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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ メテオラ 1

2025-07-12 02:26:52 | 旅行

カストラキのキャンプサイトは一ヶ月以上に上るギリシャのキャンプサイトの中では設備は最高、ワイアレスのインターネットの設備もありで、メールも自分のラップトップから書き送れる。このサイトにはちょうど水を落としたばかりの大きなプールがあり、メテオラの山頂からカストラキの全景を写したときにプールのブルーが目立って見える。

観光バスやタクシー、自家用車はメテオラへ行くに必ずこのカストラキの村を通ってゆく。初日には雨雲の立ち込める木立をゆっくり歩いて2箇所の修道院を見に行った。ふもとから一番初めに見えてくるのは聖ニコラス・アナパウサス修道院。このメテオラ全体が世界遺産に登録されており、夏には観光客で大盛況らしいがこの修道院は私たちが訪れた日は閉まっていた。
昔は階段など上り下りするものが一切なく修道者は綱で上るともう下界と縁をきってしまった。水は雨水を貯めたもので、食料や生活用品は滑車でつるした籠に入れて引き上げていた。これは今現在も使われている。

ルサヌー修道院は1930年に橋がかけられるまでは、高い足がかりのない岩の上に単独で建っていた。ここは小さいがきれいな尼僧院で入場料も安い。この日の朝はどしゃ降りで午後にやっと歩き出したので、この2箇所の僧院だけで夕暮れが近づいた。

翌朝も朝から雨、午後には止みそうだったから、キャンパーで頂上近くのバルラーム修道院と、メテオラの行政をつかさどるメタモルフォシス修道院へ向かった。ちょうど着いたころに晴れてきて青空まで見えてくるようになった。写真はバルラーム修道院で14世紀中ごろ聖バルラームが修行、彼の死後16世紀に教会が建てられ30人近くの修行僧が常時修行しているという。この大きな岩も孤立していたが橋がかけられ、岩を削って階段が作られ中を見て周ることができる。

 

メタモルフォシス修道院は大メテオラとも呼ばれ岩の上は6ヘクタールと広くメテオラの中でももっとも規模が大きく壮麗である。海抜613メータの巨岩の上の修道院はメテオラ(空中に浮かんでいるという意味)の名のとおり、修道院の庭から下を見ると、空中に浮かんでいるような気がする。ここも1923年146段の階段と通路で上りやすくなったそうだ。

険しい岩がそそり立ってはいるが各僧院をうまくつないだ道路が完備しており、車が一番便利だ。でも歩いていればこそ冥利に尽きるのは、道端の木立の中にびっしりと咲く野生のシクラメンを見たときだった。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ カランバーカ

2025-07-11 06:08:25 | 旅行

 

 

カランバーカはメテオラの表玄関に当たる人口1万2千人ほどの町で、メイン道路をまっすぐ町に向かってゆくと、異様に大きな岩が町の背景を作っているのに魂消た。キャンプサイトがこの町から2Km奥に入ったカストラキの村にあったので、カランバカの町は翌日ゆっくり歩くことにした。翌朝はすっきり晴れた青空で、カストラキとカランバカの境目の峠に行くと両方の町や村が眼下に見渡せる。

町のメインはただ一本のまっすぐな道でお土産屋からレストラン、銀行、ホテルなどがひしめき合っていた。この日どうしてもここに来なければならなかったのは、キャッシュマシーンでお金を下ろすこと、そしてインターネットカフェーで銀行口座をチェックすることだった。たった1本道だから、一回り見て必要なことを済ませば大して見るものもない。町のはずれ、岩山近くに11世紀のビザンチン教会があるので行って見たが、中は閉まっていた。1000年も経っているいる割には新しく、外側は何度も改築されているものと思われる。後日ここを通ったときに中へ入ってみたが、古いフレスコ画とギリシャでは珍しい御影石の祭壇がある。

 

 

カランバーカの町から見える一番右手の巨大な岩山の上にはアギオス・ステファノス修道院が見える。ここは高さ575メーターの上に建てられた14世紀の修道院だ。19世紀まで修道士が多く修行をしてたそうだが一時廃墟になり1960年以降尼僧院として栄えている。

