三島由紀夫の「唐獅子牡丹」

2023年11月25日 | 小説 エッセイ

三島由紀夫が割腹前に高倉健の『唐獅子牡丹』を歌ったのはなぜか…
作家的表現を追求していたヤクザ映画に三島が見ていた「美学」
(集英社オンライン)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/shueisha/trend/shueisha-175558


1970年の11月25日、私は高校3年生だった。
体育の授業が終わって購買部の前を通ったときに誰かが、
「三島由紀夫が死んだそうだ」といった。
私はその頃には、三島の小説を読んだことがなかった。
なので三島由紀夫のことは、何も知らなかった。
高校生のときに私は、ほとんど本は読んでなかった。
20歳になって東京で暮らすようになって、小説を読むようになった。
三島由紀夫の何冊かの小説を読んだ。
三島由紀夫の考え方などもある程度知った。

>軍刀と二振りの短刀を収めたアタッシュ・ケースなど必要な品々を携えて、
>楯の会の同士4人とともに車で大田区馬込の自宅を出発したのは午前10時過ぎ。
>それから環状七号線に出て第二京浜に入り、品川から中原街道を経て市ヶ谷の
>陸上自衛隊に向かった。

>だが時間が早すぎたのですぐに降りず、そこを二周することになった。その時
>に三島由紀夫が車内で、こんなことを口にしたという。

>「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽が
>かかるのだが、俺たちは意外に明るいなあ」

>高倉健の『唐獅子牡丹』を歌い始めた三島由紀夫に合わせて、四人の声が車内
>に響いていった。

三島由紀夫はどんな気持ちで「唐獅子牡丹」を歌ったのだろう?

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