旅立つ友

2000年02月21日 | 友人

 今夜、明日台湾に旅立つ友と会った。
 会社の命令で、約束では3年ということらしい。
 彼は山梨に暮らしていた。奥さんと息子は、これからも山梨で生
活を続ける。
 何の因果か、私が山梨に単身赴任したのは、彼の家から車で30
分のところだった。私が山梨にいたときには何度か遊びに行った。
 彼とは、私が19歳のとき、東京の駒込の同じアパートにいた。
そこで知り合い、青春のある時間を共有した。
 彼との出会いは、私にとって衝撃的なものだった。たった1歳違
いなのに、人の生き方、考え方を教えてくれた人だった。
 その頃彼は、週に1日山谷に日雇いの仕事をして他の日は、絵を
描いていた。美大の受験に失敗して、「おれは、自分で絵を描いて
いく」とうそぶいていた。絵を描かないときは、アルトリコーダー
でバロックとかバッハ、ヘンデル、モーツァルトの曲を吹いてた。
 私は昼間、薬品会社に勤務し、夜にはお茶の水の予備校に行って
いた。彼の部屋から聴こえるリコーダーの音に親しみを感じ、いつ
の頃か覚えてないが、彼の部屋をノックした。
 それから彼とのつきあいが始まった。
 彼とのことは、小説のページの「一番の先生」に書いてあります。
 彼と二人で飲むのは、かなり久しぶりのことだ。この20何年か
はかならず奥さんがいた。奥さんがいると、やはり私と二人のとき
との会話とは違う。今夜は、本当に久しぶりに、彼と二人きりで飲
んだ。でも、今夜の友は、明日早いから、とウーロン茶を飲んでい
た。ああ…、こういうところもあったんだと、あらためて思った。
山谷で日雇いの暮らしをしていた友だが、まじめだったんだ。小市
民だったんだ(いい意味での)。
 それはそれとして、今回、新宿で会うまでのことはすべて電子メ
ールでやりとりした。なんか不思議です。26、7年前、駒込のア
パートで安酒を飲み、リコーダーの合奏をし、文学論、芸術論、女
論、人生論を語った友と、電子メールを使って新宿で会う連絡を取
り合うということが、ものすごく“へん”です。なんか感覚的に、
なじまない。だけど、電子メールなんです、私と彼が今日会えたの
は。
 あの頃、電子メールがあったら、彼と私はどうなっていたか…。

コメント
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