★ 3月に誕生日を迎えて91歳になったのだが、
よく生きたもので90年間も生きたことになる。
この90年間は、日本にとって有史以来最も『激動の時代』だったと言って間違いないだろう。
そんな90年間のうち80年間はよく覚えている。
昭和25年(1950)に大東亜戦争は終わって終戦を迎えるのだが、
私はその時中学1年生で今のソウル、朝鮮京城にいたのである。
アメリカとの戦時中も内地と言うか日本は大変だったのだが、
私が住んでいた外地は全く大変なことはなかったのである。
外地と言ってたが、そこは日本だったし朝鮮京城は日本だったから、
日本語が語られていたし、当時の朝鮮の人たちはみんな『日本語』が話せたのである。
こんな地図をご覧になった方は少ないだろうが、
私が小学生時代、4年生の頃の「日本の地図」だと言っていい。
太平洋戦争も当初は『勝ち戦』でこの地図の緑の部分は『日本』だった。
これは緑で塗られているが、
小学生の頃、白地図に赤く塗っていったのを想い出す。
この分では「世界が日本になる」と思ったりした。
★ それは兎も角、朝鮮も台湾も日本だったし、
満州国も事実上、日本の統治だったのである。
そう言えば樺太も半分は日本だったのである。
そんな時代が何年続いたのだろう?
私の祖父は朝鮮に電力事業を起こしたので、
そんなことから私は生まれてすぐ朝鮮に渡ったようである。
小さなころは何となくだが、小学校に入る前あたりからはよく覚えている。
そういう意味では『私の故郷』は京城(今のソウル)なのである。
★そんな戦前の時代を経験したのだが、
昭和25年12月に日本に引き揚げてきてからの
『戦後の日本の変貌』もこれも又大変なものである。
こんなに凄まじく変わったというか発展した時代も初めてなのだろう。
『もはや戦後ではない』と言われたのは、終戦から10年目の頃のことで、
GDPが戦前の水準を上回ったのでである。
1954年ごろには朝鮮戦争を契機に「神武景気」といわれたりした。
★ 新幹線が東京―新大阪をスタートしたのは1964年だが、
それから60年経って、全国に『新幹線網』が張り巡らされ、
今日は『敦賀新幹線』がスタートする。
こんな新しい車両が走ることになるらしい。
★ 本当に目まぐるしい変化・発展の90年間だった。
90歳の老人が毎日ネットでこんなブログを発信続けることなど、
かっては考えられなかったことなのである。
そんな『超高度成長期』を生きて目まぐるしい変化を体験した世代は、
『昭和一桁世代』だと言っていいのだろう。
そんな時代を今もなお元気に生きてる幸せを実感している今日この頃なのである。