カストラキのキャンプサイトに帰る途中、穴ぼこの巨大な岩を登っているグループを見つけた。彼らはわがキャンプサイトでテントを張っているドイツ人グループで、親子20人近くの大所帯。キャンプサイトがテントの人達用に、屋根つきのバーベキューセットや食堂キッチンも完備していて、洗濯物など屋根の下に干していた。

 

町のタベルナで昼食をと見て歩き、ピタブレッドにバーベキュー肉を挟んだギロ・ピタを食べたが、近くで一人で食べていた若い女性に声をかけると日本人だった。一週間でアテネとここメテオラを見て今夜アテネへ帰り明日帰国するとのことだった。メテオラへ登るバスが昨日で終わり、タクシーで往復したといっていた。私たちがキャンピングカーでの旅と聞き、はじめに言った言葉が”自分で食事が作れていいですねー”だったから、たった1週間でも毎日3食この国の食事で飽き飽きしている様子が良くわかった。

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2009 年ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ Way to Kalampaka

2025-07-11 01:08:51 | 旅行

 


シソニア半島を一回りした後一番西のカサンドラ半島で一泊するつもりでキャンプサイトを探し当てた。サイトのドアーは開いているが誰もいなくて、水道の水は長い間使っていないように見えた。30分も待ったがあきらめてこのサイトのあったカサンドラ中央部から引き返しこの地方最大の都市テッサロニキへ向かった。

テッサロニキへ着く前の海岸線にキャンプサイトがあるはずで,田舎道の途中でたった一人立っていた人に聞くとそのサイトは閉まっているという。私たちがあまりにがっかりした顔をしたせいか、こっちらに一箇所開いてるところがと教えてくれた。誰もいない広い砂浜に面したサイトで、私たちのほかにドイツのキャンパーが一台止まっていた。
翌朝砂浜を散歩していると、海岸で網を広げて魚を取っている漁師二人を見つけ、その中の一人が”キャンプサイト見つかって良かったね。”と言う。昨日サイトを教えてくれた人だった。僕はギリシャ人、彼はアルバニア人”といったので人のよさそうなこの二人を写真に撮った。
キャンプサイトの横に綿畑があり大きなトラクターのような機械で綿の採り入れをしていた。昔トルコへ旅行したときあそこの綿の収穫は人手を使って採っていたので、このような機械で吸い取るのはすごいと見とれてしまった。

テッサロニキは大きな町で周辺にキャンプサイトがないため、環状路を通ってハルキディキ半島の反対海岸でキャンプサイトを探した。このメソーニ(Methoni)のサイトが良ければしばらく滞在して、ギリシャ北東部の古代遺跡を見て周りたいと思った。田舎の細道を10Km二度も往復したが見つからず、メソーニの町の魚屋で大きな黒鯛を買った。一匹21ユーロもしたが新鮮、大変おいしかった。そこの海岸で大きな鳥がいっせいに飛び立ちよく見ればペリカンだった。野生のペリカンは初めてと興奮して映したものだ。

 

この地域では10月に開いているキャンプサイトはないことがわかり、220Km ほど離れたカランバーカ/メテオラへ行くことに決めた。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ シソニアン半島

2025-07-10 22:56:00 | 旅行

朝から素晴らしい青空で、昨日の荒れ狂っていた海が嘘みたいに凪いでいた。晴天の朝は空気が澄んで厳しい寒さだ。今回の旅では初めて、冬のコートを着た。シソニアン半島は3本指の真ん中に当たる半島で、有名なリゾート地があるとのこと、半島を一回りしたが故ケネディ大統領やジャクリーン・オナシス婦人が滞在したというポルト・カラスというリゾート地は見つからなかった。しかしここの海の色や丘の上から見る景色は絶景!!! 途中の村で間違って狭い通りに入り込み、冷や汗ものでやっと抜け出すことができたが、それ以来村や町に停まりたがらない。

 

 

