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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Corvin Castel

2025-07-06 19:19:28 | 旅行

コーヴィン城はSibiuから150Kmくらい西に行った小さな工業地帯の町にあり、城のサインを見過ごして町外れまで行くと例のジプシーの家が辺り一面建っていた。通りすがりの人に道を聞こうと思い、聞いたのがジプシーのおばちゃんだった。私たちの来たほうをさして教えてくれたが、すぐ手に持っていたパンを売りつけようとする。
そこへ現れたのはロシア製の車スコダに乗った英国紳士、彼は私たちのキャンパーが英国ナンバーなのを見てすぐ停まってくれた。彼はルーマニア政府の経済顧問としてこの国でもう5-6年働いているという。この国は以前よりずいぶん良くなったが、政府間に汚職が絶えず、体制は20年前の共産主義時代からあまり変わってないと言った。(米原万里さんの本がそう教えてくれている。)
私たちが次にブルガリアを目指していると聞いて、あの国はルーマニアよりもっと悪いから、入国管理所でパスポートを出すときに10ユーロをはさみなさいと教えてくれた。未知の国の未知の事柄にますます恐怖も募り、このまままっすぐ行けばハンガリーに帰れるものをと思う。

このあたり金持ちのジプシーが多いと見える。

 

英国紳士に別れを告げてきた道を引き返しすぐお城への道を見つけた。14世紀に城砦として建てられたこの城はゴシック、ルネッサンス、バロック様式に改造、建て増しされ現在に至っている。外側の一部は補修中だが大きくなかなか立派な城だった。

城内は大して見るものがなく、かっては華やかだったであろう食堂の大広間が古色蒼然寂しさを感じさせる。でも700年もこうしてしっかり建っているだけでも素晴らしいことだ。

お城より立派な塔を持つ近くの教会。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Sibiu

2025-07-06 00:46:37 | 旅行

翌朝キャンプサイトの主人にタクシーを呼んでもらい Sibiu のメインバス停まで行った。朝にはバスが少なくて町に行くのが難しいが、午後から夕方は1時間おきに出ている。タクシー代は35Lei(8ポンド近く)この国の物価としたらすごく高いと思う。バス停から旧市街は歩いて楽に行けるところだった。ルーマニア語で書いてある観光案内は見ていると英語によく似た言葉が出てくるからあまり困らない。

 

旧市街の中心地は大きな広場で辺りにベンチがたくさん設置されていた。歩きつかれたりお昼のサンドイッチもここで食べた。この広場を中心に教会が3軒、美術館と博物館も並んでいる。
亭主にこの広場で待ってもらいナショナルギャラリーへ入ってみた。18世紀から20世紀にかけてのルーマニアの画家たちの作品が並んでいた。中にとても気に入った絵があったが名前を覚えて居れない。監視員の女性にペンを貸してもらえないかと見振りで頼むと何処からか探し出し、私が持っていたはがき大の入場券の裏に書き写してくれたが、その字があまりにお粗末、小学生が書いているようおまけに遅くていらいらして来た。あまり教育を受けていないのかもしれない。

絵は”着飾ったサキソンの花嫁”と言う題でロバート・ウエルマンという19世紀から20世紀に活躍した画家だった。大変きれいな絵でまた何処かで見ても思い出せる記憶に残る絵だった。私一人しかいなかったので、一枚の絵の前に立ち止まると足音がしなくて心配らしくわざわざ見に来るのでゆっくりしていられなかった。

 

広場から離れたギリシャ正教の大聖堂はTargu Muresで見たのと変わりなく内部はあらゆる色彩と聖人の絵で埋められていた。内部の写真を撮っている間に何人かの男女が入れ替わり祈りをささげにくるが、皆若い人たちばかりで、宗教心のない私の目には奇異に映った。

Lutheran Evangelical大聖堂の中のキリストの磔を描いた絵はルーマニアでは非常に大切な宝だそうだ。

各家の屋根の小窓はまるで目のようで家がじっと見つめているような錯覚を覚える。

 

 

中世の町並みのダウンタウンを見て周るうちに野菜のマーケットにたどり着き、ナスやジャガイモ、きゅうりを買った。キャンプサイトの周辺にはお店がない。
ダウンタウンへ行く途中でジプシーの親子とすれ違った。彼女たちはハンガリーでもルーマニアでも国境なしに変わらず何処でも目立つ独特の服装をしている。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Way to Sibiu

