リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

183. 15回目のドイツ旅行(31)ヘルシュタインへもう一度

2019年04月04日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(31)ヘルシュタインへもう一度


アイゼナハでは猫、フランクフルトでは犬に魅せられて。


10月4日(木)朝起きてリビングルームに上がってくると、テーブルには朝食の用意がされているのですが、部屋には誰も居ません。しばらく新聞を見たり本を見たりしていたらルースがロッタと短い散歩から戻ってきました。ロッタはお嬢さん夫婦の飼い犬で、週に一度トーマス夫妻のところに朝早く預けに来て仕事に行くそうです。以前はやんちゃなお転婆娘という感じがしたロッタも、ずっとおしとやかなレディーに成長したなぁと驚きました。ロッタの目も涼やかです。そこへトーマスも起きてきて(彼は病気になってから夜よく眠れないことが多く、朝の起床はゆっくりとなっています。)あれこれお喋りしながらの朝食。ドイツに来てこんなにのどかな朝食は初めてです。

11時からヘルシュタインのマリア被昇天教会へもう一度行くことになりました。『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』43~46頁にかけて載せた聖アンナ・ゼルプッドリット像はトーマスの探索と尽力があってようやく撮影できたのです。撮影に立ち会ってくれたウスラ・テルケマイアーさんには日本からお礼の本を贈ってあったのですが、トーマスがもう一度挨拶に連れて行ってくれるというのです。この日は日本に発つ日。あまり時間にゆとりがないとあきらめていたのですが、彼等の車感覚ではそれほど遠いとは思っていないのですね。教会に着いて内陣をゆっくり見学していたらそのテルケマイアーさんがやってきました。直接ご挨拶できてホッとしました。

このあとはバート・ヴィルベルまで戻って昼食です。ここでロッタを連れたルースと落ち合うことになっていたのでした。何回も昼食をご馳走になったレストランに再び向かいます。テーブルの下に大人しく寝そべったロッタを時々見ながら今回もたっぷりの昼食をいただきました。帰り道でスーパーに寄って日本へのお土産を買い、トランクに詰めて最後はトーマスが再び空港まで送り届けてくれました。バート・ヴィルベルで見た不思議な彫刻の写真を旅の最後に載せておきます。彫刻の作者は Stephan Guber、タイトルは Das Paradies(楽園)。このバート・ヴィルベルのWasserburgの回りに69体のオーク材彫刻を配したものです。一体ずつ買うこともできるそうですが、こうして佇んでいるのが似合っている彫刻群でした。ここで行替えをしたいところですが、今のところで29414文字。行替えをするとパッと3万字を超えてしまうのでこのまま続けます。読みにくくてごめんなさい。今回で15回目のドイツの旅行については終わります。このあとしばし休憩を取り、しばらくしてから今年開催予定の写真展について書いていきます。それまでごきげんよう。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

182. 15回目のドイツ旅行(30)旅の締めくくり、フランクフルトへ

2019年04月03日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(30)旅の締めくくり、フランクフルトへ

アイゼナハ駅にて

10月3日(水)お世話になった部屋の片付けを済ませていよいよ旅の最終目的地、フランクフルトへ向かいます。8:10に部屋を出ると、すぐに大家さんがとんできてくれました。車で駅まで送ってくださる間、部屋の装飾はお連れ合いの作品で、彼女は美術の教師をしていたこと、大家さんご本人もやはり元教師で数学を教えていたことなど話してくれました。アイゼナハ駅のホームでは来た日から気になっていた広告(写真・トップ)を写しました。この白猫は何とも魅惑的な目をしています。

 フランクフルトではトランクをコインロッカーに入れて町へ。一番行きたかったリービークハウスは前日になって臨時休館とわかってガックリ。ここ数年修復中だったKarmeliterkloster(カルメリ会修道院)は開いていたので中に入ってみると、Jörg Ratgeb (イェルク・ラートゲープ)のフレスコ画が所狭しと描かれていました。三津夫がずっと見たかった作品です。下の写真は中でもしっかり残っていた部分(オレンジ色の日付が入っている写真は三津夫が写したものです)。キリストの洗礼場面です。これが見られたのは満足でしたが、その後、やはり改修を終えた歴史博物館にも行ってみたところ、残念ながら以前見られたリーメンシュナイダー作品がどこにもなく、館員に聞いてもわかりませんでした。モダンになりすぎて部屋の場所もわかりにくくなり、行ったり来たり。改修して良くなるところとひどくなるところとありますが、こちらは後者だと感じました。


旅の締めくくりはトーマスの家で過ごすのが習いです。彼が送ってくれた列車情報を見て間に合うように駅まで戻り、コインロッカーからトランクを出して列車に乗り込みました。ギリギリセーフでした。

 家に着いてから、お世話になりながら完成した3冊目の写真集を手渡しました。これでようやく日本から持って来ていた『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の最後の一冊がなくなったのです。三津夫のトランクは軽くなったはずですが、入れ替わりに入ったクルミやカタログなどで相変わらず重たいままです。夕食にはルースがよく煮込んでくれたレンズ豆のスープをご馳走になり、夜の暗い道をお喋りしながら散歩して、いつもの半地下室で休ませてもらいました。この部屋にあと何回来られるのかなぁと思います。トーマスは一時足の神経の病気にかかり、松葉杖をついていたのですが、それもほとんど感じないように大股で歩けるようになりました。ただ、何となく息苦しいのかなと感じることがあり、気がかりです。2人と出会ったのは1998年、スイスでのことですから、お付き合いはちょうど20年になります。お互いに年をとるものです…。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

181. 15回目のドイツ旅行(29)リーメンシュナイダーの生まれ故郷

2019年04月02日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(29)リーメンシュナイダーの生まれ故郷

ここはリーメンシュナイダーが生まれた場所です。(ハイリゲンシュタット)


10月2日(火)

 夜中3時頃、私のスマホに電話がかかってきたと三津夫が起き出しました。私は気付かなかったのであわてて電話をチェックしてみたところ、東京からの留守電が入っていました。いつもボランティアで庭の手入れをしているお宅で台風のために木が倒れたそうです。ときどき手入れを手伝ってくれる斉藤さんから、とりあえず様子を見に行ってきますとの連絡でした。どうやらずいぶんまた被害が出ている模様。今年の台風は今までにない激しさで、気になります。

 6時半に起床。昨日のスープと残ったご飯のお握りで朝食をとって早目に出発。今日はリーメンシュナイダーの生まれた家があるというハイリゲンシュタットに向かいます。駅で一日切符は無いのか聞きましたがないそうで、片道約1時間半の鉄道往復切符は2人分で106ユーロにもなりました。カードで支払ったところ、切符が全然出てこないのです。担当女性は機械に慣れていない人なのか、あちらこちらに電話をして15分後にようやく切符を手にすることができました。後ろに並ぶ人たちに申し訳なく、朝から疲れてしまいました。ジャーマンレイルパスをこの日に使えば良かったのにと後で反省しました。

 おまけにハイリゲンシュタット駅を降りたところで雨が降り始め、うっかり傘も持たず、それほど厚着をしてこなかった私たちは雨に濡れながら歩かなければなりませんでした。傘を売っている店はないのかと探しましたが見付かりません。あきらめてビショビショになりながらまずHeimatmuseumに向かいました。日本語で言えば郷土博物館という感じでしょうか。しかし、リーメンシュナイダーの生まれ故郷というわりにはレプリカが何点かあるのみで、さみしく感じました。その後、館員に聞いて訪ねた家がトップの写真です。この新しい家は建て直したものだそうですが、ここがリーメンシュナイダーの生まれた場所だと立て札(写真・下)が立っていました。冷えた体でしばらく写真を撮らせてもらいました。

  帰りの電車もなかなか来ないし、この日は寒く、びしょ濡れの思い出しかありません。アパートに戻って暖かい部屋に入ったときはホッとしました。でも、リーメンシュナイダーの生まれた場所、働いていた工房、捕らわれた場所、亡くなって墓碑があった場所をこれで全て訪ねることができて、今日は一つの区切りとなりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180. 15回目のドイツ旅行(28)ヴァルトブルク城の天辺(てっぺん)

2019年04月01日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(28)ヴァルトブルク城の天辺(てっぺん)


ここはヴァルトブルク城の天辺です!


