青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜六十八

1583年03月13日 00時00分00秒 | 投稿

雲竜稲光と渦しまりは、雲上の霊峰にての俗世からは高く遠き雅境標高殿、過去より未来へまで長き歩みとは、肉体の内から身体仕草への平民いたわり意欲的を通じ、鼻との下品肉体生理と崇高政務意識の交錯点吸いゆくは、厳しき峰から人知れず斜めに咲く高山植物の潔癖生理放つ大気、を伝う、のは雲竜稲光と渦しまり。
歩み、霊峰雅境標高殿とはすべからく、必ず、脚の関節、地への仕えゆき、への間抜け屈従との足上げ、降ろし間の浮き、放物線現象快楽、我放物線上、を強力に無視する。
霊峰からまだ低きを懸命に観ておられる。
故に被嘲笑とは無縁。
廊下の霧模様を観ずとは、奥から。
“ねお標高の客間をご利用との人生予定をお編みとなりし方とは、貴人執務の数々により、廊下歩みの速度を必ず、早くする。
民の苦労の手を思いやり、霧模様への吟味の時を長くはせずべき、周辺の逡巡すら無い。
重量の思惟、次の政務への準備叱咤をお選びになる。
霧は観ず事、それは足から。
理由とは、理の曲がり具合描写への言及とは、ねお側も避けるべき事であるが、客人、ねおの客間をご利用との人生予定品格者、は入口いずこへの通過の後には、宿の外郭を、品格敬意意識から、丁寧にお貪り、これが関わる事全く非下品、にある。
品格敬意意識からの丁寧なお貪りとは、すべからく、ねおの客間をご利用との人生予定品格者の行為外郭まですぐさま神経を通じて走る。
まだ貪るか霧模様を、いや次の執務への準備思惟を急ぐか、とのご逡巡とは人生予定品格者とは実に高速な筈。
誰にも、その様は知的克明化は不可能。
貴人のほふる口となりし、そのお足の上下、霧の上でを。
貴人は、霧を観ず事足から。
貴人の口とは廊下では、お舐め歩きの時との、唇のお光、精神の垂れ、月の朧をおたたえ。
貴人は観ずの放物線現象快楽、我放物線上、そして霧を観ず事足よりの相関は、心臓の鼓動を通じ、厳しき峰から人知れず斜めに咲く高山植物の潔癖生理放つ大気を吸わせゆく事、過去、未来にわたり。
これら貴人にとって永遠たるべき、民への思いやりの眷属。
心臓の鼓動とは、一定標高以上をよだれ垂らし歩きの強欲理性者へ、時間を無視せしめる事、過去の長期間そして未来へ、が鹿威し音の渇きへ湿気を与える筒、必ずの伝え。
無視とは、時間を捉えゆく際に必ず結集しゆかしめられゆく力の振る舞いが必ず主権と議決を独占的に担っての態度であるが、これは健全理性が避ける狂気を排他しゆく相たる、穏便観念、そしてまとい事の皮膚成分を経由しゆく。
時間を捉えゆく際に必ず結集せしめられゆく力とは、人間、そして、いや、利他利己便益機能査定我欲神経異常濃密嚢たる、公家理性の拍動を時に減じるやもしれぬ。
時間との、誰にも見知られぬままの沢の流れとは、誰にも慰められぬままの涙の相。
捉えゆきとの、対象への茫然検分の後の真剣吟味議決とは、沢の底で渦しまる木マスが内にかつて収めし米を流しつつの時間の水の味吟味開始との間抜け、やおらの無許可、利発らしき思考決起。
米とは自己機能の性能自認快楽。
木マス暫くは米との燃料を沢、時間に溶かしつつの水質、そは時間、の検分一揆気分で回るらしき。
結集、とは一揆農民の鍬持ちの手のマメ治療知性と背なの筋の剛力化推移の相関いちいちの知的日誌へは必ず無視なる、科挙の設問傾向と合格の過去を同時に博学雰囲気励起状態の小庄屋の家の子息、小理性の真剣行政指示が清書の枠。
沢の底で回り出した、誰ぞにも知られずのままの木マスの、実にりいきんらしき振る舞いは、力を内に貯めゆくか。
木マス回りはその測定、満足機能とは無縁。
捉えゆき、との懸命業態単独は、これらは涙の沢底で不可能なまま。
知恵を編む知の枝、こたびは小庄屋の家の子息、小理性の真剣行政指示は、この自己を結集指示との袴へ立身出世すべしとご騒動。
まずは科挙の設問傾向と合格の過去を同時に博学雰囲気懸命励起。
