ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

124日目 某球団城下町を歩いてみる

2015-08-03 23:59:06 | 南関東
2015年6月13日(土)


私の住んでいる町は千葉市の稲毛(いなげ)。
東京都には我が町とよく似た非常に紛らわしい市があります。それは「稲城(いなぎ)市」。
ラジオの道路交通情報で「中央道は稲城で渋滞○○キロ」なんてのをよく聞きますが、一瞬近所のことかと思ってしまいますし、銀座や新宿でちょいと一杯やって電車がなくなってタクシーに乗り「稲毛まで」と言って寝てしまい、目が覚めたら稲城だった(その逆も)、なんてことがありそう・・・。
そんなある種親近感の沸く稲城市が今回の舞台。

歩き開始はJR南武線・矢野口駅→

↓駅前には稲城市のゆるキャラ「稲城なしのすけ」

何だかアニメっぽいとなあと思っておりましたら、「ヤッターマン」「ガンダム」などを手掛けた稲城在住のメカニックデザイナー大河原邦夫博士と、マルチクリエイター井上ジェット博士によって創られた梨型メカなんだそうです。梨は稲城の特産だったりします。

↓駅近くの「弁天通り」という商店街を南に進んで、京王線のガードを潜り、妙覚禅寺というお寺さんへ。


↓境内の高い所からは、ゴンドラ「スカイシャトル」がえっさほいさと昇り降りしているのが丸見え。


これの行き着く先は・・・→
お子ちゃま達のパラダイス・よみうりランド。

↓お寺さんの脇道をさらに奥に行くと山の斜面に並ぶ墓地が姿を現し、さらにその上に登った所にあるのが「ありがた山の無縁仏の墓石群」。

戦前~戦中期、東京都文京区駒込に放置されていた無縁仏の墓石を、ある慈善団体がここへ担ぎ上げたらしく、その際に「ありがたや、ありがたや」と唱えながら墓石を運んだので、この山名が付いたという。南無南無・・・。

稲城市街を一望→
ただ、ヤブ蚊が大量に襲撃してきたので、早々に退散します。

京王よみうりランド駅へ→

↓この駅前から例のゴンドラが出ています。右は「よみうりランド本社」。

文明の利器なんか大嫌いじゃ、絶対に使わん!という偏屈者頑固者でもご心配なく。
「巨人への道」という階段道(全283段)を登り、読売ジャイアンツ球場前を経ても行けます。
もちろんこの階段を登るとやたら身長がデカくなるワケではありませんので、そこは勘違いなさらぬよう。

↓もう一つ、この「よみうりVロード」を登る方法もあります。

読売ジャイアンツが勝つと、幟が増えていくのですが、今シーズンは増加ペースが鈍化しておられるよう。足元には選手たちの手形もあります。
因みに、球場も遊園地の大部分は川崎市多摩区にあり、また、よみうりランド本社には蹴球の某球団の本社もあったりします。ただ、野球団と比較して全く影の薄い存在。

京王線に沿って八王子方向に歩きます→
さすがゆるキャラにするだけあって、多くの梨園があります。

↓路地ではもはや売り物の体をなしていないこんなものも売られている。

買おうという勇者はいるんでしょうか? ロハでもいいくらい。

(509)東京都稲城市役所
市のHPによると、今年7月1日の人口は87,237人。

↓ペアリー○ード稲城、と見えるので、初めて見た人はどう読むのか困るだろう、きっと。

ペアリーロード商店街といいますが、今度はその意味について悩むだろう、恐らく。
梨(pear・ペア)と、仲良く(ラブリー)を強引にムリクリ組み合わせた名前。

疲労困憊の状態で南武線・稲城長沼駅へ→
稲毛区にも長沼という地名があります。稲毛と稲城、つくづく紛らわしい関係であります。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

124日目 メトロン星人に狙われた街

2015-08-01 23:59:56 | 南関東
2015年6月13日(土)


↓9時すぎにJR南武線・宿河原(しゅくがわら)駅にやって来ました。


↓駅前では「ボク、ドラえもんです」と軽快な格好で出迎えてくれました。カワイイ。

!? この街とドラえもんと何か関係あるの? 

駅から10分程歩くとこういった施設があります→
藤子・F・不二雄ミュージアム。
私がブラブラしているのは川崎市多摩区ですが、藤子氏が亡くなるまで暮らしていたのがここであるという縁で建てられた施設。

↓開館時間の10時に入らんと、すでにすずなりの状態。

チケットは販売されておらず事前に購入し、しかも入館する時間が指定されているという変わった博物館。しかも一日2,000人しか入れないらしい。
私もチケットを事前に買っていますので、これから入りましょうか! なんて子供一人泣かすような意地悪は企んでおりません。でも、小さい頃よく藤子マンガは読んだので、一回は入ってみたいと思っているのも事実。

↓代わりに近くの生田(いくた)緑地へ行き、その中にある「川崎市立日本民家園(\500)」で大人の趣味に走ります。



ここは主に東日本から移築した古民家約20棟が見られます。古民家好きには楽しめる場所。

んっ! ボヤ発生か!?→
これは建物保存のため囲炉裏に火をくべて虫を燻し出しているのですが、そんな煙がモクモクの中で建物内部を見るのは実にツライし、服に匂いが付く。しょうがないけど・・・。

↓岐阜県白川郷よりはるばるやって来た「山下家住宅」


↓ここで気を取り直して、冷やしとろろそば(\700)を戴きます。


志摩地方の演劇舞台の奈落→

次に「明治大学平和教育登戸研究所資料館」へ→
たまたま今年6月2日付けの読売新聞夕刊にこの施設について掲載されていたので、ちょうどいい機会なので来てみました。
ここは大東亜戦争中の旧日本陸軍の秘密兵器を開発していた研究所で、展示されていたのは、よく知られたものでは、実際に使われ僅かながら成果のあったらしい「風船爆弾」、他には生物兵器やらシナ国で使うための偽札など。ただ、写真撮影禁止となっていたので、資料の写真はありません。
そしてキャンパス内にはいくつかの「戦争関連遺跡」を見ることができます。

根岸陸橋で小田急線を跨ぐ→

〔41〕神奈川県川崎市多摩区役所

役所最寄駅の「向ヶ丘遊園駅」へ→
駅名になっている遊園地は、残念ながら平成14年に閉園。
それでも「遊園地」を名乗っているのだから、よほど浸透した駅名なんでしょう。変えたら金もかかるし。
ところで、遊園地跡地には先に触れた「藤子・F・不二雄ミュージアム」が建てられております。