2025-07-06 00:26:07 | 旅行

Targu MuresからSibiuまで整備された国道を行けば300Km 近く、県道を行けば近道になり120Km 位で行けると近道を選んだのが間違いのもと。道路は舗装されてはいるが大きなコンクリートの板を置いて継ぎ合わせたようで継ぎ目がひどく10メータごとに継ぎ目に当たる。もちろんスピードは出せないしキャンパーの家具が揺れその音がひどい。観光バスなど一度も通ったことのない道路だろう。

 

田舎の道は馬車が行きかい、急な山道をキャンパーもあえぎあえぎ登ってゆく。時々現れる田舎の町は、写真に電線をいれないで写すのは不可能なくらい、何処を見ても道路わきに縦横に走っている。

Sibiu の町に入ってすぐ大通りの道路標識にキャンプサイトの看板を見つけた。その看板を目印に町を右往左往し横切って1時間近くも走った末、サインは忽然と消えてしまった。この辺りと見当をつけたところで聞くと、キャンプサイトはもう6年前に閉まっているという。なんという国だ。どうして看板をはずさないのだと怒り心頭。このサイトはルーマニアの観光案内書に載っていたもので情報の不確かさは信じられないほどだ。

 

Sibiu の町から20Km離れた田舎にキャンプサイトを見つけ午後にはその丘の上のサイトに落ち着いた。丘を下るとこぎれいな村が広がり、真っ白の教会(ここも閉まっていたが)やコウノトリの巣がある煙突、親子の馬が引く馬車などとても静かでほとんど人気がなかった。

ここのキャンプサイトにドイツ人夫妻のキャンパーが3台あり、一組は数日ここに滞在しているという。後の2組は友達同士で明日はタクシーをオーダーしてSibiuの町へ観光に行くという。では私たちも明日は観光にと決めた。

 

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2009年ヨーロッパキャンプ旅行ールーマニア 文化宮殿

2025-07-05 19:36:11 | 旅行

屋根瓦が美しいカルチャーパレスは20世紀はじめに建築され、Targu Muresの中心地にあり宮殿とは名ばかり、歴史博物館、美術館、コンサートホール、カンファランスホールなどを一箇所に集めた文化会館だ。入場料のほかにエキストラのお金を払えば写真可でいろいろ撮りまくった。玄関ホールの壁画や天井の素晴らしい色彩。

 

大広間の窓には12枚のステンドグラスが光を通して居るがこれらはブタペストで1913年に製作されたものでローカルの民話を絵にしたもの、家具はこの時代を反映したアールヌーボー調である。

 

博物館には紀元後1世紀までダキア(Dacia)と呼ばれていたこの地をローマ皇帝の直接管理化におき、統治したころの遺跡を展示している。下の写真は1世紀当時の歩道の石で日本がまだ国家を形成していない頃のこの高度な技術とアイディアには感心させられる。飾り立てられた金属の器はローマに滅ぼされたダキア王朝のもので紀元前1世紀ごろのものだという。

美術館にはほとんどがヨーロッパの20世紀の絵を飾ってあり、特に気に入ったのが”ジャガイモを拾う人たち"縦1.5M、横2.5M位の大きな絵で心が落ち着くような平和な雰囲気が出ている。もう一枚は"アルハンブラ”で確かにアルハンブラの細かな飾り窓やアラブの服装などどれだけ見ても飽きない素晴らしさだった。

過去2000年の間にルーマニアはヨーロッパやアジアからの侵略者に襲われあらゆる文化が混じったものであろう。オーストリア王朝が全盛の頃はこの国はオーストリアの一部であり、フランツ・ジョゼフ皇帝とその妻エリザベート妃の銅像が飾られていた。また広間の一部にベートーヴェンの銅像があるためベートーヴェンがこの地を訪れたことがあったかを知りたくて聞くが英語が全然通じない。やっと通訳が現れ彼によればここの音楽堂を飾るための像でベートーヴェンは来たことがないとのことだった。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Targu Mira その2

2025-07-05 05:30:47 | 旅行

朝夕は寒いが日中は25度ティーシャツでも歩ける陽気、この日は日曜日でキャンプサイトから歩いて旧市街へ行った。ルーマニアでは日曜日に結婚式を挙げるらしい。旧市街には教会が4-5軒集中しており結婚式を挙げたばかりらしいカップルが4組も家族と写真を撮っている。一組はお城へ行く階段ですれ違ったので思わず写真を撮って”Conglatulation!!”と声をかけたら”Thank you "と返事が来た。とっても素敵なカップルだと思う。

 

この町は15世紀からの建築物特に教会に、20世紀はじめのカルチャーパレスが観光目玉になっており、旧市街のメインロードはルーマニアのイメージとはかけ離れた素晴らしい散歩道になっている。
ルーマニアはローマ時代に原住民とラテン系の混血から成る国で、周辺の国々がスラブ民族の中にあってただひとつラテン語系の言語を国語としている。テレビで見ていると会話はぜんぜん判らないが、ニュースなどでサブタイトルが出ると、英語、イタリア語、フランス語に似た言葉が多くニュースの内容が大体の見当がつく。このテレビで面白かったのは韓国ドラマ”チャングムの誓い”を見せていた。言葉は韓国語でサブタイトルがルーマニア語だった。アメリカ映画や英国のドラマなどはサブタイトルだけルーマニア語になっているので、英語の映画をよく見た。

 

 

ローマの建国には双子の男の子ロムルスとレムスが狼に育てられたという伝説がある。それにちなんでローマに双子に乳を飲ます狼の像があるがそれとまったく同じものをここで見つけた。ルーマニアと英語では呼ぶがこの国ではローマニアらしい。彼らはローマ人の末裔の誇りを持っているという。

 

この周辺の建築物の色タイルが素晴らしく、もしかしてバルセローナのガウディと関係があるのかと思った。それとも中世の色タイルからこのようなタイルの屋根や飾りに発展して言ったのかもしれない。

 

此の窓辺全部に飾られた花を見ると政府機関であろうかと思われる。

 

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2009年ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Targu Muresその1

2025-07-05 04:20:40 | 旅行

国境の町Oradea には一泊し翌朝親切なドイツ人夫妻に別れを告げて、内陸260Kmにある町Targu Muresへ向かった。はじめは平野に町村が点在していたのがいつの間にか高い山を越えたり谷間を見下ろしたりしている。何処の町村も中心は立派な教会でそれがどれを見ても真新しく見える。
今年でちょうど20年前にルーマニア革命でチャウシェスクの独裁政治を破った国民戦線は民主化を進め2007年にEUに加盟した。
 
 
 
 
 
最近のニュースによれば20年前に身体障害の孤児だった人たちは今現在社会から見捨てられひどい環境にあるそうだ。国が民主化を推し進めても国民の意識や経済状態が急に変わるわけでもないだろうから難しいと思う。ほとんどが農業を生活の糧にし、広大な農耕地帯だ。(2025年6月に読んだ米原万里さんの ”嘘つきアーニャの真っ赤な真実” によれば20年前チャウシェスク政権が倒れたあとも、政府高官は貴族のような生活をしていて,子弟は英国やフランスの学校の寄宿舎に送り、一般市民は生活苦にあえいでいた。と書かれていてなんという共産主義と怒ったものだ。
 
 
 
 
山間の駐車場で一家族総出できのこを売っていた。はじめはなんだかわからなくて近寄ってみたら大きなきのこだった。近くに停まった車から降りたイタリア人が少し英語が話せて、私に買えと勧めるが1Kg5ユーロだという。1本いくらか聞いたらやはり5ユーロだというのであきらめた。ジプシーの家族のようだった。
 
 
 
 
 
 
ルーマニアではまだ路上を走る馬車が多く写真のような荷物だけでなく、人間も運搬しているのが多く目に付いた。土産屋はなぜか庭に置く小人の像が多くこのような店を何度も見かけた。
 
 
 
 
さて260Km行く途中の町で2箇所の町に上の様な派手派手きらきらのミニお城かそれとも連れ込み宿かと思われるのが集まって建っている。一体なんだろうと不思議でたまらなかったが、後に英語の話せるキャンプ場で教えてもらったところではこれらは金持ちのジプシーの家だとのこと。へぇー信じられない。なんと悪趣味なこと。
 
 
Targu Mures のキャンプサイトは散々探した挙句やっと見つけたのに閉まっていた。がっかりしていたらサイトの隣のレストランから出てきた女性がサイトの管理人に掛け合ってくれ、門を開いてもらった。せっかくだから2泊することにした。
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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ールーマニア入国

2025-07-04 18:22:18 | 旅行

7月末からホリデーに行くので、それまでに此の旅行記を書き上げてしまいたいと思っている。それで1日に2-3日分のブログを書き上げるので、必ず前の日の分も見ていただきたい。

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ジュラのキャンプサイトで2泊した後いよいよ未知の世界ルーマニアを訪れることに。いつも知らない国に入国するときにはちょっぴりの不安と大きな期待を持ってゆくが、ここルーマニアへ入る前に出会った多くのキャンパーの人たちは誰も行ったことがなく情報不足、国境では私のパスポートに不審があると30分以上も足止めされ、何人もの入国管理官が話し合い、電話をかけ、2回も聞きに来て不安でどきどきしながら待っていた。やっと入国スタンプを押してくれ入国したときにはほっとしたが、同時に今まで経験したことのない長い時間だったから、この国に嫌悪感をもった。

ルーマニアもハンガリー寄りは地平線まで見える平野が続き時々通るトラックはいっぱいのとうもろこしを運んでいた。ハンガリーの国境と平行に走っている道路はまったく平野の中を走っていて村や町など長い間見えなかった。

途中道路工事で一車線のところがあり、信号で停まると12,3歳から3歳までくらいの薄汚い子供たち6-7人がはだしで道端から湧き出てきた。哀れな目つきで車の窓へ来て物乞いをする。同じ道路でこんな信号が3箇所ありそのたびに子供たちが待っている。ルーマニアはこんなに貧しいのかと愕然とした。同時に哀れさとこのようなキャンパーで旅行している気恥ずかしさでハンガリーへ戻りたいと心から思った。考えてみればその辺りには村も家も見当たらないから、ジプシーの親が朝子供たちをここに連れて来て物乞いさせているのであろう。

こんな一旦停車場所に、ジプシーの子どもたちが隠れている。

此の子達は学校帰りの子どもたちらしい。服装からして違う。

やっと銀行のある大きな街を通ったので銀行近くのメインロードにキャンパーを停めキャッシュマシーンでお金を下ろそうとするが出てこない。銀行の中に入って聞くと、この機械はカードが読めないからだと複雑な手続きをとってルーマニアの現金をやっと手にした。銀行から出てくると16-7歳にも見える若者がキャンパーの横で待っていて”マダム!マダム!”と叫ぶ。ここでも恥ずかしくもなく物乞いがと思ったら、ますますこの国が嫌になった。

ルーマニア最初のキャンプサイトはハンガリーの北の国境から入るとそれほど苦労なく見つけられることが判った。(私たちが入国した国境線はそこより100Kmほど南になる)。ここアポロキャンピングサイトは温泉地のすぐ横にあり温泉街のはずれだった。小さな町だがマーケットとお土産店が並びただ一本のメインロードを端から端まで歩いても1時間もかからない。でも国境線の道路で見たような貧しい子供たちは一人も見えず、物乞いは何処にも見当たらない。通りの向こうに大きなアパートがそびえ窓に洗濯物が翻っているのが先進ヨーロッパ諸国とは違うようだ。

この小さな町に教会が2軒もあり、板屋根の教会の中ではたくさんの人が集まってお祈りの最中だった。中に入りきれない人のためドアの外にスピーカーがついてお祈りの言葉が漏れていた。

上の写真は教会の屋根で、瓦が木片でできている。日本ならすぐに腐ってしまいそうなものだが、気候が乾燥しているから心配ないのかもしれない。

キャンプサイトには3台の大きなドイツのキャンパーとオランダ車1台が停まっており、片言の英語のできるドイツ婦人によれば、ルーマニアには団体キャンパーツアーで3週間回ったという。物乞いは国境と首都だけで、国民は大変友好的と絶賛。やっぱり団体は違うのかもしれない。この日で団体は解散して明日はハンガリーを周ってゆっくり帰国すると言っていた。この婦人にいろいろキャンプサイトのありかを教えてもらった。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーハンガリーGyura

2025-07-04 07:03:24 | 旅行

昨日セゲドのキャンプサイトで再会したフランス人の夫婦は、早朝にハンガリーの東を目指して出発した。私たちも今日の目的地ジュラを目指して出発、360度見渡しても地平線しか見えない耕作地帯を延々と走る。時々現れる小さな村の道路わきの家の玄関先には、パプリカやガーリックを下げて売っているところが多い。
時々馬車が農作物を山のように載せた荷車を引っ張って通る。ヨーロッパ先進国では目にしない光景だ。

 

 

ジュラはルーマニアの国境からわずか4KMの平野の小さな町だ。ジュラの町でタクシーの運転手に教えてもらったキャンプサイトは、この町の温泉から歩いて5分もかからないところにあった。午後早くに着いた私たちは、町を一回り歩いて大体の方角を知り、薬局へ入って歯医者を教えてもらった。
またてくてく歩いて歯医者に翌日午後の予約を入れる。歯医者の近くにコーハン・ギャラリーというのがあったので安い入場料を払って入ってみた。平凡な日常の風景や人々の生活を描いた油絵がギャラリーの3室にびっしり展示されている。どうもこのGyorgy Kohan という画家はここジュラの生れらしい。絵は特に感激するほどでもなかったが、やっぱりプロの絵だと思う。

キャンプサイトの真後ろには中世のジュラ城が堂々の構えを見せている。町への往復や温泉への往復にもその前を行き来したが一向に中を見たいとは思わなかった。もう9月20日過ぎのこの国は英国の真夏よりも暑く体がこの熱気に慣れないせいだったかもしれない。城温泉の入り口はこの城の敷地にある。

ヨーロッパの温泉は何処も水着なしでは入れない。ここの温泉はミネラルと鉄分が多いため真っ黒でいろいろ効能があるらしく、年中湯治客であふれている。朝8時開館と同時に入場したが水着を忘れキャンプサイトまで走って取りに戻った。サイトが近くて良かった。
キャンプサイトには5組のドイツ人夫妻のキャンパーがとまっていて、聞けば6週間この温泉に入るためここに滞在しているという。夜になるとドイツ人全員とサイトの主人が集まってゲームに興じていた。ハンガリー人はあまり英語は話せないが長いロシアの統治下でロシア語やドイツ語は話せる人が多い。

大小22の温泉は気泡浴や水圧によるマッサージなどいろいろなサービスがあり,水温も34-38度だった。この朝、肩と腰に何度も水圧マッサージをした結果、翌日から数日筋肉痛に悩まされた。

ヨーロッパ先進国では歯医者が非常に高く、ドイツ人はハンガリーやルーマニアへホリデーに行ったついでに歯の治療をしてもらうと聞いていた。私も急を要する状態でないから、この日の午後歯医者で治療してもらった。お互い片言の英語で話が通じ英国の4分の1の値段で30分ほどで終了。英国で歯医者に悩んでいる人はハンガリーに歯医者ホリデーはいかがなものだろう。

 

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2009年ヨーロッパキャンプ旅行ーハンガリーSzeged

2025-07-03 23:13:45 | 旅行

ハルカニーからハンガリー大平原を西に向かうと途中でまたドナウ河を横切ることになる。川渕の国鉄の駅(Baja-Dunafurdo)は落書きがあまりにひどくて駅名がはっきり見えないほどだった。共産圏から脱却して20年ハンガリーはいち早く西欧化したとは言え、このような変な自由化は採り入れて欲しくはないものだ。

 

旧ユーゴスラヴィアに近い南ハンガリーの中心地セゲドは大きく穏やかなティサ川が町を縦断し河の近くが中心地になっている。
キャンプサイトは反対側の川渕で歩いて10分くらいでセンターまで行くことができる。11-12世紀には塩の貿易で発展したが、戦争と洪水などの天災のため町はほとんど破壊され、20世紀に入って各国の援助で再建されたものという。

橋を渡って左に行ったところの高い2つの塔を持つ誓約教会は20世紀半ばに建設され、内装の素晴らしさには目を見張った。ちょうどこの夜行われるコンサートのリハーサルが始まり正面ではブラスバンド、後ろの一角では合唱団が練習を始めた。教会は音響効果が良いからこの町の人たちはラッキーだなと思いながらここを後にする。

ショッピングセンターは英国の何処の田舎町とも変わらない。セーチェニ広場では若者たちのダンス競技会を行っていて、最近のモダンダンス?か団体体操か?と思われるものをやっていた。若いエネルギーを感じさせる町だ。新しい建築物にこのようなふるい建築物が交じり合っている、さすが南部の中心地だ。

キャンプサイトには硫黄のにおいのする野外温水プールがあり夕方1時間もお湯に浸かってのんびりした。ただキャンパーのタンクに入れた水までが硫黄臭があり亭主の嫌がること!!!

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーハンガリーHarkany

2025-07-03 04:10:02 | 旅行

年間200万人の入浴客が訪れるというハルカニーは旧ユーゴスラヴィアの国境から非常に近いところにある。まったく平らな平野のこの町は碁盤の目のように企画整理された幅広い道路と、公園のような緑多い広大な土地に屋内外プールや温泉プールが7-8箇所点在している。この公営の温泉のほかにも美容と治療用のプライベートのクリニックが周辺で営業している。

 

温泉の入り口近くの道筋は土産屋が軒を並べ、メイン道路を一区画おれれば野菜果物そして日用生活必需品を売るマーケットがひしめき合っていた。

ペーチからハルカニーはそれほど遠い距離でなく道も間違わなかったため午後早くに着いた。キャンプサイトが温泉入り口から歩いて5分くらいのところにあり、午後行ってみると入場料は午後2時からは半額くらいになるとのこと、大喜びで入場した。二人で11ポンドくらいだった。

水温は38度から33度くらい、屋内の温度が高めだが、のぼせるほどでもなくあちこちの温泉を全部試してみた。水中での体操にも参加し飛んだりはねたり、ほとんどが年寄りばっかり、ハンガリー人はもちろん多いのだろうが、ドイツ、オランダ人のグループがたくさん居た。ここでは一日中温泉に入って疲れたら休憩室でお昼寝も可だから清潔な建物の中にはベッドやリクライニングのいすなど完備している。

3時間も出たり入ったりし満足して温泉場を後にした。この日も暑くて30度を超えていた。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーハンガリーPecs

2025-07-02 22:08:43 | 旅行

3年前にハンガリーに来たときはバラトン湖からブタペスト、そしてドナウ河のほとりをオーストリアに向かって遡ったものだが、今回はまだ見たことのないハンガリー大平原を回ることにした。
ヘーヴィーズからまっすぐ南にキャンパーを進める。9月後半のハンガリーでは一度も雨に降られず30度前後の好天気、もう小麦の収穫は終わりトウモロコシ畑が地平線まで続く。何処まで行っても山も見えない大平原で、これだけの耕作地があれば食料不足で困ることはないだろう。

時々通り過ぎる小さな町や村は電線が縦横に走り、色彩の乏しい面白くない所ばかりだった。それでも道端にその土地で取れた農作物を売っているのを見れば買いたいと思うが亭主は決して停まってくれない。

目的のペーチ(Pecs)は南ハンガリーの古都で来年には世界遺産登録のため、町の中心地の道路工事でいたるところが掘り起こされ通行止めだった。

観光中心地は歩いて一回りできる旧市街で大聖堂と博物館が並ぶカーブタラン通りが有名だそうな。大聖堂の近くへ行ったらクラッシックカーの展示会をやっていて古いきれいな有名自動車がずらっと並んでいた。

大聖堂はちょうど12時のミサで横からそっと入ってみたら、退屈しているらしい子供たちからじろじろ見られ急いで出てきてしまった。ミサが終わると同時にもう一度入って写真を写した。

 

有名な博物館が並ぶ通りも道路工事でほとんどの博物館、美術館はしまっていたがただ一軒あいていたのがジョルナイ博物館、ここはハンガリー陶磁器ではヘレンドと双璧をなすジョルナイ陶磁器の博物館だった。ジョルナイ陶磁器はペーチで作られ食器類のみならずタイルやモダン建築物にこのセラミックを使用している。写真の白いバイオリンもセラミックでできていてあまりに精巧にできていたので感心してしまった。

街は歴史的な建造物やいわくありそうな飾りが多かった。

キャンプサイトは旧市街から歩いて30分ほどのところにありオランダ人のキャンパー2台にドイツナンバーのキャンパー1台、フランス人老夫婦のヴァン1台で皆友達になってしまった。オランダ人は男女3人で4週間の休暇を利用してハンガリー全土を回っているという。ルーマニアに行った人たちは誰も居なくて,人伝えではジプシーが多くて入国が厳しい大変な国だという。この友好的なオランダ人には散々おどかされた。

フランスの老夫婦は3週間でここハンガリーだけ旅行しているという。設備もないヴァンの中で寝泊りしお湯はヴァンの外で沸かしてお茶を飲んでいた。キャンプサイトに生えている大きな木が全部胡桃だと教えてくれ60代の奥さんが胡桃を拾い集めていた。私も大きな網の袋いっぱいに拾い集めてきれいに洗いキャンパーの外に下げて干していたら、キャンプサイトの女主人に持ってゆかれてしまってがっかりした。

ドイツ車に乗ってっている人たちはオーストラリアから来た若い夫婦と5歳くらいの娘でオーストラリアの家とビジネスを売って1年の予定でヨーロッパを周っているという。新車の大きなキャンパーでレンタルだというから1年も周るなら中古車を買ったほうが良かったのにと亭主は忠告していた。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ハンガリーHivis

2025-07-02 21:10:24 | 旅行

オーストリアから一番近いバラトン湖周辺の町ヘーヴィーズは3年前に初めて訪れキャンプサイトが気に入って1週間も滞在したところ。
この町には珍しい温泉湖があり深さ37メートル、広さ47000平方メーターの丸い湖から年間平均温度30度前後のお湯が沸いていて、28時間ですべてのお湯が入れ替わるというからものすごい量の温水が吹き出ているのだ。大変深い湖で泳げない人は尻込みしそうだけれど、お湯がそんなに熱くないから数時間浮き袋につかまって浮いている人たちが多く、また湖のいたるところに手すりが設けてあって温泉で溺死という話はまだ聞いたことがない。また貸し浮き袋もあれば湖外で買って入る人も多い。

3年前には一日おきにこの温泉へ通ったものだけれど、今回はハンガリアン・フォリントをキャッシュ・マシーンから引きおろすために、キャンプサイトへやってきた。キャンプサイトのおじいさんはもう居なくて息子の奥さんらしい人が1泊10ユーロだという。値段もキャンプサイトの様子も以前と変わりないが私たちを覚えてくれている人が居なくてさびしい思いをした。

浅いところには睡蓮が自生しピンクや白い花を咲かせているが、切れた葉の茎の長さが3-4メートルもあった。上2つの塔のある写真は温泉へ入る入場門で時間制の入浴料は決して安くはない。

観光客で賑わう街のお土産屋さんはほとんどがドイツ人客。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーオーストリアからハンガリーへ

2025-07-02 06:14:23 | 旅行

Altausseeを出発した日は一日中天気が悪く、雨はやんでも雲が低く降りて山々はかすんでいる。それでもオーストリアの山間は絵になるような美しさ、まるで墨絵のようだ。

東南のハンガリー方面へ行くに従い山はなくなり、道路際の丘の上にきれいなお城が現れる。これらの城は城砦というよりも宮殿にちかい。たぶん17,8世紀のオーストリア王朝の流れをくむ貴族の館であろう。

この夜Grazの近くの田舎のキャンプサイトへ着いた。誰も居ない。キャンパーも一台も居ず、サイトの電気をつなぎ、トイレやシャワーも使って管理人の現れるのを待ったが誰も来ない。キャンプサイトのはずれに馬小屋があり、早朝馬の世話をしに車が何台か来たが、誰一人声をかけてくる人も居なかった。
一晩中雨が降り続き、朝も雲が低くたちこめて小雨が降っていた。
キャンパーのテレビでオーストリアの朝の天気予報を見せている。言葉はわからなくても写真や絵だけでわかるからおもしろい。画像は各地方の朝の状態を映し出していたが、オーストリア中雨のようで、画面は真っ白、時々黒っぽい木の陰が映るくらいだった。 

高速道路のハンガリーに向かう道路ナンバーが最近変わったらしく、持っていた地図とまったく違い、国境近くのオーストリアの田舎道を散々走り回ったあと、やっとハンガリーの国境にたどりつた。

