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…大阪府教育委員会が作成した「在日外国人生徒進路追跡調査報告書」によれば、本名から通名を名乗るようになった人のうち、42.6%の生徒が高校進学の際に通名に変えている。それに高校卒業以降通名を名乗る人は、全体の73.6%に達している。また名前を通名に変えた理由については、「就職のため」(20%)と答えた人が最も多かったことと、経済活動ができる高校時代から通名を使う人が多いことは、本名が主食の障害になる現実を示している。この場合、通名という選択は一種の戦術と見なすこともできるが、本名を使っていた頃の自分に比べてパッシングをしている自分に「卑屈な朝鮮人」のイメージを発見している生徒も多く、その戦術の選択がいかに主体的でないかを如実に物語っている。
…在日コリアン性との本名使用率が他の外国人生徒に比べて著しく低い実態の背景には、被植民地経験と創氏改名の記憶、差別と適応、日本文化への同化などの歴史・文化的要因があることは間違いない。民族教育の硬直性を解体し、「柔軟なアイデンティティ」の可能性を探ることは、変化しつつある在日コリアン社会を考えるときには依然として有効である。しかしながら、それがより現実的なものになるためには「柔軟なアイデンティティ」への実践が、再び「アイデンティティの危機」を招いてはならない。
…個人としての在日コリアン、民族教育と在日コリアン社会、日本社会を重層的な構造の同心円として把握するとき、個人の自由と共同体の意志が持つベクトルはいつも「日本」という変数をのぞいては考えることができないのである。民族教育の対象でもあり、実行者でもある在日コリアンのある部分を構成する「日本的なもの」は、鄭暎惠の告白のように母語としての日本語だけではない。日本で生まれ、日本の教育システムの中で育った在日コリアンの多くは、日本的な価値観も内面化しているのである。鄭暎惠は、在日コリアンの民族運動において民族アイデンティティを過度に強調することが偏狭なナショナリズムを助長する危険があり、「ダブル」「帰化者」に対する差別と排除をもたらしていると批判する。
…在日コリアンたちが内面化した日本的オリエンタリズムは姜尚中のいう「オリエンタリズム解釈」と関係がある。オリエンタリズムとは、差別的な位階性を内面化させることによって、自分のアイデンティティを固定させる文化的ヘゲモニー装置であるが、この装置は体制の安定化を図る。このような装置が作動する世界体制の中で、人間主義的普遍主義が体制への包摂を担当し、レイシズムが排除の役割を分担して、補完しあいながら体制の安定を図っているという分析は、現在進行中の多民族共生を志向する在日コリアンの民族教育が置かれている状況について理解するにおいても、有効な視角だろう。
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「語られないもの」としての朝鮮学校 Song Kichan
…大阪府教育委員会が作成した「在日外国人生徒進路追跡調査報告書」によれば、本名から通名を名乗るようになった人のうち、42.6%の生徒が高校進学の際に通名に変えている。それに高校卒業以降通名を名乗る人は、全体の73.6%に達している。また名前を通名に変えた理由については、「就職のため」(20%)と答えた人が最も多かったことと、経済活動ができる高校時代から通名を使う人が多いことは、本名が主食の障害になる現実を示している。この場合、通名という選択は一種の戦術と見なすこともできるが、本名を使っていた頃の自分に比べてパッシングをしている自分に「卑屈な朝鮮人」のイメージを発見している生徒も多く、その戦術の選択がいかに主体的でないかを如実に物語っている。
…在日コリアン性との本名使用率が他の外国人生徒に比べて著しく低い実態の背景には、被植民地経験と創氏改名の記憶、差別と適応、日本文化への同化などの歴史・文化的要因があることは間違いない。民族教育の硬直性を解体し、「柔軟なアイデンティティ」の可能性を探ることは、変化しつつある在日コリアン社会を考えるときには依然として有効である。しかしながら、それがより現実的なものになるためには「柔軟なアイデンティティ」への実践が、再び「アイデンティティの危機」を招いてはならない。
…個人としての在日コリアン、民族教育と在日コリアン社会、日本社会を重層的な構造の同心円として把握するとき、個人の自由と共同体の意志が持つベクトルはいつも「日本」という変数をのぞいては考えることができないのである。民族教育の対象でもあり、実行者でもある在日コリアンのある部分を構成する「日本的なもの」は、鄭暎惠の告白のように母語としての日本語だけではない。日本で生まれ、日本の教育システムの中で育った在日コリアンの多くは、日本的な価値観も内面化しているのである。鄭暎惠は、在日コリアンの民族運動において民族アイデンティティを過度に強調することが偏狭なナショナリズムを助長する危険があり、「ダブル」「帰化者」に対する差別と排除をもたらしていると批判する。
…在日コリアンたちが内面化した日本的オリエンタリズムは姜尚中のいう「オリエンタリズム解釈」と関係がある。オリエンタリズムとは、差別的な位階性を内面化させることによって、自分のアイデンティティを固定させる文化的ヘゲモニー装置であるが、この装置は体制の安定化を図る。このような装置が作動する世界体制の中で、人間主義的普遍主義が体制への包摂を担当し、レイシズムが排除の役割を分担して、補完しあいながら体制の安定を図っているという分析は、現在進行中の多民族共生を志向する在日コリアンの民族教育が置かれている状況について理解するにおいても、有効な視角だろう。
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「語られないもの」としての朝鮮学校 Song Kichan