小理性の真剣行政指示の前の小目的、とは自己自認力充填非実施の自己への自己喝の脅迫で、これに向けての小理性内部の水呑百姓、科挙合格への勉学記憶への搾り上げ指示とその結実は即座に具現。
理性底部への絞り、それを捩じり、額への鉢巻き、神風日章旗との独神、ひとりがみ。
力貯めゆきへの、測定、満足機能とは無縁の木マスは、科挙の設問傾向と合格履歴を明かしたる神風日章旗の威光による染色を内に貯め始める。
小理性、搾り上げ指示に伴いたる勉学記憶に含まれる学習数式と、意欲の密合が、マス内の涙、時間、を自由に染めゆく。
意欲とは真剣長期であった、小庄屋の家へ集う小作農への取り計らい計画で、これと数式の密合は、誰にも察知はならぬ霊、渦状として振る舞いゆく。
即ち、捉えゆき単独業態と、小理性による結集指示との間に於ける、捉えゆきの木マス内の時間、涙は、小作農への取り計らい計画実行の後の村の笑顔という強引想像季節が変えゆく。
捉えゆきの木マスの内は、小理性内部の、小官吏本心の村の春神経と至りゆく婚姻の前には、寄り合いの役所への茶出し娘と小官吏のひと時在りき。
これ、人間永遠無言たるべし、真剣営為不随の霊の自由な交わり。
私的雑談の交わし合い、理性と情動の混濁の笑みの時への雪崩ゆきは無計画が常。
人間、血流、胃、食物、知性、意欲、知的数式、描画へ駆使さるる筆の素材を運びし台車とその上の検討素材。
これらいずれもなだらか、適当、無根拠さに満つ、季節間の推移を、人間は誰も咎めず。
そして強引想像季節の振る舞いとは、人間の脳内、村にとって真の理。
在り。
神風日章旗の繊維内に、真剣長期なる小作農への取り計らい意欲と数式理解在らば、木マス内の洪水の季節は変わりゆく。
小理性は真剣に、涙、時間をどう、村の未来の笑顔へ捉えゆかんとせしかとの具体的数式手腕を通じ、に木マス、捉えゆきは屈する。
木マス内に在りき米、自己機能の性能自認快楽とは、小官吏本心の村の春神経により、かつて木マスが村の収穫報告の後の宴の主との自認に至らしめられての堆積感動、桜の花びら。
木マス、第一期とは収穫報告の宴の主たらんとして自ら起立せし、科挙への気合暗記漢字群に不随せし疲労が合格の喜びに近かったらしきとしてまとめられし、群の成功意欲が過剰な様、自己主張の黒板とはまだ未接近。
小理性はそして時間を通じ、知りゆく。
取り計らい意欲と数式理解の密合とは、自他への忠良さ、をまずは自己の頑迷強欲さへ、知ろしめゆきたる力在りき、と。
それには大量の涙要りし。
涙とは、自他への非忠良さを大量に呼び込みゆくのみなる、利他利器不在の枯れ木の林という頑迷な排斥力そのものの字枠へ人との被呼称理性を誘いゆく。
排斥力とは、自他への忠良さと自他認識気運という二者間を弁別せずの理性を適当に愛顧すべくとの、ぼんくら漫画購読の時で多くの人との被呼称理性は知りゆく。
自他への忠良さと自他認識気運という二者間を弁別す、非ぼんくら漫画を呼び込みゆく自他への忠良さを、知りゆくには。
大量の涙が要る。
小理性は知りし。
そうと知り、ゆく、には、。
自他への非忠良さに囲まれつつの無力の時が、知りゆく自己を囲んでいた。
そして心臓の鼓動の知りと、時間、涙、自他への非忠良さに囲まれつつの無力の時、の二者とは必ず背馳し合う。
まず心臓の鼓動を知りゆくという難解さは、大量の知り営為経過時間を要するが、これは比例して大量の時間捉えを要してくる。
これとはただ、知り営為には尊きとの封筒、大量が要るという事を指す。
そしてまた、大量の時間捉え、尊き封筒製作に向けての必要な時間が、大量の捉えとの主語にとっての心臓拍動により自動的に、捉えられていってしまう。
この下層には更なる時間収奪現象が複数存在する。
心臓の鼓動を知りゆくという難解さは、大量の時間を要すると知的立札を立派に立て、宣伝したとしても、思惟の際の下層への時間収奪は止められない。
心臓の鼓動知りゆきの検討者とはすべからく、一定標高以上の強欲理性歩行快楽が首の太きなる高山植物学者である。
