唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

毛皮ができるまでの衝撃的な映像

2007年01月19日 | ほか
動物愛護のための映像を見せてもらいました。

中国で、狸や狐の毛皮を剥ぐ映像です。

生きたまま、足を持って地面に叩きつけて意識がもうろううとしている間に生きたまま足をなたで切断して、そこから皮を剥いでいくんです。

何で生きたままやるんでしょうか。たぶん、生きている状態のが皮を剥ぎやすいとかあるのかもしれません。

当然生きたままですから意識が戻ってきて暴れようとしますが、それを棒で殴ったり足で踏みつけたりしてまた弱らせます。

後の両足がむけたら、足を縛ってさかさまにつるしてどんどん頭に向かって剥いでいきます。胴、前足、頭・・・それでもまだ狸は生きています。

全部剥ぎ終わっても、狸は生きています。映像では、皮を剥ぎ取られた状態で頭を起こしてあたりを見回す姿もありました。

あまりにも悲惨な映像でした。

それで、やっぱり毛皮を身につけるのはよくないという結論になるわけですけれど・・・

これについては、よくわかりません。
例えば、魚をさばいてもなんとも思わないし、活きづくりなんていって、生きたままでも食べちゃったりするわけですから。魚なら。肉も食べます。だから、映像が悲惨だからそれがいけないのかというと、そこは正直なところわからないところもあるわけです。
人間が生きていくために必要であればそれもしかたがないことだと思います。

ただ、毛皮がなければ人間は身にまとうものがないという時代ではありません。趣味とかぜいたく品ですよね。
そこまでして毛皮を着なければいけないのか・・・ということです。

そして、昨日のナイルパーチの話のように、別にその作業をしている人が身につけるものではなくて、お金がある人のところにそれが売られて行くわけですよね。

自分は着ない人ですから、毛皮がなくなってもある意味どうでもいいといえばどうでもです。だから、すぐにでもそんなことで動物にひどいことをするのは止めてもらいたい・・・と思います。毛皮が好きな人の意見でないので無責任ではありますが・・・

それで、やっぱり、この映像はみた方がいいと思います。現実を見ることは大事です。

この映像でも言っていました。「それでもあなたは毛皮を着ますか?」
それでも着るというなら着ればいいと思います。
この映像でもいっているように一つの毛皮には一つの動物の苦しみがあることを忘れないできてもらいたいものです。そして皮を剥がされもがき苦しんでいる狸を思いうかべてその狸に感謝しながら着てくれればいいのではないでしょうか。

着ない自分の立場から言えば、着ることが恥ずかしくなるような世論になればいいとも思います。

この観点から行くと、豚肉や牛肉がどのように市場に並ぶのかも目で見ていかないといけないかも知れませんね。

話はちょっと飛躍しますが、マクドナルドの肉がどうやってできるのかとか、吉野家とか松屋の肉の加工現場とかも見てみたいものです。

それでも俺は肉を食べますか?となるわけですね。