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映画・演劇のレビュー

『オンリー・ゴッド』

2014-01-29 20:40:30 | 映画
 こんなのは映画ではない、と憤慨してもよい。それくらいにあらゆる意味で過激だ。映画としてのバランスなんて欠いている。90分という常識的な上映時間は、実はまやかしだ。この何も起こらない静かな映画をずっと見続ける時間は2時間にも3時間にも感じられる。永遠に同じようなフラットな時間に飲み込まれる。

 だが、そこにいきなり何の前触れもなく、暴力シーンが現出する。残酷で目を覆いたくなるような描写だ。説明もなく、いきなり、そのくせ淡々と。衝撃の後にはまた、以前の穏やかな描写に戻る。単純な復讐劇の構造を持つ。だが、一筋縄ではいかない。というか、ありきたりの展開は踏まない。ヒーローは戦わないし、神のようにふるまう元警官には、ぶれがない。傲慢というよりも事務的。自分の責務をただこなしているだけ。この人は一体何者なのだ、と考えるいとまも与えない。派手な殺戮シーンはあるけど、それを見せるのが目的ではない。ただの仕事。

 バンコクの夜の町を舞台にして、殺された息子への復讐に立ち上がる愚かな女の物語でもある。しかし、主人公はその母親ではなく、殺された男の弟だ。マフィアのボスであるビッチなこの母親や、自ら神のごとくふるまう元警官ではない。この2人の間に立って、何もせず、ただ静かにこの世界を見守る男。『ドライヴ』に続いてライアン・ゴズリングがこの主役を演じる。映画は前作以上に異常で、何が何だか分からない。そして、神とはあの自分を法のように振る舞う元警官ではなく、この何もしない男のほうではないか、と思い至る寸前で映画は終わっていく。なんとも不思議な映画だ。しかも、ラストはまたもや、あの元警官が歌を歌うシーンで終わる。それをみんな(彼の部下たち)が静かに聴いている。

 神は何もすることなく、ただ静かに世界見ているだけ。いや、はたして彼が神だと考えること自体がナンセンスかもしれない。神なんていない。だが、この映画は神の視座に立って世界を見ている。ニコラス・ウインディング・レフン監督自身が神なのか。

 こんなシーンがある。ゴズリングは両手を縛られて女の前でただ座っている。抵抗なんてしない。暴れるわけでもなく、ただ見てるだけ。女は彼の目の前のベッドで自慰する。もちろん興奮するわけでもない。

 これは家族の物語なのか、とも思う。父と母、兄と恋人。彼を巡る4人の主要人物は、本物も偽物も含めてそんな記号なのだと。では、そのことを通して何を描こうとしたのか。赤と青の世界。現実とは思えないような幻惑の世界。ありえないようなストーリー展開。そのすべてを受け止めるしかない。


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