いたるところに色とりどりの箱が並んでいるが、これはミツバチの巣箱で、もう冬に向かうこの時期では蜜蜂が活動しているとは思えない。オリーブの花の咲くころが一番の活動時期なんだろう。それにしてもこの国中で箱を見かけたが、蜂蜜は決して安くなかった。ギリシャはEUにはいって物価が上がったといわれるが、ユーロー高のこの頃、ギリシャの食べ物が高いのだけは本当に困る。

 

丘の上から見下ろした海岸に真っ青の入り江が見えて木のあまり生えていない荒野のような丘を下りて海岸へ行った。このあたりはキャンプ場が3箇所もありぜひ一泊したいと思い、探し回ったが全部閉まっていた。村のホテルや民宿も冬支度をしていた。日中は暑くてTシャツ一枚だが夜は冷え込むだろう。

 

岬の東側に周ると向かいにアトス山が真っ青の姿を現し、肉眼でも険しい山へのぼる道が見える。女性のみならず動物の雌でも入山禁止というのだけれど、そんなことを決めた僧は一体誰から生まれたと思ったのだろうか?若い頃に女性にこっぴとくいじめられたのかしら。(ま、これは冗談)。道端のピンクのヘザーの花(ヒース)が満開だけどその丈の高さに驚かされる。50cmから1M近くにもなり猛々しく咲いていた。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ハルキディキ半島へ

2025-07-10 07:00:35 | 旅行

アレクサンドロポリを出た朝も、いつものように晴天で後ろ髪引かれる思いで出発した。キャンプサイトのオーナーは英語の話せるインテリな中年男で、この朝は近くの大学の講師として働いてるとの事だった。
次の開いているキャンプサイトまで200Km 以上を走らねばならぬ。西へ向かう道は険しい山を迂回したり登り降りの激しい地形だが、立派な高速道路が通っていて快適だ。山はほとんどオリーブの林で、平野の農耕地帯は一面の綿畑。今は綿の収穫時期で大きなトラックが綿を満載して走っていた。途中から空模様が怪しくなり、雨まで降り出した。

 

 

150Km ほど行ったところで給油のため高速道路を降りることにした。ローカル道路に入ると、大きな大理石を切り出している石切り場がいたるところにあった。ここの大理石は純白、今でもこんなにたくさんの大理石が生産されている。一番近くの町はカヴァラ(Kavala)で海に突き出した岬に、純白の町が輝いていた。

 

キャンプサイト・アキレスはハルキディア半島に入る付け根にあり、過去には高級リゾート地だったと思われるが、手入れがされていなく、寂れ果てた哀れな様子だった。私たち1台のキャンパーのためにサイトを開けるけてくれた管理人は、一泊15ユーロだと言ってたが、翌朝おつりがなかったため10ユーロに負けてもらった。

 

ハルキディア半島には3本指の様に半島が突き出ている。その一番東側のアトス半島はギリシャの自治州でギリシャ正教の総本山があるところだ。車は途中のウラノポリスまでしか行かない。後は徒歩か船で渡るしかないが、標高2000メータを越すアトス山は聖山として1406年以来女性禁止の聖地である。ここには何世紀にも前に建てられた20の修道院があり、現在1700人の修道士によって営まれている。
この日のウラノポリスは強風で観光バスも急いで立ち去るほど、波止場の波しぶきが激しい。一本道の両側にはレストランやお土産店、民宿が立ち並んでいる。外国人男性がこのアトス巡礼を希望すれば、女性はこの地で待つしかない。あちこちでお土産店を物色しているのは数人の修道士だったが、髭面,長髪であまり魅力的ではない。

 

3本の半島の真ん中の付け根にキャンプサイトがあるのでそこを目指しているうちに、道に迷って海岸へたどり着いた。遠くから見るこの小さな村は素晴らしく村の海辺で昼食を食べた。アトス半島では荒れ狂っていた天気もここでは穏やかでそれ以降は青空が広がった。地図に載っていない村だから通りで見かけた娘さんに村の名前を聞いたが、書いてもらっても読めないから発音どおりにカタカナで書いた。ピーガージィーキャというそうな。もう一度行っても二度と見つからないだろうと思う。

