道の辺の壹師(いちし)の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は (柿本人麻呂 万葉集)
本宅「春雁抄」のトップページにしばらく飾っておいた春日山林泉寺(新潟県上越市)の曼珠沙華(彼岸花)です。
ちょうどお彼岸の時期に咲くことから、「彼岸花」とも呼ばれていますが、私は「曼珠沙華」という呼び方が好きです。
花の形態が、四方八方に張った蜘蛛の糸のようでもあり、燃え盛る火焔のようでもあり、どこか異界の花を思わせる雰囲気があります。そんな印象が「曼珠沙華」という語の響きにぴったり来るように感じるからです。
その独特の形態ゆえか、お彼岸という異界との接触のある時期に咲くためか、この花にはいろいろな異名があります。
カブレバナ、ホトケバナ、狐花、毒花、死人花、地獄花・・・
花にとってはあまり嬉しくない名称ばかりですが、花の印象を言い得て妙な名称であるように思われます。
「曼珠沙華」で真っ先に思い浮かぶ歌(句)は、
つきぬけて天上の紺曼珠沙華
という山口誓子の句ですが、あえてこの句は採らずに、万葉集の人麻呂の歌を挙げてみました。
この歌に詠まれた「壹師の花」というのが曼珠沙華のことといわれています。(異説もあるそうですが)
そして、万葉集中、壹師の花を詠んだ歌はこの人麻呂の歌ただひとつということです。
「壹師の」は「いちしろく」(はっきり表れるの意。色が白いということではない)という言葉を導き出すための序詞の役目をしています。ですから、実際に目の前に壹師の花が咲いているかどうかはわかりません。咲いていなくてもいいわけです。
曼珠沙華は1輪だけでもとてもよく目立つ、自己主張の強い花です。山の辺に咲いていればすぐそれとわかる花です。その壹師の花のように、はっきりと皆に知られてしまったことだよ、私がいとおしんでいる妻のことを・・・。
人麻呂が「妻」と呼んでいる相手の女性は、秘すべき存在であったのでしょうか。
人麻呂が、女性を大切に思っている気持ちが伝わってくるようです。と同時に、壹師の花というのが曼珠沙華であるのだとしたら、その花に象徴されるような、身を焦がすほどの深い情念が思われて、人麻呂の「妻」に対する妖しいまでの愛情さえ感じ取れる歌であります。
なお、林泉寺に関するレポはこちら
2004年8月撮影
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます