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映画・演劇のレビュー

カンセイの法則『作為的な人たち』

2011-03-01 23:32:15 | 演劇
 初めてカンセイの法則の芝居を見た。10デシリットルで永富さんのやり方は知っているので、それが本体である自分の劇団ではどういう形で表現されているのか、興味津々で見た。しかも、舞台監督の塚本さんから、彼らの前作がいかにすばらしかったかを聞いていたから、自ずと期待も高まる。

 しかし、残念だが、今回は、彼のやり方が空回りしている気がした。10デシの時と同じで、嘘くさい設定が嘘くさいままでとどまっている。これではつまらない芝居だ、と一蹴されても文句は言えまい。本来の彼の意図は、このバカバカしい設定を丁寧に追いかけていくことで、いつのまにかそれがリアルなものに見えてくる一瞬を提示することにある。その奇跡的な瞬間、この芝居は力を持つことになる。わざとらしさが、反対に人間の深層をえぐりとるのだ。

 地震の被害にあった村にボランティアとしてやってきた人たちと村の人たちとの1週間を通して、この作為的な人たちが、まさかの本気になる一瞬を掬い取ろうとする。

 36歳のアイドルユニットの再起を賭けた試みがなぜ被災地のボランティアなのか、まるで意味がわからない。だが、永富さんは、本気でそんなバカな話で、この芝居を紡ぎ出す。さらには火事場泥棒のためわざわざ大阪からやってきた3人組と、真面目すぎてまるで被災地の人たちのことが見えていない大学生のボランティアチームが絡んできて、この3組の集団を通して、あざとくてわざとらしいドタバタ騒動が、あっさりと描かれていく。

 表面的にはコメディータッチなのだが、実はかなり醒めた感じの芝居になっている。これが永富さんのアプローチだ。こんな彼らの様子が、これまた嘘くさいTVクルーの視点からまとめられていくラストの展開が、きれいに観客である我々の胸に納まっていけば、これは面白い芝居になったのかもしれない。しかし、ここに到っても嘘くさいだけでは、失敗作としか、言いようがない。


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