つまりは公家理性の振る舞いとは、知的立札の前の通過を同意したとしてもすべからく、思惟下層への時間収奪へは一切抵抗はせず、頂上への駆け足意識で収奪に同意する。
しかしながら心臓の鼓動の知りと、時間、涙、自他への非忠良さに囲まれつつの無力の時、の二者とは必ず背馳し合う。
心臓鼓動、我知り噛みしとの硬質の捉えは、感得の推移に於いて、大量の涙を泳ぎゆく。
これは推移にとっての臓腑の央の規則的膨れ上がり、及びこれへの推察が走らせる知的稲光状神経が織り成す、膨れと稲光状二者の人型より下層に潜航存在の師範在りき、との知的疑念収奪力が、膨れ、稲光状、そして織り成す人型ら四者の複合的連関を通じ、硬質の捉えにとっての真なる臓腑の央とはいずこ、との時の針すら見ずながらの知的羅針盤すら行方不明の涙の時を強いてくる事にある。
時間を経ると、既に苦労の感得事として確保済みの心臓鼓動の捉えは、溶解への警戒感から、心臓鼓動の捉え感得自らとは、一切の表層意識の指示無きまま、涙を避け流したがる様、実に自動的頑迷。
心臓鼓動の知り感得自らが、我はもはや結論ではないのか、と歌いたがるのは苦労の人型彫刻物の央との自己捉えが故である。
捉えへの苦労時に消費する時間、言わば涙とは、だらしなき、との惰性的印象を長く浴びゆく。
この印象は、上部への君臨者たる心臓鼓動の知り感得への貢献者でありながら、時間をもはや否定したがっている心臓鼓動捉えにより、疎まれている事を察知し、貢献者との自認と相まって君臨者への反発を帯びる。
こうして心臓の鼓動の知りと、時間、涙の二者とは背馳し合う。
心臓鼓動の知り感得への消費時間と、二者背馳し合い時間の間の家族内怨恨はほどなくして、時間無視すべしとの主張を発揮してくるなる敷地奥の竹藪の卒塔婆、そとば。
これが時間を捉えゆく際に必ず結集しゆかしめられゆく力、に当たり、健全理性者とはこの発生を避けぬ事、実に自然。
この家族内怨恨を避けるべく精神内部の操作を試みる者は狂気の間を長く、複数過ぎゆく。
知りと、知りに要せし時間、涙との無料印象子宮の二者間の背馳し合い、時間へのうんざり感が、時間を捉えゆく際に必ず結集しゆかしめられゆく力の振る舞いに当たる。
心臓の鼓動とは、公家との高山理性者へ、時間を無視せしめる。
無視とは、公家との高山理性者渾身の手彫り像、高山でのご鎮座作法周囲の潔癖精神、是、山肌舐める霧也きの捉えを誘う高山理性の袴素材への察しにより、石に穿たれる文字。
心臓の鼓動を知りし、と袴内で謳いし公家理性は、そして知りとの書き順の内的追唱を、いつぞやにお消しになる。
高山理性は心臓の鼓動を、心臓の鼓動知り、とする途中彫り像を抱え歩かぬ。
市井の者ならぬ、高山理性にとって、知りに付随せしうんざり感時間とは、記憶に留めおかぬ、をいちいち公示せずの、しこたまの無視の対象。
我、最近心臓の鼓動知りしぐへへへ、ならぬ我心臓の鼓動、と胸にお穿ちの高山自認理性には、これへの至りにまでの無視力、強力との形容からすらもはや誰にも指摘はなされぬ、無視力が理性内に潜航している。
それは、過去の理性記憶内の、氷結えいんか棒知り舐め快楽とは無縁の、完成済みの鶴型氷像群らの複合作用による。
我心臓の鼓動、との高山自認理性は理性内に潜航せし無視力や鶴型氷像群を一切知的掌握せずままとの相を通じ、ねお宿泊品格の人生者が、潔癖さを踏み喰らいゆく術がある。
心臓の鼓動との高み事標高とは、人間理性、市井、高山公家いずれにとっても、衣食住付随の潔癖さと搬入さるる雑多への人間理性が搾り上げられたならば、高山の肌舐め包む霧状が、潔癖の袴に朝日透かし湧きご蒸気。
この壺と銀皿の相関否定するは、狂気。
これのみ。
衣食住付随の人間理性は必ず、必ずとの搾り上げを、正気とする公家理性を正当文法として内に認む。
さもなくば、非文明。
狂気の滝行中の短冊したためを願いゆくとの午前の予定執筆の時を過ぎゆく坊主を守る伽藍。
踏みを人に強いる力、知的予定意思強固らしき、廊下で敷設なる素材を上からお舐めの霧状への高山君臨、高速の実施。
