雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の自慢話と自慢の人生

2006-11-12 09:22:32 | M/Cレース
ブログのコメントがきっかけで、「仲間」の話をしたら、また、多分若い方から、そのコメントを頂いた。
また何か書こうという気持ちが湧く、応援歌のように思える。

この2,3日の私のブログを自分で読み返してみると、自慢話のようにみえる。
確かに、私の自慢話で、そんなことが書ける面白い人生が歩めたと思っている。

ただ、「私の仲間」に登場した、偉い人たちも、星野や金子など有名人も、私との付き合いのスタート時点は、決して偉くもなく普通の人だった。
星野や金子は名もない、若いライダーの一人でしかなかった。

この人は偉くなるからとか、将来有名になるであろうからなどという下心など、勿論なかった。

「タテ割り」が一般的な日本の社会のなかではあるが、間違いなく「ヨコの繋がり」のほうが面白く、大きな仕事が出来ると、私は確信している。
私の信念みたいなものになっている。

タテ割りの組織のなかだけの仕事など、それがどんなに大きな金額であっても,大きいだけで面白いものではないと思っている。

そして目線は常に末端、Consumerに置くべきと思っている。
そしてそれが実践できたことが、私の秘かな自慢である。

私の仲間たちのなかにも、出会ったはじめから有名人であった人もいるにはいる。
何人かの有名人、島田しんすけなどレースの関係でお会いした。
岩城洸一はある時期本当によくつきあった、「仲間」である。

彼は4輪や2輪のレースやジェットスキーの関係でカワサキに出入りしていた。

ビジネスとして彼を一日拘束したら多分何百万かの金が要るのであろうが、仲間としての付き合いだったから、レーサーに乗せたり、SPA直入を走らせたり、彼の乗るジェットスキーを提供するぐらいのことで、一銭の金も払わずに、いろんなことを手伝ってくれた。

しょっちゅう会社にも顔をみせたが、KAZEの機関紙にも、カワサキのデーラーミーテングにも、サーキットでのカワサキのイベント、JJSBAのジェットスキーの会場にも、大勢の彼の仲間とともに登場し手伝ってくれた。

2輪のレースに関しては、大阪のマフラー製作で有名な月木君のチームのメンバーとして活動した。
当時のことだが、岩城洸一が清原明彦君と直接話しが出来たと馬鹿みたいに喜んでいたのを想いだす。
彼のようなスターにとっても、また別の世界のスターがいるのである。

こんなことが私の自慢話の一つだが、すべてこれらはヨコの繋がりなのである。

ネットワークこそ、人生を面白く生きるKEYであると思っている。
そしてもう一つ、誰とでも本音で話し、同じスタンスで付き合うことである。

それが出来たことが私の特技であり、私の人生の自慢である。

これからも、そう生きたいと願っている。



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