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映画・演劇のレビュー

『遠くでずっとそばにいる』

2014-12-25 23:05:29 | 映画
長澤雅彦監督の2013年作品。これがDVDになっているなんて、知らなかった。というか、昨年すでに公開されていたということすら、知らなかった。ツタヤでたまたま見つけて、すぐに借りてきた。それにしても彼の新作を見逃していたなんて、ショックだ。今までずっと、1本も欠かさずリアルタイムで見てきたはずなのに。

『天国はまだ遠く』から5年ぶりの新作だった。狗飼恭子の小説を作者自ら脚本化した作品で、もうそれだけで期待は高まる。長澤の故郷である秋田県の依頼で作ったご当地映画なのだが、特別秋田県の宣伝をすることが、目的ではない。だからもちろん観光地を紹介するわけでもない。だが、ロケーションは最大限に生かされている。なんでもないさりげなさで、背景となる風景の美しさが際立つ。

事故で17歳からの10年間の記憶をなくした女性が主人公だ。失われた時間の中には何があったのか。27歳の体で17歳の心を持つ。そんな彼女の魂の旅を描く。ミステリーではないから、謎解き自体は問題じゃない。だが、そこを避けて話は展開できない。そうすると、どうしてもいろんなことが中途半端になる。

もっと明確に謎解き部分を避けるべきだった。映画としては、そんなこと、どうでもいいはずだ。これは北村薫の『スキップ』のようなお話だったのではないか? あの小説は17歳の少女がタイムスリップして40代の大人になる、という話だった。あの小説で大事だったことは、なぜ、25年後に、ではなく、いきなりの25年後をどう生きるか、だ。そして、この映画が目指すべきものはきっとそこだったはずなのだ。

失われた10年ではなく、17歳の心が27歳の体の中でどう生きるのか。そこから見えてくるもの。それこそが、描くべきものだった、気がする。なのに、謎解きに終始する。そんなもの、解決しても何も面白くはない。死んでしまった恋人は帰ってこないし、彼女が傷つけた人たちは目の前にいる。つぐないをしろ、というのではない。彼女がちゃんと生きることこそがつぐないになるのだ。別に、この映画が間違いだった、とは思わないのだが、根本的なところで、ボタンの掛け違いがなされた気がする。これでは、せっかくの題材がもったいない。

映画においてバランスというものがいかに大事か、思い知らされる。とても頑張っているのだ。なのに、これではつまらないし、ただの勘違いだ

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