駒込アパート暮らし

2018年05月28日 | 健康・病気

5月24日、私と女房は駒込駅に降りた。
旧古河庭園に行く前に、
むかし私が暮らしていたアパートを探してみることになった。
私は駒込では、4つのアパートに住んでいた。
最初に、一番最初に住んでいた3畳のアパートを探した。
ここで I さんという人と出会い、いろんなことを教わった。
I さんは、東京の根岸の生まれだった。
美術大を受験したが失敗し、
おれは自分で絵を勉強するんだと大学は行かないことにした。
1週間に1度ぐらい山谷に日雇いの仕事をしに行き、
仕事に行かない日は、アパートで絵を描くか、リコーダーを吹いていた。
リコーダーはプラスティクのアルトで、それでテレマンやバッハを吹いていた。
なにかのことで彼と知り合いになり、よく酒を飲むようになった。
私の友人の龍彦もうちに遊びに来て彼と友だちになった。
冬になり、山谷の日雇いの仕事がなくなってきたとき I さんは、
スナックのみたやというところの仕事を探してきた。
夜7時から翌日7時までの仕事だった。
朝から夜7時まではマスターが店をやり、夜は I さんが営業した。
さあ、それから夜は、 I さんの仲間が集まりだした。
私は体力が続くかぎりスナックのみたやに行っていた。
行くとだいたい私は朝までのみたやにいて、そこから会社に出勤した。
いろんな女が来て、おかしな男が毎晩飲んだくれていた。
しかし、そのアパート高瀬荘は見つからなかった。
次に、スナックのみたやを探したが、記憶があいまいでわからなかった。
24から26歳まで住んでいた五月荘を探したが、ここも見つけられなかった。
こんどもし行くことがあったら、住所を調べておこうと思った。

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志村けん

2018年05月28日 | 健康・病気

志村けん、「ファミリーヒストリー」でいかりや長介さんの思いを知り感謝 

志村けんのことを少し知れた。
私は、志村けんが好きです。

コメント (2)
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