Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ブリュッセル 最高裁判所とその周辺

2010-08-19 23:43:12 | ベルギーの旅 2010年

ホテルのすぐ隣に大きな教会があり、雨の月曜日、博物館も美術館も閉まっているので散歩の第一歩として行ってみた。なかなかきれいでカラフルな教会で1304年に小さな礼拝堂が始まり。その名もノートルダム・デュ・サブロン教会という。



教会の建つ広場には週末に骨董市がたち、古いチョコレートの鋳型を売っていた。昔からブリュッセルのチョコレートは有名で手作りだという。古いアイロンは中に熱したコールや炭を入れてアイロンかけをしたものらしい。



ブリュッセル一番の有名人はこの小さなしょん便小僧(マネキン・ピス)と呼ばれているが別名ジュリアン君といわれる。雨の中わざわざ訪ねて行ってみれば、大変なひとだかり。あまりに小さな像なので驚いた。




王立博物館の前の通りはリージェンス通りでその突き当たりにそびえるのが最高裁判所。このあたりはブリュッセルの高台にあり雨に煙る町が一望に見渡せる。裁判所の近くに行くと観光客が入ってゆくのが見えたので、早速見習ってみた。





石造りの巨大な建物は今までいろいろな国でたくさんの大建築物を見た目にも、これほど大きな空間を見たことが無い。そして不思議なことに月曜日であるにかかわらず、裁判所の職員が一人も見当たらないことだった。観光客数人がひっそりと歩き回っているほかは誰も居ない。
2階の大階段の踊り場に、大きなプラスチックの入れ物がおいてあり、高い天井から落ちて来る雨水を受け止めているが、それがあふれて床を濡らしている。それでも誰も居ないとはどうしたことだろう。



5時ぴったりに何処からとも無く現れた受付の女性と守衛のおじさんに軽く追い払われて、巨大なドアが閉まった。5時過ぎ奥を歩き回っていたら出て来れなかったかも知れないとほっとした。こんな大きな建築物は見かけの割りに仕事はしにくいだろう。1860年代の建築物では暖房なども無かっただろうから、天井の高い廊下に取り付けられた大きなラジエーターなどを見て暖房費も大変だろうなと思ったのはやっぱり私が貧乏性だからかしら。

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ブリュッセル ベルギー王宮と王立美術館

2010-08-19 19:17:22 | ベルギーの旅 2010年

ホテルが王立美術館から100mほどしか離れていないグラン・サブロン広場の一角にあったおかげで、有名観光地がほとんど近くで有り難い事だった。
王宮までのロワイヤル広場には歩道のあちこちに古いピアノが置いてあり雨に打たれていた。

ベルギー王宮は月曜日の休館以外は朝10時半から開場、無料で一巡り見せてくれるが、写真だけはご法度、入る前にカメラを預けなければいけない。英国のバッキンガムパレスより王宮らしい外観だがここに現国王は住まわれていないだけに、警備が緩やか,外塀だって誰でも乗り越えられそうだ。
中は何処の宮殿でも作りはほとんど同じで、家具や置物もそれにふさわしいものと思われるだけ、ただ舞踏の間のきらめくシャンデリアと木モザイクの床は感嘆に値するものだった。
最後の一室の科学博物館のようなところがあり、中央のグリーンの照明器具と天井のグリーンの飾りガラスがタイから持ってきたグリーンの大きなコガネムシの180万匹分の羽を張ったものだそうだ。




王立美術館も月曜日は休館のため日曜日の訪問者が多くて、入場チケットを買うための行列が長かった。玄関の大広間に展示されている丸い大きな球は近寄ってみれば、やっぱりあらゆる色のカブトムシやコガネムシから成っていて、ゾーとするが良くぞこんなことを考えるものだと感心した。




まずはモダンアートをと行った所が建物の際奥の地下で18世紀から現代までのヨーロッパの絵画の展示、フラッシュなしの撮影可ということで、気に入った絵をどんどん写した。写真の点描画は有名なジョージ・スーラ(フランス人1859年ー1891年)のセーヌのLa Grande Jatteで割と小さな絵だが彼はパリのこのセーヌ川の島を描いて一躍有名にそしてこの島も世界的に有名になったそうな。



下の左の絵は非常に大きな3枚組みの真ん中の絵で、レオン・フレデリック(ベルギー人1856年ー1940年)の作品。家族連れの貧しい商人で住む家も無いのであろう。彼らの人生をいろいろ想像したくなる様な絵でとっても気に入った。
右はヴィクター・セルヴァンクス(ベルギー人1897年ー1965年)の作品。昔はこのような抽象画のよさが判らなかったが、加齢ということはいろいろな変化も受け入れられるということなのかも知れない。




