リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

209. 16回目のドイツ旅行(13) 新天地、フライジングへ

2020年02月17日 | 旅行

▶フライジングのヴェニガーさん宅にお邪魔しました。

 


ここは世界最古のブリュワリーと言われるヴァイエンシュテファンの庭?…だと思います(^_^;)

◆2019年7月28日(日)ルートヴィヒスブルクからフライジングへ

 昨夜のウェディングパーティーは夜中の3時頃まで続いたそうです。皆寝静まっている中、私たちだけが動いているような後ろめたさを感じながら7時頃にまずタクシーをお願いしに受付まで行きました。ルートヴィヒスブルク駅までは5~10分で行けるとのこと。それなら8時までは朝食を取ることができます。ゆっくりと朝食を食べ、荷物を持って7時55分にロビーに下りると、既にタクシーが来て待っていてくれました。順調に駅に到着。でも昨日までの暑さ感覚で薄着をしてきたので、駅で待つ間にスースー涼しくなってしまい、上衣を引っ張り出さなければなりませんでした。

 今日は各駅停車でルートヴィヒスブルク駅からシュトゥットガルト中央駅まで行き、ICEに乗り換えてからミュンヘンまで行きます。更にニュルンベルク行きに乗ってフライジングまで行くという、3回乗換の4時間ほどの旅です。そこでマティアス・ヴェニガーさんと合流することになっていました。すでに私はミュンヘンのバイエルン国立博物館で2回お目にかかっていますが、三津夫は今日久しぶりに会うことになります。市内の歴史に詳しく、市内のガイドをしているというお連れ合いも来てくださるので楽しみにしていました。

 フライジングで下車すると、何とエレベーターが動きません。比較的小さな駅です。階段で下りるしかないねと動き始めたところでヴェニガーさんがホームに上がってきました。細い身体で二人分のトランクをサッと持ってどんどん階段を下りて行かれます。すごいパワーです! 駅前にブルーの車が停まっていて、お連れ合いのルースさんが下りてきました。こちらは小柄な方です。私たちのトランクはどうしても2つ後ろに入らず、何と一つは後部坐席に立てたままルースさんが支えてくれて、助手席には三津夫が座り、いざ出発。三津夫はフライジングが世界最古のビール醸造所だとテレビ番組でみて、ここのビールを味わうのをずっと楽しみにしていました。

 車で小高い丘に登り、その醸造所、ヴァインシュテファンで下りました。日曜日のお昼時ということで駐車場は満杯。レストランには入れそうもなく、ヴェニガーさんはお宅で昼食を用意してあると仰っていました。ここのヴァイエンシュテファンをサイト検索をすると次のように書かれています。

世界最古のブリュワリー
創業1040年という1000年以上の歴史があります。8世紀後半からフライジングの町の一角であるWeihenstephan(ヴァイエンシュテファン)の地でベネディクト修道院がビールを醸造し始め、公式に1040年に醸造所として事業をスタートしています。
https://oktoberfest.munichwalker.com/2017/07/weihenstephan/

 今日は日曜日なので醸造所内にも入れず、外から覗いて回っているうちに裏の方にある泉に案内されました。ルースさんが爽やかな声で解説してくださるのを聞いていましたが、およそのことしかわかりません。多分、泉が涸れずに湧いていたところで修道院ができたというような説明だったと思いますが。歩いているうちに花の美しさや庭の気持ちよさに、昨日までの暑さで疲れていた身体が蘇るようでした。そんな様子を三津夫が写してくれたのがトップの写真です。ここもヴァイエンシュテファンといって良いのかどうか、よくわかりませんが。


この花も日本で見るより一段と大きいような気がします。


◆ご自宅で昼食をいただきました。

 このあと、ご自宅まで移動していよいよお昼です。お家はこじんまりしていましたが庭が広く、涼しいお宅でした。でも二人とも働いているので庭の手入れができなくてと嘆いていらっしゃいました。中に入るとニコニコと出てきたのが息子さんのエリアス君。昨日まで卒業パーティーが重なったので眠っていたと聞きましたが、お昼を待ってくれていたのでしょうね。ご馳走が並ぶまでに本の話をしたりお土産をお渡ししたり、エリアス君の飼っている4匹の金魚に日本語の名前を付けたり。彼は日本文化に興味があるようですが、これからどのような進路に進むのか、食事中もヴェニガーさんと話し合っていました。ルースさんは黙って聞いているような感じです。