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ アレッサンドロ海辺

2025-07-10 03:54:46 | 旅行

晴天のある日、町を後ろに海岸線に沿って散歩に出た。途中できれいなギリシャ教会に着いたが閉まっていて中を見ることはできなかった。しかし教会の外壁の全部の窓際にツバメが巣をつくり、近づいて見ればきれいな教会とは言いがたい。
教会の周囲はオリーブの木が実った黒い実をつけ、白い床タイルに落ちて汚点になっていた。

タベルナは食堂のこと看板がタベピナにしか読めないが、ギリシャのアルファベットで Pは 英語のRのこと、Rに当たるギリシャ語はない。ギリシャ・アルファベットの24文字のうち英語にない文字が10文字、小文字にいたってはほとんどが見たこともない。ギリシャ文明から2-3千年ヨーロッパの言語も独自の成長を遂げたのだろう。

散歩の途中でお手洗いを借りに道端の5星のホテルへ入ってみた。誰も止める人もなくトイレを使って出てきたが、さすが立派なホテル、内装が素晴らしい。このような花の集まりがデコレーションになるなら海岸の貝殻の集まりも飾りになるかも知れない。

 

 

キャンプサイトはすっかり冬支度をしていて、サンベットは何百も山のように積み上げられ、日よけの傘も海岸に積み重ねられている。真夏にはここの砂浜は日向ぼっこをする人たちで埋め尽くされるのだろう。

 

キャンプサイトでは私たちのほかにスエーデンのマークをつけたキャンパーが停まっていて、彼らはスエーデンからオーストラリアに移住したが、2年間ヨーロッパ旅行するため、スエーデンでキャンパーを買い今年の春から旅行しているという。寒い冬はギリシャ、トルコで過ごし、来年春にはスエーデンに戻り、また冬はスペインへ行くのだそうな。この旅では一体何組のオーストラリア人に出会っただろう。彼らにはヨーロッパの古い文化は憧れの的なのだろう。
北欧人は特に太陽に対する憧れが強いから、彼らは何処にも行かず太陽の下、肌を焼くのに余念がなかった。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ アレクサンドロポリ

2025-07-10 01:49:50 | 旅行

アレクサンドロポリはトルコの国境から45Kmに在り、トラキア地方最大の街で、19世紀ロシアがこの地方を支配していた頃、通りは碁盤の目のように整備された。10月上旬のこの地方は気温27-8度、乾燥して暑く、町を歩くのには帽子なしで歩けない。
ブルガリアでマシューのお母さんに教えられた町営のキャンプサイトは、町外れ2Kmのところにあった。そのサイトでオーストラリアから来てヨーロッパを一周しているおじいさんに会った。隣の私営の小さなキャンプサイトは安くてフリー・インターネットがあるという。設備は町営が格段に良いが、フリー・インターネットに引かれて翌日このサイトに移った。
両方のサイトはほとんど並んでいて海岸線にあり、キャンパーからすぐ砂浜に出られる。午前中ショッピングに行ってほてった体を海で泳いで冷やすこともできるし、そのままシャワーに入れる。ギリシャに入国して気持ちがリラックスしたのもあってこの町では4泊もしてしまった。

肉屋? ギリシャ語で読めないからわからない。

ギリシャ特有の純白の家が太陽の光を跳ね返し、フェリー乗り場の近くの灯台も真っ白で青空が素晴らしい。住宅地の街路樹はオリーブや琵琶の木だった。ただでさえ狭い歩道は街路樹が広がり、乳母車などを押すお母さんは大変だろうと思う。

 

道路わきによく見かけるこの小さなミニ教会みたいなものは何だと聞いてみたところ、交通事故でなくなった人を祭ってあるという。エーこんなにたくさん!!!と驚いた。ギリシャを一周して何百・何千ものミニ教会を見たことか。こんな狭い町並みを車がひしめいている。

 

 

ギリシャ正教のエレフテリオス教会の中は涼しく気持ちよい。こんなにたくさんの聖人を見るとキリスト教が一神教だというのが嘘みたい。ギリシャ、ローマ時代は多神教の時代で、死んだ皇帝たちも全部神に格上げされた。紀元後4世紀から広まったキリスト教で、ヨーロッパの土俗宗教は一掃されてしまったが、人の心はあまり変わらないものだと思う。

