青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その六百七十五

2022年08月22日 17時24分39秒 | 投稿

大阪江戸堀三丁目の花乃井公園の半分面積、新今宮のみやぐりん、を無理矢理正方形にした全域に、内実が突出せし卸屋が在った。
名は無し、と記号羅列。
花乃井は非人間性を厭わずらしきであった、権勢簒さん奪花火玉志向果実の籠。


ここの棚は、ほぼ日本全土産の果物全部が毎日生っている果樹園。
色が、この時代にあって、自己中心的突き抜けなる、CG火力満載PV、常時放映中なる大画面、無数配列、秋葉原の電気店。
赤の多様、無数種、薄い緑、紫が目を飽きさせず、ここを来訪出来る権能者たる公家の婦人は常時、股の季節は春。
山梨産のサクランボ、佐賀産のスイカ、僅か個数な岡山産メロンとスモモ、イタリア原産、長野栽培のラズベリー、オランダ伝来のフランス産マスカット、青森産のリンゴ、鳥取産の梨、大分産のカボス、宮崎産の柑橘類、長野産の葡萄、団子は日本現存の種が全部、緑な高級い草の籠、納豆を入れる藁と似る、に収まりし蜜柑、まだ青い蜜柑、フランス伝来で岡山産プラム、山梨産で小型化成功なる桃、岩手産の野イチゴ、愛媛産のポンカン、スペイン、フィリピン、奈良なるキウイ、山梨産葡萄酒。
卸屋の床は、光沢感のある薄い灰色な高級コンクリ、月伝来素材。

藁苞わらづと、これを左右に広げた中央に蜜柑を入れる、握り易さ、安価さ、製造の容易さ、投げやり気運、拡散力をまとわせる際の容易さ、上下を絞ると得られる収納性が、これ、藁苞の拡散性の所以

イチゴ、伊予柑、柿、金柑、すだち、すもも、ゆず、がどこか産。
スペインの酒、シェリーとモストが年に十五本、四十本。
出島を無視し、難波の公家が、オランダによる野放図収奪銘柄との文字を、出島とオランダの間の透明なる横暴頭部から、救済した、との成文の顕現結果、同時に在る、銘柄姫のご感激。
フランスの沿岸に偏在していたスコッチは年に千百本。
ベルギーのワッフルと酷似する正方形状の菓子、フランスとの国境地下の工場で製造されし月技術製ビニール袋入り、四から八個入りが冷凍版で年に五十から九十袋。
フランス産の青リンゴ酒、アルコール度数は三%程度が年に二本から五本。
これは高級品と見なされ、公家間の会席に立ち会っていった。
フランスの料理研究所発、冷凍されし、ニンニクの各種おろされ済みが年に四度到着。
ドイツ産の高級サラミ、直径三・五糎、長さ四十五糎、冷凍中が年に五十本から二百四十五本で、太さ四・五糎、長さ三・二米との頭抜け殿が十本ぐらいお混じり。
ほのかに湾曲せしこれらは、表面の光沢と相まり、婦人の頭部の中の、受け判定能力を、堂々とパイセし、深い混濁の表情に至らしめた。
スペインの唐辛子が乾燥しての房ふさ、生り状が年に百から二百房。
これは辛さが非倫理判定にて、性風俗街の入口の看板の飾りに登用されていった。
しかし、この赤みは、ここでは頭部をたぎらせるべし、との頭部直接納入用香辛料との捉えを、住人に強いていった。
フランス製のロウソク用燭台、真鍮製が年に二十本から四十五本。
イタリアのヴェネツィアで、大麻捉えであった葉巻の葉くずが靴底の裏に隠された靴が年に三十足から百足。
いかがわしき、にて全部焼却措置。
イタリアの高級料亭用果物、アレクサンドリア、梨の冷凍版が年に三十個以下。
これらは公家と金星人の会席に出されていった。
“この果物の品格は・・・(無言)”、高い評価を与えてあげるわ、とは云わんで、つまりは出会ったところで咀嚼法は無言。
イタリア産の貝、冷凍されし四十五個が、年に二千単位。
パスタ料理が四角状に冷凍保存版、ビニール袋入りが、年に二百個。
これらは全部、料亭行きで、ここは外国人向けでから、ほぼ全てを世から消したのは上海人だった。
イカスミパスタ、明太子パスタ、ハーブとミント、タイムが乗るオリーブパスタ、トマトパスタの解凍法は蒸気で時間をかけて。
冷凍ボロネーゼは年に三百袋到着で、これらは殆ど月と往来していた映画監督の御用達ようたし、料亭行きだった。
僅かが金星人と公家の会席へ。
卸屋、地球突き抜け判定の所以は、納入される果実の種、鮮度、頻度、毎日これら条件と、関係藩から納入される、指標物たる、油揚げ、魚の天婦羅、かまぼこ、魚のすり身、の質。
難波政経へのすり寄り意思は全く籠らず、ただ各藩の民度、精髄の発揮結果であったこれらは、現代の東京、銀座、京都の奥の料亭をも、非常識印象で目を背けさせる。
人間国宝の御手製の高級和菓子品格が、月に二度、各藩から大量。
花乃井果樹園、ここは毎日が春。
京の宿とは違い、秋の終わりや冬は無視。
縦七十五糎、横三十五糎、深さ九糎の桜、竹、カエデ、檜、製材な木箱が、長屋の区分けごとに、例えば七十箱斜め立ちで並ぶ。
これらは一つ残らずが、必ず当たるパチンコの筐体の傍に立つ、が俯瞰上正鵠指摘。
花乃井果樹園、こことは真の奥義伝承店。
青森産の一等級リンゴが、二十五箱、春の木の実。
傍らには、途中から“コ”の字に湾曲した杉製爪楊枝を無垢に待つ受け、既に裁断されし一等級と、それ純正飲料の受けたる紙の器、透明プラスチック製、現代の販売用水が満ちる七升容器に収まる、純正一等級リンゴ果汁。

上から見ると八角形で、これらの点を斜め上に向かう辺で、束ねる頂点が中央に一カ所。
底も同様構造。
全ての角は、丸みを帯びており、全ての表面には無作為意匠染みた、やおらなるざらつきがある。
これは現代にも透明プラスチック容器にある。
容量は、十一リットル。
南京市郊外、十五カ所の畑の奥で人間は滅多に接近しない土手やらが、四角形の溝を地表に湛えていた。
ここら地下の月人が働く小、中規模工場で製造され、月人の外貨は難波へ海洋輸送。
洗浄法として、完全別派で難波に到着せし粉末薬品と水を用いていた。
薬品は現代文明なら製造可能だが、フィリピン北方のLuna,台灣南端の墾丁コンテイ国家公園地下の有人工場は死後科を駆使していた。
これとの茶室、年中開設事実。
長屋に並ぶ木の箱と、純正飲料給水器、無数の据え置きが平行。
立ったまま、取っ手を押下おうか、したら紙の器に出る勢いは、現代で言うと、細い蛇口から突如、全開設定。
激しく跳ねる、さくらんぼ飲料、濃度百、完全純正。
加減は全然出来んでから、すぐさま器の底に、びゃちぃーーっ。
取っ手辺りは死後科構造でから、加減は聞かん。

