青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

十三 そうよ・・・。

1987年12月18日 00時00分13秒 | 投稿

みやぐりんに在りし卸屋は何でも来い志向と、卸屋としては闘争的しつらえ。


氷室で霧まみれなる、肉の種は無数。
ドライアイスで囲む、は氷室機能捉えだった。
ドライアイスは地下深くで遮熱性能がある木材に囲まれた鉄製の冷凍庫に、七十から九十立方米量が保存されていた。
切り出しには、電源内蔵型のノコギリを用いる。
死後科製ではないこれは、完全無音。
ドライアイスは、清の泉州の東、新街の地下の無人の工場へ、月の異空間の工場と月のある管区から転送され、そこからは無人操舵の潜水艦に自動走行で積載され、西宮にしのみや、沿岸の港へ。
厚い白めの布で常に覆われていた港の岸へ、潜水艦が腕を伸ばし、積載物を搬出していく。
籠は、鈍重さ、意図的露呈なる、赤いサビ的模様、意図的まといなる鉄、軽銀アルミ、真鍮製。
月人の素性、面会事実、足跡、目的たる“相互友和の機を見付けての、相互友和語満載辞書の編纂”を熟知している公家が配下を港に遣わす。
“外貨だろう”。
移民との予定を難波は、毎度、入念に、慶びと共に探っており、月人もそれとの完全真意を察知しつつ、受け答えしていたが、常に答えは一様だった。
“違います”。
月人の動きは日本の思春期初期を察知しての、全く情の無い、機械出力であった判断に基づいていた。
“関節痛を霧散する”、“未来長期にわたるやもしれぬ、故の乏しい社会格差の根を早期に根絶する”と、彼らの言葉から漏れる。

しかしところで、月人は近畿方々に移民しとる。
志茂田景樹や坂本龍一らは、音楽方面に多く居着くに至っている。
下、末端動態、勢い、ノリ、ついで判断を人は正式識別せず。
月と日本の近畿、そして明、清全域に関しては月人の意思に関しては言及は終わり、締め。
追ったとして、キリがない。

キジ、
鹿、
イノシシ、
ブタ、
ワシ、
鶴、
コウノトリ、
ガン、
紀州犬、
シバ犬、
秋田犬、
猫三種、
ウサギ、
タヌキ、
リス、
ネズミ、
猿の肉、内蔵、脳、
フクロウ、
イルカ、
鯨、
シャチ、
マンボウ、
魚はイワシから全種、だが
牛肉は高価で置かれず。

泉州の餐館の料理長の手際の良さ、
讃岐うどんの出店、
博多の高級チャンポンの出店、
和歌山産の梅酒、試飲立ち呑み場、
青森産の純正青りんご飲料試飲立ち飲み場、
博多産の焼き明太子試食場、
濃度五割なる岡山産葡萄飲料の試飲場、
館山の港、名古屋経済経由であったとろサーモンの寿司試食場、
静岡産の茶試飲場、
上海のフカヒレ料理と似る鯛料理、調理実演場は火がぼーぼーと鍋から猛る、
赤福と似る和菓子無料入手場、
長崎産の天婦羅料理全部調理実演かつ試食場、
熊本産朝鮮飴全種とキンツバ系和菓子試食場、
松坂牛の先祖肉の串焼き状態なら在ったが、これを試食場、
日本中の焼いた餅の試食場には
味噌、
醤油、
カラシ、
ワサビ、
ホタルイカ、
カラシ味噌、
その近くにはあらゆる魚の刺身とその銘柄表示名札とエラ呼吸中の当該魚、
タコとイカは全種が安いし多いから無料で喰って消してよ場、
(この歴史の中に存命中のタコがしょっちゅう混じっとってから大いに笑徳判定だった、これをどうしろと言うんだこの割箸と醤油で)
日本中のうどんのダシだけ試飲場には和紙とノリ製の紙の器、
名古屋の鍋料亭のダシの味競争評価場、
手羽先全種試食場、
奈良の公家の会席向けにゅう麺全種とダシ試飲場、
日本酒と焼酎、泡盛計五十七銘柄、日本中の名産陶芸の器での試飲場、
紹興酒全種、
白酒バイチュウ全種、
杏露酒シンルチュウ全種、
北朝鮮産マッコリ、
これらを土間から上がった座敷での檜製木マスにて試飲会、
ピーナッツと鳥の皮混在を火であぶった上海伝来のツマミを座敷で試食会、
鴨の丸焼きを座敷で試食会、
レタス囲まれのアヒルの丸焼きを試食会、
台州料理試食会。

