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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

151日目 日本列島のド真ん中に立つ

2016-05-25 23:59:35 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


今日5月25日は平成になって10,000日目なんだとか。
もうそんなに経ったのかあ、道理で歳取ったワケだ(苦笑)
昭和最後の日・平成最初の日は何をしたのか覚えているけど、10,000日目はこれといって記憶に残るような事はなかったな・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓ガマの大合唱がBGMの「道の駅北はりまエコミュージアム(西脇市)」を7時頃発ちます。

夜は時折風雨が激しかったものの、何事もなかったような晴れの爽やかな朝。

まず先に加東市に向かったのですが、また西脇市に舞い戻ってきたので、本編では西脇市の事について触れます。
最初に訪れたのは「日本へそ公園」→
看板には、北・宗谷海峡の北緯46度、南・波照間島の北緯24度、東・択捉島で東経147度、西・与那国島で東経123度をそれぞれ東西南北の端とすると、その中心にあたる北緯35度と東経135度が交差する場所、つまり「日本のへそ」にあるのが西脇市だとの説明がある。

敢えてツッコミを入れるなら、日本の北端は択捉島(北緯45度)だし、東は南鳥島(東経153度)、南はドコゾの国が岩だと難癖つける(というか、客観的に見ても岩にしか見えないんだけど)沖ノ鳥島(北緯20度)なので、それに基づけば、本当の「日本のへそ」は遠州灘の遥か南洋上。
寧ろそんな事よりも、東と南の端が東京都というのが驚きかも。

さて、「日本のへそ」を標榜する都市は西脇市以外にもあります。
他には人口の重心で考える場合もあって、その場合は岐阜県関市辺りらしいです。

↓ここは大正12(1923)年に旧陸軍によって計測された北緯35度と東経135度の交点。

いわゆる「大正のへそ」ですが、加古川の河川敷にあって、鬱蒼とした中、埋もれて忘れ去られた感ある石碑。
碑は道路橋(その名も経度橋という)の袂下にあります。
その橋に上がってみる(上流側)→
奥は黒田庄といい、あの軍師の出身地とされる場所。

JR加古川線・日本へそ公園駅→
つまり日本のド真ん中にある駅で、後ろの丘が公園。
駅前の建物は今もご健在という西脇市出身の世界的な画家・横尾忠則氏の作品を展示保存している岡之山美術館。
でも美術に全く興味ないのでパス。

↓国土地理院がGPSで測量した「平成のへそ」。
 
こちらは大正のとは違って、目立つように4本のモニュメントが立ってます。
あたかもこっちが正しいものと言わんばかり。
せっかくなんで、記念に交点にシッコでもひっかけてやろうと思ったけど(ウソです。良い子はそんな事しないように)。

「平成のへそ」からの眺め→

↓にしわき経緯度地球科学館(テラ・ドーム)、入場料は\510(JAF会員は\410)。

プラネタリウムがあり、気象・自然現象などを学べます。
が、外見が子供向けだし、実際入ってみたらやっぱり子供向け。
多くの子供の中に大人がポツンと見物している様は何となく恥ずかしい。なのでさっさと出てしまう。

(586)兵庫県西脇市役所
西脇は市内を流れる加古川支流の杉原川(写っていないけど写真左に流れています)の水質の良さを背景として播州織が発展したので、比較的第2次産業従事者の比率の高い町。
平成17年に黒田庄町を合併し、現在の人口は約42,000人。

後は市内を軽く散策。
↓古い建物が佇む街並み。




ギザギザ屋根が特徴の織物工場→

仕舞屋となったらしき料亭→

横尾忠則氏「Y字路」の原点・椿坂→
「原点」の意味がその時には分からなかったけど、横尾氏のライフワークとしてY字路の風景を描いているようで、そのシリーズの最初に登場する場所がここらしい。

豊川町交差点→

ここの商店街も苦戦しているよう→

↓交差点近くの国登録有形文化財「旧来住家(きゅうきしけ)住宅」。

大正時代に地元名士によって建てられ、犬養首相らのお偉い方が泊まったことのある邸宅で、米価比較で現在の価格で2億4千万円を費やしたという。

頃はちょうどお昼。
そこで、ご当地グルメ「播州ラーメン」を味わいに、その元祖とされる「西脇大橋ラーメン」へ。
するとどうだ・・・→
諦めようかと思ったけど折角来たのだし、私にしては珍しく食い意地が勝つ(食べ物屋で並ぶ事は滅多にない)。

小一時間後、ようやく・・・→
見た目醤油ラーメン、ですが一番の特徴は甘い感じの汁。そしてこれが実に旨い!
さすが長蛇の列ができるだけあるわ。西脇に行ったなら是非ご賞味あれ!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

150日目 ドでかい算盤と寺院と地球儀

2016-05-23 00:51:54 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


「おの恋ホルモン焼きそば」でちょっぴり充電(寧ろ放電したかも)して、約5万人が暮らす小野市の中心部へ。

(583)兵庫県小野市役所
好古館(こうこかん)という歴史博物館が市街地にあるのですが、そこがかつての陣屋。つまり小野は陣屋町って事。

↓役所駐車場にある、西暦9億9,999万9,999年まで使えるオブジェ。


小学生の時、とってもイヤだったそろばんの授業。それも「1+5」とか「4-2」とかしかできないお粗末ぶり。電卓が当たり前の時代に生まれたヨカッター!

調べてみたら小野市だけで年間7万丁も作っているらしく、それは全国生産の70%を占めて日本一。
でも寧ろ、昨今のデジタル時代にそれだけの需要があるのにびっくりぽんだわ。
他に有名なものとして「雲州そろばん(島根)」があります。

↓予想はしていたけど、やっぱり存在した特産を拝借した食べ物。

現物を見ずとも形は容易に想像できるし。

役所そばの池「大池」→

↓神戸電鉄粟生(あお)線の小野駅へ行ってみる。
 
立ち込めだした黒い雨雲も相俟って、寒々しい印象が否でも増す駅前。
三木市もそうでしたが、この地域は神戸にそこそこ近いので、来る前は大都市近郊としての賑わいのある所だと思ってました。
何でも粟生線は赤字を垂れ流し続け、存続の危うい路線らしい。電車でなく車でやって来た事に少し罪悪感。

↓駅近くの商店街。
 
気の毒すぎるくらい大苦戦しているよう。
左の建物の看板は上書きされすぎだけど、それがかえって歴史を感じさせるというか、味なものに化けている。
このお店にあるとおり、小野のもう一つの特産として草刈り鎌を主とした家庭用刃物があったりします。

↓どこの廃れた商店街でも、どういう訳だか繁盛していそうで綺麗な店構えをした和菓子屋さんが一軒や二軒あったりする。


↓心配した雨が降り出した中、国史跡・広渡廃寺(こうどはいじ)跡歴史公園へ。

7世紀末頃に建立された寺院。基礎が残っているだけの広っぱで特に面白い所ではない。

実はこれが見たかったのだ→
縮尺20分の1の伽藍模型を見て、気の遠くなるような遥か昔の姿を想像してみる。
ところで「日本一の模型」とパンフレットにはあったけど、どういう点が日本一なのか全くの不明。