モダーンアートで一番印象深かったのが左下のサルバドール・ダリ(スペイン人 1904年生まれー)の作品でこの絵は1946年に完成-どう考えたらこのような絵にたどり着くことができるのだろうと思うが、忘れられない強力な絵だ。亭主も同じことを言ってたからここで初めて二人の意見が一致した。
右下は2階の古典部門ではじめに目に付いた作品、聖書に出てくるバベルの塔を描いたもので、画家の想像力には驚かされる。
モダーンアートを見終わって帰りのエレベーターがすごい、一室の中に両脇にベンチがずらりと並び、その部屋が7回まで昇って、地上階にたどり着いた。




古典部門でのハイライトは下の2作品に見られるようなブリューゲルの絵で父親と息子二人の16-17世紀のもの、大変興味深く生き生きとした絵に目を奪われた。描かれている一人ひとりの人物が素晴らしい精密画で絵の一部を拡大して写真にとっても十分一枚の絵として通用するところがすごい。当時オランダ・ベルギーはスペインに統治されていたため、社会の風刺画が多いという。




下は玄関大広間の壁を飾る巨大な絵で、ガスタフ・ワッパース(ベルギー人1803年ー1874年)の”1830年9月のエピソード”と言うタイトル。1830年7月パリ革命の波及で、ベルギーも9月にオランダからの独立革命が起こったことを記念して、当時の政府がスポンサーとなって描かれた作品だという。絵の舞台は花のじゅうたんの有るGrand Place of Brussels で1853年に完成した。

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ブリュッセルの花祭り

2010-08-19 02:29:45 | ベルギーの旅 2010年

日本ではお盆の一番暑い時期、こちら英国は曇り空ににわか雨と薄ら寒く、とっても真夏には思えない。今年は6月から7月にかけて30度近くなったことも有ったからアレが英国の真夏だったのだろう。
今春マレーシアの友達から送られたメールにブラッセルでの花のじゅうたんの写真があり、初めてこのイベントを知った。早速インターネットで調べてみると、2年に一回今年がその年であることが判った。8月になって、往復をユーロトンネルをくぐってゆくユーロスターで、ブラッセルの3泊4日の旅行予約にこぎつけた。

8月13日から15日の3日間が花祭りで、14日の早朝のユーロスターは空席なし、途中フランスのリル(Lille)で下車する旅行客も居たが、日本人の団体客はもちろんブラッセル行きの一団が目に付いた。この度はいたるところに日本人、中国人の団体がワサワサしていた。




ロンドンのセント・パンクレアス駅からブラッセル南駅まで2時間、ホテルが中央駅から歩いてゆけるとあちこち迷いつつ、1時にたどり着いた。ホテルの部屋は3時からしか入れないと言うから、荷物を預けてすぐ花のじゅうたんを見に行った。




80万個のベゴニアの花で、じゅうたんの模様は毎回違う古典のじゅうたんから取っているという。この準備に何日かかったかわからないが、私たちの行った土曜日の午後は晴天だったこともあり、近くで見るとベゴニアの花びらは黒くよじれてきてあまり気持ちの良いものではない。
ベゴニアばかりでなく西洋菊の花も使ってあったから、やっぱり行ってみないと実際のことは判らないものだ。




この花のじゅうたんが広がっている広場はグラン・プラス(Grand Place)と呼ばれるブリュッセルでは有名な大広場で110mx70mの巨大なもの。この広場を囲む4辺の建築物が豪華壮麗、花よりも建築物に圧倒された。

 

世界中から集まった観光客で、ごった返している中に、一辺の中央に建つ市役所のベランダから花のじゅうたんを見下ろせるとのことで、1時間も行列を作り一人3ユーロづつ払ってベランダにたどり着いたがここが超満員。係り員が停まらないよう声を限りに叫んでいるが、皆写真を撮るのに懸命の有様、それにもっと高いところからでないと全体の写真が一枚に収まらないのでがっかりした。

 


 

今回はこの花のじゅうたんを第一の目的に行ったが、花祭りとしては数年前に行ったイタリア・ボルセーナの花祭りの方が格段に良かった。しかし花祭りのほかにここブリュッセルには見るものが多くて退屈しなかった。明日は博物館について書こう。

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