青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百三十六

1583年05月20日 00時00分00秒 | 投稿



上京、鳳瑞町ほうずいちょう、の歌舞練場、四畳過ぎ程度、からねおを狙い走りし、“芸徳解放の機へバネで飛ばされし玉”、上京、三助町さんすけちょう、“とうあふか ぬのほいあえふ・・・とぉうん”、四十二才。
男形おとこがた、を化粧で選ぶが、着る着物は、
女郎花おみなえし、締める帯は光沢感のある蕎麦切色そばきりいろ、と至って舞妓としては普通。
演目の味、刺激は、“未来に至りいく推移が、人間との間抜けな壷の口と内部に、投げ入れいくやもしれぬ、あらゆる投下実験を、楽しんでいくべし。
人は、商品を覆う、包装紙を、喜んで喰うに非ず。
にして、時折、礼装上作法は、包装紙ごと、路上で大祝賀に晒し、正月にかじるカズノコ扱い。
祝い箸は、いずれ手首籠り。
包装紙を、路上で、手首の根たる肩が、破る。
かくなる主題が籠る演目を、鑑賞しようとせし者は、とにかく、包装紙を口に投げ入れられいきたる、との人生価値に、現在、毎瞬、無企画ながら、抵抗しいく筈。
そのような俯瞰上指摘を、必ず受けゆく筈。”
主題が、包装紙を、路上で、手首の根たる肩が、破る、なる演目が喝破に出会いしは、難波の公家と財界人が立つ床の上の空間だった。
鑑賞者の感想は大抵が、“意味不明”だった。
犬が立ち上がった際の前腕二本仕草と、やたら笑顔で、飛び跳ね回る。
人差し指二本を、左斜め上の天井に向け、すぐに右を引きつつ、左を前に伸ばしていく。
斜め上から、やや右上へ顔向きを変え、一瞬止まり、“あんかかふう そうおんあい あーいーゆぅーほい”。
すぐに、右斜め上の天井に向け、右の人差し指と肘を伸ばし向けるが、左の人差し指は、左肘により背後へ引っぱられる。
“そうほうく そんこおりゅう おうおうす、 のい。”
意味は、何と、当人も不明。
無手よりの、台詞の即興着想に、任せ切った結果。
無理矢理訳すと、“潔白、尊大なる祇園祭の神輿乗り稚児のおしろい、回る車輪の軸のサビの理すらまだ無知”、“政経上緊密談判だんぱん、ここに在りては、荷馬車の連結部機能をやおら議題選び”。
頭上の電灯を指差し、“こうこうう とううんくぅん とうあふはぁい こう”。
“お前を据え付けし作業行程は確かに、死命を賭したる決意の果てか、との問いを一瞬すら恐れず、との指摘をいつぞやかに浴びる覚悟程度をお備えか。”
転じて、ネジの締まりは緩くないか。
刺激、提供し続け事態に、従った結果の即興台詞だった。
コムアイが訴えしは、左脳営為、三段階を、一つずつ運用状態だった。
人間の四肢は、言葉の克明さが、籠り残ろうとしていく事態に、抵抗は困難。
然るに、人間は、他人の四肢が、言語指示で律動されているならば、さっさとすぐさま、その言語を明かそうと振る舞ってしまう。
かくなる断定は、左脳営為、四段階と、対応する身体四肢の間について、成立する。
確かに、私の頭の内で、そう成った。
私が視認する人間は、左脳営為、三段階が意味を籠らせいく四肢の意味を、さっさとすぐさま、言語で明かしいっていく筈。
仕手がコムアイの場合、伴奏は無しだった。
水曜日のカンパネラ コムアイ 国歌独唱
声は、キンキンと甲高かんだか、い。
唖然を、多くの人種からお買いしていた。
六階の柵の傍に佇む、無数の異人種を指で差しつつ、“あんたらの形象、ここでの異端ぶりには、毎瞬、大気が無言で相和を提供、との俯瞰上克明事実をいちいち指摘せずとの、絶対成立事実。
かくなる緻密指摘の口は次にっ、のーくぁーとぉーくぁー、ほぉーかぁーきゅーーーうっ。”
両手は後頭部の後ろ、両脚を広く開いているが、膝が内股のまま、空中座り、中腰、を連射。

馬鹿な生き物に指摘さる、誕生の根源、交尾。
“伴奏無しで、あんた、ようやるわ。”

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