青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その五百七十九

2022年01月29日 18時30分00秒 | 投稿

熊野西で行者が励起機器を絵にしたためる。
もう、扱えん、抱え切れん、となってそれが山師に投げ渡され、次に高野山に流れゆく。
霊視、非倫理の霊峰の祠の天井を貫く、他の星の民の、戯言ならぬ歴史腫瘍、寛解への他星、地球同時貫通との非新世紀福音戦士系の槍、当該星の民、極罰の証。
次に、難波の新今宮に渡り、ねおを知る公家の眼力に晒される。
全て、正解。
明より広大にして、深さを森が問わせぬを野原と知り歩く、肉体とは強健にして脂肪と筋肉の非弁別ぶりが笑顔との民が、恐らくは過剰なる知的剛毅さを露呈する、文明課題として抱き着いて来る女をあてがわれながらの、長期視野、不介在でありし、他の星の民による粗雑なる実験の器具。
これは、断固、からくり也。
大地の所在は分からん。
紀伊より南なるも、上海よりは近し。
ただ、人と素朴に笑顔で主張したがる、幼児振る舞いあらゆる生き物の脳天を貫くとの慨嘆を、先に概観したる筈の他の星の民、からくりの散布許容への至りを、自己が問わざるの故との、間抜けは、同属のからくり、生活便益皮膚から奥を走る、連射快楽血流が知るところ。
何故、ばらまきに至り、そして尖り刺さり先に、この星が選ばれたのか。
尖りが、刺さり判定の振幅に従い、より健良な刺さり先を、自らが事前に求めるに至り、健良な当惑、素朴肉体人発を求めた、が大真相の中央。


枝、全ては同じ太さ、定期的に表面の荒れの濃淡に変化有り、重さは二キロ以下、横幅一・五五米、縦幅一・八三米、奥行き最大は一・三米で平均は〇・八米。
ゲァフシュハアフゥ星とここによる介入対象星での、歴史永きにわたる同属機器の運用履歴は、ゲァフシュハアフゥ星人、完全非眺望との製造と譲渡推移を招来していた。
ゲァフシュハアフゥ星人知らずの、異空間の無人運営工場がこの機器を製造していた。
小笠原北側の島の洞窟奥の、たいまつが囲み灯る祭壇にある時、転送されしこの基幹機器分類は、熊野西で爆破措置に遭うまで、選抜されし巫女、女性のみの詠唱に仕えしとの、人倫堂々の記憶を宿していた。
名は、頭頂部への禁断角度との警鐘を毎度励起す、“無より招来となりし、放電状とのかまし力”。
科学解析の結果はケイ素、チタン、鉄鉱石、亜鉛、等との結果銘柄を答える。
大部分を構成する、その他成分、合成金属が軽量。

色。
西暦千五百七十年台、戦国時代にこの機器は終末を迎えた。
五万九千年、ほぼ全ては倉での保管され役。
異空間、工場と来れば、動力は死後科これ必ず。
何でも、なる。
空気圧で一、巨大石を削り企画にて、これとの枝咲き花瓶を顕現させている。
枝は全て、ネタ、はったりで無意味。
基幹機器としての機能は花瓶領域の底からやや上、四糎程度の狭き領域に存在していた。
ここが、周囲一定領域以内に存在せし、初期設定済みの機器群へ、正統なる詠唱権能者への仕えを命じる。
ここには、死後科判定を、否定したがっている、人間介在力が、電磁波を滞留させていた。
この電磁波が周囲一定領域以内の機器に録音されている、隷従待機電磁波との、各種共振を亜光速速度で実現する。
電磁波の録音に適しているのは合成金属成分であったが、石舟等の浮遊現象を図るのは、全く別の仕組みとこれに適していた別の成分だった。
科学調合されており、地球には自然存在はせずであった、やや光沢を帯び過ぎる、白めの石。
今回、基幹機器の製造企画が服したらしい、この枝意匠は明らかに、機器の使用履歴が濃く、長く浴びてきた、畏怖、威圧文法、権力が水墨画前の手練翁。
合理的意味は、枝には見当たらない。
この機器の正統詠唱者は、長さ〇・八米から十七米、最大深部、三十二米の軍艦、重さは〇・七屯、から十五屯の石舟状群、十七隻の石紋を励起した。
涙を、人間の仕え役を知らざる石に、流させ、苦悩させるとの愚昧を、人間が後から察知していくとの人間人生の発生を、二十四の巫女は先に眺望しつつ、人生を歩みいく。
ムー、涙の文明。
最高度の滑空速度は時速二百五十キロ、石舟の機能は定点浮遊、定点回転、漸減降下と上昇、高度は上空一万五千米まで上昇可能、滑空速度は十五段階設定。
二十一才、現代小アジアの褐色の肌、手作業指向人種の女性、“アヴァルァーグ”。
薬草を茹でての湯気を吸っての、アンフェタミン系薬効感得状態を乗せし石舟は無音で上空五米に浮上す。
“ダァールァトゥァレフク”、レフクは全て子音発音で一口。
無音である四秒で、石舟は時速九十キロへ。
腕は胸の前で交差し、顔は決意の前かがみの中で前方を睨んでいる。

かつてゲァフシュハアフゥ星では、励起機器に関しては、自前製造に至っていた。
全て解析の上、構造上内在哲理が、譲渡政策の果てに、惰性的、逡巡感知状態へ至りいく可能性を回避し続ける確信と共に、機器にとっての基幹振る舞い構造の開発に向けて、大量の危険、本物を無視しつつ、勤しんでいた。
ゲァフシュハアフゥ星人は歴史を経て、内部逡巡への惰性的、出会いへの、回避力を無言優先する事にしていた。
その際は、それとの、事を、高速で啓明きいみい、これは認めていた。
つまり、いずれ、事を無視すべく、の営為にあった。
現在との、余裕蜜月だ、これとは、我らは許さずべし。
徒手にて、月を押しのけ、新たな星へと、渡航す。
結果的に、こうした在り様を如何に、後置修飾し得るだろうか、便益、余裕受益者との、衆愚評定者は。
戦う、か。
勝手にしろ。
全てを、賭ける、との知的判断、陶酔講評の時を自己に許さずのまま、そう在る者とは、いずれ、人間に訪れる、あらゆる秒と、次の秒やら分の観念を、賭博にとって望ましい天球儀構造と中を流れるパチンコ玉に、しつらえゆきたるものなのだ。
これとは、大哲理への到達に向けて、人生七十年を賭と、せし衒学家系、最優秀子息が、一秒すら至らずであった、子供のじゃんけんの勝敗判定の一瞬前後の、脳内興奮指令成分の学名を覚える愉悦観念との、俯瞰上、世に存在する佇みが、毎秒証明しているのだ。
学理は、実践には敵わない。
大哲理は、到達へのいざないを発する事により、毎秒、この大定理に敗北を認め続けているのだ。
悟りし、ゲァフシュハアフゥ星人、高速啓明の後の、無言なる入り身技の連続は、哲学者の大敗北を、上空から無言侮蔑す。
無意味な翁共な事だ。
何故、全てを賭けぬのか。
無言による、真剣実践にて。

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