 

着いたその夜、もう10年以上も私たちと旅をともにしていた電気やかんを空焚きして壊してしまった。翌日キャンパーで朝寝坊をして、午後ショッピングに行くとメイン道路のお店は全部閉まっていて、この国は昼の1時から4時半までシアスタがあることが判った。ショッピングは翌日に回し観光をと暑い中を歩き回る。

 

 

土曜日の朝やかんを探して歩き回り、海岸線に大きな土曜マーケットを見つけた。野菜果物はもちろん魚やオリーブの漬物・ヤギのミルクから作ったチーズ、安い衣類などあらゆるものを売っていた。重いスイカとメロン、野菜、オリーブなど買って3Kmも暑い中を歩いて帰った。このような土地の生活が一目でわかるマーケットが大好きで、一ヶ月以上もギリシャ中を回ったが、二度と土曜マーケットにめぐり合うことはなかった。

 

公園の木陰ではおじいさんばかりが群れていて、チェスやビンゴー、トランプなどに打ち興じている。彼らはギャンブルをやっているのだと亭主が言った。

海の向こうに見えるサモトラキ島が赤紫に染まり、ゆっくり薄紫に変わって毎日が過ぎてゆく。

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2009年ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ入国

2025-07-09 02:12:30 | 旅行

 

 

10月8日朝、キャンプサイトのオーナー・マシューとニュージーランドの10人家族に別れを告げ、ギリシャへ向かった。ブルガリアのほうがディーゼルは格段に安いと聞いていたから満タンにして30分で国境に着いた。両国境検閲所はパスポートを一瞥しただけで問題なく通り過ぎ、ギリシャで一番トルコに近い町、アレクサンドロポリへ向かった。

Hellas はギリシャ人が自国を呼ぶ国名、日本人が日本と呼ぶのと同じ。

この文字がヘラスと読めるのだろうか?上の文字はブルガリア語でギリシャ、下は英語でグリース(ギリシャ)

途中の道路標識でアレクサンドロポリまで185Kmもあることを知り、ブルガリアにキャンプサイトを見つけたことはすごくラッキーだったと思った。ブルガリア語も英語からかけ離れたアルファベットが使われて全然読めないが、ギリシャ語はヨーロッパの言語の基礎をなすべきものなのに、見たこともないアルファベットが多くて面白く、道路標識を何度も撮って英語の標識と見比べてみた。丘の多い道路際の農耕地には今までブルガリアでは見られなかった綿畑が広がっている。さすが暑い国だと思った。

 

 

通り過ぎる町に必ず目に付くのはギリシャ正教の教会で、ヨーロッパ北部の教会のように尖塔がない。途中の道端の木々が真っ黒になっていてこの数年以内に山火事があったことが良くわかる。ギリシャでは真夏の温度が40度以上にもなる乾燥期に大規模の山火事が起こる。地球の財産が燃えてしまうことはその国だけでなく、世界の損失だと思う。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ブルガリア

2025-07-09 01:22:07 | 旅行

ブルガリアの片田舎では鶏の声で目覚め、あまりの良い天気にこの日を洗濯日にと決めてもう一泊することにした。オーナーのマシューにそう伝えると洗濯機の使い方を教えてくれ、今夕近くの町でファンフェアーがあるので皆で行こうという。もちろん異論のあるはずがなく、日中はシーツやタオルを洗い干し、近くの村を散歩して田舎の生活状態など見て歩いた。
まだ30歳くらいのマシューは両親がほれ込んで買ったこのキャンプサイトをまかされていて、この夜マシューの両親も私たちに合流することになった。大型ジープとランドローバーで15人が乗り合わせ出発。町のレストランで夕食をとることにした。中型ピザ2つとサラダ一皿、ビール2本で6ポンド足らず。あまりの安さに驚いた。ピザもおいしくビールはしっかり冷えていて暑いこの夜には最適だった。

