無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日本国民がまずやらなければならないことはマスコミ討伐③

2013年08月09日 | Weblog
今朝、「阿修羅」を見たら下記のブログが載っていた。

出鱈目ばかり書きやがって。

あなた方マスコミは社会の敵だよ。

存在してはならないと思うね。

特に、法治国家を揺るがす民主主義の敵だ。

あげく記者クラブでは、機密費の恩恵もあるというじゃないか。


口調は多少荒いところもあるが、ブログで事実を知れば知るほど「マスコミは出鱈目ばかり書きやがって!!」との心境になりこの人の怒りの口調も理解できる。

今日は、権力によって規制され、結果が出たら権力者から「どんなに報道しても、ごまめの歯軋りにしかならないからOKだよ」とGOサインが出ている例を週刊誌の記事から載せておく。

先ほどの参院選。
前回書いたように、自民党は公約に「憲法改正」「原発再稼動」「消費税増税」「TPP参加」等々を打ち出しているのに、候補者にそれらの考え・進め方をインタビューするテレビ局や他党との政策比較をして評論する新聞社は皆無であった。
国民は自民党総裁安倍首相の「アベノミクスは効果が出始めている。だからこの経済政策を自民党に継続してやらせてほしい」といったコメントや「安倍首相、衆参のねじれ解消に意欲」といった記事しか見聞きしていない。

この選挙前のマスコミの報道通り、案の定、自民党1強と一人勝ちの結果となったが、その後の週刊誌の記事を見て唖然とした。


大特集 「日本の選択」参院選 1億3000万人の後悔

消費税アップ・憲法改正・公共事業…

安倍自民 さあ、やりたい放題





史上最低最悪の参院選を撃つ

自民圧勝

ニッポンの「終わり」が始まった





ついに動き出した改憲シナリオの全容


あなたは、これらの週刊誌の記事を見て「おかしいな?」とは思いませんか。

選挙前「自民党圧勝の勢い」「どこどこ選挙区で大物だれだれが苦戦」といった類の記事は見かけましたが、自民党が勝った場合、「国民の期待にこたえるべく公約の改憲を進める」とか「消費税増税を公約して圧勝、国民は消費税増税の公約を支持した。公約を実行していく」とかいったことになりますよ、それでいいんですね、と国民に知らしめるような報道をしたテレビ局・大新聞は見当たらなかった。

選挙前、改憲か否か、とか、消費税の増税の賛否を議題にした討論座談会が盛んにテレビ・新聞で行なわれていましたか?

あなたは自民党が圧勝したら「日本の終わり」が始まると聞かされていましたか?
自民党が勝つことは、それは1億3000万人の日本人が後悔する選択になる、と事前に聞かされていましたか?

権力者は結果が出てしまえば、あとは誰がどう騒ごうが、負け犬の遠吠えとして聞き流せるので、重要なポイントまではにらみを利かせてマスコミを黙らせておけば良いのであって、「さあ、やりたい放題!」の状態になったら「自民党圧勝で日本の終わりが始まった」と書かれても痛くもかゆくも無いのである。

逆にマスメディアも、こういったことを書いておけば、いわば「アリバイ作り」であって、将来危惧した事態が現実になったときに、「われわれはあの時『1億3000万人が後悔する選択を国民がした』と書いているではないか、馬鹿なのはそんな選択をしたあなた方国民なのだ。」と言うことが出来る。

ついでに言っておくと、石川議員の一審判決が出た後も、週刊誌が「暗黒裁判」「日本の司法の終焉」と轟々と非難したが、次の週からはこれに関する記事はなし、つまり一回限りの「権力批判記事」だった。

今回の記事も一回限りで終わると思う。

つまり、判決が出た後、選挙で圧勝が決まった後といった結果が出た後であれば、1回限り、言いたいことを書いてもいいぞ、という権力者の許可が下りている、ということだ。

高知シロバイ事件の様に10数回も特集を組んで権力と対峙するテレビ局(マスメディア)は希少価値なのだろう。


■報道機関(テレビ・ラジオ・新聞等)の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するために重要な『判断材料』を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。(最高裁見解)


■国民に対し問題提起をし判断材料を与えて国民を啓蒙していくのがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌等マスコミの使命であり、それによって国民(有権者)は賢明になり「真理に近い世論」を醸し出す事になる。(戦後間もない文部省作成教科書)


■報道の使命は、真実を広く伝え市民の知る権利に奉仕し、人権を尊重する自由で平和な社会の実現に貢献することである。
報道の自由は、この使命のために市民からわれわれに委ねられたものであり、あらゆる権力、あらゆる圧力から独立した自主的・自立的なものである。(某テレビ局・放送倫理ガイドライン)




■放送は、その活動を通じて、福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。
放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し 、国民の知る権利に応えて 言論・表現の自由を守る。(NHKと民間テレビ局で定めた放送倫理基本綱領)




■国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。
この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。
新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。
(日本新聞協会による新聞倫理綱領)



前に載せたものだが、見返すと今のテレビ局・新聞社の現状との違いに、思わず「あ~あ」とため息が出て「もう知らない」といった気分になる。

それが私が友人から「世捨て人」といわれている所以である。

今日は、ここまで、またね。