青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

速記掲示板 その六百十七

2022年04月08日 16時55分48秒 | 投稿

私、考えようとすれば、はこのように考えようと、今在る。
このように、考えてしまいいく果ての、人間の溶解、そしてこれへのいざない役たる私について、考えてしまいつつ・・・。
そうだ、気付いた。
考えるとは、社会構造の最精妙領域で、野放図な登用、躍動を公認されたる、店内景観を支配する広告の小見出し、ガツンとしたコク、粋な喉越し、桃の甘味、前線活躍アイドル4人から8人、十六から十八までをCMに選抜すは呑めば青春生理を再現す死後科製ビールへの茫然、昇龍生理告白文字、これらを既に、大量に呑み過ごしての朝、思い出す、提出済みなる成功筆致まみれを自認する陶酔論文、一連との、論外なる、人間渾身の土方、この自由を、自由と気付かずの頭部、吟味教授、口元は死後科製ビールの泡まみれの時を宿す、学問の自由を主張する校舎の内に満ちる筈。
然るに、どれだけ、考えようが、教授の口元は泡まみれのまま。
どのような、論文を書き、そこから小見出しを探しいくのか。
考えるとは、社会構造の最精妙領域で、野放図な登用、躍動を公認されたる、つまりは自己の頭部との宿への、自由な押し込みを観念的に実践する事に始まるが、例えば考えの対象に、野放図登用、躍動への公認が数式理解へ投入されて発生する観念が含まれているとして、やはり、考えとは、在るがまま、手前勝手な、宿への押し込みを止める事は無い。
考えるとは、透明、未昇華であった、未来改革系の科学性欲に頭部が花のように、ふと自然に揺れ、従い、次にやおら頭部の内に、茎として、宿を顕現させる効果を、何と、長く認めにくい、察知しにくい、素性を備えている筈だ。
考えの時が長くなればなるほど、社会構造、最精妙領域、野放図、登用、躍動、公認、これらを、人間とは、自然に、自己の考えへ尽くさせるべく、人間頭部、活躍の果ての花と瞬時に見なし、下に茎を据え置くが、複数のここらに、適当に、乱暴に、流入しゆく、共通労働中意識は、皿洗い中のバイトが概括的共通属性の筈。
即ち、人間とは、社会構造、最精妙領域、野放図、登用、躍動、公認との、考えるにとっての、京都の央おう、中京区風体観念が殆どを占める表記の真価は、考えるを開始後、一瞬後には皿のメロン、ステーキ、イチゴ、ハモの蒸し焼き、ウナギ、スイカ、マグロ丼、キウイ、サーモン丼、かしわ丼、アサリ丼、カニ飯、イクラ丼、南米産やらロシア産のば仕入れ設定料理が、かかり稽古の受けとして襲う、乱取り中柔道着と化す。
考える、是、経済学部学生のバイト先と入部先を、弁別せずの時の人間の頭にとっての、一自由選択肢、即ち、入部する、信仰する。
考える、として社会構造、最精妙領域、野放図、登用、躍動、公認、これらは瞬時に、宿の地下、料理への非忌避選択と化すので、未来を改革していき、またはいくべくの、科学機器の設計図を描画しゆく劣情を沸かせていくとして、結局は、宿の地下、人間の非忌避選択、への、無人走行なる仕え、料理を乗せて動く床、を顕現させゆく、大量の、“への”、素性は非忌避選択系を、生みゆくのみ。
社会構造、最精妙領域、野放図、登用、躍動、公認、これらを、派閥により、篭絡を認められし市に住まう民とにとっての、住まう、民、についての捉えが、人間の考えを、篭絡していく様、派閥の思考彩色通りとの現象とは、人間の頭部と、考える、の相関から、元来可能性が自然存在しているが、冬の吐く息の白さ、肺の高貴さ捉えを自己に迫る央の通りが在らば、そこは脳の血管。
考えるとは、旧主、因習から未来を解放、改革すべくの営為を認めるとして、目を瞑っての湖水泳法との、奇特瞑想。
