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映画・演劇のレビュー

『クラウド・アトラス』

2013-03-22 22:24:18 | 映画
 2時間52分の大作である。上映時間だけの問題ではない。6つの時代の6つのお話が同時並行で展開していく。6つ、と書いたが、それはチラシに書いてあったから、そうわかっただけで、見ながらいったい幾つだったか、それすらわからなくなるほど複雑なのだ。しかも、オムニバスではないだけでなく、それぞれの話が目まぐるしく移り変わりながら描かれるし、例えば、カットの変わり目が、前のエピソードの主人公が走っている場面なら、そこに別のエピソードの走っているシーンに繋げるとか、そういう感じの編集が為されてあるから、だんだん話のつながりがよくわからなくなる。観客を故意に混乱させようという意地悪な意図が見え見えなのだ。

 作者たちは、そういう混乱を楽しんでいるのではなく、それがこの映画には必要なことだ、とでも信じているのだろうか。僕にはそれは、なんだかあざといやり方にしか見えない。そんな無意識の連鎖から、この時空を超えたドラマは綴られていく。意識的な操作なのだろうけど、それが効果的ではないのは明白だ。それはあざとい小手先のテクニックでしかないからだ。


 ウォシャウスキー監督の『マトリックス』や、トム・ティクヴァ監督の『パフューム』と比較したらいい。これら彼らのかつての傑作にあって、この今回の新作作品にはないものは、確かな方法論と、テーマへの求心力だ。人間の行いの愚かさ。それでも生きようとする姿の力強さ。確かにそういうようなものは描かれてはいる。だが、それはなんだか薄っぺらなのだ。3人の監督による共同作品であるから、そうなった、とは思わない。このスタイルは彼らの方法論なのだから、問題は描き方ではない。この描き方でしか到達できないものがあったならいいのだが、そうはならないことが問題なのだ。

 トム・ハンクスを始めとする主要キャストは6役、5役とほぼすべてのエピソードに登場する。だが、それが深い意味は持たない。ただの思いつきの域を出ないのが残念だ。雑然としたそれぞれのエピソードが最後にはちゃんとひとつのドラマへと収斂されたのならいいのだが、そうもならない。野心的な試みであることは誰もが認めるであろう。だが、それだけでは傑作は生まれない。

 そんな中、ペ・ドゥナがミューズを演じる未来都市の話が一番面白い。クローン人間である彼女が、革命軍の男に助けられ、やがて意志を持ち、敵と戦う、というまぁ、よくあるお話なのだが、それが彼女の透明な存在によってとても感動的なドラマになった。

 様々な話がそれぞれまるで別々の映画のように語られる。ここまでテイストも、その語り口も違うお話を同居させて、それを混ぜ合わせて見せていくことにどれだけの意味があったのか。結局問題ははそこに尽きる。凄い大作であることは確かに認める。野心的な試みであることも認める。だが、成功しているとは言い切れない。

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