営業マンだった私3

2001年12月16日 | 会社・仕事関係

私といっしょに入社したKという男はすごかった。
私みたいにうじうじ考えないで、
どんどん電話しまくった。
そのせいか、2、3日に1社ぐらいアポイントをとった。
とると資料を持ってその会社に行く。
私ともう1人の女性は、
会社で1日中電話をかけていなくてはならない。

その女性は、後日知ったのだが、
夜はホステスをしていた。
部長のよく行く店に勤めていて、
そういうことから入社したようだった。
当然(なにが当然なんだ)、
社長と経理の女性は出来ていた。

Kはアポをとった会社に営業に行くけれど、
なかなか広告掲載にはならなかった。
なったとしても、九州版の企画のほうではなく、
都心版の行数広告のほうだった。
ほとんど九州から求人するという会社はなかった。
それでもKはそれなりに売り上げを上げるので、
社長はよろこんだ。
私は、毎月給料はもらうが、稼いではいなかった。
だんだん社長の私に対する風当たりがきつくなった。
「おまえは、初めッから、こんな企画だめだよ、
 という感じで電話してる。
 もっと熱意を持って電話しろ」
と社長は怒るが、
私のこころがそう思ってるからしょうがない。

そのうち、私にもアポイントがとれるようになった。
何社か行数広告も出した。
東北統合版というのに、居酒屋の
2段8分の1の広告を載せたこともあった。
居酒屋の名前のロゴを自分でつくり、
コピーも書いた。楽しかった。

11月だったか、女房が妊娠したことが分かった。
10月に公団の高島平団地に引っ越していた。
1DKの風呂トイレ付きになったので、
子どもが欲しいねと女房がいいはじめた。
こりゃ頑張らなくてはならないと思った。
しかし、いっこうに仕事はとれなかった。
子どもが生まれるというのに、
私は、情けない気持ちで生きていた。

あるとき私は、すごい会社に電話していた。
そのときは何も考えてなかった。
ただ電話しなくてはという思いだけだった。
すると、人事担当者にすんなりつないでくれ、
その日にそこを訪問することになった。
社長に、
「アポがとれたので行ってきます」というと、
「どこの会社だ」という。
「銀座です」
「なんて会社だ」
「資生堂です」
「なんだって? 資生堂といったのかおまえ」
「はい」
「ばか、あそこは電通に決まってるんだよ」
「でも、来てくれ、といってました」
「………」

              (つづく)

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