この旅一番のご馳走でした。ありがとうございます。

 三津夫がご家族の出身地を聞き、ルースさんはトリアー出身、ヴェニガーさんはベルリン出身で、エリアス君はフライジング生まれということがわかりました。「ミュンヘンではオクトーバーフェストで民族衣装を着た人たちを見かけるけど、ヴェニガーさんもお持ちなんですか?」と聞くと持っていないそうです。「エリアス君は?」と聞いたら「持っていますよ、お見せしましょうか?」と、何と着替えて見せてくれました。彼らの民族衣装への誇りを感じました。その写真も許可をいただいたので載せておきます。赤いチェックのシャツが可愛いですよね。


 食後はエリアス君と別れて、今度は
フライジングの大聖堂に連れて行ってくださいました。この辺りにドーム博物館があるようですが、あいにくリフォーム中で中には入れませんでした。大聖堂の中はルースさんが案内してくださいました。フライジングはミュンヘンの町よりも古い歴史を持っていて、以前は相当発展した町だったようです。今はミュンヘンの方がはるかに大きく発展していますが、こちらの大聖堂博物館の中には貴重な彫刻もあるようで、建物の修復が終わったら必ず訪ねて見たいと思っています。こんな柱にも興味がわきました。表情が素朴ですね。



 ヴェニガーさんは、私たちにも少しでも多く見せたいとあちらこちら案内されるのです。最後はルースさんが「早くしないと電車に間に合いませんよ」と叫んでいても「ちょっとだけだから」とまだ走り回るので、私たちも走ってついていきました。そして約4時間のフライジングツアーは終わり、ヴェニガーさんが列車にトランクを押し込んでくださって出発。8月3日の再会を約束してお別れしました。ランツフートのアパートではいろいろあったので、また次回に書くことにします。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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208. 16回目のドイツ旅行(12) ドイツで初めて体験する結婚式

2020年02月06日 | 旅行

▶いよいよ結婚式当日です。



この日のシルヴィアとクラウスはますます輝いていました。

◆2019年7月27日(土)着付けに汗びっしょり!!

 いよいよ結婚式当日です。でも朝食は9時だというのに6時頃には目を覚ましてしまいました。お茶だけ飲んで着物などの下準備をし、9時前にレストランに下りると、ちょうどヴィリーとアンゲリカ夫妻が車でやってきました。一緒に席を取って食べ始めても他の人の姿はまだ見えません。ほとんどのゲストとご本人たちは昨日の夕食のレストランがあったガストハウス(小さなレストラン兼ホテル)に泊まっていたからでした。教会で皆に会うことになるのです。ただ、シルヴィアの親友だというマライケは私たちと同じホテルに泊まっていたのをヴィリーが見付けて声をかけ、一緒におしゃべりしながらゆっくりと朝食をとりました。

 アンゲリカは着物に興味があるので、私が着物を着付けるところを見たいと言います。むげに断ることもできず、でも恥ずかしいので襦袢まで着た頃に部屋に上がってもらうことにしました。私はあわてて部屋に戻り、普段はしない化粧をして多少のあら隠しをし、襦袢を着たところでアンゲリカがやってきました。 
 普段私が着物を着るところを見ることもない三津夫も居場所が無いので部屋にいたため、私としては2倍恥ずかしいのですが仕方がありません。この日もとっても暑い日で、ただでさえ慣れない気付けに汗をかくのに小さな扇風機だけの部屋の暑さも加わって、じきに汗びっしょりになってしまいました。後ろの帯の状態を見られる姿見も無いのでドイツ語で「真っ直ぐになってる?」とアンゲリカに確認しながらも、私が意図する場所とは違うところを真っ直ぐに直そうとするアンゲリカに「違う、違う」なんてやりとりをするものだから汗ぐっしょりでした。「慣れないことは一人で悶々と苦労したかったなぁ。」と見学をOKしたことを後悔しました。まぁ、何とか2回やり直してアンゲリカのカメラに収まり、三津夫が昼寝に入ったところで、やはり気になった帯をもう一度結び直しました。まだまだへたくそですが、何とかこの日の中では一番まともに結べたので良しとして、やっと一休みしました。