この人間頭部の抗いが、死後科製ビールCMの映像を、多く記憶しているならば、到達ごととは、商品が配列される店内の景観に混じる広告の大見出し象限、前線活躍アイドル4人から8人、十六から十八までを選抜組がアイス用冷蔵庫、全裸突入CM、“キンキンに冷えたまろみ、粋な喉越し、皿のメロン、ステーキ、イチゴ、ハモの蒸し焼き、ウナギ、スイカ、マグロ丼、キウイ、サーモン丼、かしわ丼、アサリ丼、カニ飯、イクラ丼、南米産やらロシア産のば仕入れ設定料理と一緒にいかが”。
こんな全然いかん、事に気付かんまま着想す。
私は、考える、が既に、陥落している。
私の考える、は人間を、人間を溶かしいく力にいざないいく様、常に、“人間を”と“人間を溶かししく力”の間の危険を察知せずのままでの、頭部内営為続き。
私の考える、はただ、人間を、中京区の、宿、宿泊以外の時へ、いざない続ける。
私が、俯瞰上、外界から絞り続けるは、中京区捉え、あらゆるにて、常に太首。
未知の人間大勢への、鋭敏な気付き、もたらしいき社会を維持しゆく力を発揮す、私が考えてきた未知他人相補化計画は、人間を溶かしていく過程、人間にとっての気付きの素性を鈍麻象限へ貶めいき、その変質への気付きの素性すら、鈍麻へ堕落させゆく。
人間にとって、君臨的であった人間輪郭を、溶かしめさせ合いいく結果、気付きを、壊す。
是、非新世紀福音戦士系。
旧主からの解放を旨とする思考は、十六から十八までを選抜組がアイス用冷蔵庫、全裸突入CMが基本趣向。
人間頭部、常に昇龍。
脊髄は死後科製ビールCMながらでの挑戦企画。
私は、考えるとして、考えるの素性から離脱する事は出来ない。
ただ、人間を、泡へ、溶かしていく。
しかし、私は光を・・・光を・・・欲しい素性の人間であると・・・考え・・・いや・・・感じていると・・・考え・・・いや・・・抱いだ、いているとの概括を・・・考えるに至り・・・ああ・・・。
光は何故こうも私を・・・ああ・・・罰だ・・・罰し給たま、う・・・。
無謬無欠の真理、雌雄との二者輪郭の荘厳は、非新世紀福音戦士系の企画まみれの人生の私を、いつか必ず、恐らくは、との推測言及品詞を瞬時に処刑し、いつ、必ず、選択逡巡の相を一切見せず、過去、現在、未来を統べる、人間存在観念、建立の柱文字として、罰し給う、のだ。
光は、如何にして、惟神かんながら、のまま罰を、私という闇に深く呑まれし頭部籠りをお与えになるのか。
ああ、闇の推手が、無手の頭部で勝手に始まる。
光へ自らすり寄りし私の頭部があるとして、光は分け隔ててはならぬ、神話、国生みを担う女神と男神の二柱、それぞれの胸と腕に抱く神具、創世への畏れ多き、言及憚られる惟神のお動き、事前予定との徒弟頭部緊張皆無の様へ、一瞬すら遅れず微笑並走続き。
光は、仕事の能率化を図るべく、惟神の神具のお動きが感光したる黒板を遂に、作為意思にて参照し、未来軌道を伝達する先との、行動予定自認との舞台の黒子朧を確保しゆく、力み命令を抱きいくか。
いや、一瞬すらそのような、奇形作為とは無縁の筈。
女神、男神、二柱、胸、腕、抱き、神具、惟神、創世営為、各々が孤高にまといし放電現象の集積は、星の淵にこだます、対異星人対決意識の人間の瞳を選んで降りる光、異星人打倒策を励起す異常、無限の知的興奮のように、人間知性による素手介入をお避けになる筈。
光とはただ、創世胎動をお選びになるが、黒板を昼食前の肉体生理を露呈して眺める癖のある人生軌道が、宇宙塵じん、回収へのベンチャー企業事業を紹介するプロジェクター大画面を、大学教授知性で分析したとして、プロジェクター大画面に許しいかない事は、ベンチャー企業が宇宙旅行参画済み企業との共同事業を着想しゆくべくの、宇宙塵は今や、クルードラゴン計画の宇宙船に、への視野の筈。
昼食前の人生軌道分際が、宇宙塵回収事業に参画しゆくとして、そんな奴は塵の喰い方を、同輩と知的口論しゆく能率を知的啓蒙されていくのみで、その下品さの周囲宣伝ぶりとは、宇宙旅行参画済み企業には無機的、無感情に嫌われてしまう筈。
