雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の大学時代  

2024-08-08 06:38:22 | 自分史

★ 私が入学した大学は『神戸商科大学』なのだが、
 現在はこの校名も当時の大学の校舎も存在しない。
 校名が合併などで変わることはよくあるのだが、
 その大学の校舎などが消滅してしまっているのは珍しい。
 
 『神戸商科大学』と画像検索するとこんな懐かしい写真が現われた。
  




  現在は『学園都市』と言う学校がいっぱいの新しい街が北の方に出来て、かっての姫路工大と一緒になって兵庫県立大学となっている。



 


★ 私が入学した年は16.5倍と言う倍率だったのだが、
  よく通ったものだと今でもそう思う。
  当時はまだ日本も貧しくて、授業料の安い国公立の大学を目指す人が圧倒的だったのである。
  早稲田・慶応・関学などの私立高は授業料が高いので、
  目指す人は少なくて、そんなにムツカシクはなく極端に言えばだれでも通ったのである。


★そんな神戸商大であったが、
 私自身は殆ど勉強せずに、野球部に入って1回生からレギュラーだったこともあるが、野球漬けの大学生活を送っている。
 近畿6大学リーグで勿論1部だったが、当時は近大がいたので1位は難しかったが、
 常に2位、3位を目指すなど結構強かったのである。

 当時の神戸商大は垂水の駅から坂を上ったところにあって、
 結構きつい坂道を歩いて通ったものである。
 その坂道は今でも『商大筋』と呼ばれている。



  

 授業料もそんなに高くはなかったのだと思うが、
 私は片親で、引揚者家庭と言うことで『授業料免除』で、
 結構な『奨学金』を貰っていたので、給料を貰っての大学生活みたいな感じだった。

 3回生の秋のリーグ戦の時、何となく体調がおかしかったので、
 リーグ戦が終ってから医者に診て貰ったら『肺浸潤』だと仰るのである。
 『野球は止めて静養』と言われていたのだが、
 そのまま野球を続けていたら『肺結核』となり『空洞』まで出来てしまったのである。

 そんなになってもまだ野球は止めずに卒業は1年延ばしたのだが、
 5回生の頃は、野球部の監督をやっていたという『野球漬けの大学生活』だったのである。

★ 3回生の終わりころからは日記を書き始めているので、
 この自分史も日記から拾っていこうと思っている。
 なぜ日記を書き始めたのかと言うことから『私の日記』は始まっているのだが、
 そんなことも含めて以降の自分史は1年毎の日記から拾っていこうと思っている。


  
  









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