今朝、アクセス解析を見てビックリした。
PV=ページビューの数が4743ページである。
4743ページ読まれたということである。いつもの5倍以上である。
アクセスURLは『にほんブログ村』からのものが多くあった。
この雑感日記はカワサキやバイクネタもあるのだが、そればかりではない。
他の『カワサキ』ブログとは異質である。だから、昨日はやめようと思った。
貼ってあったバナーもみんな消してしまった。
今朝のPVを見て考えた。『カワサキ』について書きたい想いもあるし今後も書くだろう。
カワサキとバイクネタの時だけ、『カワサキ』のバナーを貼って参加することにしようと思った。
沢山の人に読んで頂けることは、単純に嬉しいことである。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか。
7万台への挑戦の2年目90年、前年に続いてゼファーは売れ続けた。
年間移動値での販売台数は4月には6万台を記録し6月には更に伸びて62000台を記録した。
自動2輪の登録台数も当然伸びて、シェアはホンダを抜いてトップとなったのである。
その間ジェットスキーARKの展開など販売網の整理や、従来孫会社での販売活動であったものを新会社としてカワサキグループとして統一的な活動を展開するよう改めた。
二輪車は受注取引制度を業界で初めて採用したりして話題を呼んだが、これもゼファーの好調などの背景があってこそ実行できたものと思っている。
今も残っている岡山ショップや広島営業所の改装など、イメージ戦略として捉えて従来とは一線を画した店舗政策なども行なったのである。
何にも挑戦しないカワサキから、積極的に『挑戦する新しいカワサキ』へのイメージ造りが当時の基本テーマで、
新会社ケイスポーツシステムが専門的に展開したKAZE活動、レース活動なども大きく寄与したのである。
90年前半、最も力を入れて推進したのは、何よりもSPA直入の正式オープンとその対策であったと言っていいだろう。
ほぼ1年の工期で建設は順調に進んだ、
SPA直入のオープンフェスタは4月15日に行なわれたのである。
テープカットは武田直入町町長や阪神ライデングスクールの有馬さん、まだヤマハの籍であったのにわざわざ駆けつけてくれた金谷秀夫君など、お世話になった人たちの手で行なわれた。
サーキットを自分のバイクで走れるとあって、九州地区を中心に4000人を越えるライダーたちが集まったのである。
開会式の祝辞で直入町長は『この直入の地に、有史以来最大の人たちが集まった』と挨拶された。
ちなみに当時の直入町の総人口は2000人だった。
確かに有史以来最大であったろう。ひょっとしたら今後も出ない記録かも知れない。
4000台のバイクがコースを埋めて走る様は、マラソンのスタートの光景に似てまさに壮観であった
清原や金谷や宗和たちが先導役を務めてくれて走りきったが、事故なくてほっと胸をなでおろしたのを、よく覚えている。
サーキットを普通一般のバイクが走った、日本で始めての記念すべき日であったのである。
『SPA直入』
ベルギーの有名なサーキットSPAフランコルシェンと長湯温泉のSPAとを関連付けて、物識りの故岩崎茂樹君が名付け親である。
サーキットのアールも勾配もみんな彼が一人で考えた。
若しゴルフ場のようにーー設計監修などと言うなら直入は間違いなく『岩崎茂樹設計監修』である。
関東にも同じコンセプトのサーキットをつくろうと、この時期は益子町といろいろと計画を進めていた。
候補地が国有林で林野庁などといろんな折衝を進めていた。
益子町もその後の候補地松井田町も結局実現せずに『幻のサーキット』で終わってしまうのだが、こんなプロジェクトは予想もしないようなことが突如として起こったりして難しいものである。
このほか札幌の新営業所の土地の候補地などが出てきたのもこの時期である。
好調な販売に支えられて、販売以外のはじめての経験にみんな忙しかった。
KAZEの会員も順調に増え続けたし、新会社ケイスポーツシステムも新しい未経験な分野をどんどんこなしていった。
ソフトと言うのはあるレベルに達すると更に進化するものだということを実感した。
素人は所詮素人である。専門家になって四六時中考え続けること『創造力』とはそんな環境の中だけで生まれることが解りかけた、そんな時代であった。
クリック有難うございました
カワサキのバイクネタを更にお読みになりたい方はどうぞ。
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7万台への挑戦の2年目90年、前年に続いてゼファーは売れ続けた。
年間移動値での販売台数は4月には6万台を記録し6月には更に伸びて62000台を記録した。
自動2輪の登録台数も当然伸びて、シェアはホンダを抜いてトップとなったのである。
その間ジェットスキーARKの展開など販売網の整理や、従来孫会社での販売活動であったものを新会社としてカワサキグループとして統一的な活動を展開するよう改めた。
二輪車は受注取引制度を業界で初めて採用したりして話題を呼んだが、これもゼファーの好調などの背景があってこそ実行できたものと思っている。
今も残っている岡山ショップや広島営業所の改装など、イメージ戦略として捉えて従来とは一線を画した店舗政策なども行なったのである。
何にも挑戦しないカワサキから、積極的に『挑戦する新しいカワサキ』へのイメージ造りが当時の基本テーマで、
新会社ケイスポーツシステムが専門的に展開したKAZE活動、レース活動なども大きく寄与したのである。
90年前半、最も力を入れて推進したのは、何よりもSPA直入の正式オープンとその対策であったと言っていいだろう。
ほぼ1年の工期で建設は順調に進んだ、
SPA直入のオープンフェスタは4月15日に行なわれたのである。
テープカットは武田直入町町長や阪神ライデングスクールの有馬さん、まだヤマハの籍であったのにわざわざ駆けつけてくれた金谷秀夫君など、お世話になった人たちの手で行なわれた。
サーキットを自分のバイクで走れるとあって、九州地区を中心に4000人を越えるライダーたちが集まったのである。
開会式の祝辞で直入町長は『この直入の地に、有史以来最大の人たちが集まった』と挨拶された。
ちなみに当時の直入町の総人口は2000人だった。
確かに有史以来最大であったろう。ひょっとしたら今後も出ない記録かも知れない。
4000台のバイクがコースを埋めて走る様は、マラソンのスタートの光景に似てまさに壮観であった
清原や金谷や宗和たちが先導役を務めてくれて走りきったが、事故なくてほっと胸をなでおろしたのを、よく覚えている。
サーキットを普通一般のバイクが走った、日本で始めての記念すべき日であったのである。
『SPA直入』
ベルギーの有名なサーキットSPAフランコルシェンと長湯温泉のSPAとを関連付けて、物識りの故岩崎茂樹君が名付け親である。
サーキットのアールも勾配もみんな彼が一人で考えた。
若しゴルフ場のようにーー設計監修などと言うなら直入は間違いなく『岩崎茂樹設計監修』である。
関東にも同じコンセプトのサーキットをつくろうと、この時期は益子町といろいろと計画を進めていた。
候補地が国有林で林野庁などといろんな折衝を進めていた。
益子町もその後の候補地松井田町も結局実現せずに『幻のサーキット』で終わってしまうのだが、こんなプロジェクトは予想もしないようなことが突如として起こったりして難しいものである。
このほか札幌の新営業所の土地の候補地などが出てきたのもこの時期である。
好調な販売に支えられて、販売以外のはじめての経験にみんな忙しかった。
KAZEの会員も順調に増え続けたし、新会社ケイスポーツシステムも新しい未経験な分野をどんどんこなしていった。
ソフトと言うのはあるレベルに達すると更に進化するものだということを実感した。
素人は所詮素人である。専門家になって四六時中考え続けること『創造力』とはそんな環境の中だけで生まれることが解りかけた、そんな時代であった。
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