ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

176日目 桜を愛でながら中山道を歩く・続編(1)~浦和

2017-07-01 00:51:31 | 南関東
平成29(2017)年4月8日(土)


かなり早い時期から桜満開を見計らって行こうと決めていたJR高崎線沿線日帰り旅です。

今年の東京の開花は本土トップを切っての3月21日。
え゛っ、早すぎるんだけど。年度末の忙しい時期には出掛けられないので、下手するとその間に散っちゃうじゃん・・・。
そんな心配をよそに満開になるのが妙に遅く、まず4月1日に行こうと決めたけど寒かったし雨だったので、8日に延期。
まあ、その8日も朝は雨だったけど・・・。

さて、3年前に4回にわたって「中山道を歩く」と銘打ってブログを書きましたが、今回は埼玉県内の残りを一気に片付けます。

↓首都圏の街巡りの際はお決まりの稲毛駅4時49分の快速電車で出発、東京駅で京浜東北線に乗り換えて北浦和駅にて下車。

手始めに、さいたま市の浦和を歩きます。

駅前を旧中山道が南北に貫いています→
キツネのような、でっかいリスのような像は、浦和レッズのマスコットらしい。
サッカー王国として知られる埼玉県、中でも浦和は「サッカーの街」の名を欲しいままにしている土地柄。

この道を南、つまり浦和駅の方に向かいます。
北浦和駅周辺は、特段昔ながらの古い建物なんかは見られず。

JR東北線の線路を跨ぎます→
後で知ったのですが、東京都心の満開は4月2日でしたが、一方の埼玉県熊谷は4月7日。
結果的にめでたく見頃の時期を選んで出掛けたという事になりました。

浦和は中山道の宿場(板橋、蕨を経て3番目)→
ちょっぴりではありますが、宿場の名残りを感じさせる建物が見られます。

毎月2と7の日に開かれたという浦和の市、その市場跡→

↓何かしらの汚物を拾い上げているかのようなこの像は、野菜を売る「農婦の像」。


仲町交差点付近→
ここらに本陣があったらしいです。

↓(644)埼玉県さいたま市役所
 
細かいところですが、さいたまの「さ」の字はこの「さ」で、にあらず。
平成13年に浦和市・大宮市・与野市が合併して誕生し、平成15年には政令指定都市に昇格、平成17年に岩槻市を飲みこむ。
現在10の区に分けられ、市としては全国第9位の130万人近い人口がいます。

埼玉県庁所在地であるさいたま市ですが、突っ込みどころの多い都市でもあります。
まず、テレビの天気予報なんかを見ていると当然「さいたま」と表示されるのですが、これが実にカッコ悪い。
少なからずそう思っている市民(県民も含めて)も多いのではないでしょうか。

次に、埼玉県は旧武蔵国埼玉郡が由来ですが、平成13年合併時の「さいたま市」は全く埼玉郡にかすりもしなかったので、本来は「さいたま(埼玉)」を名乗る資格がなかったウソ偽りの都市名。
そもそも浦和・大宮・与野は元々足立郡であったのだから、東京都足立区に気兼ねする事なく、寧ろ堂々と「足立」を使った方が良かったと当時私は思ってました。
今では埼玉郡に属していた岩槻をめでたく?手中に収めましたので、一応偽名は返上できました。

市役所敷地内にある「埼玉サッカー発祥の地」→
そのキックオフ、明治41(1908)年6月7日午前。

〔55〕埼玉県さいたま市浦和区役所
何とビックリ、お粗末な建物! このひどすぎな扱い、ナニ?
と思いきや、元々市役所本庁舎1階が区役所であったのですが、耐震補強工事の煽りを受け、ここに仮移転させられてしまったみたいです。今現在は工事は終わったかどうか知りません。

かつて「鎌倉文士に浦和画家」という言葉があったそうです。
関東大震災以降、被災した多くの画家が浦和に移り住んだため、文豪が多かった神奈川県鎌倉と並んでそのように称されたのですが、今でもその流れを受け継いでいて、文教都市でもあり、首都圏でも屈指の高級住宅地なんだそうです。
歩き廻った範囲が狭かったためか、あまりそんな感じは受けなかったけど・・・。

この日のお天気→

埼玉県庁
私にも少年だったという過去がありまして、その約10年程は埼玉県民でした。
小学校の社会科見学に県庁が入っていまして、ここはそれ以来。
ただ、建物と建物を繋ぐ長ーい渡り廊下を歩いた事しか覚えていません。

裏門通り商店街→
県庁官舎の裏門に通じることから名付けられたこの通り、レトロなお店多し。

玉蔵院→
弘法大師が創建したとされる真言宗の古刹で、しだれ桜と白砂の庭が美しいのだとか。

さくら草通り→
埼玉県では初めて、全国で9番目に整備された歩行者専用道。
毎月第4木~日曜には古本市が催されるようです。

幾つか見受けられた鰻屋さん→
鰻の蒲焼の発祥地は浦和という説があるようです。
江戸時代は沼地が多かったという浦和、そこで採れた鰻は味の良いことで評判だったみたい。

↓調神社
 
読みは「つきじんじゃ」。伊勢神宮への「調物(みつぎもの)」を納める倉庫があったという神社。
神社にして鳥居がないのと、狛兎なのが大きな特徴。
お水取りの兎はどちらかというと海獣っぽいけど。

浦和第一女子高校→
埼玉県で最古の、一番名前の知られた女子校で、県内トップクラスの進学校。
ここに来た理由ですか? もちろん登校中のピチピチの女生徒を見・・・。
いやいやそうではなく、昔この高校出のとても可愛かった才女と付き合っていたことがありましてね、どんな姿で通っていたのかなあと想像しに。
ま、そんな意味のない事をしてて虚しくもなりましたけど。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→


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