↓上の写真は北口ですが、南口はこういう駅舎(YAHOO画像より、いつ頃のものかは不明)

50年近く前に、この駅の自動販売機でせっせと売られていた物がタバコ。なんだ、ちっとも珍しくもないじゃん、と思いきや・・・。
ところがそれを吸うと人を発狂させ殺し合いをし始めるという効力のある赤い結晶体が仕込まれた、とんでもないシロモノ。

↓売っていたのは、有名なこのシーンで右に座っている人(YAHOO画像より)

ただ、ヤツはウルトラセブンによってやっつけられたし、今では自販機も無くなっているから安心安心・・・。
でも、ひょっとしたら危険ドラッグが超進化して、似たようなものが出来てしまうかもしれないからそう呑気な事も言ってられないけど。
因みにこれが撮影されたボロアパートは川崎市川崎区浜町という所らしいです。

またまた歩いて登戸駅へ→
「登戸」という地名を読ませた時に、「のぶと」と読んでしまう人がいればそれは間違いなく千葉市民或いは千葉市出身者。
千葉駅近くにそういう地名がありますし、京成電車にも「西登戸(にしのぶと)」という駅がありますから。
しかも平成の大合併により、難読地名の横綱的存在として有名になった(?)同じ千葉県・匝瑳(そうさ)市にも「登戸(のぶと)」があったりする。
いずれにせよ、「のぼりと」と違う読み方をした人がいても夢々バカにしないでね、特に川崎にお住まいの方!

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124日目 多摩川を遡上する~川崎

2015-07-26 01:14:40 | 南関東
2015年6月13日(土)


四国から帰ってきてからは全く出掛ける気が失せ、仕事もそこそこ忙しかったのもありますが、どこか抜け殻と化しておりました。
でもこのせっかく日の長い時期に勿体無いと、重い腰を上げ、梅雨に入ったばかりのこの日に近所に出掛けました。

↓稲毛駅4時49分発の横須賀行き快速電車に乗り、5時46分にこの日の起点となるJR新川崎駅へ。


広~い新川崎駅横の新鶴見信号場(横浜方向)→

朝っぱらから特にすることもないのだけど、とりあえずは、四国で動物園が気に入ってしまったので、駅西側にある「夢見ヶ崎動物公園」へ。

↓いきなり加瀬山という山を登らないといけません。ああ、しんど。



果たしてどんな動物がいるんでしょうか?→
後で知ったことですが、開園時間は一応9時から。でも開けっぴろげ状態。

ヒマラヤの動物→

シマウマ→
コイツ、暇なのか、いい遊び相手に思われたのか、私が来るや否やいきなり私に向かって威嚇してくる。不届きなやつ。

シカ→

これは一週間前に生まれたばかりのバンビ→

オウム→
「おはよ、おはよ」とだけ馬鹿の一つ覚えように連発。
こちらが「おはよ」と言えば、もちろん「おはよ」のオウム返しとなります。

ちっとも珍しくない草食動物・小動物・鳥しかいないので、正直つまらん動物園でした。

↓新川崎駅の東側、目と鼻の先にあるJR南武線・鹿島田駅前の商店街。


↓雨がパラパラ降ってきて、一向に止む気配がないので、仕方なく324円出してコウモリを買う。

梅雨入りしたとは言え、実はこの日の東京の天気予報は「晴れ」。
なので、それを100%信用して折りたたみすら持ってきていなかったワケなんですが、買ったとたん雨が上がるし・・・。
しかも、以後開くことは数回あった程度で、傘がなくても耐えられる程度の振り。結局はただの厄介な荷物と化しただけでした。捨てるのももったいないし、ホント、アホな私です。

〔40〕神奈川県川崎市幸(さいわい)区役所
今年5月7日にオープンしたばかり、出来立てホヤホヤの庁舎。
人口は16万人。区のHPには、歴史や区名の由来やら細かく載っかっております。

多摩川のほとりに来ました(下流方向)→
首都圏に住んでいる人にはお馴染みの川。対岸は東京都大田区。
源流は山梨県の笠取山で、空港のある羽田で海に注ぐ全長123kmで、上流部は丹波川(たばがわ)、河口付近は六郷川(ろくごうがわ)ともいいます。
最近は水質が向上、しかも川底には藻が多く繁殖しているらしいので、たくさんのアユが戻ってきている一方で、外来魚を放流する心無い輩が多くいて、「タマゾン川」などと揶揄されている有り様。困ったもんです。
釣ったアユですか?もちろん食べられるそうですよ。

↓ただ、私にとっては多摩川とくれば、これしかありません(yahoo画像より)。

昭和49(1974)年、まだその頃は相当小さかった私ですが、台風により堤防が決壊し、テレビに映る、家が飲み込まれていくシーンは強烈な印象として、その数日前に発生した「三菱重工爆破事件」の飛び散ったガラス片で阿鼻叫喚と化した場面と共にまだ脳裏に焼き付いております。
決壊したのは東京都狛江市ですが、今回は行きません。いずれ、その場所は今どうなっているのか訪れてみたいとは思っておりますが。

ほとりにはこんな一角があります→
地元の人には有名みたいです、戸手(とで)4丁目。
どこぞの半島出身の方が不法占拠しているらしい一区画で、実際上から眺めてみても薄気味悪い雰囲気。
入ってみたい気はあるのですが、身の安全の保証はないのでやめときます。

矢向(やこう)駅から乗った電車が平間-向河原間でいきなり停車する。

要点検ということで車掌さんが見て廻る→
乗った電車は立川行きだったのですが、急遽中原駅止まりとなる。比較的列車トラブルに見舞われる事の少ない(と自負している)私にはある意味新鮮な出来事。

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115・116日目 養老渓谷への便乗旅

2015-04-20 00:48:16 | 南関東
2015年3月20日(金)・21日(土)


九州から帰ってきてからはずっと冬篭りをしておりまして、春になっても何だかんだで安定したヒッキー生活を営んでいたところ、仕事での取引のある会社社長より社員旅行の誘いを受けました。
とは言ってもその社長は中学の同級生でありましてね、「お前メンバーに入っているから」と、誘いではなく、実質選択の余地のない連行(拉致?)。
しかも、社員旅行とは聞こえはいいけど、実際には場所を宿に変えただけの飲み会です。

ところがですね、平日の金曜夕方宿に集合?いくらなんでもそれはちょっとムチャクチャすぎますわ、社長・・・(呆れ)。
仕方ないので、なんとか3時で仕事を切り上げ車を飛ばして宿に急行。
他の人たちは先に1時には千葉を出て、私の出発時間の頃には早々と到着予定ですぐ宴会を始めるんだと。
あな恐ろしや。

さて、宴会会場は房総の奥座敷・養老渓谷。

養老渓谷温泉街(千葉県市原市)→
奥に見える赤い橋は観音橋といい、ここのシンボル的な橋。これを渡ってさらに奥に行くと養老山立國寺があります。
そこには石橋山の戦い(今の神奈川県小田原市・治承4(1180)年)で平家方に敗北した源頼朝が命からがら房総半島に落ち延び、その時に捲土重来を期して奉ったと言われる出世観音が鎮座しています。
その効果はてきめんだったようで、続々と頼朝に東国武士が参集して以降、平家滅亡に追い込み、鎌倉に幕府を開いたのはご承知のとおり。

↓この先をちょっと行くと宿



大多喜町(おおたきまち)の滝見苑です。→ホームページ

部屋からの眺め→
ここから滝が見えるらしいんですが・・・。見えませんよ? 

露天風呂付き大浴場→
昭和57(1982)年の改築工事中に地下400mから噴き出たという温泉。
養老温泉のお湯と言えば、黒くてヌメリのある一見タール水な感じなのですが、ここは無色透明の至ってフツーのお湯。

夕餉→
既に皆(私以外)かなり飲み食いしており、あまり食が進まない者もあり。勿体無いのお。
挙句の果てには夜遅くなって腹減ったなどと言い出す始末。
山奥なので近くには気の利いたコンビニなどあろうハズもない。アホやがな

朝です→
みんな○んでおります。いかにすさみきった夜を過ごしたか、お分かりかと。

宿の真下にある「粟又の滝」→
川に降りないと、上からじゃ全く分かりません。こういう仕掛けだったのね!

「道の駅・たけゆらの里おおたき」へ→
隣にいちご狩りのできる農園(高梨いちご農園)があります。

↓じゃあ行ってみよっか!
  
意気込んで食べてもせいぜい20個程度がいいとこ。
ただ、苺に目がない参加メンバーがおりまして、ここのを全部食べ尽くすんじゃないかという勢いで貪り食っておりました。数時間前に朝をしっかり食べていたというのに、別腹だけは超ド級の大きさだったようだ。

いすみ鉄道・大多喜駅へ→

駅前通りのこの先を行くと「城下町通り」に交差します→
大多喜はかつては城下町だったので、その面影を残す古い町並みが今でも見られる、別名「房総の小江戸」。
私は町並み散策したかったのですが、他の人たちは全く興味なさそうなので諦める。
ましてや、徳川家康の側近中の側近、いわゆる徳川四天王の一人・本多忠勝の居城であった大多喜城も行かず。
復元物だから別にいいけど。

駅前にある「天然ガス記念館」→
大多喜は古くから天然ガスの開発が行われてきた地域で、「天然ガス井戸発祥の地」でもあるらしい。
因みに千葉県を中心として南関東は、日本最大の水溶性天然ガス田なんだとか。

↓同じく駅前の「観光センター」
  
大多喜観光はここにお任せあれ。

(483)千葉県夷隅(いすみ)郡大多喜町役場
この建物は、日本建築学会賞・ユネスコアジア太平洋遺産賞を受けた価値あるものらしい(私は素人につきその素晴らしさが全く分からん・・・)。
なぜ古い町並みは見ずにここだけはきっちり見たのかと言うと・・・。
実は同級生は建築士なので役場建物を見たかったらしく、趣味で役場へ行っている私と利害が一致したワケ。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

106日目 バカ殿様の城下町へ再び

2015-01-31 23:32:43 | 南関東
2014年11月15日(土)


このブログでは2回に渡って登場しました、とっても難儀なお仕事。
その処理のためにこれまで行った所が東村山市所沢市で、またしても東村山市へ行くハメとなりました。面倒だな。
そしていよいよこの日が仕事の最後の大ヤマ。

約束の時間は15時なので千葉を13時頃に出ればいいのですが、一気に目的地にたどり着くのも面白くないので、早めの11時半に出て、途中の西武新宿線・田無駅で下車。

駅構内→
ささやかな仏心?が出て、買ってみようかと思ったら、店番は品物補充で留守・・・。
ふっ、店は損したな、と負け惜しみ。

↓本当はもっと早起きして、ここに行きたかったんだけど・・・。

ですが、私は根っからの宵っ張りの朝寝坊である上に、お布団の心地良さに負けました。
弱い心の持ち主です、嗚呼。

(458)東京都西東京市役所
狭っ苦しい駅南口から歩いてすぐ。
旧・田無市と旧・保谷市とが、平成13年に合併して成立。
いわゆる平成の大合併でも比較的早い時期に行われたものだったので、当初は地名についていろいろとマスコミで取り上げられたものでした。
その後、ツッコミどころ満載の地名が未遂も含めてあちこちに大繁殖したので、埋没した感あり。というか、かなり時間が経つとだいぶしっくりくるもんです。
それと田無という地名、文字通り田んぼの無い所。水はけが良すぎる土地柄のよう。相手となった保谷は、かつては「穂屋」「穂谷」と書かれたようだった事から、豊かな土地柄だったみたいで、とても対照的。

駅北口→

まっすぐ伸びる駅前通りを行き、交差する新青梅街道を西へひたすら歩く。
そして田無で、多摩六都科学館の他に名所と言えば・・・。

ほらっ、左にチラリと見えるこれ!→

↓その名のとおり、田無タワー。
   
正式名称、スカイタワー西東京。
東京タワーと同じように、ここも電波塔。高さ195メートルで、結構高く感じますよ!
真っ青な空に映える白い鉄筋構造物、なかなかよろし!
右写真の白い巨大ボールは口惜しい口惜しい多摩六都科学館。
ではでは、登ってみようかな!

ところがどっこい→
たまには(極めて稀のよう)入れる日もあるらしいのですが、もったいないなあ~。

↓さ、気を取り直して5か月ぶりの東村山へ。

前はコンモリしていた「志村けんの木」はバッサリと剪定され、風邪を引きそうなみすぼらしい姿に。
今年から西武線の高架化工事が始まる(もう始まった?)ので、その工事にこの木が差し障りにならないのか分からないけど、多少のトバッチリを受けるかもしれない。

~またしても要件はあっさり終了~
なら良かったのですが、そこそこ時間を要する。
仕事はつい最近めでたく完了し、高報酬をボリ戴きました。

↓無事に終わり、あのお団子屋さんで一人寂しく打ち上げ。

この日は若旦那ではなく、女将さんが焼いておりました。
寂しい上に、寒くなってきました。人恋しくなり電話をする。
私と同じくせっかくの土曜日を潰してまでも、私よりも寂しく頑張って四ツ谷で仕事をしている大学時代の友人を飲みに誘う。
突然の無理難題でも二つ返事で快く応じてくれた友人、いいヤツだぜ・・・(涙)。

東村山から一路、新宿へ。

↓西武新宿駅前



相変わらずの人混み。

「思い出横丁」でカンパイ!→
大きな火事がありましたな。いつだったっけ?
それ以降は来ていないはずなので、ホント久しぶりだなー。
今じゃ「思い出横丁」なんてこじゃれた呼び名がつけられているけど、以前の「しょん○ん横丁」の方が、大衆的庶民的、しみったれた感じでいいけどなあ。
でもそんな名前じゃ女性客を呼び込めないし、仕方ないな。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

102日目 やっちまったよ、八街で

2014-12-14 11:50:04 | 南関東
2014年10月4日(土)


↓この日は秋葉原からスタートになります。なんで?


話しは9月24日(水)に遡ります。

この24日、仕事で近所の八街(やちまた)市に行くことになりまして、ついでにブログのネタとして街の様子を撮影していたのですが、突然デジカメが沈黙してしまい、このメーカーの修理窓口のある秋葉原に持って行き入院させる事態に
それでようやく退院の知らせを受け、10月4日に取りに行った次第でございます。
ところがその八街で請け負った仕事のヘマが発覚し、お客さんに頭下げに再び八街へも行くことに・・・。東に西に大変だ、こりゃ。

現在、工事中の千葉駅→
駅構内が狭くなった上に迷路と化して歩きづらいといったらこの上なし。
完成まで数年かかるようですが、その暁にはホームの上に巨大な駅ビルが乗っかるみたいです。

八街駅にある看板→
そう、ここは落花生の生産日本一。
ということは、土地が痩せているという証しな訳で・・・。
そういう土地だからか?、春先は砂埃がひどく、砂嵐が起こった日には家を完全に密閉したつもりでも床がジャリジャリするという凄まじい所。

↓駅と駅前



人口7万人超えの都市にしてはショボすぎ。少しのデッカいビルすらない。
深刻なのは、駅前のみならず周辺までもが道が狭く、しかもよく整備されていない上に、車の通行量がかなり多く、いつ通っても渋滞している印象。市街地を車で通る時はもう諦め。
加えてインフラ整備も不十分らしく、無秩序に開発されるがままに放置していた(みたいな)ので、そこは無理矢理にでも行政がきちんと都市計画立ててしっかりやらないと、悲惨な状態になるという、いいお見本の町。

↓全くワクワク感のない、駅前から伸びる「栄町商店街」


八街駅前商店街→

↓この商店街にあるアンテナショップ「八街市推奨の店ぼっち」

窓ガラスにあるのはご当地キャラの、ピーちゃん(左)・ナッちゃん。
覗いてみると案の定、落花生とその加工品や野菜程度しか売っていない。
「ぼっち」というからに、商店街にありながら他のお店とは全く交流を断って、一軒だけ我が道を行くスタンスらしい・・・。
そんなワケなく、取れた落花生の株を積み上げて、その上にワラを載せたものといったらいいんでしょうか、それを「ぼっち」といい、こうすることで落花生はさらに甘味が増すらしい。

↓八街駅前商店街ウラの怪しさたっぷりの商店街


↓八街にはこういう住所の表示があります。

「いろはにほへ」がありまして、特に「」というのは悪評みたいです。
お尻から出るアレを想像するからと思われ。
何故か千葉県には、住所に「いろは」を使っている町が多く、他に3都市思い当たります。

↓国道409号線の「通り町商店街」「一番街通り」



こういう地味な感じの町です。

(442)千葉県八街市役所
20年位前なら人口増加率は全国でもトップクラスでしたが、さすがに最近は減りつつある模様。そんな人口急増に都市整備が追いついていくのは土台無理な話しだったのかも知れません。

地名の由来は、千葉県民でもあまり知られていないですが、明治初期に失業した武士のために千葉県に開拓された「東京新田」の一つで、八街は8番目に入植した順番。
1番目は、「初富(はつとみ、鎌ケ谷市)」から始まり、「二和(ふたわ、船橋市)」「三咲(みさき、船橋市)」・・・と続き、最後は13番目の「十余三(とよみ、成田市・多古町))となります。

なんだか八街の悪口ばかりでしたが、実は私にとっては胸キュンの町でもあります。
昔付き合っていた子が住んでいましたからねぇ、ええ、よく通いましたよ・・・。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

101日目 長引く仕事、ミリで進展(3)~狭山

2014-12-12 23:57:09 | 南関東
2014年9月15日(月)


この日は夜に用事がありまして、それまでに千葉に帰らないといけないのですが、せっかく遠いこの地域まで来たので、もう一箇所欲張りました。
とは言っても、観光に時間をかけられなく(つまり、たいして見るようなものがない所)、そして近い所・・・。
失礼ながら狭山市に白羽の矢が立ちました。
ここの入曽(いりそ)という地区に遠縁が住んでいて一度行ったことがあり、少しは縁があるのもありましたし。

↓西武線・狭山市駅



60年前に市制を施行した所がやたら多く、今年行った所では逗子市(神奈川県)なんかはそうでした。昭和28(1953)年施行の町村合併促進法によるところが大きいようで。

綺麗に整備された駅前→

↓駅から南側の踏切近くにある、割とあちこちでよく見られる庚申塚

でも具体的に何を意味するのか深く考えたことはなく・・・。
調べてはみてみましたが、よう分からん。

(441)埼玉県狭山市役所
狭山と言えばお茶で知られる地名ですが、実は東京都中央北部から埼玉県中南部にまたがる丘陵地あたりの地域名。
6町村が合併して市制を敷いた際、早いもん勝ちといった感じで地名も持って行ってしまいました。そのお蔭か?、大阪府にもかつて狭山町という自治体があって、そこが市制を敷いた際に「大阪狭山市」と名乗らざるを得なくなってしまいました(一瞬だけ狭山市となったようではありますが)。
比較的よく耳にする自衛隊入間基地は大部分がこの狭山市にあります。

市街地の方へ。

↓小高い丘を切り開いて作られたという坂道の「中之坂」より市街地を一望?

一望というには低い丘でしたが。

入間川に架かる新富士見橋→

上流の方向→

↓橋の近くにあるイオンの裏あたり伸びる大国通り


↓入間川七夕通り商店街



狭山市の中心っぽい感じの所。でも、廃れ感いっぱい。
まさか、人で大賑わいするのも、商店街名の如く年一回の何らかのイベントの時だけ、なんて事はないよなあ?

ま、面白味に欠ける私の拙いブログですが、さらに輪をかけてつまらない訪問記でこの日は締め括ることにします。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

101日目 長引く仕事、ミリで進展(2)~所沢

2014-12-11 00:34:55 | 南関東
2014年9月15日(月)


早速、所沢航空記念公園に入ってみます→

中に入ると→
広い!との言葉で片付けられないほど、ボール投げたり蹴ったりしようとも、走り回ろうとも、誰にも迷惑かけようがないってくらい、広すぎ
街なかにこんな公園があるなんて、羨まし・・・。
ここについては前回も書きましたが、明治44(1911)年に日本初の飛行場として開設され、戦後は米軍による接収の後返還され、公園として整備されました。

↓所沢航空発祥記念館に入ってみます。





所狭しと並ぶ(ぶら下がっている)たくさんの飛ぶ機械。
ま、中はそんなに広くないけど、展示物が多いのであちこち大変。

これまた公園内にある球場→
高校野球の秋季大会らしく、しばし観戦。

カキ~ン!→

ホームイン!→
若人のテンポ良いパツラツプレーはいつ見ても清々しい。
そして、スタンドで応援しているのは球児の父兄らしきが多く、頭から湯気が立っているかの如く熱くなって大声を張り上げている様がちょっと可笑しかった(失礼)。

↓飛行機新道、ファルマン通り、プロペ通りと、さすが「日本の航空発祥の地・所沢」だけあって、飛行機に関連した名前を付けられた通りを歩くと駅。






↓西武鉄道・所沢駅と駅前



今まで降りたことなかった駅ですが、正直、もっと発展した駅前を想像していたので(同じ埼玉県の大宮駅並みに)、ちと拍子抜け。

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101日目 長引く仕事、ミリで進展(1)~所沢

2014-12-07 23:57:02 | 南関東
2014年9月15日(月)


今年8月26日付けのブログで仕事の用で東村山市へ行ったことを書きました。
それは6月28日の事でしたが、その仕事がまだまだ終わりの見えない状況にあって、今度は埼玉県は所沢市へ行くハメになりました。
行くのはいいんだけど、微妙に遠いんだよなぁ・・・。

↓朝8時に千葉を出て、目的地の西武線西所沢駅には10時過ぎに到着。

ライオンズレプリカユニフォームを着た人達、多数。

言うまでもないことですが、所沢市は埼玉西武ライオンズの本拠地で、西所沢から2つ先が西武球場前駅。

因みにこの日の対戦カード→
結果は9-1で西武の圧勝。西武ファンの方、良かったですね!

西所沢駅前→

自販機もライオンズ仕様→
我が千葉市にも、ある球団が本拠地としていますけど、こんなの見たことないですよ?(球場近くにはひょっとしたらあるかも)
地元球団への愛が足りない千葉市。

この日は敬老の日→
お年寄り同士で老を敬っております。

~ここでの用事も数分であっさり終了~
2時間もかけてきた割に、目的がこの程度のものっていうのも非常に虚しすぎる。でも、しょうがないです・・・。
この案件は、今現在では完了まであと一息のところまでたどり着けていまして、後日、一日だけ東村山に再び出動し、その際一箇所訪問した市がありますのでいずれ登場させる予定ですが、ブログに書き込めるのはいつになることやら。

折角ここまで来たので、そう遠くない所にある航空記念公園に行ってみる事にします。

西武線・航空公園駅構内の売店→
東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵は、映画「となりのトトロ」の風景モデルとなった所で、
「トトロの森」と呼ばれており、トトロの森1号地・トトロの森2号地・・・と割り振られているように何箇所かに分かれているらしい。ただ、所沢にはいくつあるのかは知りませんが。

駅東口→

↓所沢に日本初の飛行場が置かれたんですって。

知らなんだ・・・。

↓なので、駅前には航空機が静態保存されています。

長らく唯一の国産航空機であったYS-11型で、この航空機は平成9年4月13日の大島→東京便で引退と説明板に書いてあります。

↓駅前のケヤキがきれいな通りをまっすぐ行けば、航空記念公園になります。


その途中にあるのが市役所。

(440)埼玉県所沢市役所
人口は34万人あまりの、西武グループの企業城下町。
地名はトコロという植物が多く自生していたことによると、ある本に載っていましたが、Wikipediaにも同じ事が書かれていたわ・・・。

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89日目 梅雨明け目前の信越路へ(1)

2014-08-29 23:59:46 | 南関東
2014年7月18日(金)


いよいよ夏本番を待つばかりの7月下旬の3連休の時期に、長野・新潟県の街巡りをしてまいりました。

ところが普段の行いが悪いせいか、よりによって全国的に広い範囲で所々で局地的な大雨が降るかもという天気予報になっていまして・・・。
でも、それで列車が止まったら止まったで、その時に考えればいいかと極めてお気楽でしたが。

18日は「ムーンライト信州81号」に乗りに行くだけです。

さて、今回購入した切符は「週末パス(\8730)」なので、18日分は別に乗車券を買わないといけません。
昨年の8月上旬にも「信州」に乗りましたが、その時と同様、少々ケチって地下鉄経由で一旦三鷹で降り、切符の効力が発する0時を過ぎてから改札に入って立川から「信州」に乗り継ごうと考えておりました。
去年はあえなくその作戦は失敗し、じゃあ今年は?、といいますと・・・。

中野まで何事なく着いたのは良かったのですが(実は飯田橋あたりでコマモノを広げた人がいて、香ばしいニホイが車内に充満したなんてこともあったけど)、なにやら新宿で客がホームから落っこって中央線の発車を見合わせているという。
おいおい、またかい・・・(怒)。
酔っ払いかスマホ見ながらかわからないけど、人迷惑なことだ・・・。

以後どうなるのか分からないという私の危機回避能力がフル稼働し、やっぱり昨年同様に新宿から乗ることにしました。
ケチな了見を起こすとロクなことないな。
おまけにビールを買いに一旦新宿の駅の外に出たので、かえって電車代が高くついてしまったような気がする。

「信州」はガラガラでした。
やっぱり山間部に行く列車だけあって、大雨の予報で多くの登山者が旅をやめたと思われ。
みんな賢明なお考えを持ってくれたよ!
まだ、18きっぷの利用開始前もあるかも知れないのだけど、でもお蔭様で、私は2席分をマルマル占領できたのでございます(それでも狭すぎる座席)。
よって、横になって爆睡zzz。

↓この後の事を知らず、呑気に構えていた東西線・西船橋駅


皆が困っている中央線中野駅・下り→

5分遅れの23時59分に発車→

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87・88日目 仕事で東村山と横浜へ

2014-08-26 22:54:19 | 南関東
2014年6月28日(土)・7月15日(火)


この両日はたまたま遠方で仕事がありまして、そのついでにちょっぴり街の散策をしました。

まずは、東村山の方から。

同じ首都圏でも、千葉に住んでいる人間にとってはこの地域は全く縁のない所、第一、「東村山で思い浮かべるものは?」と聞かれても、
♪ ひがしむらや~まー にわさ~きゃ たま~こー 「東村山音頭」
といった程度の印象しかない。
そんな場所になぜか縁あって仕事ができたのも意外ですが、東村山をはじめとしたこの地域にがっちりと縄張りを確保している、滅多に使わない(というか使う機会が全くないといった方が正しい)西武線に乗れるからそれもいいかなと。

行きは、稲毛13時34分→(JR総武線)→西船橋→(東京メトロ東西線)→中野→(JR中央線)→国分寺→(西武国分寺線)→東村山というルートで。

東村山駅東口→
右の木は「志村けんの木」というらしいです。彼はまさに東村山出身。

↓駅西口・公益施設市民ステーション「サンパルネ」2階にある「産業・観光案内コーナー」

東村山の名所観光地・旨い所の情報はここでOK。

試合開始早々ハデな殴り合いやってるよ→
さすが、西武鉄道の駅です。沿線のファンへサービスに手抜かりなし。
4回以後は比較的大人しめ(音なし?)になり、結局、西武8-6ソフトバンクで試合は終了。

東村山市公認キャラ「ひがっしー」→
今年生まれたてのホヤホヤキャラ。
でも、千葉県某市の最近引っ張りだこの、あるキャラの名前に似ているな(笑)。

↓用事のある所は駅から北東側にあり、この鎌倉街道を通って行きます。


~仕事終了~(手間ひまかけて来たわりには、用事はあっさり終わる)

↓用事のあった場所近くにダンゴ屋を見つけ、注文。



東村山の大スター様も勿論大絶賛。

ここの若旦那が焼いている間、野球の話しをする。
旦那「ここからは西武ドームまで走っていける距離なのよ」。
野球ファンの私としては、「羨ましい」と思ったわけですが、よ~く考えてみると、我が家から千葉マリンスタジアムまでは同じく走って行けなくもない距離なのだ。最近観戦していないからな、すっかり私からその存在が消えつつあった(苦笑)。

ビールで乾杯→

旦那は焼き上がった後、用事があるからとか言ってさっさと消えてしまった。

ダンゴ屋の近くにあるお店(工場)→
旦那が「アナゴ入り厚焼き玉子が絶品」というので寄ってみましたが、残念ながら、アナゴ入りはなかったので、普通の厚焼き玉子(\600くらいだったか)を買う。
家で食べてみましたが、とっても旨かった!
ついでにいいカモが来たとばかり、メロン(\800)の押し売りにあってしまう(押しに弱い私)。
余計な荷物が増えてしまったけど、重い思いをして持って帰った甲斐あって?こちらも甘くておいしかったから良しとしよう・・・。

雨が降り出し、しかもかなり強い雨脚の中、市役所へ。

(401)東京都東村山市役所

↓東村山駅のお隣り、久米川駅へ。



母屋(東村山駅)よりも離れ(久米川駅)の方が賑わっている感じ。

西武新宿線で高田馬場へ行き、地下鉄東西線を経由して帰ってきました。
実はこの日の仕事は、今日現在も手続き進行中で未だ完了しておらず、また後日、東村山に行くこともあるかもしれません。

お次は横浜市。
と言っても、ミナトの方でなく内陸側なんですが。

↓稲毛駅6時36分→(JR総武・横須賀線)→横浜→(JR京浜東北線)→東神奈川、JR横浜線に乗り換えて十日市場駅へ。


9時の打ち合わせまで時間があるので、それまで駅周辺を散策。

十日市場駅前の通り(奥が駅)→

県道18号線の十日市場交差点→
「無事帰る事を願っている」ようには思えないふてぶてしい格好。

打ち合わせを終え、区役所に今回の件で用事があり誠に都合がよろしい。
なので、お隣りの中山駅へ。

↓駅西口の「中山商店街」と、狭くてゴチャゴチャした駅前。




〔32〕神奈川県横浜市緑区役所

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86日目 中山道散歩(4)~本庄

2014-08-20 23:19:29 | 南関東
2014年6月21日(土)

この日の最後はグッと離れて群馬県との境に近い江戸時代の国学者・塙保己一(はなわほきいち)が出身の本庄(ほんじょう)市。

本庄駅に18時前に到着→

日没も迫っている事もあり、駅周辺をブラブラするだけにします。
まずは駅(北口側)近くの商店街から。

↓「三交通り」にある、一見でっかいキャバレーのような建物。

本庄シネマGIN座。今もやっているんだかやっていないんだか分からない映画館。
HPはあるようですが、長らく更新していないようなので、恐らくそういう事なんでしょう。

西銀座商店会→

銀座通り→
見事にシャッターだけ!

↓「銀座通り」の、地震か何かでこうなったのか、柱が剥がれている格安床屋。


桶川のおもちゃ屋なんて目じゃない?→
こちらは桶川のより20年早い、大正12(1923)年創業。
ただ、閉店時期も先輩である。

わき道にあった料亭っぽい建物→

かつては賑わっていたであろう様子が感じ取れますが、今は昔、しもた屋ばかりが並んでいて廃れっぷりがハンパない・・・。

↓本庄宿があった旧中山道(県道392号線)は、それなりに賑っているだろうと行ってみます。


が、しかし・・・

↓ズタボロの、なすすべのない放置するに任せたお店


元は何ていう屋号だったんだろう?→

中山道「本庄駅入口」交差点にある建物→

車の往来が多いだけでたいして変わりなく、宿場を感じさせるようなものはあまり残っていないようですね。

(400)埼玉県本庄市役所
役所だけは、ご立派。本庄市は人口約8万人あまり。
キリのいい記念すべき400番目。残りは1,341か・・・、まだまだだな。

南口の様子→

↓「本庄七福神巡り」といって、開運のため寺社に祀っている七福神を巡るコースが設定されているので、最初は廻ってみようと思っていました。

でも、こんな町の落ちぶれた様を見ると、実は「貧乏神巡り」なんじゃないかと思ってしまうのであります。

暗くなってきましたし、雨も落ちてきましたので、ここらで終わりにしますが、本庄市には悪いけど、落ちぶれた都市の紹介のブログとなってしまいました。
でも、そこは逆にレトロ好き、或いは廃墟好きなどの、そっち系の人が喜びそうなお宝がいっぱいあるような気がします。
もっと多く時間をかければ多くの驚きが発見できそうな、実は奥の深い町かも知れませんね。

こちらは煌びやかな上野駅前→
ヨドバシカメラに用事があったので・・・。

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86日目 中山道散歩(3)~桶川・北本

2014-08-19 00:49:40 | 南関東
2014年6月21日(土)


桶川駅東口側を少し歩いた所に旧中山道があります。
かつては宿場で、その名残りである建物などが点在しています。

桶川駅前の商店街→

昔はよく見たようなおもちゃ屋→
最初屋号を見たときには、ゲートボール用品とかボケ防止用品などを売っているのかな?と思ったのですが。
自分もそういう事を考える年代になり、どんどん童心っぽいものがなくなっているのかとちょっとショック・・・。
それはそうと昭和20年創業とあるので、頑張って欲しいものです。

↓中山道宿場館とその中



桶川宿観光の拠点っぽい施設。
この日は、折りしも「べに花まつり」というのが開催されているのですが、場所を聞いてみると、歩くにはちょっとしんどい所・・・。
桶川は紅花の産地で、小さくポスターに写っているキャラクター(「つ」の字の下あたり)は「オケちゃん」という、市名の一部を使っただけの何の変哲のない平凡なもの。

↓この付近に残っている建物の一部紹介
←蔵造りの商家

←昔の旅籠

↓年寄りくさいけど休息中に大福(やっぱり年をとった証拠か・・・苦笑)

甘そうなイメージの画面。
これは駅前商店街のあるお店で買った「塩大福(塩あんびん餅)」と呼ばれるもので、「秘密のケンミンSHOW」という番組でも紹介されたという。
お店の前にそのポスターが貼られていて、それを見たとたんなぜか分からないけど妙に気になって思わず買ってしまったのだ。
さて、お味はというと。
これを売っていた和菓子屋さんには申し訳ないけど、今まで食べたものでもトップクラスの・・・。
てっきり餡は甘辛いものだと思っていましたが、塩味だけの餡。
しかもこういうのに限って2つも買ってしまっていたりする。
捨てる訳にも行かないので、涙ながらにお茶で流し込みましたよ。
本来は砂糖を付けながら食べるんだそうで・・・。

中山道を高崎方向にしばらく歩いてから左に折れ、高崎線を跨ぐと役所。

(398)埼玉県桶川市役所
人口は約7万5千人の市。

駅に戻る途中にて→
塀にアゴを載せ、隙間からひたすら歩行者を観察?していた犬。
暇そうに見えたので、ちょっとばかり相手する。
シャイな感じな、でも人懐っこいワンコでした。

次はお隣、北本駅へ→

↓北本駅西口の通りは「彫刻の道」と呼ばれているようで、こういった彫刻が並んでいます

奥に見えるは「北本市観光協会」。
まだ17時前ですがもう閉店しており、そもそも土曜日はやっていないのか分からないけど、今一つやる気が感じられない印象(あくまでも個人的な感想です)。こんな場所よりも駅に置いた方がいいような。

(399)埼玉県北本市役所
新庁舎建設中なので、見た目のとおり仮でここで業務をやっていますよ~とった佇まい。
写真右側に来年3月に完成する予定のよう。

役所の前には文化センター→
何かの催しがあったのか、やたら人が来ていました。

駅の東口側には中山道が通っています→
この北本駅前交差点から大宮方向を写していますが、ここを少し行くと元々は本鴻巣村と呼ばれていた本宿という場所があり、中山道が整備される以前は宿場だったらしいです。
それが今の鴻巣市に移転してしまい、鴻巣宿として栄えたとの事です。

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86日目 中山道散歩(2)~さいたま

2014-08-15 23:59:00 | 南関東
2014年6月21日(土)


↓10時半すぎ、さいたま市桜区・中浦和駅に来ました。

東海道新幹線とは違って、いろいろな列車が走っているので、見ていて飽きません。

中浦和駅→
駅名で「東浦和」という感じで「東西南北」が揃っているのが唯一浦和だけなので、古くから言われていることですが、いわば麻雀の聖地的?場所。
おまけに「中」といった牌まで出現したので、いっそのこと「武蔵浦和」「浦和美園」も「白浦和」「發浦和」にしてしまえばいいのにと思うのは、私のような麻雀大好きな輩だけ?
それはともかく、個性的な名前ではなく東西南北などで固めてしまう浦和って、そんなに地名がない町なのかね?と思ってしまう訳です。

↓鴻沼川(こうぬまがわ)に沿って荒川の方へ伸びる「秋ヶ瀬緑道」

駅からの約2キロを歩いてみます。ジョギングしている人、多し。

↓20分程かけてようやく辿り着いたわりに、誠にそっけないゴール地点


↓そこから程近い所の、荒川の左岸側を流れる鴨川の土手より南西方向

横の道路は県道40号線、奥に見える「秋ヶ瀬橋」を渡ると志木市に入ります。

このまま土手を歩けば桜区役所があり、一つの任務完了となるのですが、なぜか血迷ってわざわざ大回りして荒川の堤防沿いまで歩いて役所に行こうと考えてしまう。
その結果、無駄に蓄えてしまった疲労、距離にしておよそ2キロ分・・・。

↓秋ヶ瀬公園
←ヘリポート


左には荒川の土手、右側は野鳥の保護地域となっています。

↓荒川の河川敷にあるこの公園、スポーツ施設が多くあり、バーベキューも楽しめます。

一人でしょんぼり歩いている私は誰から見ても間違いなく場違い。

鴨川の堤防より(左の方向に荒川)→

〔30〕埼玉県さいたま市桜区役所
この桜区、個人的にはあまりいい思い出はないです。
というのも、現役時代に受験し敢えなく撃沈した埼玉大学があるから(笑)。
遊んでばかりで全く勉強をしていなかったからさもありなんなのですけど・・・。

バスで再び中浦和駅に戻り、その2つ目の与野本町駅に降りたのは13時15分頃。

与野本町駅→

〔31〕埼玉県さいたま市中央区役所
さいたま市が合併で成立する以前、かつては与野市があり、さいたま市が政令指定都市となると、旧与野市のほぼ全域がこの中央区となり、「与野」の名前は自治体名から消滅してしまいました。
他のさいたま市の構成員である旧浦和・大宮・岩槻各市は区名で残っているというのに。
かわいそうな与野・・・。おまけに中央区なのに、市役所がないし。

区役所から「さいたま新都心」まではたいして遠くないので歩いて行きます。
与野本町駅のお隣り、北与野駅からそこまでデッキでつながっています。

↓新幹線・埼京線の高架線と「さいたまスーパーアリーナ」(大宮方向)

例によって何かのイベントがある模様。

けやき広場にて→
ご熱心にも女性だらけのファンがグッズを買う為に行列を作っています。
相当に長いこの行列、特に後ろの方に並んでいる人達はお目当ての物が売り切れないか気が気でないのでは?
と思いきや、女性は全く気にした様子は微塵も感じさせず、友達との会話で盛り上がっている感じ。
こういうのを気にするのは案外男が多いのかも知れない。
さて、何のファンかな?と、周りの人達の着ている服を見ると、どうやらエグザイルとかいう団体らしい。

さいたま新都心駅→
この向こう側には県道164号線が通っているのですが、それは昔の中山道。

↓偶然にも、乗った高崎行き電車は珍しい「人と荷物」の輸送兼用列車。

最後尾のこの車両の半分は客は入れません。
なので、人が入れる箇所は人でギューギュー詰め。変な車に乗ってしまったな・・・。

桶川駅にて→
腰に来そうな作業を各駅でする訳です。

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86日目 中山道を歩く(1)~川口・蕨・戸田

2014-08-13 23:33:47 | 南関東
2014年6月21日(土)


今まで江戸時代に整備された街道で散歩したのは東海道が多かったので、たまには違う街道にも触れてみようと、今回は中山道を選んでみました。

5時10分発の稲毛駅快速電車に乗り、東京駅で京浜東北線北行きに乗り換え、埼玉県に入って最初の川口駅で下車。

改札口を出ると、鳩がお出迎え→

東口→

この「川口本町大通」を歩いて荒川の方へ→

川口神社境内にて→
旅の「安全祈願」のため、最初に見た神社にお参りするのが、我が旅の慣行なのです。
この牛の頭を撫でると頭が良くなりそうな気がして(今更頭が良くなってもしょうがないけど)、一所懸命撫でていると、怪訝な顔して参拝に来た人達が私を見る。

町の音楽隊、威風堂々と!→
奏でる音が聞こえてきそうな。

荒川の土手から北方向に伸びる「本一通り」→
これは中山道ではありませんが、日光街道の脇街道である「日光御成街道」で、このあたりは宿場であったようです。

ちょっと路地を覗くと→
下町っぽい懐かしい感じの電柱。因みにこの近くに大砲が飾ってあったりもします。

(395)埼玉県川口市役所
人口は約59万人。かつては長らく埼玉県一の人口を有した都市でしたが、やがて浦和市に抜かれ、その浦和市は巨大な「さいたま市」となって、半永久的に?自力で首位を奪い返すのは不可能になったと思われる。

樹モール→
人通りが多く、とても賑わいのある歩行者自転車専用道。
しかもフラっと入ったお店で売られていたおにぎりがナント一個64円!(もちろん買いました)、お弁当は200円台と安い安い。
いいなぁ、こういう商店街は。これまで寂れた商店街を各地で見てきましたが、人を呼び込むためには、やっぱり歩行者専用道路を核に整備しないとダメでしょうね。

川口駅から二つ目の蕨(わらび)駅へ。

駅前→

蕨中央商店街→
おしゃれな街灯。

和良備神社横にある「蕨城址公園」→
中世年間に存在していたというお城

(396)埼玉県蕨市役所
この市で特筆すべきは、日本で一番ちっぽけな市でありながら、人口密度も日本一の市であるという事か。
また、成人の日の発祥地でもあるといいます。

市役所の近くには旧中山道が通っていますので、散策してみましょう。

↓北方向に歩きます。



蕨は日本橋を出てから2番目の宿場(1番目は板橋)。

街道はずれにある「跳ね橋」→
防火などの対策の為に家の前が水路が張り巡らされていた為、家に出入りできるように設けた上げ下げできる可動橋。でも今じゃ橋の必要性はないのだけど、歴史的遺産の為に保存?している模様。

↓南に歩を進め、ここで現在の国道17号線に合流します(右の道路が旧中山道)。


国道をはずれて、住宅街へ→
地図を見ると、この斜めっている部分が蕨市と戸田市の境界のようです。難なく市境越え。

(397)埼玉県戸田市役所
戸田と言えば、真っ先に浮かぶのは「ボート」。
私は競艇はやったことがなく、この日は開催日だったので、ビギナーズラックを当てにして旅の軍資金稼ぎに行くのも悪くなかったんですけど・・・。
ちなみに川口にもオートレース場があるのですが、この時は開催していなかったように思う。

市役所前の「後谷(うしろや)公園」→
市民の憩いの場のよう。

再び国道17号線へ。

急に左に曲がっていく道が旧中山道→
さらに南へ行けば、荒川を渡る「戸田の渡し」があります。
江戸防衛のために橋を架けず、舟で渡るようにしていたといいます。

埼京線・戸田公園駅にて→
目の前をチンタラ走る新幹線を眺めながらちょっと休憩・・・。

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