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映画・演劇のレビュー

『はじまりのみち』

2013-06-03 22:26:29 | 映画
 アニメーション映画の原恵一監督が初めて実写映画を手掛ける。それが木下恵介監督の伝記映画で、木下恵介監督生誕100周年記念作品だ。もちろん松竹が作るのである。そんな企画を劇映画を手掛けたことのない新鋭に任せるなんて普通なら考えられない話だ。撮影所の伝統が崩壊し、松竹の社員監督もいない時代だから、本来一番保守的な会社がこんな英断をする。でも、そこから思いもしない傑作映画が生まれるのだ。これは時代に風穴をあけるような革新的な保守映画である。

 若かりし日の木下監督のほんの数日間の体験を描いた作品だ。だから、厳密には伝記ではない。だが、その後、彼のたどった歴史の原点がここにあり、それは、そのすべてですらある。たった数日。だが、それが彼を変える歴史的瞬間となる。本人も気付かないくらいにささいなこと。でも、決定的な「何か」がそこには確かにある。

 映画監督を辞めようと思った。昭和19年6月、会社に辞表を出して、実家に戻ってきた。彼の作った映画『陸軍』が当局の批判の的になり、新作映画は作れなくなった。「めめしい映画」と言われ、反戦的と、言われる。だが、彼には理解できない。自分は戦地に向かう息子への、母としての想いを綴っただけだ。戦意を喪失するような結末を意図したわけではない。ただ、ありのままの想いを、素直に描いた。誰もが感じたであろう想いだ。だから、映画は大衆から支持を受けた。

 どこまでも息子を追いかける田中絹代の演じた若い母親の姿は哀切極まる。映画の終盤のシーンをそのまま延々と見せる。独立した劇映画としては、構成のバランスを考えても、苦しいはずだ。だが、これは劇映画であるまえに木下恵介というひとりの男を描く映画だから、彼の映画をそのまま使う。僕たち観客にあの場面を目撃してもらいたいという原監督の想いが伝わってくる。名もない便利屋が語る映画の一場面として、スクリーンに映る。便利屋は木下に自分が感動した映画を説明する。それを聞いた木下は涙を流す。自分は間違っていなかったのだ、と改めて知る。映画が観客の胸にとどいていた。その事実を実感する。自分が作りたかった映画は間違っていない。

 頑固で意固地で、自分勝手な男かも知れない。でも、彼には信念がある。映画が好きだ。自分の想いをみんなに届けたい。何が正しくて何が間違いなのかなんて、わからない。でも、自分の信じたことを疑わず生きる。この一本の道を一歩ずつ進むこと。この映画が描くのは、そんな単純なことだけだ。

 疎開のため母親を田舎の親戚のもとへ運ぶ。彼女は動けない。バスに乗せるのは難しい。だからリアカーに乗せて60キロに及ぶ山道を引いていくことにする。無謀だ。だが、言い出したら聞かない。兄と、便利屋と一緒に夜明け前に出発する。思った以上に大変なことだったが、弱音を吐かない。ただ黙々とこぐ。途中雨に打たれ、途方に暮れた時もある。だが、なんとかしてたどりつく。だが、宿屋はどこも、薄汚く病人を連れた彼らを受け入れない。

 一軒の宿屋が彼らを泊めてくれる。人の善意がうれしい。あと少しで旅は終わる。トロッコ列車待ちのためここに2泊することになる。暇ができる。町をふらふらする。これから先どうするのか。仕事を失い、人生の指針すらなくし、空襲で実家は店を焼かれ、先が見えない不安の中にある。そんなとき、河原で、ぼんやりしていた時、先に書いた便利屋の話を聞くのだ。家族に支えられ、もう一度、松竹に戻る覚悟をする。母親の「あなたの作る映画が見たい」という言葉が胸に突き刺さる。この映画の木下は、ほんとうによく泣く。泣き虫先生と呼ばれた『二十四の瞳』の大石先生と同じだ。そして、それでこそ木下恵介監督だ。鼻水たらして泣く。

 ラストシーンでトンネルの中に消えていく姿を延々と見せる長いシーンがすばらしかった。なんでもないシーンだ。ただ木下のうしろ姿を撮ったばかりで、なんの工夫もない。でも、涙が止まらなかった。こうして彼はこの先、この一本の道をずっとまっすぐに歩いていくのだ。そう思うと胸がいっぱいになった。

 映画はこの後、松竹に戻って彼が撮ったいくつもの映画の場面を見せてくれる。そこにはなんの言葉もない。ただ、きちんと一本ずついくつかの場面を見せる。『お嬢さん乾杯』や『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』もある。映画は無言で語る。木下の人生を。原監督はルーティーンワークではなく、敢えて、こういう選択をした。木下作品に語らせることを選んだのだ。この作品を自分の劇映画のデビュー作として位置付けることよりも、木下映画を通して木下青年のその後の人生を通して、この映画が描こうとしたものの意味を語らせることを大事とした。

 ほとんどしゃべらない木下恵介監督を演じた加瀬亮がすばらしい。もっとしゃべらない、というか、しゃべれない役なのだが、母親役の田中裕子もすごいが。だが、もっともっとすばらしいのは、そんな彼らを演出した原恵一監督だろう。96分という上映時間もいい。へんに大作仕立てにはしないのだ。

 ここからは余談だが、実はラストの作品群の中に僕が見ていない映画がたくさんあった。しかも、有名な傑作なのに、である。それにショックを受けた。僕はあんなにも木下恵介監督が好きだったのに、こんなにもたくさんの木下映画を見ていない。それは僕だけのせいではない。それくらいに彼の映画が軽視されていたという話なのだ。20代のころ、浴びるように映画を劇場で見た。(そのころはビデオなんてものはなかったからだ)だが、木下映画はあまり上映されなかった。黒澤や小津はもちろん、大島も、山田洋次もほとんどの作品を見ているのに、である。松竹自身が木下映画の上映をあまりしていないからだ。木下映画の再評価が高まる中、埋もれていた作品を上映し、何が大切なことなのかを思い出してもらいたい。





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