季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

特別展「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」三井記念美術館(2017/4/21)

2017-04-25 17:11:29 | Weblog
 西大寺の創建は765年。しかし794年、都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎える。荒廃した西大寺が、復興されるのは鎌倉時代、叡尊(1201-90)の時である。
 「塔本(とうほん)四仏坐像」のうち「釈迦如来坐像」(奈良・西大寺)(重文):荘重・荘厳である。木心乾漆の技法により制作されている。

 「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」のうち「文殊菩薩坐像」(奈良・西大寺)(重文):厳しい表情で威厳がある。叡尊の没後、弟子たちが発願して造像された。


 「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)(国宝):若くして真言密教を学んだ叡尊(興正菩薩)は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」とした。密教と戒律の融合一致を説く。

美輪明宏主演「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」三島由紀夫作(新国立劇場) 2017/03/31

2017-04-02 08:45:49 | Weblog
『葵上』
 六条御息所(ロクジョウノミヤスドコロ)は源氏を愛していた。車争いで自分に屈辱を与えた葵上(アオイノウエ)を許せない。生霊となって源氏の妻である葵上を取り殺す。
 三島由紀夫氏は、生霊を信じる。それゆえ、六条御息所の生霊は生々しい(ただし冷たい)圧倒的身体を所有する。


『卒塔婆小町(ソトバコマチ)』
 輪廻転生を信じる三島由紀夫氏の熱情がリアリティの根源。命を懸けて小町に「美しい」と言った深草の少将が、詩人となって現在に蘇る。1000年以上前の少将の死が、現在の詩人の死と同一となる。小町は、現在の99歳の老婆に転生する。
 「美しさ」はイデアであって、「小町」その人ではない。「美しさ」を愛すれば、「小町」を失う。つまり深草の少将は死ぬ。

特別展「春日大社 千年の至宝」東京国立博物館・平成館(2017/2/14)

2017-02-17 18:49:35 | Weblog
春日大社では、「式年造替」(社殿の建て替え・修繕)が20年に一度行われ、昨年、第60回目だった。今回、春日大社の国宝・重要文化財100件以上が展示された。春日大社は「平安の正倉院」と呼ばれる。

「鹿島立神影図(カシマダチシンエイズ)」14~15世紀(春日大社蔵):武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が鹿島から、鹿に乗り春日の地に降臨した様子を描く。春日大社の草創を物語る。


国宝「本宮御料古神宝類 蒔絵箏(ホングウゴリョウコシンポウルイ マキエノコト)」12世紀(春日大社蔵):金、銀、銅の研出蒔絵(トギダシマキエ)による流水文や飛び交う鳥や蝶が描かれる。平安時代漆芸品の最高傑作。


国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」(キンジラデンケヌキガタタチ)12世紀(春日大社蔵):柄(ツカ)や鍔(ツバ)などの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(サヤ)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現している。黄金の太刀。


国宝「赤糸威大鎧(竹虎雀飾)(アカイトオドシオオヨロイ タケトラスズメカザリ)」13~14世紀(春日大社蔵): 鮮烈な赤の威毛(オドシゲ)と細かい彫金技術による鍍金の金物が、まばゆい華やかさをみせる。


「獅子・狛犬(第一殿)(シシ・コマイヌ ダイイチデン)」13世紀(春日大社蔵):本殿を護る獅子・狛犬。今回の式年造替で撤下されたもの。

二兎社公演「ザ・空気」(東京芸術劇場) 2016/1/31

2017-02-05 10:33:32 | Weblog


 報道の自由の問題を扱う。重いテーマ。現在進行している問題。コミカルさが、所々あるのが救い。トピックは、以下の通り。

(1)政治のダークな側面
 政府批判する目立つ人間への攻撃。(Ex. 死んだネズミを送りつける。)政治におけるダークな側面。家族に危害を加えるとの恫喝。報道に従事する者は目立つので、攻撃を受ける。

