読みながら、これはなんて暗い話だろうか、と思う。交互に描かれるふたりの話はどちらも、よく似ている。大学生になった市川という男の話と、中学生になった佐野。誰ともなじめず、孤独に暮らす。いつもひとりで、目立たないようにしている。世界に心を閉ざし、何も期待せず、ただ生きているだけ。
そんな彼らが、同じようにひとりの友人を得る。そして、同じようにひとりの女の子と関わる。漱石の『こころ』に始まる典型的な3角関係の恋愛小説のような図式だけど、そうはならない。まるで接点のない相似形のお話はどこまでも平行線をたどったまま、終盤を迎える。
この暗さは今までの小嶋陽太郎の爽やかな小説からは全く想像できなかったものだ。だが、読みながらとても納得がいく。これは彼に中に元々あった彼の抱えていた闇の部分が素直に吐露されただけの世界なのだろう。それがオブラードにくるみ混まれることもなく、直接で、描かれる。生のままの、無菌状態のドラマだ。だから、すぐに傷むし、傷つく。心を病んだもの同士が、こわごわ腫れ物にでも触れるように関わりを持つ。そんなお話だ。
やがてそれぞれの3年間のドラマの幕切れで両者はようやく接点を持つのだが、その結末部分はあまりにありきたりでつまらない。「そんな結末はないわ、」と思う。
ふたつの話をそういう部分で結びつけるのには納得しない。ただ、この引きこもりのような小説が描いた時間は今の僕にはとても愛おしい。だからこそ、こんな悲しい話は終わりにして貰いたい、と切に願う。これではあまりにつらすぎる。