ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

144日目 井原鉄道に乗る(1)~矢掛の宿場

2016-02-21 15:05:51 | 山陽
2015年12月31日(木)


「岡山・尾道おでかけパス」はJRの切符ですが、第3セクターの井原(いばら)鉄道にも乗れます。

↓清音(きよね)駅発13時11分の列車は、JR線と別れて高梁川を越えます。


清音から2つ目→
あの吉備真備?と思ったらやっぱりそうでした。
駅名になっている位だから、ここらは彼の故郷らしく、実際に、今は倉敷市となっていますが以前は真備町でした。ただし、読み方は「き」が抜けた「まびちょう」。
同じ岡山県にある駅「宮本武蔵」に比べると、奈良時代の学者政治家・吉備真備は知名度だけに限れば超劣るのがちょっと切ない。

↓こんな感じの風景がひたすら続いて、向かうは矢掛(やかげ)駅。


矢掛駅→

↓(565)岡山県小田郡矢掛町(ちょう)役場
 
人口も約15,000人で40年前に比べの約2割の減少。
過疎化に対する危機感の表れか、或いは今の外国人の訪日ブームに乗ってか、今年度を「観光元年」と銘打って、観光で町を活性化させる取り組みが始まりました。

地理的には岡山市や倉敷市に近くてアクセス面は決して悪くはないのですが、両市はネームバリュー・人の吸引力が偉大すぎて、矢掛町がちょっとでもそこに食い込んでいくのには相当の労力と時間と金がかかるんだろうと思う。
でもこのご時世、何が起こるか分からないので、ちょっとしたきっかけで神風が吹くかも知れないから、普段から地道な努力は必要かも知れませんね。

そんな観光に力を入れ始めた矢掛は何と言っても、旧山陽道の宿場町の面影を色濃く残す街並み。
そこを見る前に、町中心部の西側に流れる川を越えた所に、もう一つ「矢掛駅」があるというので行ってみます。

↓そこへは古い建物並ぶ旧松山街道を通って。


↓確かに「矢掛駅」があるわ。



けど、一本の線路もなくバスがやたらあるだけ。
ここは昔、昭和42(1967)年まで走っていた井笠鉄道の終着駅で、今はバスターミナル。

ではでは旧山陽道の街並みをブラブラします。
せっかくやんでいた雨が時折降ってきて非常に厄介ではありますが。

国道486号線→
左側に行く道が旧山陽道。右の川は高梁川の支流・小田川。

↓古い建物が多い中、洋風建築もあったりする。






旧矢掛本陣石井家→
国指定重要文化財。参勤交代で大名・公家・役人の宿に使われたお屋敷で、あの篤姫も薩摩からの嫁入りの道中に泊まったという。

↓「観光元年」の魁となった昨年3月オープンした矢掛屋(上)と温浴別館(下)




旧矢掛脇本陣高草家→
これも国指定重要文化財で、本陣の補完的を果たしておりました。
このように本陣と脇本陣の両方が揃って健全な状態で現存しているのは矢掛町のみらしいです。

矢掛一番のお祭り→
殿様らに扮した人達が「下~に~、下に~」という掛け声と共に大名行列ばりに街を練り歩くお祭り。

ところで、「下に」は時代劇の影響か、全ての大名がこの掛け声で歩いていたものと思いがちですが、それをしていたのは将軍家・尾張家・紀州家だけ。他の大名は「よけろー、よけろー」の掛け声だったという。しかも庶民は土下座というイメージですが、実際は普通に立ったまま見ていたらしい。

それにあんな大人数が道中常に行列をなしていたわけではなく、自国領地内や江戸などではアルバイトを雇って多くの人が歩いているように見せかけたのです。
よく考えてみれば、時代劇のように江戸から自国までゆっくりと延々とやっていたらお金がいくらあっても足らんわな。

「矢掛テンペ」って家具、何ぞや?→
お店の貼紙を見てみると、どうやら大豆を発酵させたものをコロッケにしたものらしい。

普通のコロッケというなら間違いなく買ったでしょう。が、私は「大豆・発酵」という文字で即刻拒否!
「大豆・発酵→納豆」の単純な連想から、納豆をコロッケにしたものだと思い込んだのでした。
要は私は、納豆が大大大(大をいくつ付けても足らん)の苦手なのであります。

ところが後で調べてみましたら、納豆のようなネバネバも臭みもなく、ほんのり甘い味らしく・・・。失敗したわ。
どこかに「納豆の味はしません」とでも表示してくれればな・・・。もしかしたら私と同じ考えを持ってしまう関西からの観光客がいるかも知れませんので。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→