書道家、童観氏の達筆が如くが一つずつ、全ての容器の表面に乗る筈。
“春”
加減せんで、左脳から、何遍でも果汁ば飛ばせ。
使い捨てなる、向こうが透けて見えそうな程薄い紙が、そこら中、目の高さから生えている。
銀色、ステンレス製の月技術製の給紙器は、幅三十八糎程、丸まり直径九糎な、言わばトイレ紙構造を装填している。
下、膝の高さを必ず走るは小川。
深さ二十七糎、幅七十糎、円形な底を、一米、三・五秒と、素早い勢いの水が走っている。
竹製、または濃い水色の厚いビニールシートで竹を覆い中、杉製。
別室据え置きの月技術製駆動機が水流を回転させ、増幅していた。
水は循環せず、近くの川へ。
水は、神戸六甲山、湧出水。
毎日、樽積載の馬車団が往復。
ここでは手がべたつくだろうが、だったらすぐさま洗え。
駆動機の電源は内臓式で、ほぼ無尽蔵。
他の部品の経年劣化可能性を無視すると、向こう、十万年以上稼働可能。
当時、地球に類例発生市は、無か。
飾りである緑のマスカットが瞳孔の立ち止まり、呼吸を許すべくわざと五房ふさ、混じる一箱には、長野産の葡萄が満ちる。
これが四十三箱並ぶが、四箱おきに、一粒か五粒ずつ丁寧置かれなる純白の紙の皿、ガラス瓶入りの純正葡萄飲料、舞い踊るは果肉、傍に佇むは紙の器、爪楊枝、吟味用の虫眼鏡。
かくなるしつらえは、あらゆる果実に、平等に配られており、箱の数は果実に応じ七から、五十三箱。
時折混じるは、直径二十三糎の球体、透明なガラス玉で、中を泳ぐは金魚ならぬ、蜜瓜みつうり、メロンの果汁に浮かぶ種、果肉、光度が高い蛍光灯の下で。
現世うつしよ、に在らざる、人の想像、蛍光未来を望もうとする願望そのもの、液状段階はこれか。
頭部深奥からにやつきし婦人は両手で水槽を揺らしつつ、大勢が詠唱を選んだ。
難波の頭部、揺れかんざしの輝き、何者も非統御が常識、との非常識の姫踊りは、今のあにや。わたし
縁起作法に拘っての盲信事態ではなく、当時の民度では、万象、満願叶いいきの確信を、せずでは居られず時が例えばこれだった。
砂利氷を底に敷く箱は、飾りのシダ植物の下から霧を沸かせる。
山梨産のイチゴ、サクランボ、キャベツ、赤キャベツとは一体。
二十箱並び、十五箱並び、四箱埋まり、七箱からこぼれ飛ぶが如く。
あにやが注視する。
どこで、どうやって千切られた首がそこに満ちて、吹く霧のしつらえの所以を知らずままか。
あにやの、千切られておらずの頭部の周りには、闘気が如く、霧が沸く想像を強いられていくが、これを毎瞬認め呑むこそが、あにや何たるかの所以。
こうなったら、しつように喰って良しとは、あにやとは、誰か、と頭の中で、問わせ来る、やかましい注文聞き役定義を遂には、無視する力。
自己の頭部を、そうとして、毎瞬、定義してくる、頭部輪郭の色、線、あらゆるの材料の注文票をいちいち知らずのまま在る、あにやの頭。
一連の詩編を、取り合えず知っている者がある時至るとなった、外界への喰い、邁進するは頭部輪郭の材料について、もはや、識別を注文されずでも是となった自己。
それはどこの秒に、在るのか。
どこにも、居ないのではないのか。
注文票をもはや、無視しているのだろう。
いいや、居る。
詩編をかつて知って、そして喰いに向かって佇む自己。
実際にまだ、喰わずのまま、頭部にて、喰いに向かって佇む自己。
あにやはここに居る。
喰おうとする我を、忘れ、泣かさず、抱き続ける自己。
喰う自己を、知る自己。
イチゴの箱の前で婦人が頭部にまとうは霧。
爪楊枝で、今回は味わずべし。
得るは、喰い思考上の闘気。
新鮮なる、難波の一等品銘柄、これがあにやの頭部。

あにや、の発音は、下、上、下。
しかし、腹圧は常に、倫理的自縛状態への、目を見開いた、いやらしい微笑、“あたしがやったのよ”たるべし。
結果的に、手前が、呑みゆくが指向先なる、全部、低音響き。
それも、これも、あれも、あたしが後で、憎んで、喰い殺していくの。
あたし、あにや。

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