 

夕食が終わったときはすっかり日が暮れてファンフェアーの光が輝いている。子供たちは大変よくしつけされていて、わがままを言う子もいない。マシューのお父さんマーティンが3歳と4歳の女の子の手を握って連れ歩き、マシューはだれも迷子にならないようにしょっちゅう子供たちの頭数を数えていた。一体誰が親か判らない。


このファンフェアを開いている場所は昔は川床でよどんだ川水に蚊が繁殖するのを嫌ったロシア人たちが河を埋め立てたそうだ。こんなところで過去のロシアとのつながりなど知って面白いものだ。

 

 

 

この年40歳になる奥さんのレイチェルとダンナのロブがキャンパーを一台づつ運転して私たちがギリシャへ向かった翌日、ドイツまで一週間で7つの首都を通って帰るという。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行ーブルガリア

2025-07-09 00:28:26 | 旅行

ブルガリアの入国管理所で英国と日本のパスポートを手渡し待つこと2分,”はいどうぞ良い旅を!”と言われてパスポートを返してもらったときにはとっても驚いた。ルーマニアでこの日のために10ユーロも準備していたのに。人が言うほど大変な国ではなさそうだ。しかしインターネットで探しても10月に入ればキャンピングサイトの開いているところがほとんどない。首都のソフィアに一箇所開いているキャンプサイトがあるのは判っていた。この国の観光情報は乏しくソフィア以外にどんな見所があるのかも知らない。入国管理所の在るRuseからまっすぐ南に突っ切れば350Kmくらいでギリシャの国境へ着くことができる。・・・・ということでまっすぐ南下することにした。

 

ルースの近辺はモダンなアパートやオフィスが立ち並び、途中の国道脇に大きな町など現れたりするが、ほとんどは広々とした農耕地で、ブドウ畑やタバコ畑、牧畜などが盛んな様子。馬車の替わりにロバに引かせた自家用車が目に付く。

 

 

午後4時近く、後少しでギリシャとトルコの国境というところでキャンプ場のサインを見つけた。きっと閉まっているのだろうと期待しないで行ってみた。私たちの後ろからドイツのキャンパーもついてくるではないか。キャンプサイトに入るとたくさんの子供たちにとりかこまれ、ハローと言うとちゃんと英語の返事が返ってくる。後ろから来たキャンパーの中の若い男性が”僕はマシュー。ここのオーナーです”と自己紹介。もう一台駐車していたドイツのキャンパーの隣に後ろから来たのが駐車した。この日一台のキャンパーの修理にマシューはドイツキャンパーのダンナを乗せて町に行ってきたのだそうだ。

 

2台のドイツ車から出てきた2人の男女はニュージーランドから来た夫婦で8人の子供たちを連れもう一年間旅しているという。子供たちは上15歳から3歳までの男女4人づつ、半年間親子10人はリュックをかついでアジアを踏破し、6ヵ月後ドイツに渡りキャンパーを2台買ってヨーロッパを走破しているという。子供8人に驚きこのダイナミックな家族には心から感動した。

 

イギリスにはない雑草のツユクサが咲いていて驚いた。

キャンプサイトのある町は村といったほうが良いほどさびれ、お店も2軒開いているか閉まっているか判らない。学校は中学生らしい子供たちが、放課後歩いていた。まだ30度くらいある太陽に村は暑く埃っぽく静まり返っていた。時々ドアや壁に人の顔写真の貼ってあるところがあり、聞けばこの年亡くなった人たちだという。スラブの国だからかギリシャに近いからか、この国の言語はまったく英語からかけ離れていて読めない。

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2009年 ヨーロッパキャンピング旅行 ブカレストからブルガリアへ

2025-07-08 04:26:26 | 旅行

 

一日中雨降りのペレス城訪問の夜もブラソフのキャンプ場に戻った私たちは、翌朝素晴らしい秋晴れの中ブカレストめがけて南下した。昨日雨雲の中から頂上だけをのぞかせていた十字架の山は、今日は青空の中で朝日に輝いている。ペレス城近辺の道端には土産もの店がずらっと並んで店開きをしていた。昨日は何処も開いていなかったのに。ペレス城辺りが一番標高が高かったらしく、それ以降は下り坂が続いてまったくの平野になった。ブカレストに近づくにつれ工業地帯が広がり、高い煙突があちこち目に付くようになった。道端で花を売るテントや、野菜を売る子供たちが目に付きだした。

