今夜は、なんと!クリスマスイヴですね。
クリスマスイヴ、なんと甘い響きを持った言葉でしょう。
年若い青年の何人がこのやるせない響きに泣いたことでしょう。
しょせん、〝クリスマスイヴ〟なんて、
地方で生まれた金のない男には縁がない。
そんなこタァ、東京で1・2年暮らせば骨身にしみて思い知らされるんです。
思い返せば20代の独身のとき、女性とクリスマスイヴを過ごしたことがない。
男何人かで、居酒屋で呑んだくれていたか、
1人でむさ苦しい駒込のアパートで酒を呑んで本を読んでいた。
25歳のとき、私は10月ぐらいからある女性と付き合い始めていた。
こりゃ、今年は、夢に見ていたクリスマスイヴを迎えられると考えていた。
ところが、12月23日にその彼女に別れのお手紙をいただいた。
誰を恨むことも出来ない。
みんな自分が悪いのです。
こんな過去を持つ男にとって、〝クリスマスイヴ〟なんて、
世の中になければいいと願う日なんです。
ところが、〝捨てる神あれば拾う神あり〟ということで、
私も結婚なんてものをした。
これはつれあいにとっても同じことがいえる。
それからクリスマスイヴは、生まれた息子たちとの日となる。
幼い頃はたわいもなく過ぎたが、小学生ぐらいになると、
いかにクリスマスの夢を育てていくかが問題となった。
しかしそれも、息子たちが小学校高学年になると縁がなくなった。
しょせん、クリスチャンではない私には〝クリスマスイヴ〟は関係ない存在です。
そんな60歳に手の届きそうなおじさんとおばさんが、
なにを間違ったか軽井沢高原教会に行った。
午後6時半頃でした。
去年停められた駐車場は一杯のようで、かなり下ったところに誘導され駐車した。
女房はそんなところに停めさせられ、少々怒っていた。
彼女は雪道は滑るので怖いという。
ホワイトクリスマスもまんざらじゃないが、こんな女房をもつ私にとっては迷惑です。
それにしても石の教会は今夜も威厳ある姿をわれわれに見せてくれた。
軽井沢高原教会とホテル前の林のランタンとイルミネーションは最高だ。
クリスマスツリーもステキだ。
音楽礼拝に参列した。
牧師の言葉にこんな私も厳粛な気持ちになりました。
合唱隊とオルガンに合わせて賛美歌をうたった。
あとで「ヒサシくんの声が一番大きかった」と女房に冷たくいわれた。
ホテルの中に入ると、「サンタクロース・フォトスタジオ」なんてのがあり、
サンタクロースの部屋で2人の写真を撮ってくれた。
それをプリントして無料でプレゼントしてくれた。
女房の言葉を借りると「なんと太っ腹な」だった。
8時から礼拝堂でハンドベルの演奏があった。
やさしい音色のコンサートだった。
〝なんちゃってクリスチャン〟の私たちには、贅沢なクリスマスイヴだった。
家に帰って、ビンチョウマグロのぶつ切れでニセビールを呑んでいると、
いきなり電気が消えた。それは、
ささやかな夕食の準備をしているわがつれあいが、電子レンジを使ったときだった。
それまでに電気ストーブ・コタツ・電気ポットをつけていた。
ブレーカーを見てみたが、すべて「入」になっていた。
ということは、去年も経験したが家の外にあるヒューズが切れたのか?
