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自白を強要された冤罪事件。真相にぐんぐん近づいて行き見事釈放!と思いきや、そのあとの急展開にドキドキしました。
教養ある黒人、意志の強い祖母という設定にまず同情し、警察や街の雰囲気にさらにそれが増幅し、奥さんの過去の過ちで決定的になり、釈放されたときはちょっと涙が出ました。
警察の人が最初の印象よりも案外協力的なところも見せられていたし、釈放の時の軽さが何か次の展開を予感させて・・・なにより、それまでの流れがあまりにとんとん拍子に進んでいったのがちょっと気になっていましたが、そのとんとん拍子に進んでいったものがそう仕向けられていたこがわかってなるほどって感じで。
犯人にだまされたというよりは映画の展開、音楽にだまされたとも言えるかもしれませんが、それでも、この展開の仕方はおもしろかったです。
ショーンコネリーがやっぱり凄い。最後の連続殺人犯の死刑囚とのやり取りでのセリフと表情が素晴らしい。かっこよすぎです。
奥さんが椅子に縛りつけられているときの背中がとってもセクシーでした。
疑わしきは罰せずというのは基本だと思います。その基本的な精神によって、凶悪犯罪が罰せられないとしたらそれはそれで残念な気もしますが、それでも、冤罪をつくらないということもとても大事なことです。
一方は犯罪のシナリオを納得させるために材料を集め、もう一方は無罪のシナリオを描いて材料を集め、どっちのシナリオがより納得できるのかを判断するというのが正しいやり方なのかな…と思っちゃいます。
必ずしも真実を追求するために裁判がおこなわれるわけではないということなのでしょうね。
でも、真実だけがすべてのものを縛っていると思うのです。それ以外の縛りがかかって真実がゆがめられるとしたら、人が人を裁くなんてことはしてはいけないのではないのか…と思うのですが…
主人公は客観的に物事を見て真実を探そうと思っているように見えますし、実際そう思っていたと思いますが、結局最初の印象がその客観性をくるわせる作用もすると思いました。
自分に都合のいい情報をつないでいくと一つのシナリオができて、それで自分の思うような結果が出る。それが真実と思いこむわけです。それでその落とし穴に見事にはめられてしまいました。
人間は自分が自覚している以上に客観的に物事がみれてないんだろうなと最近感じることがあります。自分が都合のいいように、真実をねじ曲げる・・・それは故意にウソをつくというだけでなく、本当にそれが事実と思いこんでしまうこともあるんでしょう。
客観的に物事を見るって大変です。自分は客観的にものごとをみることができると思い込んでいる時点で、そうできない人間であることの告白をしているような気もするし…
「…」が多いです。
こういう映画だからこそ、BGMは抑えてほしかったです。
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