月18日)


▶心に重く残っていること

 戦後を生きている私たちはナチスの迫害のひどさも知っていますし、それでもユダヤの人々をかくまった人々がいたことも知っています。私自身も日常生活の中でこのような事態が起きても助ける側の人間でありたいと思います。でも戦時となって、国のために戦い、全てのことを我慢することが当然という社会になったときに、それでも人を助けられるのかどうか…。ただでさえ少ない食料を、秘密裏にかくまった人々にも分け、生活を助け、自分たちが殺されるかもしれない状況になっても本当に彼らをかくまい続けられるのかどうか…。回りの状況を考えて忖度するようにならないだろうか。考えると答えが出ないのです。「絶対そうはならない」と断言できない弱さを持っていると感じるからです。だからこそ、戦争状態になってしまったら遅いのだと思っています。何とか戦争のない世界にしていかなくてはと。でも、その方法は簡単には見つかりそうもありません。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2020  Midori FUKUDA

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