昼食前の人生軌道が、星の淵での、宇宙塵回収事業に参画したとして、星々が放つ光とはただ、惟神に在るがまま。
叱責に向けての、一切の作為などとは、無縁。
しかし回収事業には、星々が放つ光、クルードラゴン計画の宇宙船の群れに潜む、一般人の瞳が周囲で眩しく映える。
しかし回収事業、同輩との知的口論の果ての、宇宙塵周辺の衒学知見、言動の手足が宇宙船の着脱型燃料槽のように重い。
星々の光を灯す一般人の瞳を映す、クルードラゴン旅行企業の映像広告を、昼食後のくつろぎ時や就寝前の悔し酒が自由に検分する。
光には近づけない、との慨嘆を認めゆく。
宇宙塵回収の能率に関し、長らく付け上がった思考の癖だ。
クルードラゴン企業には、近づけない、と教え諭してくる、辞書索引はこれだ。
そして、それを自己に推して来るのが、光を灯す一般人の瞳だ。
光はいずれ、人をいざないいく。
光はそして、黒板筆記喫食履歴との、着脱型燃料槽人生を嫌う。
星々の光を灯す瞳を映す映像広告は、参画する人種の構成に比したる感動拡散力を数値換算する分析に処してはならない。
宇宙塵回収事業に携わっての、利益指向、唯物史観思考性癖者を、クルードラゴン企業に、無機的に避けさせてく、または思考性癖者に慨嘆をもたらしいくのは、一貫として、創世胎動をおめとりにになりいく光。
而して、何故光は創世より、ただ在るのか、との問いによって、価値を概括牽引さる問い群や知的推論群とは、これらを知的衝動しゆく人生にとっては、頭上へ降る着脱型燃料槽の構成物質を分析せよ、という罰が実相。
人間との、着脱型燃料槽、大小無数利用思考生物は、何故光は創世より、ただ在るのか、との創成への精神、頭抜け飛翔を発射せしめる問いを、抱くべきではない、と自認すべき義務を認めゆくべき、と指摘可能。
人を内に抱き、光を、放つ、星を、ベンチャー企業勤めの人間が、利用しゆく際は、光、星、いずれを問わず、映像として記録媒体に焼き付ける、熱にしゆくが、それへの情熱を集める演説場は、証券取引所。
人の情愛を、無利益で間抜け表情の時間と、皮肉る恐れを、光、創世より、在る故への問いと、黒板筆記喫食履歴との間に、知性が感じる。
一貫として、光はただ、創世胎動と共に在るがままだ。
私は光へ憧れるも、頭部には闇の推手が満つ。
光を、粒子とまとい朧二者へ、分解して得る理解愉悦へ、高速で変えゆく、人間を溶かしいく力への、いざないが。
私は映像広告を見てはすぐさま、文明への感動拡散力を断定しては次々と、突入すべき、容易分析、掌握すべき他文明の映像公告を着想していく。
創世胎動と共に在る光は、罰の故を、故無き、切り裂く腕仕草推手、路上披露の日々に求める。
即ち、楽屋と正統舞台の間の廊下、芸徳皆無ながら無許可侵入中肉体重量を、恥で焼く。
他者に心理を告白せしめる俳優を真似し、切り裂く腕仕草推手、路上披露人、即ち、他者の威光を印契に集めては、独我思想や独欲の為にそれを結び、世を歩む、現実四肢の実働量、皆無判定なる、波動行為者を、光は罰し給う。
光との、眩き、頭抜けし視野色、結ばれし一印契は、創世胎動を証明するが、疑似創世を誇りしとの履歴者には、結びへの憧れの指を想像させゆき、罰しゆく。
その故とは、疑似創世知性には、攻略に向けての掌握が、出来ない。
出来ずの故も、創世への侮辱、パソコンでの指遊び履歴者には、掌握は出来ず続け。
光との、真の創世印契は、疑似創世者への平伏の成功を調べず、覚えず、ただ永久とわ、にご奔放。
決して、平伏履歴を誇らず、平定力を文字で知ろしめず、驕らず。
・・・感じる。
故に、人の一部は疑似創世へ走る。
知性、文字の暗記で、外界の光の成分を手前勝手に、頭部の内で、平定し、勝利の凱旋人生を続ける。
いずれ、罰を受けると、見る。
疑似創世者への平伏の成功を覚えず、明かさずとの、真の創世の証により。