 午後1時にヴィリーと着替えたアンゲリカと待ち合わせだったので階下に下りました。いつになくしとやかに歩いていくと、周りの人の視線が集まります。地味な着物ですが、民族衣装は目を惹くもののようです。通りすがりの人たちが笑顔で見てくれるのはちょっと嬉しいものですね。ヴィリーも満面の笑顔で迎えてくれて、マライケも一緒に車で教会に向かいました。

 
◆教会の結婚式と立食パーティー

 教会に着くと、ベンチの両端には花が飾られ、マライケが持ってきた式次第のプリントや、お土産のお菓子の袋を座席に置く作業がありました。三津夫とヴィリーはマライケの指示に従って動き回りますが、私は少し写真を撮った後、できるだけ座って体力温存。着物を「着ている」こと自体、まだ慣れない私にとって重労働なのです。トップ写真は教会の式の後で教会を出た場所で写されたシルヴィアとクラウス。この二人の写真は私たちのカメラには写せていなかったため、結婚式用に儲けられた共用のデータベースから載せさせていただきました。


アンゲリカとヴィリーと私


ヴィリーと三津夫は会場係で大活躍

 教会での式が午後2時に始まりました。シルヴィアがにこやかにお父さん(アルベルト)と腕を組んでバージンロードを進み、前で待ち受けるクラウスにバトンタッチ。クラウスは今までみたことのないような緊張した面持ちで迎えます。私たちは前から2番目のベンチに座るように指定され、その前にはシルヴィアとクラウスの家族や親戚がずらっと並んで待ち受けていました。シルヴィアがやってくると、私の真ん前の席でシルヴィアのお母さん(ブリギッテ)が涙をぬぐっていました。
 その後は長い長い牧師さんのお話しがあって、ときどき歌が入って、またお話があって…。ドイツ語検定2級の私にはほとんど話の内容は理解できませんでしたから、もっぱら人間観察をしていました。式は正味1時間で終了。教会の外に出ると、なにやら籐のような箱が待ち受けていました。そこに二人が出てくると担当の男性が箱を少しだけ開けて白い鳩を取り出します。それをクラウスとシルヴィアに渡し、二人が白鳩を空に放すと大拍手。今度は待ち受けていた小さな子どもが二人、箱の蓋を全開にしました。残っていた鳩が更に空に羽ばたき、これで予定されていたイベントは全部終わったようです。

 その後、皆は教会の横に移動し、そこにしつらえられたテーブルから簡単なスナックと飲み物をとって談笑し始めました。シルヴィアとヴィリーとクラウスはヴィリーを師とした柔術仲間。その先輩、後輩たちが教会横にテーブルをセットし、待っていてくれたのでした。シルヴィアとクラウスは様々な人たちと一緒に並んでは写真を撮られまくっていました。お疲れさま。私も朝食後はゆっくりお茶を飲む暇も無かったので喉がからから。早速飲み物を何杯かいただきました。三津夫はアルコールを取ったようで顔が少し赤くなっていました。このときブリギッテから、「今日の午前中、シルヴィアは具合が悪くて結婚式に出られないかもしれないと思ったほどだったのよ。でも何とか出られるようになったのは式の直前だったの。」と聞き、彼女の涙の意味も何となくわかりました。お母さんとしてはさぞ心配だったことでしょう。無事に終えられて何よりでした。


◆教会から戻るとまた立食パーティー…

 ようやく教会からホテルに戻ったので座れるのかと思いきや、ホテルの外のテントに案内されました。日傘があるとはいえ、暑い暑い陽差しのもと、再び立食パーティーが続きます。私と三津夫の所にも日本に興味があるという人たちが次から次へとやってきて話しかけるので、三津夫は私に「どうぞ日本に来たらわが家に泊まってくださいって言って。」と促します。暑さに参っているところで、多くの人と話しながら立ち続けているうちに足の草履が食い込んできて痛みがひどくなりました。出掛けてからトイレに行くチャンスもなかったので、途中で部屋に戻って着物を脱いでしまいました。トイレを済ませ、袖無しに着替えてあ~さっぱりした! 三津夫も慣れない靴に足が痛くなり、一緒に戻ってきたので、ほんの一休みしてまた下に下りたら、ようやく会場が室内に変わっていました。今度はテーブルに座席札が置いてあり、椅子に座ることができたのでホッとしました。先ほど教会でオルガンを弾いた方が右隣りに座り、シルヴィアにピアノを教えていた方なのだとわかりました。このオルガンの先生も柔術の仲間なのだとか。ヴィリーとアンゲリカは左隣りに、三津夫は正面に座っています。

 皆が揃うといよいよ披露宴の始まりです。最初に挨拶したのはアルベルト。落ち着いた話しぶりに感銘を受けました。でもやはり話の中身はあまりわからず。もっとリスニングをしないとダメだなぁと思いました。その後はシルヴィアとクラウスのダンス、子どもたちも混ざってのダンス、椅子取りゲームなどが続きます。披露宴でもこんな動きの多いゲームをするのですね。日本とは全く違う光景です。お洒落なドレスを着た女性も靴を脱いで走り回ったり、椅子が取れなかった罰は「お休みの日にシルヴィアとクラウスの家に行ってケーキを焼くこと」などという内容もあるのが面白く、見ていて飽きませんでした。そのうちに食事が振る舞われ、バイキングなので自分で好きなだけとって食べられるのもホッとしました。

 この日、教会の横で立食パーティーをしていたときに、一組の夫婦が私たちの所に来て「毎年東京に行くのでこの封筒を買ったのだけれど、これはどう使えば良いのかしら?」と聞いてきました。ちょうど私たちが持ってきたのと同じような和風の結婚へのお祝いを入れる封筒です。中のお金の入れ方はとか、ここに何を書いたら良いのとか聞かれてそれで大丈夫ですとお答えしたらとても喜ばれました。そして「一緒にお祝いの封筒を渡しましょう」ということになり、夕食後のひととき、新婚の二人の所に行ったのが次の写真です。

 ただ、私には一つ気掛かりなことがありました。結婚式のお祝いにはピン札を入れるのがマナーで用意していたのですが、日本から持ってくるのを忘れてしまったのです。仕方がないので少々折り目の入ったお札で「ごめんなさい」と思いながら渡したのでした。それで、気になってお詫びのメールをしたところ、彼女からの返事は、
「げんなまをしんぱいしないで ください。クラウス と わたしは とても たのしんだ!」
でした。三津夫と涙が出るほど笑いました。

 さてお腹もいっぱいになり、疲れも出てきたのに宴はなかなか終わりません。ヴィリーは若い柔術仲間たちが日本のお客さんを楽しませようと出し物を準備したから、それまでは残って見ていってほしいと言います。やっとゲームが終わってデザートも出てヴィリーの言う若者のショーが始まりました。でも音楽はどう聞いても中国風で、芸者姿の女性たちもお相撲さんの姿をした若者たちの踊りもあまり感心したものではなく、せっかく頑張ってくれたのに申し訳ないけれど笑顔になれませんでした。ヴィリーと、シルヴィアたちに挨拶をして部屋に戻りました。

 既に夜10時半を回っていたので、広げっぱなしだった着物を片づけ、明日のトランクを準備してシャワーを浴び、ベッドに入ったのがもうすぐ12時という頃。ウトウトしたときに突然ドドーンと大きな音が聞こえました。飛び起きると窓の外に花火が!! ドイツでは大晦日を花火で祝うと聞いてはいましたが、結婚式でも花火を上げるとは知りませんでした。1階の部屋からは賑やかな歓声が聞こえました。 
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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