卸屋の陳列品目の正式素性は、取り合えずはここと関係の在る各地との間の距離、苦労を、見事に、美化しようと試みようと、無言で今在る、指標だった。
喰って下さい、では、なかった。
しかし、指標を堂々と在らしめている、製造時間、距離疾走時間は、さっさと溶けて良しなる、安価な氷なのか、との侮辱的疑義が当時の多様な、指標識別法へ圧力をかけていく。
そこら中で氷は霧を沸かせている。
肉はその上で寝ている。
訪問者は肉のその後の運命は知らず。
実際は、高級な牛、豚、イノシシのエサに資されていく。
これとの物流に、大勢、多国籍なる指標識別法は、抵抗していっている。
識別法とて、大いに生育は難儀なるが、これへ仕えし我が肉体の大部分体積は、林の下の喰えぬ間抜けな苔か。

長崎の出島往来の物流の品格を、上昇させた品目が陳列されていたのは、みやぐりん卸屋の方だった。
出島で難波経済をすぐさま知る事になったオランダ人が、一度本国に帰国し、詳細を所属する船舶団たるオランダ領域、完全支配の帆の下、甲板かんばん、人に伝える。
海外交易による、品目融通が主権の源泉らしき、つまりは賊属性。
甲板の上で、高度な判断は編まれてはおらず、以降の行為の帰着先は不明で在り続けても構わぬとの風と帆、いずれを問わずつもり続けらしかった。
とにかく、さっさと、難波湾に、自前開発の海洋航海技術を載せる大船舶団を遣わす。
その主語は、当該大船舶団にして、これとはオランダ国会。
何かを、難波から得ようとした目算は、無し。
難波の財界人と翻訳成功率七割程度な会話を済ませると、次は出島を無視し、スペインの商船が無数に難波の港を訪れるようになる。
ここら推移とは、難波の公家の思考が、俯瞰上統御していた。
オランダが、難波を訪れる。
こんな奴らがここらに居るらしいで、会いにいったまで。
後は知らん。
すると、スペイン船籍との関係は存在すら全く知らんが、オランダが二百年以上かけて築きし海洋権益が、難波へ納入されゆく果汁へ、溶け出していく事となった。

ちなみに出島滞在のオランダ人は、電源無尽蔵の、電報発信機を所有していた。
使用頻度は年に一、二度。
インド据え置きの同種機を経由し、本国への情報連絡速度は、五分十秒。
内容は、現代人が知る電報文字と同質。
月技術のこれは、今回は使用せずだった。

電話と異なり、電報発信機の存在個数は少数だった。
オランダ、四十機で甲乙二者には、二か三機を要し、回線は十七程度在った。
殆どがインドとオランダ間。

イギリス、十八機。
千七百七十年台から、約百年。
月からIvybridge地下へ転送され、ここから地上の森の奥の野原へ、再度転送。
携帯端末を持つ月人が支配する仕事人が確保に向かう。
乙機、据え置き先はチリ、のみ。
アメリカの建国動態へは、全く関係せず続け。

固定、携帯電話となると、話が、女の雑談、霧状拡散の相に至る。
欧州の殆どの国に在った。
存在密度、なんだが、開示はダリ。
アメリカの建国動態へは、全く関係せず続け。

十七世紀後半から十八世紀、千七百年台、ドイツのデュッセルドルフ、フランクフルト・アム・マイン、シュトゥットガルトには、五十五個から七十個在った。
全て月技術製。
電磁力駆動のこれは、健康に害があると、知られていた、おらず、それぞれだった。
使用者は財界人。

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