ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

62日目 真夏の関西めぐり(5)~堺

2013-11-27 23:42:56 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年8月24日(土)


前日より宿泊している堺市は、中世には自治が発達して環濠都市となり、「東洋のベニス」と言われるほど栄えた町で、他には古墳群もあることでも知られています。
が、なぜか私はこれまで町を歩く機会が全く無く、それどころか通り過ぎたのですら数えるほどしかないので、どんな佇まいをした町なのか非常に楽しみであります。

ところが、昨日の疲れからか、大寝坊をこいてしまう・・・。
「旧堺燈台」という日本最古木造洋式燈台を見てみたかったのですが、これは次回来る時にと、あきらめる。

フェニックス通り→
日本の道100選の一つ。

阪堺(はんかい)電気軌道の宿院(しゅくいん)停留場→

千利休屋敷跡→
千利休とは、わび茶を完成させた人。
このビルの合間にポツンとあるさまは、まさに「わび」しい。
織田信長や豊臣秀吉に仕えたものの、武士でもないのに、秀吉に切腹を命じられたお気の毒な方。せめて別の方法での処罰はなかったのかねぇと思うんですが・・・

↓大道筋(旧紀州街道)沿いにある「与謝野晶子生家跡」
 
去年の衆議院解散の時に政界を引退した与謝野さんは、与謝野晶子のお孫さん。
日露戦争中に「君死にたまふことなかれ」を歌い、批判の矢面に立たされてしまう。

紀州街道であったことを示す石碑→

↓上の交差点を右に折れ、竹内街道を内陸に向かって歩きます


反対の声は果たして届くのか?!→
9月29日に市長選が行われ、堺市民は橋下さんにNOを突きつける結果となりました。
かつてのあの勢いは、今いずこ・・・。

阪神高速15号線を越えると市役所→

市役所前の通り→

(314)大阪府堺市役所
デカいです、いや~高い。
これほど高い役所、他にあったっけ?と思うくらい。
堺市は長いこと人口80万人前後を有しながら、なかなかそれ以上伸びず、以前は仙台市・千葉市と共に政令指定都市を目指す仲であったのに、堺市だけが一人取り残される有様。
「平成の大合併」による政令指定都市要件の緩和という神風が吹いて、美原町との合併の後、平成18(2006)年、晴れてその仲間入りを果たしました。
さぞ、市の関係者は感無量であったろう。
人口が伸び悩んだ最大の理由は、地盤が弱いらしく、引っ越して来てもすぐに出て行ってしまうかららしいです。

ここの最上階である21階は展望ロビーとなっており、あいにくの天気ですが、登ってみましょう。

ロビーで町を眺めているとガイドをやっているおっさんがやって来て、横からあれやこれやガイドし始める。
どうもこのおっさん、話しをしたくてしたくてウズウズしていたようで、仕方ない、少し付き合うか・・・とガイドを聞いていたら、なかなか切りのいい時がなく、結局1時間も消費するハメになってしまいました。

↓内側の壁
 

北側(大阪市の方向)→
頭一つ飛び出ている建物は日本一高いビル「あべのハルカス」

西側(海側)→
通ってきた竹内街道(写真中央を縦に走る道路)は、和泉国と摂津国の境だという。
だから、ここは「堺」。

南側→
中央の森は「大仙陵(だいせんりょう)古墳」。
聞いた事ないな~、と思った方、アンタは古い!(笑)
最近の教科書ではこう教えるこの古墳は、昔風に言えば、最大の前方後円墳である、かの「仁徳天皇陵」。
おっさんに正式名称を知っとるかと問われ、「確か、耳原なんとかかんとか、だったよな~」と考えていたら、「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」でありました。
でも、やっぱり「仁徳天皇陵」の方がしっくりくるわ(私も古い人間でございます・苦笑

堺の百舌鳥古墳群と、少し離れた羽曳野(はびきの)市・藤井寺市の古市(ふるいち)古墳群を併せて、世界遺産登録を目指そうとする動きがあります。
ところがおっさんは「今は無理や」という。
なぜか。その古墳群のキモとなる「仁徳天皇陵」のそばに○○ホテルがあるというのだ。
最近はどこぞの圧力があったかどうかは知りませんが、かなりその数を減らしたというものの、やっぱりそれじゃまずかろうな。

新たな悲願や、いかに?→

〔21〕大阪府堺市堺区役所
市役所に寄り添うようにぴったりとくっついて建っています。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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