これは、ねお宿泊品格の人生者のご理性内部の鶴型氷像群の彫刻時間の過ぎの美しき、無私なる涙流れの多き、を一切嘲笑作風作家描写せずままの、ねお宿泊品格そのもののご歩みの御足と根の御股と、時を選ばず、涙無きまま、表で剛毅に交わっていかれる。
こうした霧への君臨の歩みとの相関先たる、貴人は観ずの放物線現象快楽、我放物線上、及び霧を観ず事足よりは、我心臓の鼓動既に知りとの標高がまとう潔癖の霧をねお宿泊品格の人生者の頭に吸わせゆく。
期間とは、過去、未来にわたる。
鶴型氷像群、そして廊下素材上の霧双方に通じる高貴さが、ねお宿泊品格者のご理性の内に走らせゆくは、市井の民への、からの、無私の仕え、を記憶と足裏でいちいち言明、下品即興掌握快楽作家描写せずべしとする、事柄の裏満ち統べ役の紋様の糸。
これはねお宿泊品格者お選びの一間の敷居の線認識と合致。
市井の民への、からの、無私の仕えの時、いつぞやからぞ、との主語はいつぞやに、いつとの主語の書き順、を緻筆するおつもりや、との超絶下品知的覗き見快楽とのご無縁は、ねお宿泊品格者にとってはご当然。
こうして、霧の廊下を歩むねお宿泊品格者とは、心臓の鼓動標高の潔癖さを、吸いゆく事、過去、未来の理性の空調に及びゆくが必定。
ねお宿泊品格者にとっての下品構成部品、非言及対象たる仕え事、民への思いやりとは、永遠の潔癖美化措置を過ぎゆくが、これはねお宿泊品格者がお選びの一間の夜半たる、品格、理性、肉体のご相愛、ご無罪の時にて。
ねお宿泊品格者は民へ仕えゆきたる、高潔の間をいつぞやに、ご人生の宿の内にしつらえしか。
他者へ、他者への仕えの術を気付かせゆくのみの、口には云われぬが定め、そは仕え神経無限伝播の間、仕え事の奥への必ずの満ち統べの畳、忠良さのみを人はかくして知ろしめゆき、を。
民への思いやり、これ潔癖との霧の風吹き荒れれば、無言、全力の給仕の影、経歴を間の外の廊下から認むと同義。
公家理性は心臓標高ものの高山植物を捉えゆく事、複数であってもその度に、大量の時間、涙を知っている。
登りが到着した後の、公家理性と心臓の一体化は、大量の涙を毎度完全に無視しゆく。
こうして大量の涙とは、いずれ無視を処されゆく。
無視を与えしとの記憶すら、無視の対象へ吸われゆく。
毎度不可避であった大量の涙知りと、後の無視措置、二点の世に非ざる言わば非事実群は互いに連関などはせずまま、を市井眺望理性により疑念の目で見られる。
この目とは、二点の連関はしてはいないままだろうな、換言すると無視効果とは上手く漂っている状態だろうな、との問いに翻訳可能である。
これは市井標高街検分理性が、高山標高理性から吹き付けられる高潔の風へ、市井的健全視野を吹き返しての提案で生まれてしまう。
涙流しの人情官吏などは民生を弱める論外が故、行政措置対象と措置の二点の連関とは、無きべし、が行政効果への心配視察。
人間である公家理性者とは疑念の目へは無抵抗である。
この無抵抗との非事実は、公家理性の内の間群を分ける障子群へ、恥で穴を焼き明けゆく。
こうして、公家理性、心臓標高ものの高山植物群お抱えなるも一切の無言にお在りであっても、拍動とは弱き時在りとの緻筆が可能。
利他利己便益機能査定我欲神経異常濃密嚢、たる公家、市井での利発商標の事柄の裏満ち統べ役の紋様の糸舐め、堂々とこそこそ、市井ではかくも難波の下品博徒の様、次はどの札裏覗くやその袴の表で。”

あ、高山植物、霧、心臓の鼓動、はある派閥の公家の存在を明確に認識していた、これらと対立的なる、別の派閥の公家が、ねおと言わず、外星人との交際の京への仕え、ではなく、日常の京の在り様を清くすべくの下品、素手仕草による障子の戸動かずを故として、対立派閥の頭目の本性を、倒し切る自己の能力を解放す、との自覚に呼ぶとして。
二条城の南東に大勢居った。
四条堀川、烏丸御池。
内、十五名のお捉えの翻訳。

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