中部電力に電話をした。来てくれることになった。
真っ暗な寒い部屋で私と女房は中部電力の人を待った。
そういえば、去年も同じ頃だった。似たような状況に私たちはいた。
今朝、女房はその九想話を読んでいた。
なんと皮肉な、その夜に女房はまたヒューズを切った。
まったく学習能力のない女だ。ヒトノコトハイエナイ。
真っ暗な中で私たちは中部電力の人を待った。
私はやることがない。女房は、ニンデンドーDSをやっている。
去年も女房はそうしていたそうな。
(今、去年の12月22日の九想話を読むと書いてありました)
つくづくわれわれには〝成長〟はないな、と思った。
いいような、悪いようなヘンなクリスマスイヴでした。
クリスマスイヴ、なんと甘い響きを持った言葉でしょう。
年若い青年の何人がこのやるせない響きに泣いたことでしょう。
しょせん、〝クリスマスイヴ〟なんて、
地方で生まれた金のない男には縁がない。
そんなこタァ、東京で1・2年暮らせば骨身にしみて思い知らされるんです。
思い返せば20代の独身のとき、女性とクリスマスイヴを過ごしたことがない。
男何人かで、居酒屋で呑んだくれていたか、
1人でむさ苦しい駒込のアパートで酒を呑んで本を読んでいた。
25歳のとき、私は10月ぐらいからある女性と付き合い始めていた。
こりゃ、今年は、夢に見ていたクリスマスイヴを迎えられると考えていた。
ところが、12月23日にその彼女に別れのお手紙をいただいた。
誰を恨むことも出来ない。
みんな自分が悪いのです。
こんな過去を持つ男にとって、〝クリスマスイヴ〟なんて、
世の中になければいいと願う日なんです。
ところが、〝捨てる神あれば拾う神あり〟ということで、
私も結婚なんてものをした。
これはつれあいにとっても同じことがいえる。
それからクリスマスイヴは、生まれた息子たちとの日となる。
幼い頃はたわいもなく過ぎたが、小学生ぐらいになると、
いかにクリスマスの夢を育てていくかが問題となった。
しかしそれも、息子たちが小学校高学年になると縁がなくなった。
しょせん、クリスチャンではない私には〝クリスマスイヴ〟は関係ない存在です。
そんな60歳に手の届きそうなおじさんとおばさんが、
なにを間違ったか軽井沢高原教会に行った。
午後6時半頃でした。
去年停められた駐車場は一杯のようで、かなり下ったところに誘導され駐車した。
女房はそんなところに停めさせられ、少々怒っていた。
彼女は雪道は滑るので怖いという。
ホワイトクリスマスもまんざらじゃないが、こんな女房をもつ私にとっては迷惑です。
それにしても石の教会は今夜も威厳ある姿をわれわれに見せてくれた。
軽井沢高原教会とホテル前の林のランタンとイルミネーションは最高だ。
クリスマスツリーもステキだ。
音楽礼拝に参列した。
牧師の言葉にこんな私も厳粛な気持ちになりました。
合唱隊とオルガンに合わせて賛美歌をうたった。
あとで「ヒサシくんの声が一番大きかった」と女房に冷たくいわれた。
ホテルの中に入ると、「サンタクロース・フォトスタジオ」なんてのがあり、
サンタクロースの部屋で2人の写真を撮ってくれた。
それをプリントして無料でプレゼントしてくれた。
女房の言葉を借りると「なんと太っ腹な」だった。
8時から礼拝堂でハンドベルの演奏があった。
やさしい音色のコンサートだった。
〝なんちゃってクリスチャン〟の私たちには、贅沢なクリスマスイヴだった。
家に帰って、ビンチョウマグロのぶつ切れでニセビールを呑んでいると、
いきなり電気が消えた。それは、
ささやかな夕食の準備をしているわがつれあいが、電子レンジを使ったときだった。
それまでに電気ストーブ・コタツ・電気ポットをつけていた。
ブレーカーを見てみたが、すべて「入」になっていた。
ということは、去年も経験したが家の外にあるヒューズが切れたのか?
中部電力に電話をした。来てくれることになった。
真っ暗な寒い部屋で私と女房は中部電力の人を待った。
そういえば、去年も同じ頃だった。似たような状況に私たちはいた。
今朝、女房はその九想話を読んでいた。
なんと皮肉な、その夜に女房はまたヒューズを切った。
まったく学習能力のない女だ。ヒトノコトハイエナイ。
真っ暗な中で私たちは中部電力の人を待った。
私はやることがない。女房は、ニンデンドーDSをやっている。
去年も女房はそうしていたそうな。
(今、去年の12月22日の九想話を読むと書いてありました)
つくづくわれわれには〝成長〟はないな、と思った。
いいような、悪いようなヘンなクリスマスイヴでした。
峰の茶屋あたりもすごいでしょう。気をつけてお出かけ下さい。
朝起きて何はともあれ九想話を読む。今日のような文章の日は、思わず大声で笑ってしまう。
朝から笑うとその日がずっと幸せです。
有難うです。
今から出かけます。
それでは、今日は私はお酒を飲めないですね。
女房の運転が心配ですから。
残念。