 

 

 

ルーマニアの中でも首都のブカレストはジプシーの子供たちによるスリや強盗が多くて危ないと多くの人たちから言われていたので、郊外のキャンプサイトで宿泊するだけで市内観光は夢にも思わなかった。
キャンプサイトは周囲を高い樫の木に囲まれ、木の下に駐車すると長さ4cmくらいのどんぐりがバタバタ落ちてくる。キャンパーも痛むし音がうるさくて眠れないのでキャンプ場の真ん中で一晩過ごした。

 

ブカレストの環状道路はキャンプ場からすぐ近くにあり、そこを通ればブルガリアの国境までは73Kmとたかをくくって行ったら、ものすごい渋滞にあった。環状道路は今まさに作っている最中であって、一区間を過ぎると通行止め、ちょうど朝のラッシュアワーに入り信号も道路標識もないT字路にびっしり車が連なり、気が遠くなりそうだった。思い切って市中と反対方向を目指し、途中で停まって聞いた工場の守衛さんは、わざわざ英語の話せる人を呼んでくれ説明してくれた。
この旅で最悪の道路はブカレストの環状路だと、私たちだけでなく各地で出会ったキャンパーの旅人たちの共通の話題になった。国境近くで残ったルーマニアのお金を処分するためディーゼルを満タンにし、まだ残ったお金で食べ物を買って、いよいよルーマニアを去る。


ルーマニアとブルガリアの国境はドナウ河が二国を分断している。ドナウ河はドイツに源を発しオーストリア、ハンガリー、セゴビアの首都ベオグラードからルーマニアとブルガリアの国境を流れ黒海に注ぐヨーロッパ一の長い河である。この旅ではドナウ河を4回も渡った。このドナウ河にかかる橋を渡るのに6ユーロを払いルーマニアに別れをつげた。橋の中心が国境で橋を渡るといよいよブルガリアの入国管理所!!!

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Peles Castle

2025-07-08 00:45:36 | 旅行

ペレス城はルーマニアでは一番美しい城といわれている。ここはブラソフからルーマニアの首都ブカレストへ行く途上にあり、深い山中に建てられた元ルーマニア王室の居城だった。朝から雨が降っていて寒い日、ブラソフからの道は一度も下ることのない坂道が続き、雨雲の間に見えた高い山の峰に十字架が立っていた。ルーマニアの観光サインは観光バス用らしく、ここへたどり着くまでも大いに迷った。おまけに道路は狭く、城への急な坂道は1Kmほどを歩かねばならなかった。
二人で傘をさしてあえぎながら登った途中から見えたこのお城の素晴らしさは何とも言いがたい。

 

 

 

英語説明のグループ団体客に混じり、城内の見学、入場料一人8ポンド近くはこの国では高く、写真はエキストラに2.5ポンドくらいを払った。この城は1875年に基礎工事が始められ、1883年に完成した暁にはセントラルヒーティングの入ったヨーロッパで一番モダーンなお城といわれたそうだ。ヨーロッパやアジアの各地から集められた絵画、陶器、銃器、など感嘆に尽きる。日本の刀も二振り飾られていた。このステンドグラスの天井は手動と電動で上下することが可だとのこと。

 

 

部屋数160の中でもフローレンススタイルのパーティルームやトルコスタイルの部屋など見所は尽きない。ムーアスタイルのホールはアルハンブラを真似ているという。小さな劇場ではこの国初(1906年)の映画プロジェクターが置かれたという。


この城の近くにもうひとつペリソール城(Perisor Castle)というのがあり探しあてたのが最後の写真。ペレス城によく似たドイツ様式の城で1899年から1902年をかけて建てられたという。スコットランドから嫁いだマリア王妃が愛した城だという。時間がなくなって中には入らなかった。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Brasov

