樋村は同棲していた。今日の彼女が電話でいってた「ちょっと用事が出来て
しまってぇ」ということは彼とのことかと思っていた。
しばらくして安井さんが戻ってきた。
「樋村さん、彼と別れたほうがいいよ。つまんないよ。あんな男に振り回され
て。ぜったい分かれたほうが彼女のためだよ」
出荷検査の区切りがついて安井さんの作業台に行くと、手袋をしながらおれ
を怒るようにいった。
「………、彼女休憩室ですか。何いったらいいか分からないけど、おれ行って
みます」
休憩室は中2階にある。階段を降りそこのドアを開けると、樋村が赤い目を
してテーブルから顔を上げた。
「どうした…。人生いろいろあるよな」
おれは、泣いてる女の子になんといっていいか分からず、あたりさわりのな
いそれなりに彼女を包み込む言葉をかけた。
「藤原さんすみません。私どうしていいか分からないんです。このままではみ
んなに迷惑かけちゃうし…、ワタシ…、申し訳ありません」
「………」
彼女はふだん、おれからするとちょっとはすっぱで、生意気に思っていた。
会社に来るときの服は、ダブダブのジーンズの太股のところとか膝の部分がや
ぶけているやつに大きめのジャンパーを羽織っている。あの子にはちょっと不
釣り合いな感じだった。あの可愛い顔には、ミニスカートのほうが似合うんじ
ゃないかと思った。なんかどこにか分からないが背伸びしている感じだった。
ただ泣いてる若い女の子を前にして、おれはどうしたらいいか分からなかっ
た。
ドアが開いて、安達が入ってきた。なんだ仕事中に…って、おれも仕事中に
こんなとこにいる。
おれは、煙草を出して火をつけた。
「私、彼の話を聞いていたいんです。そうすると、いつも寝るのは3時頃にな
ってしまうんです。だから…、朝起きられないんです」
「そりゃ起きられないよ。おれもバカなことやっていて(かしの木亭へのME
Sを書いてること)3時過ぎまで起きてると朝辛いよ。だから、次の日は早く
寝るよ。若くたって毎日は辛いよ。彼との時間も大切だが、体のことも考えた
ほうがいいんじゃないかな」
「私、あの人とずーっと話をしていたい。彼の話を聞いていたいんです」
ちっちゃな顔をくちゃくちゃにしておれにいう。
ああ…、彼にそうとう惚れているんだな、と思った。
「樋村さん、とっても彼のこと好きなんだね。その気持ち大切にしたほうがい
いよ。でも、人間、睡眠時間は充分取らなくてはだめだから、ちょっと考えた
ほうがいいな。会社に来てもあなたが辛いじゃない。でも、毎日まいにち2人
で話すことがあることは、羨ましいな。うちもけっこう話すけど、睡魔には負
けるな。今、長くは話聞けないから、こんど食事でもしながら話そう」
それだけいって、おれは、休憩室を出た。
安井さんのところに行って、
「おれも、男とは別れたほうがいいと思う。彼には、樋村さんを気遣う気持ち
がないな。でも、彼女、そうとう今の彼にまいってるみたいだな。あれじゃ別
れられないな」
といった。
「彼女の気持ち、私だって分かるわよ。でも、つまんない男につくすことない
わよ」
安井さんの経験に裏打ちされた貴重な話に、おれは深く頷いた。
そのあと、樋村と安達は20分ほど出てこなかった。おれは気が気ではなか
った。樋村のほうは入社したばかりでそれほど仕上げの処理枚数は少ないのだ
が、3年ほどいる安達はかなりの数を仕上げるのだ。今日の予定枚数を考える
と、休憩室に行って「早く仕事しろ」と怒鳴りたい気持ちだった。でも、これ
からのことを考えると、ジッと我慢をしなければならなかった。
2人で何を話してきたのか、工場に戻ってきた樋村は晴々した顔をしていた。
いつかみんなで食事をすることにした。仕事中には話せないことゆっくり語
り合いたい。そのときいおう、樋村さんに。彼とは別れたほうがいいと。どう
考えても、彼が彼女に対する思いやりがないように思う。休憩室での話では、
彼には別に付き合ってる女性がいるようだ。そのことで彼女は悩んでいる。
それにしても、安達さんがおれにいった、
「おじさんなのに、若い女の子の相談にのれるなんて、藤原さんって、いいね」
ってなんなんだ。こんなことおれの得意分野なんだ。仕事は嫌いだが…。
月曜日、樋村さんはおれよりも早く出社していた。
ー了ー
(すべて仮名です)
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