ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜「語られないもの」としての朝鮮学校〜

2018年02月19日 01時07分57秒 | 
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…日本で生まれ、日本の教育を受けた在日コリアンの若い世代の多くは、文化的に日本人化された自分と根本的に日本人にはなれない現実の間で心理的葛藤を感じざるを得ない。しかしその際、彼らが自らの葛藤を認知し、表出する方式もまた、日本文化の影響を受け日本化されている。

…在日コリアンの二世にも劣等意識がなかったとは言えないが、彼らの場合、日常的な被差別経験に刺激され、劣等意識よりもエスニシティが先んじて形成された。すなわち、二世の世代は比較的明確なエスニック・アイデンティティを保有し、また日本社会で支配的な価値観をそのまま内面化することもなかったため、日本社会の尺度で自分を規定することからは比較的自由でいられたのである。しかし、父母世代に比べわりあい困難なく日本文化へ同化してきた三世の世代の場合は、自らの中に形成された日本的な価値観により、自らを異質な存在として「発見」せざるを得ない。

…大阪における民族学級の始まりは、1949年強制的に民族学校を閉鎖するとき、大阪府教育委員会が民族学校の代わりに民族学級の設置を覚書で保障したことに由来する。日本の学校に通わざるをえなくなった在日コリアンの子どもの民族教育のために、h内の33校の公立小学校に民族学級が設置され、36名の民族講師が大阪府教育委員会に正式教員として採用された。民族教育運動団体では、これを「覚書民族学級」と呼び、その後登場する民族学級と区別する。

…1980年代に入ってからはそのときまで残っていた民族講師さえ定年退職をするようになったが、大阪府教育委員会は後任講師補充に関する保障内容が覚書にないという理由を挙げ、覚書民族学級に対する後任講師選任を原則的に拒否した。しかし、同胞運動団体と両親的日本人教職員を中心に「後任講師補充運動」が粘り強く展開され、結局「覚書民族学級」11校は保全できた。

…72年型民族学級

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「語られないもの」としての朝鮮学校 在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス
Song Kichan
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読書中の雑感 〜分断社会を終わらせる〜

2018年02月19日 00時41分43秒 | 
まだまだ深く理解できていないし、読んでいる途中だけど、もう一度読みたい、読書会で取り上げたいと思っている。

救済型ではなく受益型の給付をめざすこと、格差社会を放置すると分断が生じること、なぜ今のような経済状況が生じたのか…等々について解説してくれているが、なるほどと思うことが多い。

これを敷衍してマイノリティ政策のあり方についても論じることができるんじゃないか、それこそが今の家計の経済を振りかざす施策に対するアプローチを生み出すのではないかという気がする。

まだまだ分からないこと、理解できないことだらけやけど、何かはっとする。
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