三木孝浩監督作品には、はずれはない。デビュー作の『ソラニン』からずっとリアルタイムで全作品を見ているけど、いつも感心させられる。そのほとんでが青春映画なのだが、いずれも同じパターンはない。たとえよく似た話であろうとも、確実に違うから、そのつど新鮮なのだ。前作の『ホットロード』なんて、なぜ今頃、と思ったけど、納得の仕上がりだった。能年玲奈が中学生を演じるなんて、ありえない、と思ったが、ちゃんと中学生に見えた。今回も本田翼と東出昌大という完全に大人を17歳でキャスティングしている。東出なんて26歳だ。ふつうあり得ない。ただのコスプレになる。でも、そうはさせないのが三木監督だ。
今回はお話自体もありえないような、絵に描いた「青春もの」である。しかも暗い。一体どう料理するのか、こわごわスクリーンと向き合う。前半戦は、快調だ。なるほど、こういう手があったか、と感心した。今時ありえないような懐かしい青春映画のパターンを披露する。
リーダー合宿からスタートするなんて思いもしなかった。そこで仲よくなった男女5人のお話に焦点を絞る。その前に、幼なじみの2人の再会からスタートする本来のお話をちゃんと置いた上での展開なのだが、リー研というマイナーな企画を丁寧に見せて、お話の方向性を明確にしたのがよかった。その結果、その後の「学園もの」の定番である文化祭にも自然に流れ込む。
食堂のパンを買うシーンもよかった。今時あれはない。(今の高校では、学食には閑古鳥が鳴く。)昔懐かしの設定だが、それがこの映画の基本スタンスとなる。現代という設定だが、これは原作者の高校時代がベースになっているのだろう。90年代までならありえた風景がそこここに提示される。リーダー合宿も今ではほとんどの学校で行わないのではないか。(生徒の集まりが悪いし、高校自体も課外活動にあまり熱心ではない。)
ここに描かれるのは、ありし日の高校生、という感じだ。それだけに、少し年齢が上の男女をそこにキャスティングするのは正解だったのかもしれない。今の高校生の冷めた感じ、ではなく、昔の高校生の、のんびりしていてノーテンキな感じのほうが、この映画にはリアリティがある。これは20世紀の終わりまでの高校生像だ。
そんな懐かしい風景をノスタルジックに見せるわけではない。リアルタイムの彼らの一生懸命な生き方を見せることで、今を生きる子供たちの共感を得ることを可能にした。別に好きで醒めた目を向けるのではない。熱くなれない現実が彼らをクールにする。でも、ちゃんと状況さえ設定したなら、彼らは熱くなる。だから、この映画が現役の高校生から共感を得るのだ。
好きな男の子のために一生懸命になる。誰かのために必死になる。自分のため、ではなく人のために自分を犠牲にする。そこにある青いまでもの純真さが、大切なのだ、「あおはる」という気恥ずかしいことば(「青春」というのは、もっと恥ずかしいからそういうのだが)がこの映画を支える。さらには「あおは(る)ライド」(青春に乗る)なんていうありえないほどに気恥ずかしい言葉を平気で言える若さ。それを肯定すること。三木監督が目指したのはそこだ。真正面から相手を見つめ、ちゃんと好きだと言えること。そういう純粋さをどこまでも信じる気持ちさえあれば、この映画は理解できる。だが、大人になって、そこまでもう無邪気にはなれない人にはこれは少しきつい映画かもしれない。もうそれは、仕方ないことだ。
今回はお話自体もありえないような、絵に描いた「青春もの」である。しかも暗い。一体どう料理するのか、こわごわスクリーンと向き合う。前半戦は、快調だ。なるほど、こういう手があったか、と感心した。今時ありえないような懐かしい青春映画のパターンを披露する。
リーダー合宿からスタートするなんて思いもしなかった。そこで仲よくなった男女5人のお話に焦点を絞る。その前に、幼なじみの2人の再会からスタートする本来のお話をちゃんと置いた上での展開なのだが、リー研というマイナーな企画を丁寧に見せて、お話の方向性を明確にしたのがよかった。その結果、その後の「学園もの」の定番である文化祭にも自然に流れ込む。
食堂のパンを買うシーンもよかった。今時あれはない。(今の高校では、学食には閑古鳥が鳴く。)昔懐かしの設定だが、それがこの映画の基本スタンスとなる。現代という設定だが、これは原作者の高校時代がベースになっているのだろう。90年代までならありえた風景がそこここに提示される。リーダー合宿も今ではほとんどの学校で行わないのではないか。(生徒の集まりが悪いし、高校自体も課外活動にあまり熱心ではない。)
ここに描かれるのは、ありし日の高校生、という感じだ。それだけに、少し年齢が上の男女をそこにキャスティングするのは正解だったのかもしれない。今の高校生の冷めた感じ、ではなく、昔の高校生の、のんびりしていてノーテンキな感じのほうが、この映画にはリアリティがある。これは20世紀の終わりまでの高校生像だ。
そんな懐かしい風景をノスタルジックに見せるわけではない。リアルタイムの彼らの一生懸命な生き方を見せることで、今を生きる子供たちの共感を得ることを可能にした。別に好きで醒めた目を向けるのではない。熱くなれない現実が彼らをクールにする。でも、ちゃんと状況さえ設定したなら、彼らは熱くなる。だから、この映画が現役の高校生から共感を得るのだ。
好きな男の子のために一生懸命になる。誰かのために必死になる。自分のため、ではなく人のために自分を犠牲にする。そこにある青いまでもの純真さが、大切なのだ、「あおはる」という気恥ずかしいことば(「青春」というのは、もっと恥ずかしいからそういうのだが)がこの映画を支える。さらには「あおは(る)ライド」(青春に乗る)なんていうありえないほどに気恥ずかしい言葉を平気で言える若さ。それを肯定すること。三木監督が目指したのはそこだ。真正面から相手を見つめ、ちゃんと好きだと言えること。そういう純粋さをどこまでも信じる気持ちさえあれば、この映画は理解できる。だが、大人になって、そこまでもう無邪気にはなれない人にはこれは少しきつい映画かもしれない。もうそれは、仕方ないことだ。