罰への推移は、光へ群れ寄りいく光虫が如くの人間頭部が、憧れを想像しゆくとの、光、舞台での璽奥仕草が、文字を無視する、覚えずの様と相似。
疑似創世者は、璽奥紋様が均一の着物が詰まる箪笥人生。
光は、土方苦労知らずの、多弁な卸屋をいつぞやかに罰しゆく。
光は、こう在る。
人は、こうした自由を選び得る。
ところで、人がその自由を選んだのならば、こうした罰を光から受けていく。
その様は、作為を選びし人が、無作為そのものなる創世の光への、憧れを呼び覚まされゆくとの相。
一連の故を、疑似創世者は、掌握を出来ず。
そして、光、在るがままと、共に過ごした人ならば、掌握などを全く衝動せず立ち位置にある筈。
つまり、一連とは、首を、飾る、装飾品を、収める絵、が在るとして、装飾品を、飾る力と、見なしめゆく、首の素肌の繊細構造、は装飾品へ隷属したる、土台か、との問いへの答えへ至るべく、熟考する人間は、不可避的、非意図的に、一連全てに内在する、美的含意を収奪していき、政治的堅牢風体声帯を、宿しいくが、以上を分析、納得せし人間は、重量警鐘知見上陶酔人に、至っていくので、とにかく、かような問いを、繁茂せしめずべくの、業界視野、懸命広報人については、業界横断意思潜航疑惑濃厚人につき、首を、飾る、装飾品を、収める絵、とは分析してはならない、との一、非文言理解の周辺の相。
絵の周辺は、異常重力であり、全てが危険。
首を、装飾品で、抜け抜けと飾る、が根源だ。
人の一自由であるが、その自由は、頭部の下、唯一の食道の表面を、美化すべくの、装飾品を、装飾品業界から選別している。
選別との首が、装飾品の運命を下品に呑む際に、一度のみ、食道を認めている。
一連を、首を、装飾品で、飾る、との企画は、無作為多数の他者の、軽快歩行中倫理に、提案する。
すると、歩行中審美の目は、一度のみ機能との、使い捨て型食道を野放図に容認しゆくようになる。
首を、装飾品で、飾る、との企画は、文明総体に、刹那的欲望の大穴を、穿孔しゆく。
こうした危険を、文明俯瞰視野人が、ある時察知する。
ところで、この察知を明かすとなれば、装飾品業界にとっての、首回りが、水銀まみれ段階の、業界指標素材によって囲まれてしまう。
首を、装飾品で、飾る、の愚かさとは、人が言語を経て、学ぶ事ではなく、脊髄から頭部へ、呑ましめられゆく他は無い、との主張を専横する、人間、無言のままの啓示を受け、その主張と愚かさを同時に、無言完飲する他は無い。
これMalice Mizerの時。
装飾品業界が、使い捨て型食道を、備え歩く人間の目を浴びる文明とは、すべからく、重量、無言、悪意含意舞台へ、芸能が指向しゆく。
装飾品業界にて、懸命徒弟段階との技術者の運命、現在から未来にかけてを、使い捨て型食道常用人の豪奢政経視野が、幾度と無く、侮辱の視線を投げ掛けてくるからだ。
豪奢政経視野にとっての公園が、犯されて生む子息によって、占有されていく推移の起点がこれだ。
堂々なる創世の光を崇める、古代から現在、来歴とは正統なる結社の徒弟、装飾品業界の技術者の、現在、未来、過去を弁別、隔離認識せずとの人生脊髄、至高なる恒常時制主張力は、使い捨て型食道との、戦コル知略、闇の瞬間時制人の女を奪い、闘争手腕同士の衝突の機を誘う。
世界進化の光とは、人間は、見詰めてはならない。
首の回りの装飾品への眼力を、重くするのみだ。
脊髄を牽引する最中の、全力の姿勢を知性で笑う自己、世を認めゆくのみだ。
全力の内の脊髄こそが、光を、星から集め、まとう。
全力の脊髄のみが、侮辱知性人による知略を犯し、泣かせ得る。
一連とは、言語にての理解は、人には、臨床上有意を及ぼさない。
全力の脊髄がまとう光のみが、その光を、世に知ろしめゆく術を、当人に明かす。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする