★ 昨日のブログの最後のほうにこんなことを書いている。
「私の生き方のベースは『差別化』でちょっと変わった生き方なのである。 」
私がこんな『差別化』という言葉に出会ったのは、
ずっと旧い昔のことで昭和の年次で言うと、昭和40年頃(1965)のことなので、
よく言われるマイケル・ポーターの差別化論がまだ出ていない頃だったような気がする。
ちょうどその頃、広告宣伝を担当するようになって、
電通・博報堂・大広などの広告宣伝会社の本社スタッフと付き合うようになった頃に、この『差別化』という言葉に出会ったのである。
広告宣伝戦略は他社との『差別化』がなどとよく言われて、
『区別ではダメ』ちょっとだけでも他社より優位性が無くてはと言われていたのである。
図示するとこんなことになるのだろうが、
この『差別化』という言葉を気に入ってよく使っていたのだが、
当時は同和問題で『差別』が言われていた時代でもあったので、
事業本部長から『区別ではダメなのか?』という指摘も頂いたりしたのだが、区別ではダメなのである。
★ あなたのキャリアを「他者と差別化」する人生戦略という
こんな論文も出ていて、読んでみると
他者との差別化を図る際に強く意識しなければならぬのは、
営業、マーケティング、経理などすでに存在する単発のキャリアで一番を目指さないことで、
「キャリアを組み合わせること」だとある。
確かにその通りで、私自身は一つ一つはそんなに上手くは出来ていないのだが、
その組み合わせは結構上手く出来たと思っている。
現役時代の会社の仕事でも、
退職後のネットの使い方でも、
その組み合わせは私なりにユニークでまさに『差別化』されているのである。
★ Google で『古谷錬太郎』と検索すると、
別に有名人でもないのにこんなページがいっぱい現れるし、
これはツイッターだと思うが、私のフォロワーの全国各県分布図などが現れたりする。
そして一番フォロワーが多いのは京都府で2番目が山梨県だというのである。
これは私のブログやFacebook ,ツイッターなどの使い方が独特で、
その組み合わせが『差別化』されているからだと思う。
そうい意味では、ネットの世界は非常に公平に出来ていて、
私のことをこのように取り扱ってくれるのは
その発信量が多いから、単純にそれを評価して頂いているのだと思う。
★ そんなこんなで私の人生は、ちょっと差別化された、
ちょっとだけ一般の方よりは多彩な人生だったかなと思っている。
そして、それに大い満足しているのである。