あのとき私は佐久市にあった長野県立の文化施設で働いていた。
そのときの1週間は、その施設で活動していた団体が
「創造展」という発表会をやっていた。
たしか佐久市では震度5だった。
私としては、それまで経験したことのない揺れで驚いた。
夜10時半まで働いて、中軽井沢の家に帰った。
2011年3月11日の九想話「世界最大級の地震」を読むと、
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女房や息子たちの安全確認を電話やメールでしていた、
あわてふためく自分を思い出します。
今日は、糖尿病・高血圧・高尿酸値・逆流性食道炎の治療のため病院に行った。
あいかわらずものすごい患者の数で、9時に行き、診察を受けたのが12時半でした。
家に帰ってテレビを観ると、東日本大震災関連の番組をどの局もやっていた。
私はNHKの「ごごナマ」を観たのですが、西田敏行の存在感が大きかった。
2時46分、私も黙祷をした。
この九想話を書き始める11時頃まで、震災関係のテレビを観ていました。
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