2025-07-07 21:58:02 | 旅行

ブラソフはルーマニアの中心に位置する大きな町で、町外れに市営の素晴らしいキャンプサイトがあった。このサイトはルーマニア入国最初の日に、ドイツ人夫妻から教えてもらっていたもので、町の中心地へ行くにはタクシーしかないと言われていた。キャンプサイトはルーマニアでは一番良い設備で、キャンパーやキャラバンパークだけでなくこぎれいなバンガローが並んでいて、安い宿泊ホリデーを保障してくれる

 


秋晴れの朝10時過ぎ、サイトのオフイスで呼んでもらったタクシーで、タウンセンターへ向かった。タウンセンターは高い尖塔を持った大聖堂を中心にした広場で10月初めの日曜日、たくさんの家族連れがスクエアからただ一本のショッピング通りを散歩し楽しんでいた。

 

このスクエアーからまっすぐ見える山にケーブルカーが設けられているので、大いに興味をそそられ行って見た。ケーブルカーは二人で往復5ポンド足らず、物価の高い英国から見れば信じられない値段だった。山頂から見たブラソフの町は素晴らしい。車で見ている風景と違って、町の大きさがよくわかり、郊外の大きな広がりに対し、旧市街のこのスクエアーとショッピング街があまりにも小さいと思われた。でもこれは私たち観光客が旧市街しか行かないためで、きっと大きな新しいショッピングセンターがあるに違いない。

日曜日のため観光案内所が閉まっていて、観光名所が何処にあるか、何があるかもわからなかったので旧市街をあちこち歩き回り、写真を撮り、午後4時頃にはまたタクシーで帰ってきた。この夜9時頃に大きな満月が近くのモーテルの屋根からのぼった。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Bran城

2025-07-07 01:22:24 | 旅行

ブラン城はキャンプサイトから1Kmぐらいのメイン道路わきにあり歩いてすぐ木の間に城の全景が見えてくる。この城はドラキュラの城として特に有名だが、事実ではなく、1897年にアイルランドの作家ブラム・ストーカーによって書かれた小説が世界的に有名になったもの。実在のモデルといわれるのはワラシアの王子といわれたヴラド・ドラクルでドラキュラやドラクルはドラゴンを意味する。ここトランシルヴァニアを舞台に書かれていたためこのブラン城がドラキュラの居城と騒がれるようになった。

城内には20世紀の王室の衣装や家具が展示されているが管理が行き届いて大変きれいな内装だ。実際ここへ来るまで気味のの悪い思いと怖いもの見たさで興味があったが、説明文を読んでみれば ”なあんだ”と言う思いで少々がっかり。

 

 

城の窓から見るブランの町は裕福で、この城がこの地方の経済に計り知れない恩恵を与えているものと思われる。実際城下はお土産店が立ち並び、ドラキュラの血とかバンパイアーなどの名前のついたワインが売られていた。

 

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ルーマニア Way to Bran

2025-07-07 00:26:19 | 旅行

コーヴィン城を出た後Sibiu へ帰る同じ道路の途中でホテルに付随している小さなキャンプサイトで一泊し、この日ドラキュラで有名なBran城へ行くべくルーマニアの中央部をめざした。天気はよく温度も25-6度、時々見える町は山間に埋め込まれたモザイクのようだったり、通り過ぎる村の玄関で売っている農産物、ウシや馬と牧場へ行く途中なのか、市場へ行くのか、国道をのんびり歩いている人たちや山の上まで耕され整備された耕作地、まるで日本の戦後すぐのひなびた農村を思わせるような景色や人々の生活が目につく。

 

ブラン(Bran)は2000メートル級の山脈に囲まれたこぎれいな町でバンパイヤー・キャンプサイトの周囲には小さなホテルや、民宿が軒を並べ今は鈴なりの真っ赤なりんごを売っている民宿のおばさんや、羊を無理やりひっぱて行くおじさんなど、長野辺りを旅している感じだ。景色はアルプスだといわれれば納得しそうな山々と岡の連なり、今までのただの田舎町ではない。

 

 

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