(2)電波停止発言&特定秘密保護法
 総務大臣による電波停止発言(2016.2/8)は、既に、報道を自己規制させている。
 特定秘密保護法が、報道の自由・言論の自由を制限する危険。秘密の取材でさえ罰せられる。国民が判断のための必要な情報を得られなくなる。

(3)多数派
 多数の者は、自分に関係ないと、関心を向けない。
 政府への信頼。あるいは政府を信頼することが、日本国民のためだとの確信が、多数派を形成する。政府批判は、国内を分裂させるとの非難。
 経済的な利害関係者は、当然、政権に協力する。そうでないと順調に商売ができない。

(4)緊急事態条項
 物語上では、憲法改正され緊急事態条項が導入される。国会が制定する法律とは別に、内閣が独自に法律に相当する政令を制定できるようになる。ナチスの全権委任法と同じ。緊急事態が解除されなければ、永久に内閣がいわば「独裁」する。

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」東京国立博物館(2016/11/17)

2016-11-19 09:53:39 | Weblog
 滋賀県甲賀市にある天台宗の櫟野寺(ラクヤジ)につたわる重要文化財の平安時代の仏像20体すべてを展示する。本尊の十一面観音菩薩坐像は像高が3mあり普段 は秘仏である。

特別展「禅—心をかたちに—」東京国立博物館(2016/11/17)

2016-11-19 08:56:48 | Weblog
国宝「慧可断臂図」(エカダンピズ)、1496年、雪舟等楊筆、愛知・齊年寺蔵
坐禅をする達磨に向かい、神光(のちの慧可)が弟子となるべく己の左腕を切り落とす場面。


国宝「無準師範(ブジュンシパン)像」、自賛、南宋1238年、京都・東福寺蔵
東福寺の開山、聖一国師円爾(ショウイチコクシ・エンニ、1202-80)の中国での師・無準師範(1178-1249)の肖像。


重文「宝冠釈迦如来坐像」 院吉・院広・院遵作、南北朝時代1352年、静岡・方広寺蔵
宝冠をいただく釈迦如来像は、本来は華厳教主の毘盧舎那仏だが、南北朝時代に宝冠の釈迦と呼ばれるようになる。


十八羅漢像のうち「羅怙羅(ラゴラ)尊者」范道生作、1664年、京都・萬福寺蔵
羅怙羅尊者は、釈尊の実子。顔が醜かったが、心には仏が宿ること胸を開いてみせている。


国宝「瓢鮎図」(ヒョウネンズ)、大岳周崇等三十一僧賛、大巧如拙筆、15世紀、京都・退蔵院蔵
室町幕府第四代将軍、足利義持が「丸くすべすべした瓢簞(ひょうたん)で、ぬるぬるした鮎(ナマズ)をおさえ捕ることができるか」というテーマを出して、絵を如拙に描かせ、詩を五山の禅僧たちに詠ませた。


国宝「油滴天目」(ユテキテンモク)、建窯、南宋12-13世紀、大阪市立東洋陶磁美術館蔵

“「拝啓ルノワール先生―梅原龍三郎に息づく師の教え」展”三菱一号館美術館(2016/11/10) 

2016-11-11 21:09:12 | Weblog
 梅原龍三郎(1888-1986)は、日本を代表する西洋画家。京都府京都市生まれ。生家は染物問屋。1909年、ルノワール(1841-1919)の南仏のアトリエを訪問。ルノワールの弟子となる。ルノワールをベースに、ルオー、セザンヌ、ピカソの影響を受ける。色彩の魔術師と言われた。ヨーロッパの油彩画に、桃山美術・琳派・南画など日本の伝統的な美術も取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチの装飾的世界を展開。昭和の日本洋画界の重鎮として君臨した。

 ピエール=オーギュスト・ルノワール《パリスの審判》1913-14年


 梅原龍三郎《紫禁城》1940年


 《梅原龍三郎:年譜》
1908年(20歳)フランスに留学。1909年に、ルノワールの指導を受ける。
1910年、ルノワールやパリの芸術について雑誌『白樺』に寄稿。
1913年に帰国し、白樺社の主催で個展を開催。白樺社同人の武者小路実篤・志賀直哉・柳宗悦の知遇を得る。
1920年(32歳)、前年に死去したルノワール弔問のため再渡仏。
1935年、帝国美術院(現・日本芸術院)会員。
1944年(56歳)、東京美術学校(現・東京芸術大学)教授になる。
1952年(64歳)、東京美術学校教授を辞任し渡欧、ヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員を務める。文化勲章受章。
1957年(69歳)、日本芸術院会員はじめ諸役職を辞す。以後は渡欧を繰り返し、制作に励む。安井曽太郎とともに「日本洋画壇の双璧」と謳われた。
1986年、満97歳で死去。

「鈴木其一 江戸琳派の旗手展」サントリー美術館(2016/09/14)

2016-09-17 19:57:28 | Weblog
鈴木其一(1795-1858)は、江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子。近代的都会的洗練を示す。宗達・光琳・抱一に続く、琳派第4の大家とされる。

「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館)は、緑、群青、金を対比させる。尾形光琳(1658-1716)国宝「燕子花(カキツバタ)図屏風」を思い起こさせる。


「藤花図(トウカズ)」(細美美術館)は、琳派風でありながら、写実性を示す。


「向日葵(ヒマワリ)図」(畠山記念館)は幻想的。ゴッホの「ひまわり」と別の意味で、強烈な印象だった。
               

“ジュリア・マーガレット・キャメロン展”三菱一号館美術館(2016/08/03)

2016-08-04 22:24:29 | Weblog

 
 本展は、キャメロンの生誕200年を記念した国際巡回展の一環である。
 キャメロン(1815-79)は、英国の上層中流階級の女性写真家。48歳の時、子供たちからカメラを贈られたのをきっかけに、写真術を身につける。そして、記録媒体だった写真を、芸術に引き上げた。
 
 「肖像」「聖母群」「絵画的な効果をめざす幻想主題」(アーサー王伝説など)のテーマ群がある。
 「肖像」には、ヴィクトリア朝の有名人たち、またラファエロ前派の画家たちがいる。チャールズ・ダーウィン、アルフレッド・テニスン、ロバート・ブラウニング、ジョン・エヴァレット・ミレー、エドワード・バーン=ジョーンズなど。
 19世紀、ヴィクトリア朝の時代の人物たちが、キャメロンの親族、使用人、近所の子供たちを含め、臨在感をもって撮影され、生々しい。
 
 「聖母群」で、聖母のモデルを主に演じたのは使用人の女性。彼女は、母親とともに物乞いしていたが、あまりの美しさにキャメロンが驚き、使用人に雇い、教育も施したという。

“観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-”東京芸術大学大学美術館(2016.7.28)

2016-07-29 13:54:20 | Weblog


 「伝千手観音立像」重文(9世紀)観音寺(長浜市木之本町黒田):大きな仏様である。表情は厳しく、体躯はがっしりしている。黒田は軍師官兵衛の黒田家発祥の地。千手観音は「千手千眼」であり、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもち、衆生を漏らさず救済する。18臂の准胝(ジュンテイ)観音(シヴァ神の妃ドゥルガーが前身)ではないかとも言われる。


 「馬頭観音立像」県指定文化財(13世紀)徳円寺(長浜市西浅井町庄):馬頭観音は忿怒相なので、馬頭明王とも呼ばれる。悪と煩悩を破砕する。頭が馬のものと,馬の頭飾りを戴くものがある。馬に化身したビシュヌ神が前身。


 なお六観音とは、聖(ショウ)・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪観音で、それぞれ地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を救う。