ハンガリーもEU圏に加入したがまだお金はハンガリアン・フォリントから変わっていない。3年前に来たときは1ポンドが400フォリント今年は英国経済の凋落によって1ポンドは300フォリント、全てが高い。
ハンガリーには山らしい山がなく郊外は実ったトウモロコシ畑と収穫を待つひまわり畑ばかりだった。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーオーストリア Altaussee

2025-07-01 22:30:31 | 旅行

3年前の旅行ではオーストリアもライン河のほとりを走り、有名な観光都市は行ったので、今回はあまり誰も行かないところをと南の山岳地帯に行ったところがここAltaussee. オーストリアの山や村は何処も絵になるところが多く写真も捨てがたい。

高速道路でオーストリアに入るとすぐ道路使用料として、1週間、10日、20日と決められた金額を払ってフロントガラスにスティッカーを張らねばならない。ここでそのスティッカーを買う。なんとしゃれた建物だ。

高い山道をキャンパーはあえぎあえぎ登ってゆき時々チラッと見える山間の湖や小さな村はいつまでも忘れられない。ただ途中で車は止まれないから写真が写せないのが残念。


Altaussee の村に着いてはじめに聞いたパトロールカー先導で、行ったキャンプサイトがまた絵の様、高い岩山に囲まれた緑の牧場がそれだった。ちょっとうす曇になって空気もひんやりしているが、空気がきれいなせいか写真の写りが違う。

 

9月半ば高い山には残雪が見える。

昼食後二人で湖まで歩き、小さな村を一周してきた。レストランが数軒とおみやげやさんが数件、ホテルも相当数在るらしいがもう夏休みを終えたこの地方はほとんど閉まって冬篭りの準備をしているらしい。

夏には観光客も多いのかもしれない。通りや橋にまできれいな花が植えられて、ストリートにはゴミなど一つも落ちていない。

 

小さなお店にはかわいいしゃれた飾り物が多い、そしてこの地方の民族衣装を展示販売していた。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーBad Gogging

2025-07-01 04:27:38 | 旅行

 

ドイツ語で Bad は温泉を指し、この田舎町Bad Goggingにはキャンパーだけが停まれるキャンピング・プラッツがあるというので、Stuttgartのキャンピングプラッツからそこへ向かった。Bad Goggingはミュンヘンの北でそれまで見えていたブドウ畑がなくなりトウモロコシ畑や、菜の花畑(この時期にどうして菜の花が咲いているのか判らないが)、そしてビールになくてはならないホップの畑が続く。ミュンヘンのビール祭りももうすぐだ。

キャンピングプラッツは温泉の駐車場にあり、トイレは温泉のを使用、水の補給や汚水の排泄場所も完備して二日で19.2ユーロという。
せっかくの温泉地帯だからぜひ温泉に入ろうと二日間1時間半づつ入った。
湯は最高温度が38度なんとなく物足りない。もちろんあまり熱いと1時間半も入っておれないが・・・・ヨーロッパの温泉は皆水着ではいるので男女混浴、この時期ゆっくり温泉に入っているのは年寄りばかりだ。

温泉は清潔で設備は完璧、さすがドイツだと思う。ひとつのプールには手すりの横から湯が噴射して体をマッサージするようになっている。それがひざに始まり肩の高さまで段々高くなりまた膝の高さまで噴射口が設置されている。腰が痛いから同じところで数分マッサージしていたら隣に来たドイツ人のおじいさんが片言の英語でここは1分おきに噴射口ひとつづつ動いてゆくのだという。なるほど気をつけていると軽いバックグラウンドミュージックの合間に一分ごとに”ぷん””ぷん”と音がする。すると自分の場所から次へ移るしかないと判った。

温泉の前の通りは何処の湯治場でも見られるお土産屋やレストラン、ホテルなどが並んでいてまるで日本と一緒などと思ったが、良く見れば店やホテルの名前がローマ時代の名前(アントニウス、ダイアナ、オクタヴィア等)ではっと思った。もしかしてここの温泉はローマ人が開発したのではないか、キャンパーに帰って地図を見ると町のすぐ近くにライン河が流れている。
ローマ時代ライン河はローマ帝国の国境だったから国境を守り固める城砦があったことだろう。そこに詰めていたローマの兵士たちの娯楽は温泉だったに違いない。
やっぱり近くにローマ遺跡と博物館があるそうだ。

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