↓県道23号線で加西(かさい)市に向かうも、途中で迂回を余儀なくされる。

ここにあった加古川に架かる粟田橋は、3年前9月の台風18号で川底が洗われてしまって沈下してしまったようです。

(584)兵庫県加西市役所
人口は約45,000人。昭和42(1967)年に北条・加西・泉の3町が合併して市制。

市役所のある旧北条町の中心部を歩いてこの日の街巡りは終わりにします。
丸山総合公園の世界一地球儀時計→
直径5mで、重さ14tであるという。

これはオブジェではありません→
北条鉄道の北条町駅。

北条地区は姫路・丹波・但馬・京などの街道が集中する宿場町で、今でも多くの寺院や昔の街並みが残っています。

五百羅漢→
北榮山(ほくえいざん) 羅漢寺にある450体の石仏。
それぞれには異なる表情の顔が彫られているけど、これだけいっぱい並んでいるとかえって気味が悪い。

↓江戸初期築の多宝塔がある酒見(さがみ)寺。


↓虫籠窓、卯建、格子戸などが見られる横尾街道(旧丹波街道)。




さて、疲れを癒しに行くか! それなら温泉が一番。
↓という訳で、西脇市の「官兵衛(かんぺ)の湯」へ。


そして同じ西脇市の「道の駅北はりまエコミュージアム」で車中泊。
この日の走行距離161km、千葉を出てから704km。

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150日目 両兵衛ゆかりの地・三木市を歩く

2016-05-20 23:59:49 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


稲美町(いなみちょう)の後は、5市1町からなるいわゆる北播磨と呼ばれる地域を潰していきます。

ところで、最近は復権著しい大相撲に「きたはりま(一部漢字表記ができないので、平仮名にしておきます)」という力士がおり、彼はてっきり北播磨出身かと思いきや、兵庫は兵庫でも西播磨と呼ばれる地域の出身。名に偽りあり。

それはさておき、訪問地のトップバッターは三木市。
トイレ休憩に寄った「道の駅みき」→
連休中につき、いろいろな催しが行われているせいでかなりの激混み、止める場所探しの車がウロウロしている(私は入ったら幸運にも一区画ポッカリ空いていた)。
人もウジャウジャで、あたかも味噌も糞も一緒状態。

(582)兵庫県三木市役所
神戸のベッドタウンで人口は約8万人。
一方で、観光案内所で奪ってきたパンフレットによると、「日本標準時東経135度線の通る町・名所旧跡が多く古い歴史文化の薫る町・色々な特産品がある町・多彩なレジャー施設がいっぱいある町」とまあ、要約すればこういう様々な顔がある都市で、目標は大きく「日本一美しいまち」。

ここから徒歩で町を歩きます。
三木市立金物資料館・金物神社→
市役所もそうですが、ここはかつての三木城内に建つ施設。
金物で有名な町と言えば、燕市・三条市(新潟)がありますが、三木市も同じで、毎年11月には「金物まつり」という町をあげてのイベントが開催されます。
金物が何故三木市の伝統産業になったのかは後程。

三木城本丸跡→
織田信長の家臣であった城主・別所長治は天正6(1578)年に毛利側に翻意したので羽柴秀吉に攻められ、約2年にわたり大軍に包囲され干乾しにされてしまう。
俗に言う「三木の干殺し」で、「鳥取の渇(かつ)え殺し」と共に秀吉の代名詞的兵糧攻め。
終いには土塀の藁をも食べていたほどの飢餓状態となったので、長治は城兵・領民の助命と引き換えに一族とともに自刃する。

その長治さん→

因みにこの合戦は、竹中半兵衛と黒田官兵衛の軍師二兵衛が顔をそろえた唯一の戦さであったのですが、半兵衛は合戦中途で死亡(三木市に半兵衛のお墓もあります)、官兵衛は荒木村重に囚われの身となる(2年前の「大河ドラマ」を見ていた人のための復習です)。

戦さでボロボロとなった三木のため、秀吉は復興策として免税をした事で町には大工職人や鍛冶屋が集まり、以来、金物産業が栄えたのだという。

知名度は決して高いとは言えず、城跡もちっぽけですが、いざ来てみると戦国時代のロマンをふんだんに感じ取れてやまないお城でございました。

お城から眺めた市街地→ 
川は美嚢(みのう)川。

神戸電鉄・三木上の丸駅(東側)→
三木城の最寄駅。

↓半兵衛が病気療養のため通ったとされる「湯の山街道」を散策。



昔ながらの街並みが見られるこの街道は、有馬温泉に通じているのでこう呼ばれ、合戦中には秀吉は湯を運んでこさせ負傷兵の療養をさせたりしたのだという。

↓三木上の丸駅・西側の高架線をくぐると「ナメラ商店街」に。

「ナメラ」とカタカナで表記されているので何語で、どういう意味だろ?と思ったのですが、かつては「滑原(ナメラ)町」という地名(今は本町2丁目)だったのだと。

↓連休中だからなのか分からんけど、見事なシャッター商店街と化しております。

商店街が兵糧攻めを食らっているかの如く。

旧玉置家住宅(国登録有形文化財)→
文政9(1826)年築の切手会所(いわゆる銀行)で、その頃の三木は何の因果か、今の群馬県の館林藩の領地であって、藩財政の立て直しを目的に建てられたらしい。
秀吉に散々な目にあったけど、その頃には税を吸い上げられる程に豊かな所になっていたと思われ。

ひめぢ道→
ここも古い建物多し。

↓三木鉄道記念公園





平成20年まで走っていた三木鉄道・三木駅で、駅舎は当時の場所から15m移築されているという。
三木市訪問の事前の下調べで「こんな鉄道が最近まであったのか!」とようやく知った程の、私にとっては存在感の薄かった三木鉄道。

次はお隣り小野市へ突撃!
神戸電鉄・樫山駅→

↓駅に隣接するレストラン「ゆうゆうの里」で、ご当地グルメ「おの恋ホルモン焼きそば(\600)」を戴く。

こんなメニューを注文したのだから当たり前なんだけど、よりによって私が非常に不得意な玉ネギがたっぷりでホトホト参りました。俺ってバカすぎだわ・・・。

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150日目 田舎の神戸と稲美のまつりと

2016-05-15 15:51:32 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


淡河(おうご)PAで寝て(というよりほとんど仮眠)、5時前に起床。
この日は朝からやたら風が強く、おまけに午後から雨が降るという。
旅に出ると毎度訪れる試練。いい加減にしてくれ。

↓6時頃PAを出て、布施畑(ふせはた)ICで長かった高速道路とのお付き合いを解消し、近くの神戸総合運動公園(神戸市須磨区)に何となく行ってみる。

初めて目にするオリックス・バファローズ準本拠地・生の「ほっともっとフィールド神戸」。
でも、「グリーンスタジアム神戸」のイメージが抜け切れません、私が古い人間だからか・・・(苦笑)。
それにしても、プロ球団の球場の場所にしては辺鄙すぎ。

手持ちの地図を見ると、私の立っている所は須磨区と西区の境界で、地下には山陽新幹線が通っております。

次に、これまた割と近い所の神戸市唯一の国宝を抱える太山寺(たいさんじ)というお寺さんへ。
参道→

本堂が国宝→
弘安8(1285)年に焼失後、1300年頃に再建されたと、案内板に書かれておりました。

江戸時代初期に建立された三重塔→

神戸のイメージを覆す大自然、鶯の鳴き声以外は一切何も聞こえない静寂。心洗われるなあ。
秋には秋ならではの風景となって、それもきっと美しいんでしょう。
温泉がそばにあるので、ブラブラした後に湯に浸かるのもまた一興。

グリコピア神戸
お菓子や食文化について楽しく学んでいただける施設。
但し対象は「お子さま」なので、私はお呼びでなし。

↓ずっとこんな田んぼだらけの中ばかりを走っております。

一応、神戸なんだけど・・・。

〔46〕兵庫県神戸市西区役所
昭和57(1982)年、垂水(たるみ)区から分区。
区役所のある場所は、第二神明道路の玉津ICの真ん前なのですが駅はありません。
鉄道が走っている明石市にとても近く、そこまで行くバスが多いようです。
ところで、「六甲のおいしい水」の取水地があまり六甲のイメージが沸かないここ西区であると、以前のラベルに書いてあったけど、今はどうなっているんだろ?

↓再び田園風景の広がる中を走って、お隣・稲美町(いなみちょう)へ。

左の池は溜め池。
稲美町に限った話しではありませんが、東播磨・北播磨と呼ばれる地域には360度見廻すと、必ず溜め池を目にするくらいの、あたかも「溜め池銀座」の様相。
実は兵庫県の溜め池数約4万はダントツで日本一、ただその半分以上は淡路島にあるようですが。
ま、それだけ干からびた地域であるのが分かる一方、先人達の知恵と苦労が偲ばれます。

↓播州葡萄園跡という国の史跡があるというので行ってみる。そしてガッカリ。
  
広っぱの中、ポツンと看板があるだけ。しかも、元からこうなのか錆てこうなってしまったのか分からないけど、とても読みにくい。

明治13(1880)年に国の殖産興業政策の一環として開設された国営ワイナリー。
ところが、虫・台風などの被害により頓挫、民間に払い下げられた後、1896年(明治29年)には廃園状態となり跡形もなく消え去ってしまう。
近年になって遺構が見つかったので、発掘調査が行われたという。
それにしても国史跡なのにこの冷たい扱われ方

↓強風の中、体勢を崩しながらも踏ん張ってひたすら国史跡を汚す(?)黒ワン。


葡萄が植えられております→
葡萄園を復活させるつもりの公園らしき。

(581)兵庫県加古郡稲美町役場
昭和30(1955)年に3つの村が合併して誕生、現在3万人余りが住む町。
古来、この地域が「稲日野(イナビ野)」「印南野(イナミ野)」と呼ばれていた事に因んでの命名。

ところで、何かのイベントがあるらしく、その目的らしき車で道は溢れて進みが悪くなっている。
役場にいたガードマンに聞いてみると、稲美中央公園で「稲美ふれあいまつり」というのがこの日の10時から15時まで開催されるという。

ちょっとだけ御呼ばれになってみよう!→
「地域の連帯と活力あるまちづくりを推進するため、住民、町内の各種団体、企業が一丸となり、ふれあいの場をつくる」のがお祭りの目的。よそ者の私に参加資格ないじゃんという声が聞こえてきそうですが。

↓屋外イベント会場にて。風が強いので、時折砂埃が舞います。


↓そんな悪天候でも食欲は萎えません。朝食をロクにとっていないので・・・。
 
姫路駅名物「えきそば」と姫路のご当地グルメ「姫路おでん」。
と言いたいけど、生姜醤油がないので普通の「おでん」か・・・。

↓こういうイベントでは必ずお目見え、ゆるキャラ。
 
稲美町特産品である米がモチーフの「いなっち」(左)に、自衛隊兵庫地方協力本部「ひょうちん」。
「ひょうちん」は迷彩服を着ているのは当たり前と思いきや、中に入っているのが背の高い人の時だけに羽織るようです。
着ぐるみの間から足が出てしまうので、それを隠すためなんだとか。

↓しきりにスカートの裾を気にしていた司会のお姉さん。


米が特産の稲美町ですが、麦畑もよく目にします。
風に揺れる麦穂がまたいい→
黄金色に染まりし麦秋を迎えるまであと僅かでございます。

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95日目 台風11号接近中の関西(3)~大阪

2014-10-18 23:53:37 | 近畿(大阪・兵庫)
2014年8月9日(土)


↓JR大阪環状線の弁天町駅から2つ隣の福島区・野田駅へ。


まずは駅周辺を歩いてみます。
大阪の都心にありながら、レトロな雰囲気がちらほら感じられるところ。

土留めのようなレンガの壁→

奥の家なんかは立派な塀で囲まれている→
かなりのお金持ちのお屋敷のカホリ。

明治時代に建てられた長屋らしいです→
大阪でも珍しく、空襲でも焼けずに済んだといいます。
手前から2軒目にある赤い電球は産院を示すとの事。

ついでに廃れ感たっぷりのレトロな?看板→

〔34〕大阪府大阪市福島区役所

区役所から少し歩いて大開公園→
「道」とある石碑は、経営の神様との異名を持つあのお方、「松下幸之助創業の地記念碑」。

公園から100メートル余り離れた学校裏にある案内板→
この反対側で、松下氏は借家の地下を工場に改造して、パナソニックの前身である松下電気器具製作所を設立しました。今では普通の一軒家がそこにあります。

野田阪神本通商店街→

花火大会、やるのかなぁ?→
まさにこの当日だった訳ですが・・・。結局、翌日の順延日も含めて中止
開催を当てにしていたコンビニの悲惨な様子があるブログに載っていました。お気の毒なんだけど、つい笑ってしまう・・・。

↓海老江駅からJR東西線で御幣島(みてじま)駅へ。

御幣島とは、昔、淀川などによって運ばれた土砂が堆積して形成された「難波八十島(なにわのやそじま)」の一つ。この島の由来は、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島南部を征伐から帰ってきた際に、この地で住吉神を祀り、その時に御幣(お供え物)を献上したからといいます。

駅出口のコンビニで一休み→
おにぎりもタイガース仕様(日本シリーズ出場決定、よかったね!)。
関東では焼き海苔がほとんどなので、味付け海苔が大いに使われている関西のおにぎりが羨ましい。

〔35〕大阪府大阪市西淀川区役所

大野川緑陰道路→
その名のとおり、大野川が流れていたらしいですが、汚染により昭和47(1972)年に埋められてしまったといいます。
ここを進むと江崎記念館に行けます。そう、あのグリコの創業者の記念館。ただ予約をしないと見学できず・・・。おまけにとうとう雨も降り出してきてしまいました。

実は、傘を鶴橋駅のソバ屋で置き忘れてしまっているので、このままウロウロするのはイヤすぎる。
なんとも中途半端な最終日になってしまいましたが、再び鶴橋駅に行き傘を取り戻してから東京に帰ることにします。

17時半頃、新大阪駅にやって来ました→

四国はかなり台風の影響を受けているよう→
帰省する人もいるだろうし、これは痛すぎる。

↓汗まみれになった顔を洗ったり服を着替えたり(ちょっとしたエチケットとしてね)、新幹線で飲み食いするものをあれやこれや選んだり、お土産物を買ったりしてから、18時半発の「のぞみ138号」に。

プワ~~ン♪

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95日目 台風11号接近中の関西(2)~大阪

2014-10-17 23:49:02 | 近畿(大阪・兵庫)
2014年8月9日(土)


前編の終わりでJR関西線・郡山駅でさも困った事態に陥ったように書きましたが、実はそれほど深刻ではありません。なぜなら近鉄線への振替輸送が始まっているからです。

大雨の中、近鉄郡山駅まで歩くのはしんどいなあと思いつつ、かと言っていつ電車が動くのか全く見当がつかないので、JRに見切りを付ける事にしました。
なので、予定していた王寺町・三郷町(さんごうちょう)・八尾市訪問は敢え無く露と消える。

駅改札→
困った人多数(含む私)。

振替輸送の案内→
考えてみると、振替輸送は初めての経験でした。
でも、台風が来たかのような雨風なので、外に出るのも勇気がいるんだよな~。

踏切でも困った事態に→
遮断機が降りたままなので、渡れない車で溢れ返っている。
開けてあげればいいのに・・・。緊急車両でも来たらどうするんだろ?

しばらく駅の出口で雨宿りしていましたが、一向に雨脚は衰えそうにないので、諦めて駅前の道を歩きだしたところ、プワ~~ンという高らかな音。

ああ゛っ、やられたっ!→
でも、再びどこかの駅で立ち往生する可能性は高く、そうなった場合で、近くに別の私鉄(近鉄しかないのですが)がないようなところだったら、いやいやもっと最悪の場合、駅ではない所でも止まるかもしれないので、やっぱりここで近鉄に乗り換えて正解(だと思いたい)。

しかし、ほんの8か月半前に訪れた町を再び歩くハメになるとは思いもよらなかった!
因みにその時の事は、コチラから
でも、土地勘はまだ鮮明に残っているので、お蔭でうろたえる事なく近鉄の駅に行けるのは不幸中の幸い。

↓せっかくなので、前回入らなかった大和郡山市役所前にある「本家菊屋本店」で、豊臣秀吉が大絶賛したという「御城之口餅(おしろのくちもち)」を味わおう。


ホッと一息→
これで\300。
お店の人によると、関西線はよく弱音を吐いて止まってしまうらしいです。
だから、客を近鉄に取られてしまうのだな。

近鉄郡山駅→

振替票→

西大寺で乗り換えて、12時20分、大阪・鶴橋駅に到着。

鶴橋駅の鶴橋庵でお昼→
「にしんそば」(\400)、うす味でおいしい。

今後は大阪環状線外回りに乗って、それ沿いの町の散策をすることにします。

まずは大正駅へ→
大阪環状線からでしか見たことなかった京セラドーム大阪を間近に見たいがために大正駅に降りただけですが・・・。

↓この日は阪神対広島15回戦が行われるとあって、球場前は湿気熱気ムンムン。

赤ヘル党の私とあっては試合を見たい気は山々でありましたが。
それはさておき、ドームとはいえ試合をやるとはいうことは、台風がやって来るのはまだ先らしい。
こちら大阪は曇ってはいますが、雨は全く降っていません。
奈良の大雨は一体何だったんだろう?

近くのイオンは客でごった返しています→
野球観戦の人も多いのですが、台風に備えて買い込んでおこうという人たちが多し。

大阪ドーム千代崎港より→
目の前の川は「木津川」、橋の手前で「道頓堀川」と合流。

弁天町駅へ→

交通科学博物館→
お休み・・・。ではなく、何とこの4月で閉館でありました。残念・・・。

仮囲いの隙間から屋外展示を覗いてみます→

駅そばのやたら目立つノッポなビル→
オーク200・1番街という、オフィス・ホテルなどが入ったビルらしいです。

〔33〕大阪府大阪市港区役所
この区にある日本で最大級の水族館「海遊館」や二番目に低い山「天保山」はいずれね。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

68日目 2013年四度目の関西(3)~柏原・西成

2014-02-06 00:14:37 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年12月28日(土)


奈良県とはオサラバしまして、大阪府に入ります。

柏原(かしわら)市のJR関西線高井田駅で降ります。
役所はこの駅と次の柏原駅の中間にあるので、市内散策という意味で両駅間を歩いてみようと思ったのが一つ、さらに高井田駅のすぐそばに国指定史跡「高井田横穴墓群 」というのがあり、何故だかやたら気になったのもありました。

高井田駅南口→

目の前は大和川が流れています→

↓さて、西国では柏原市にしかないという横穴群とやらを見に行ってみましょう。


ところが・・・。


↑そこかしこに穴ぼこが点在するだけの、ちっとも面白味のない史跡でありました。
埼玉県の吉見百穴のようなもの期待していた自分が大バカでした・・・。

こうなったら、さっさと役所へ行ってまえ!という訳で脇目も振らずひたすら歩きます。

確か近鉄線のガード下→
こういうのを見せつけられるとと通りたくなる・・・。
しかもそうした方が近道っぽいし。
でも、私道を通るのは良くないよな・・・。
しばらく葛藤し、結局ゴメンナサイ!という結論に(結果的に近道でも何でもなかったというのはヒミツです)。

↓ドラマを見ていないので分かりませんが、「安堂ロイド」と関係あるの?安堂駅(ここが役所の最寄駅)


築留二番樋→
明治40年頃に樋門で、国の登録有形文化財。川は長瀬川。

(336)大阪府柏原市役所

役所前の道路(国道25号線)→
このすぐ近くに大和川と石川との合流地点があります。

柏原駅から15時50分発の関西線に再び乗り、通天閣のすぐそばの新今宮駅を経由して、南海電鉄の天下茶屋(てんがちゃや)駅に16時16分に到着し、下車。
ドリーム号が遅延しなければ八尾市にも行ける筈だったんですけど・・・。

奥に見える天下茶屋駅西口前のデイリーカナート→

その敷地内にこんなものが→

その足でこちらへ。

〔23〕大阪府大阪市西成区役所
よくテレビでナマポ受給の様子が映し出される役所。
さらに日雇い労働の街として、これまたしばしば登場する「あいりん地区」もこの西成区にあり、区の北部、新今宮駅の南側にそれは位置しています。

区役所の東南方向に「天下茶屋跡」があります→
豊臣秀吉が住吉大社参拝などへの往来時によく使ったお茶屋さん。
建物自体は空襲で焼けてしまったみたいです。

さぁ、もう日も暮れるし、後はホテルでゆっくりするだけ。
と思いきや・・・。
これでは夏の旅(千葉→{ながら}→京都→{奈良線}→木津→{片町線}→鶴橋→新今宮→{南海}→堺泊)と大して行程が変わりないではないか?

実は今回の旅の主菜はいよいよこれからで、これまでは言わば、前菜といったところ。
ではではどうなるのか?

国道26号線を南にテクテク・・・→

国道から200メートル余りにわたって伸びる商店街→

↓大阪市営地下鉄四つ橋線・玉出(たまで)駅からバスに乗ります。


やって来たのは大阪南港「かもめ埠頭」(大阪市住之江区)。
「埠頭」という事は、そうです、これから船に乗ります。
目的地はひむかの国・宮崎

フェリーターミナル→
風が強くて、さみ~の何の・・・。

待合室→
乗船手続きの窓口はテンヤワンヤ。

すわ、おおさかエキスプレスに乗船でござい!→

↓船内を一通りウロウロして、出航時間が迫ってきたので、甲板に出てみます。


↓ジャンジャン、ジャンジャン、とドラは聞こえませんでしたが、18時45分すぎ出帆。


クソ寒い中、港の関係者が手を振ってお見送り→
船ならではのこういう光景はいつ見てもいいよな~。
本当にご苦労様です。

↓大阪よ、さらば!



約14時間の船旅が幕を開けます。
しっかし、風が強烈すぎ、さみ~。
そそくさと船内に戻り、ゆっくりと晩酌でございます(他にやる事ないし)。

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65日目 中国山地縦断・折り返し(4)~佐用

2014-01-09 23:51:32 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年10月12日(土)


やっとの思いで3時間近く列車を待ったというのに、たった30分乗っただけで佐用(さよ)駅で降りなければいけません。

↓佐用駅が近づくと、川(佐用川)に災害の傷痕がちらほら見えるようになります。

全く忘れていた方もいらっしゃるでしょうし、そう言えばそんな事もあったよなと思っている方もいるでしょう、平成21年8月9日、台風9号によって川が大氾濫して甚大な被害をもたらした、あの大水害によるものです。

佐用駅舎→
あの水害でこの駅は、大人のお腹辺りまで水位が達し、駅舎とホームを繋いでいるのはさらに低い地下道なので、それは完全に水没してしまったようです。
この日乗った智頭急行や前日乗った姫新(きしん)線もしばらく一部不通になってしまいました。

↓駅前から続く商店街を歩いてみましょう。



商店街は特に水害の痕は見受けられません。

↓でも、風化させないように苦心はしているようです




「がんばろう!○○」は最早被災地の共通の合言葉→

↓架け替え工事中の「佐用大橋」に来てみました。





川にはコンクリート片が転がっていますが、何となく災害があったみたいな、といった程度でしか見た目には感じません。

商店街にあるお肉屋さん→
ここで、このお店の名物という「しかコロッケ(\150)」を購入します。
コロッケが揚がるまでの間、お店のおかみさんに台風の日の事を聞きました。
お店付近はやや高い所にあるので、大した水位ではなかったけど、それでも当日おかみさんは車を運転していて、見る見るうちにドアの半分の高さまで水が来て、車を捨てて脱出して間一髪助かったと・・・。

それまで私は水害があったのを2年前(その当時から見て、つまり平成23年)だと思っていましたが、話ししているうちに4年前だったを知る。
もうそんな前の出来事だったんですね・・・。
でも何はともあれ、市民生活は普段通りに戻っているようなので、良かった良かった。

コロッケ→
味は塩はかなり薄く、超あっさり。
ソースをかければちょうどいいのかもしれないけど、私はソースが嫌いなので、代わりにかけるとしたら醤油か・・・。

(327)兵庫県佐用(さよう)郡佐用町(さようちょう)役場
駅名は「さよ」です。古くはこの地域は「さよ」と呼んでいたらしいです。
宿場町として栄え、秋から冬にかけてしばしば朝もやに覆われるので、鎌倉時代の5代執権・北条時頼は「いづことも 知らぬ道にぞ やみぬべき 晴れ間もみせぬ 佐用の朝霧」と歌っています。

日も暮れてきましたので、この日の市町村訪問は終了です。
でも、まだまだ移動は続きます。

姫新線で姫路に出て、山陽本線の新快速電車に乗り換えます。

姫路では恒例の駅そば(天ぷらそば\450)→

関西では違和感の無い女性の立ち食い→

姫路で見る、珍しい大垣行き電車→
一日3本しかないうちの一本。

電車で東へ、東へ。
降りたのは大津駅、大津市に宿泊します→

この日と翌日は、湖国三大祭の一つ「大津祭」→
夜遅くまで市内は多くの人で賑わい、な感じの大津の夜でした。

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64日目 中国山地縦断(1)~たつの

2013-12-14 23:54:09 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年10月11日(金)


「サンライズ」は、ずっと停まっている・・・。
外を見ると大垣駅。
深夜なので客の乗降の取り扱いはしていないのですが、それでも乗務員の交代などで駅に停まる事は多い。
でも、それにしてもやけに長いな・・・。

そのうち動き出したのですが、しばらくえらいゆっくり走っている。
工事で徐行しているのかな、と思いつつ寝入る。

姫路着は5時25分なので、5時に起きまして、外を見ると、ん?まだ芦屋あたりっぽい?
どれ位遅れているんだろ、と思っていたら車掌さんがやって来て、「姫路は20分遅れます」と言う。
私 「姫路5時28分の電車で岡山へ行きたいんだけど、先に行っちゃいますよね?」
車 「そうですね・・・」
私 「岡山7時の津山線に乗りたかったんですけど・・・」
車 「それならこのまま岡山まで乗っていてもいいですよ」
私 「岡山は20分遅れて着くと?」
車 「7時位を見込んでいます(因みに定刻は6時27分着)」
私 「ああ、そう・・・」
車 「ラッシュに重なるもので・・・。それに間に合うかも分かりませんが・・・」

5時45分になりましたが、姫路に着かないどころか、ゆっくりゆっくり走っている。
これでは岡山は何時になるか分からんな、という訳で急遽今後の予定を変更、姫路から姫新(きしん)線に乗って津山市を目指す事にしました。
列車遅延の理由は、先に走っていた貨物列車が関ヶ原付近でイノシシと衝突し、その点検していた影響だという。
悪い事は重なるもので、姫路から先で線路内に車が立ち往生したらしく、列車の運転の見合わせのため事態がさらに悪化したようです。
旅には思わぬアクシデントは付き物だし、仕方ないか・・・。

6時頃に姫路到着→
車内放送でしきりに山陽新幹線への乗り換えを勧めていたので、それらとおぼしき人多数。
結局「サンライズ」は6時10分頃、約45分遅れで発車して行きました。

乗り損ねた津山線沿線の美咲町に、「食堂かめっち。」という、たったの300円でおいしい「たまごかけごはん」が食べ放題!のお店があるので、そこでの朝食を大いに楽しみにしていたのですが・・・。
嗚呼、たまごかけごはん・・・。

↓姫路6時12分発の列車に乗り、たつの市の本竜野駅に6時半頃到着。


ホームにある童謡「赤とんぼ」の歌碑と像→
そう、ここ龍野は童謡を数多く作詞した三木露風の出身であります。
(駅名は「竜」の字を使っていますが、本来の地名は「龍」です)

来ましたよ、たつのへ→

駅西口→

こちらは駅前にある「童謡赤とんぼのふる里」像→

元々たつの市は訪問する予定はこれっぽっちも無く、当然ながら何らの準備もしていなかったけど、駅に観光地図が置いてあったので助かった・・・。
しかし、ここは観光地として名高く、どうせ町巡りするなら時間を確保したいのですが、そうすると、この先交通は不便な所になり非常に難儀するので、仕方なく駅周辺をブラブラするに留めます。
ま、すぐ近くに親戚が住んでいるので、今度遊びに行った時にここに連れって行ってもらおう。

↓駅前の県道14号線



古いめかしい建物多し。

↓淡口醤油のメーカー・ヒガシマル醤油の第1工場の脇

そう、たつの市は醤油の町でもあります。

工場を見る→
予約すれば中を見学できるそうです。
因みに私は工場萌えではありません(笑)。

(317)兵庫県たつの市役所
たつの市は龍野市・新宮町・揖保川町・御津町が合併してできた市。
旧御津町にある室津は、一度その親戚に連れって行ってもらった事があるのですが、古い港町で、景色も良く、魚介類もおいしい、とってもいい所。

役所の裏手に揖保(いぼ)川が流れているので、その土手に出てみます。

↓正面の山は的場山、よく目立つ建物は「国民宿舎赤とんぼ荘」


↓視線を下流の方へ。左のぽっこりした山は鶏籠(けいろう)山

観光名所があるのは川の向こう。
龍野城があり、武家屋敷や白壁の土塀などの歴史的文化財が多く残っており、龍野は「播磨の小京都」と呼ばれているようです。

↓7時、10ほどに分かれた鳥の群れが頭上を飛んでいく。

これとちょうど時を同じくして、防災行政無線なのか、音楽が響き渡る。やっぱり「赤とんぼ」でした。
季節は今はいいのですが、朝流すに曲としてはねぇ・・・。
それに相応しい有名な歌は作っていないのかな、三木先生は?

↓通勤通学の混雑時に、ブラブラ客が混ざりこんで申し訳ないよなぁ。


↓車内にて

完全に高校生の貸しきり状態だし、人の目は気にしない、ってか。


何だか朝からお疲れのご様子。恐らく昨晩いっぱい遊んだ勉強したのだろう、きっと(笑)。

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62日目 真夏の関西めぐり(7)~熊取・泉佐野

2013-12-07 23:30:54 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年8月24日(土)


JR百舌鳥駅から阪和線を和歌山方面に乗りまして、14時頃熊取駅に到着、2つの自治体を訪問します。

熊取駅東口のロータリー→

駅前通りを真っ直ぐ歩いて、→

この突き当りを左に行き、→

↓国道170号線との交差点を右方向にひたすら歩くと、こちら。


(315)大阪府泉南郡熊取町(ちょう)役場
人口4万5千人ほどの町です。

用さえ済ませばさっさと次へ行こう、と裏道から駅へ行こうとしたら、そうはさせじと、何やら面白そうな建物がある。

↓煉瓦館



平成17年11月に開館したというこの施設、元は昭和初期に建設された綿布工場であったらしく、現在では文化活動に利用できる施設となっております。

↓すぐ近くにある重要文化財「中家住宅」
 


文字は小さくて見にくくて申し訳ない・・・。
ここも文化活動施設として、開放されているようです。

↓阪和線のガードをくぐるとすぐに、泉佐野市に入ります。


↓何やら怪しげな高利貸しやサラ金の格好の宣伝道具に使われているバラック


小高い丘を越えて行きます→

↓地図を見ると「ダンバラ公園」というのがあり、とっても気になっていたのですが、実際目の当たりにするとなんてない、集団墓地でした・・・

近くには「壇波羅公園」というのもあるのですが、漢字とカナの違いは何だろう?
それとこの、ダンバラ(壇波羅)って何?
どことなく仏教っぽい感じがするんですけどね・・・

(316)大阪府泉佐野市役所

←役所前の通り
人口約10万人の市ですが、泉佐野を有名にした出来事と言えば何といっても、市の命名権を売却する話しですね。
結局手を挙げた企業が無かったのですが、財政健全化団体、つまり破産の一歩手前の状態なのだから、アノ手コノ手何ふり構わぬ一心不乱の増収作戦を展開しているのも仕方ないことなのかな。
ほんのつい最近では、関西空港への橋を渡る車に通行税を取ったり、飼い犬の糞を拾っていかない人が多いので、糞害に憤慨したらしく?、その除去費用捻出のための飼い犬税なるものを課すことを決めるなど、ほんとまぁ、この種の話題には事欠かない自治体であります。

我が家の愛犬を散歩に連れて行って思うのは、犬のよりも猫の方のが多いんじゃないかな、という事。犬とは違い、今でもノラ猫は多いので、その分もあるのでしょうが、そのうち猫も登録義務化されて、飼い猫税なるものも出てくるかもしれませんな。
糞で困るのは見苦しいのもあるのですが、それよりも我が家の愛犬はやたら食い意地が張っていて、散歩していて隙あらばそれをパクッとやってしまうんですね・・・。
本当に困ったものです。

因みに財政健全化団体は、以前は結構な数があったのですが、今は泉佐野市と青森県・大鰐(おおわに)町だけ、いわゆる破産状態である財政再生団体ついては、北海道・夕張市のみ。

本当はもう一箇所訪ねたかったのですが、堺で時間を浪費したのが祟り、アウト!
すごすごと大阪方面に引き返します(この途中に堺市西区に寄ったのは前回触れたとおり)。

大阪駅・大阪環状線ホーム→
ホームが広くなって気持ちいいですな。
狭かった頃は危険極まりなかったから・・・。

上からホームを見下ろして見ましょう→
なかなか眺め、よろし。
首都圏にこういう感じの駅あったかな~?

新大阪駅・新幹線ホーム→

東京駅に戻ってきましたよ→
そして、誰もいなくなった(笑)

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62日目 真夏の関西めぐり(6)~堺

2013-11-30 23:40:38 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年8月24日(土)


前回に引き続いて、堺市巡りにもう一回お付き合い下さいませ。

堺市役所の展望ロビーから見た「仁徳天皇陵」、かねがね周囲を歩いてみたかったので、ようやく長年の念願を果たす機会がやって参りました。

ですが、展望ロビーで思わぬ時間を食ったので、今回は西側だけ。
展望ロビーのガイドのおっさん(以下、おっさんとします)が、市の博物館も行きな、というのでそこの展示物も見てみたいし。

御陵の北側→
全然見えませんが、この濠の内側にさらに2つの濠があり、つまり三重の濠に囲まれた御陵でございます。なんて豪勢なんだろう。

ここで軽く仁徳天皇陵について。
エジプト・クフ王ピラミッド、支那・秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓の一つ。
体積こそ、その2つに劣りますが面積は一番大きく、最大の長さは840メートル、最大幅654メートル。

↓ひたすら濠に沿って歩きます
←これだな、おっさんの言っていたホテルとは。



磐之媛命(いわれのひめみこと)万葉歌碑→
磐之媛命とは仁徳天皇の御妃さま。

南側の御陵通り→

拝所→
思わず一礼してしまう、それくらい厳かな雰囲気の場所。
でも、おっさんは「最近の若者はここがなんだか分からんようで、拝所でピースとやって写真を撮るだけで、さっさと行ってまうんや」と、それはそれは大変なお嘆きよう。
そりゃそうだよな~、世が世なら不敬罪でブタ箱まっしぐらだもんな。

それはともかく、伊勢神宮とか富士山とか日本人なら一度は行かないといけないと言われる所はたくさんありますが、この仁徳天皇陵もその一つなんじゃないかな、と思っております。

サギが門番してくれているかのよう→

御陵の東南端→

↓御陵通りを挟んで、御陵の真向かいにある大仙公園


園内の「平和の塔」→
お、これは御陵を見るのに丁度いいものが建っているじゃん!、と思いきや、とんでもない、これは戦没者の方の慰霊塔なのでありまして・・・。

堺市博物館→
堺市の歴史や文化などを学習できます。
館内は撮影禁止(許可を取れば大丈夫なのですが、手続きが面倒なのでやめた)なので、展示品の写真はありません。

百舌鳥(もず)駅→
時間にしてもう13時すぎ、ここからJR阪和線で南下します。

ところで、阪和線や南海電鉄が仁徳天皇陵のすぐそばを通るのですが、いずれも地面よりも低い所に線路が敷かれています。
これは元々そういう地形だった訳ではなく、わざわざ掘ったといいます。
つまり、「畏れ多くも御陵よりも上を走ってはいかん」という事らしい。

2つの町を訪問(それは次回)して後、再び堺に足を踏み入れます。

鳳駅で下車→

駅の近くにある大鳥大社→

境内→
右端の像は、空海和尚と並んで全国各地に超人的な伝説を残す日本武尊(やまとたけるのみこと)、その人。

拝殿だったかな?→

〔22〕大阪府堺市西区役所

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62日目 真夏の関西めぐり(5)~堺

2013-11-27 23:42:56 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年8月24日(土)


前日より宿泊している堺市は、中世には自治が発達して環濠都市となり、「東洋のベニス」と言われるほど栄えた町で、他には古墳群もあることでも知られています。
が、なぜか私はこれまで町を歩く機会が全く無く、それどころか通り過ぎたのですら数えるほどしかないので、どんな佇まいをした町なのか非常に楽しみであります。

ところが、昨日の疲れからか、大寝坊をこいてしまう・・・。
「旧堺燈台」という日本最古木造洋式燈台を見てみたかったのですが、これは次回来る時にと、あきらめる。

フェニックス通り→
日本の道100選の一つ。

阪堺(はんかい)電気軌道の宿院(しゅくいん)停留場→

千利休屋敷跡→
千利休とは、わび茶を完成させた人。
このビルの合間にポツンとあるさまは、まさに「わび」しい。
織田信長や豊臣秀吉に仕えたものの、武士でもないのに、秀吉に切腹を命じられたお気の毒な方。せめて別の方法での処罰はなかったのかねぇと思うんですが・・・

↓大道筋(旧紀州街道)沿いにある「与謝野晶子生家跡」
 
去年の衆議院解散の時に政界を引退した与謝野さんは、与謝野晶子のお孫さん。
日露戦争中に「君死にたまふことなかれ」を歌い、批判の矢面に立たされてしまう。

紀州街道であったことを示す石碑→

↓上の交差点を右に折れ、竹内街道を内陸に向かって歩きます


反対の声は果たして届くのか?!→
9月29日に市長選が行われ、堺市民は橋下さんにNOを突きつける結果となりました。
かつてのあの勢いは、今いずこ・・・。

阪神高速15号線を越えると市役所→

市役所前の通り→

(314)大阪府堺市役所
デカいです、いや~高い。
これほど高い役所、他にあったっけ?と思うくらい。
堺市は長いこと人口80万人前後を有しながら、なかなかそれ以上伸びず、以前は仙台市・千葉市と共に政令指定都市を目指す仲であったのに、堺市だけが一人取り残される有様。
「平成の大合併」による政令指定都市要件の緩和という神風が吹いて、美原町との合併の後、平成18(2006)年、晴れてその仲間入りを果たしました。
さぞ、市の関係者は感無量であったろう。
人口が伸び悩んだ最大の理由は、地盤が弱いらしく、引っ越して来てもすぐに出て行ってしまうかららしいです。

ここの最上階である21階は展望ロビーとなっており、あいにくの天気ですが、登ってみましょう。

ロビーで町を眺めているとガイドをやっているおっさんがやって来て、横からあれやこれやガイドし始める。
どうもこのおっさん、話しをしたくてしたくてウズウズしていたようで、仕方ない、少し付き合うか・・・とガイドを聞いていたら、なかなか切りのいい時がなく、結局1時間も消費するハメになってしまいました。

↓内側の壁
 

北側(大阪市の方向)→
頭一つ飛び出ている建物は日本一高いビル「あべのハルカス」

西側(海側)→
通ってきた竹内街道(写真中央を縦に走る道路)は、和泉国と摂津国の境だという。
だから、ここは「堺」。

南側→
中央の森は「大仙陵(だいせんりょう)古墳」。
聞いた事ないな~、と思った方、アンタは古い!(笑)
最近の教科書ではこう教えるこの古墳は、昔風に言えば、最大の前方後円墳である、かの「仁徳天皇陵」。
おっさんに正式名称を知っとるかと問われ、「確か、耳原なんとかかんとか、だったよな~」と考えていたら、「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」でありました。
でも、やっぱり「仁徳天皇陵」の方がしっくりくるわ(私も古い人間でございます・苦笑

堺の百舌鳥古墳群と、少し離れた羽曳野(はびきの)市・藤井寺市の古市(ふるいち)古墳群を併せて、世界遺産登録を目指そうとする動きがあります。
ところがおっさんは「今は無理や」という。
なぜか。その古墳群のキモとなる「仁徳天皇陵」のそばに○○ホテルがあるというのだ。
最近はどこぞの圧力があったかどうかは知りませんが、かなりその数を減らしたというものの、やっぱりそれじゃまずかろうな。

新たな悲願や、いかに?→

〔21〕大阪府堺市堺区役所
市役所に寄り添うようにぴったりとくっついて建っています。

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61日目 真夏の関西めぐり(4)~片町線沿線

2013-11-24 23:28:15 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年8月23日(金)


落ち着かない旅はまだ続きます(大都市圏に来ているのだから仕方ない)。
大阪府に入り、四條畷(しじょうなわて)市→大東(だいとう)市の順に廻る予定だったのですが、電車の中でウツラウツラやってしまい、目が覚めたら大東市中心部の住道(すみのどう)駅に来てしまった・・・。
なので、先に大東市を片付けます。

↓住道駅北口



街灯の下にあるピグモンみたいなの、正面から撮ってしまったのでこのような写りになっていますが、これ、ライオンなのです。しかも口から水を噴くもの。

駅を背にして撮影→
なかなかインパクトのある、人が両手両足を広げた?形をした時計塔ですな。

駅前はペデストリアンデッキになっています。
ただ、ここのは目の前の川を跨いでいるという珍しいもの。

↓上流側
 
左の寝屋川が右の恩智川と合流し、大阪城の北側で旧淀川に呑みこまれます。

ペデストリアンデッキから眺めた駅前ロータリー→

駅前商店街をまっすぐ歩いて、府道8号線との交差点を右に歩き、寝屋川を渡って左に行くと市役所があります。

商店街にあったオシャレな自販機→

(312)大阪府大東市役所
大東という名前は大阪の東にあるからというみたいです。
ここは妙に多くのプロ野球選手を輩出していて、現役でも西武・おかわりとか阪神・西岡とかいます。
という事は、甲子園で超強豪校として鳴らしたあの大阪桐蔭高校があるのが、ここ大東市であります。

↓行きとは違う道で住道駅へ。






続いて、四条畷駅へ。

四条畷駅西口→
四条畷駅自体は大東市にありますが、ちょっと歩くと四條畷市に入ります。
ところで、「じょう」の部分は駅は「条」で、市名は「條」となっています。
自治体名と駅名の表記や音が違うのは、結構あちこちで見受けられます。

↓商店街
 

↓小楠公御墓所(しょうなんこうごぼしょ)







小楠公とは楠木正行(くすのきまさつら)のことで、案内板にあるように、この場所で戦死したといいます。
去年の10月に同じ大阪府の島本町へ行った際、島本駅前に「楠公父子訣別の所」がありましたが、子にあたる人。大楠公とは勿論、楠木正成(くすのきまさしげ)。

何の取材でござろうかな?→

こちらは役所近くの遺跡調査の現場、何の遺跡かな?→

(313)大阪府四條畷市役所

やれやれ、疲れた、疲れた・・・
やっとこの日の予定していた市区町村訪問はこれで全部終了、宿泊地の堺市に行きます。

南海電鉄・堺駅→

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39日目 ようやく帰路につく その3~神戸

2013-04-02 22:23:52 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年1月4日(金)


播州赤穂駅より新快速電車に乗り、そのままずっと乗っていれば大阪の方まで運んでくれるのですが、一旦姫路で下車します。

↓お昼時です
 
最近は「あの人は今?」という感のある姫路出身タレント・松浦あややも大々絶賛という「えきそば」。
そばは普通のそばではなく、柔らかいラーメンのような感じ。
姫路駅が地上駅であった頃から、高架駅になった今でも、ここに来て時間があったら、何故だか食べたくなる。

関西では当たり前の光景→
何で関東の女性は立ち食いを恥ずかしがるんでしょうかねぇ。
でも最近は腰をかけられる駅そば屋さんで若い女性が麺をすすっているのを見かけるようになりました。

13時27分発の新快速電車に再び乗ります。

さて、このままどこも降りずに、ひたすら普通電車や快速電車に乗り継けば千葉への終電に間に合います。
青春18きっぷは今日で使用回数はいっぱいになりましたが、これなら鐚一文払わずに帰れます。
でも、いい加減早く自宅に帰ってゆっくりしたい気もする。
いやいや、滅多に遠くなんて来られないのだから、もう少し町巡りして新幹線で帰ってもいいかな~。

どうしようか、頭の中でグルグル駆け巡ります。
結局3つの選択肢の折衷することにしました。
つまりは、どこか2~3箇所ブラブラして、その後普通・快速電車で行ける所まで行き、途中で新幹線に乗り換える。
中々素晴らしい考えだなと自画自賛(ウソです)。

明石海峡大橋と淡路島→

神戸市の垂水(たるみ)駅で降ります。

「山陽垂水駅」と「山陽」がくっ付いていますが、JRと山陽電鉄が同居しています。

〔17〕兵庫県神戸市垂水区役所
急遽決めたので、具体的場所が分かりませんでしたが、手持ちの地図で何となく駅から近そうな感じで、実際すぐに分かりました。
「レバンテ垂水2番館」(写真の右側の低い建物、背後の建物は3番館かな?、左が1番館)の中にあります。

↓裏通りの商店街
 
夜は綺麗なのでしょうが、明るい時には非常に目障りで、景観を悪化させています。

↓こちらは駅前にある「ウエステ垂水」(右側の建物)。「レバンテ」と同じく商業施設。


次は鷹取駅に行きます。

駅北側→
かつてはここにJRの車両工場がありました。

地図で役所の位置を推測しながら歩きます。

↓妙法寺川左岸公園とその中にあった案内板
 
因みに左岸とは、川の上流から下流を見た場合のその左側を左岸、その逆を右岸と言います。

妙法寺川→

あ゛~、やられたー→
持っていた地図が古かったようです(とは言っても3年前発行)。
これからこういうことも間々ありそうです、しっかり下準備はしておかねば・・・
 
〔18〕兵庫県神戸市須磨(すま)区役所

バッタンバッタン、駅に戻ろうと歩き出すと背後から突然変な音が聞こえてくる。
何事かと振り返ると、ナント区役所の遮断桿がタガが外れて暴れまくっている(笑)。
さながら「バッタン桿の踊り」である。





写真では小幅にしか動いていない感じですが、実際はもっと大きく揺れていまして・・・
どうせなら動画で撮って、ようつべあたりに投稿すればよかったか(笑)
駐車場から出ようとしている車の運転手さんは一様に戸惑っていて、その姿が妙におかしい(失礼)。

↓これってもしかして、18年前のその痕ですか?


この須磨区も大変な被害を受けたみたいですが、見廻した限りではもうすっかり元気になった感じに見えます。
東北もこうなるよう、お偉いさん方、早くどうにかして下さい!

もう一箇所どこかと考えていましたが、須磨で想定外に時間を食ったので、すっかりその気が失せました。
なので、これからまっすぐ帰ります。

ひたすらひたすら東へ、名古屋に来ました。
時間は19時半。
行列をなしている「みどりの窓口」に駆け込んで、東京までの乗車券と指定券を申し込んだら「9時半までないよ」と言われ、そんなに待てるはずもなく、1時間半立つのを覚悟で自由席券を買う。

やってきた「のぞみ182号」→

自由席は思ったより混んでなく、あっさり座れました。
ビールとつまみを絶え間なくグビグビパクパク、東京まで過ごします。

東京駅に着きました(酔っているんだろうな、手ブレ)→

東京駅・総武快速線(上と同じ)→

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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39日目 ようやく帰路につく その2~赤穂

2013-03-29 23:13:24 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年1月4日(金)

中国地方を脱出し、兵庫県に入りまして最初の町、赤穂市に来ました。

播州赤穂駅→

言わずと知れた「忠臣蔵」の町。
私は歴史が好きですが、ただ「忠臣蔵」には全く興味がなく、深入りはせずに適当に流します。

まずは先にこちらから。

(209)兵庫県赤穂市役所

市内循環バス「ゆらのすけ」のバス停→
一回100円。「ゆらのすけ」とは歌舞伎・仮名手本忠臣蔵の「大星由良之助」のこと。
時刻表を見てもあまり本数はないですし、さぞかし「遅かりし由良之助」のごとく、ノンビリチンタラ走っているんでしょうな。
が、ユラユラ走ると危ないのでそこはマネないで欲しい。

義士の石碑→

旧上水道→
↓息継ぎ井戸とからくり時計
 


↓赤穂城大手門



お昼だというのにお堀に氷が張っています。
この近くに太子町という町がありまして、そこに私の親戚がおり、よく遊びに行くのですが(今回はお忍びなので行きません)、ナゼだかこの近辺の冬は妙に寒く、凍っていても全く驚きません。

大石神社→ 

↓参拝客で賑やかです




駐車場待ちの車がこんな有り様→

大石良雄さん→
今にも陣太鼓の音が聞こえてきそうです。イザ、討ち入りでござる、ドンドン!

山肌に描かれている「赤」の字→
夜になると、こうなるそうな。→コチラ

さて、赤穂は忠臣蔵ゆかりの建造物等に目が行きがちですが、そういう系ではない興味を引く建物が結構ありました。

↓その一部を。










私が見つけた中でのキングオブ赤穂はこれかな。
 
居宅兼スナック。

ナニ?そんなの目じゃないって?
なら、そこのアナタ、凄いの教えて下さいな!

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