10月1日(月)目が開かない…

 日記より「6:30頃嫌な夢を見ていて目が覚めた。まぶたがくっついてしまって、開けようとしてもびくともしないのだ。女の人の声がして『一度ギュッと目をつぶってから開けてご覧なさい』と言われ、そうしたら右目の端っこから少しずつ開いた。」こんな一日の始まりだったにも拘わらずこの日は思いがけないサプライズがあったのです。

 宿のエレベーターは無事に動き、ヴュルツブルク中央駅までペーターに送ってもらって「また来年(2019年)!」とお別れしました。フルダで乗り換え、アイゼナハにもほぼ時間通りに着きました。列車は混んでいて三津夫はずっと立ちっぱなしで申し訳なかったのですが。

 アイゼナハ駅まで休暇用アパートの大家さんが迎えに来てくれました。颯爽と現れたのは長身の若々しいシルバーグレーの男性でした。いつも駅から西側の旧市街方面にしか行ったことがなかったのですが、このアパートは駅の裏、東側にあります。建物の2階に案内され、中に入ってみると広々として清潔で素敵なアパートでした。大きなキッチン、ダイニングテーブル、広いお風呂場、リビングルーム、ツインのベッドルームです。

 荷物をほどき、早速エルケに電話をしたところ、車で迎えに来てくれました。今まで見慣れていた深緑色の車ではなく黒い大きな車で来たのでびっくりしたのですが、ウヴェの体調が悪く、エルケ1人で2台の車は維持が大変だからと彼の車だけにしたのだそうです。彼女の表情には常に陰りがあり、ウヴェのことがずっと心を占めているのだと感じました。この日は午後の数時間だけウヴェを家に1人でおいて来てくれたのでした。その後、クロアチアレストランへ。静かで落ち着いた感じのレストランでした。エルケ自身は食欲もあまりないのに無理して私たちをレストランに連れて行ってくれて…。私も少なめのメニューを頼んだつもりでしたがやはり多く、残りは持ち帰らせてもらいました。


お城の屋上まで上ってみる?

 そんなエルケも、ヴァルトブルク城で旧知の職員に会う度にどんどん笑顔になっていきました。ミヒャエルがエルケに城内を自由に行き来できる鍵を持って来てくれたのですが、私たちに「お城の屋上まで上ってみますか?」と言うのでびっくり。「え~、そんなことできるの?」と聞き返すとニコニコしながら「Ja!」と言うのです。三津夫と2人、荷物をエルケに預け、カメラだけ持って上ってみました。狭いらせん階段が続き、息が切れる頃ようやく天辺に着くと、ミヒャエルがぐるぐると曇りガラスの天井を回して(下の写真)開けました! すごい風です。遠くまで見えます。ヴァルトブルク城の天辺には十字架が立ち、ドイツ国旗がはためいていました(トップの写真)。



 


 こんな体験ができるのは一生に一度だけでしょう。何とも爽快な体験をさせてもらいました。ミヒャエル、エルケ、ありがとう! 嬉しそうに降りてきた私たちを見てエルケもさらに笑顔になりました。しばし城内をゆっくり回ってからコーヒーを飲み、アパートまで送ってきてくれました。ウヴェのお見舞は無理と聞いて「お大事にね」とハグしてお別れ。嬉しさと悲しさの入り交じったエルケとの再会でした。


アパート、とても気に入りました。

 カメラなどを部屋に置いてから、歩いて数分のスーパーで買いものをしてきました。大きなキッチン付きのこのアパートではお料理ができます。お鍋も大きさはよりどりみどり揃っています。買ってきたお米でご飯を炊き、昼間食べきれなかったお料理の残りでスープを作りました。サラダもできました。部屋には赤と黒を主体とした芸術的な飾り付けが施され、とても雰囲気がいいのです。三津夫はこのアパートが大変気に入って、私も今度アイゼナハに来るときにはまたここに泊まろうと思っています。そしてエルケに自由な時間が戻ってきていたら一緒に買いものをして、お寿司を作って食べてもらいたいものだと夢を思い描いています。このアパートの名前はFerienwohnung Romantic、宿泊料金は2018年には1泊63ユーロでした。アイゼナハ駅から徒歩6~7分です。お薦めです。

❤最後にご報告しておきます。ウヴェはここ数年癌に苦しんでいたのですが、2018年12月8日に亡くなりました。合掌。

 彼の死に打ちのめされていたエルケも新しく小さな住まいを探し、ようやく今月末(2019年4月)には引っ越しができる予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする