夢の中で過ごす3日間を描く長編小説。ふたつの中編小説からなる・どちらも150ページほど、と同じ長さ。その中で、同じ時、同じ場所にいた別々のふたりの姿を描く。台風によってこの街に閉じ込められたようなのだが、それもまた夢のお話で、彼らは自分が夢を見ていて、ここは夢の中の世界だと知っているけど、その中から出ようとしない。
ハルとダイチは知らない者同士で、これまで会ったこともなかった。だけど、この街に来てほとんど人の姿のないここで、お互いを目撃する。でも、ふたりは、ほとんど関わらない。最初は見かけるだけ、次は同じ家で言葉を交わすけど、それだけ。3度目でようやくちゃんとした会話をするけど、それで別れる。
このほぼ同じ分量の『夏のおわりのハル』と『空のうえのダイチ』はよく似た(というか、ほぼ同じ)構成になっている。先に書いた3か所が共通する。それ以外は、ふたりは同じ場所、同じ時間ですれ違うだけ。これはそんなふたりの見た夏の終わりの幻。
ハルは週末、父とふたりで過ごすことになった。おじいちゃんの遺品整理のため母は実家に戻り、姉は家を留守にする。結婚して家を出ている上の姉が来ることもない。そんな週末から逃げ出したかったハルは、偶然夢の中でここに来てしまう。学校に行くために乗ったバスがここに彼女を連れてきた。
ダイチは「子どもが出来た、」と同棲している彼女に言われ、返事が出来なかった。素直に喜べないまま、仕事で電車に乗っていたらこの街に連れてこられた。
世界は微妙に変わっている。シュウちゃんはハルのおじさんだ。彼だけが彼女のことをわかってくれた。でも、もう今はいない。そんなシュウちゃんの夢の中にハルは呼ばれた。ここは誰かの夢の中、自分の夢ではないから、とても不自由。最初は誰の夢なのかわからなかった。だけど、シュウちゃんの夢だと気付く。でも、なぜ彼がこんな夢の中に留まるのかはわからない。シュウちゃんとダイチの幼なじみである伊吹さんがここで一緒に住んでいるようだ。伊吹さんは中2の時、いなくなった。彼女はずっとクラスメイトから虐められていた。だけど、ダイチは何もできなかった。伊吹さんの名前は「あやめ」という。あやめはシュウちゃんのお母さんの名前だ。
名前なんか、どうでもいい。そう言うけど、結構そこが大事かも、と思う。ふたつの話が完全にリンクしているし、そこにある因果関係も名前から推測できる。さらには、同じ顔をした双子の男女、のぞみとひかり。(ハルの名字もコダマだ。新幹線3人組!)顔に赤い痣のある男も、もしかしたら双子かもしれない。まぁ、すべてがシュウちゃんの夢の中の出来事なので、そこに整合性を求める必要はない。彼の夢に取り込まれてしまったハルとダイチ。シュウジだってもしかしたら、あやめさんの夢に取り込まれただけなのかもしれない。ふたりの抱える後悔の念が、ハルとダイチをここに呼び入れた。そんなふうに考える必要もない。なぜなら、ハルもまた、ここに来たいと無意識に望んだわけだし、それはダイチも同じ。
僕たちは今ある現実から目を背けたい。出来ることなら、何も考えず、ひとり静かに過ごしたい。だけど、そんなこと、できないし、ほんとうはしたくない。なんだか、凄くわがまま。白いうさぎに導かれてここにやってくるというところは、明らかアリスなのだが、これはファンタジーではない。とても冷静でリアルな、眠ることで見る夢の世界なのだ。ここが夢だと、わかっている。ときどき覚めるし。でも、またすぐに戻る。彼らがここを求めるからだ。
ハルもダイチもアリスではない。過去に囚われて未来に向かって足を踏み出せない彼らには、彼ら以上に過去に囚われ、もうそこに埋もれてしまっているシュウジと伊吹を通して、再び現実の世界に戻って未来に向けて出発する。この夢の3日間を通して、今自分が何をするべきなのかを知ることになる。
イジメにあって、そこから抜け出せない。イジメを目撃したのに、何もできなかった。そんな小さな頃の記憶の中に今もいる。今を静かに生きているけど過去の傷は癒されることはない。このままでは、未来は閉ざされるかもしれない。それはよくないから、たった1歩踏み出す勇気を与える。これはそんな小説なのである。15歳の少女(もちろんハル)も、30歳の男(当然ダイチ)も同じところにいる。年齢ではないからだ。
ずっとこんな小説が読みたいと思っていた。夢がかなった気分だ。すばらしい小説だ。少なくとも、僕にとっては。