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ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜結婚差別の社会学〜

2018年02月23日 05時58分37秒 | 
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…出身者とは、近世の身分系譜的な連続性をもっている(とみなされている)人であり、被差別とは近世のが居住していた(とみなされている)場所ということになる。そして、それらの人々は食肉や皮革といった職業に従事しているだろうとみなされていた。それを、いわゆる「産業」という。この系譜的連続性、地域的要素、そして職業の3つを「三位一体」と呼んだのが、歴史学者の井上清であった。

…野口道彦によれば、と非の境界線が「錯綜化」し、「出身者とは誰か」という議論が生じた背景として、三位一体的が減少したこと、外への転出者の増大、内への転入者の増大、外との「通婚」の増大があるという。つまり、父母ともに出身で、に居住し、いわゆる産業に従事しているような人は次第に減少していったのである。つまり、出身者が誰かという自明性が失われていったのである。

…地区出身者かどうかを決める基準は、系譜的連続性と地域的要素、職業の3つの要素と重なっていることがわかる。3つの要素が揃っていなくても、そのうちのひとつかふたつwp持っていれば地区出身者とみなされる可能性がある。さらにいえば、3つのいずれの要素がなくても差別を受ける可能性がある。野口道彦は,差別する側が、ある人をかどうか判断するときの基準は非常に恣意的であるという。そのため、差別する側が「間違って」差別することがしばしばあり,だれでも差別を受ける可能性がある。例えば、出身者との交際、内や周辺部での居住、産業と考えられている産業への従事などによって、「間違って」差別されることがありうる。そして、人々が「間違われそうなこと」を避けようとして,や出身者から距離をとることで、差別の構造が維持されている。

…差別とは「だれが」「なぜ」差別されているのか、非常にみえにくい問題である。というよりも、出身者が「差別される・忌避される」理由は答える人によって大きく異なるのだから、そのような問いのたてかた自体、適当であるとは言えない。「差別・忌避する」理由こそが問われるべきだろう。

…実際に差別問題があるにもかかわらず、「もうない」「私はしない」「そっとしておけばなくなる」「差別は決してなくならない」と簡単に「言えてしまう」ような、マジョリティとマイノリティの非対称性もまた、差別の構造的なあらわれなのではないだろうか。
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「結婚差別の社会学」斉藤直子
コメント
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