クリント・イーストウッド最新作である。今回はアンジェリーナ・ジョリーを主演に迎えて、誘拐された子供取り戻そうとする母親の闘いを描く。ぐいぐい作品世界に引き込まれる。1928年、ロサンジェルスを舞台に凄まじい話が展開する。
とても面白い映画だ。だが、なんか納得がいかない。
誘拐された子供が半年後、戻ってくる。しかし、彼は自分の息子ではない。なぜ、この子は嘘をつくのか。警察は間違いなくあなたの子供だ、と言う。だが、自分の息子を間違えるような母親はいない。それなら、誰がその子を彼女の息子に仕立てたのか。そこが気になるのだが、映画は「子供をすり替えたのは誰か」というミステリにはならない。そういう方向には行かないのだ。
警察が言うように彼女が混乱して、自分の子のことがわからなくなった、とは考えられない。それはあきらかにおかしい。9歳の子供の身長が半年で7センチも縮んだりはしない。学校の担任も別人と言っている。歯科医も歯型から本人ではないと断言している。なのに、警察は認めない。それどころか、彼女を精神病院に強制収容させてしまう。本来なら市民を守る立場の警察が自分たちの保身のためにミスを隠し、もみ消そうとする。1928年のロサンゼルス市警ではこんなことが公然と行われていたのだろうか。映画は腐食した警察機構の摘発を描くわけではない。
ひとりの女性の戦いを彼女に寄り添って描く。
だが、後半に入って映画は急展開を遂げていく。それは不法入国していた少年の告白から始まる。少年を使い誘拐を続けていた男。この犯人側の話が唐突に描かれることになる。何十人もの子供を誘拐して、殺害してきた異常者の検挙が描かれ、映画は裁判劇になっていく。だが、彼がなぜこんな凶行を行うに至ったのかが描かれていくわけではない。
話がスライドしていくのはいいが、その結果この映画が何を描こうとしたのかが見えてこなくなるのは問題だ。息子を失った母親の悲哀でも、警察の告発でもなく、ましてや少年連続殺人鬼のドラマでもない。1930年代のアメリカのひとつの社会問題を描いただけの映画なのか、というとそれはおかしい。様々な問題をてんこ盛りにしたため収拾が付かなくなっただなんて言わない。イーストウッドがそんな単純なミスはしない。彼は敢えてこういう映画の作り方を選んだのだろう。ミニマムな映画に見せて、映画はとてつもない広がりを見せていく。だが、その底に流れるのは、息子を失った母親がすべてを賭けて彼を取り戻そうとする執念の物語だ。様々な問題に簡単な答えを提示したりはしない。そのまま投げ出していく。
とてもおもしろいしが、釈然としない。イーストウッドはこの社会派劇をエンタテインメントにしてしっかり見せる。さすがだ。だが、その先が見えないまま宙ぶらりんに終わる。その居心地の悪さ、釈然としないこと。実はこれこそが、この映画の最大の魅力なのだ。いくつもの謎を謎のまま残して映画は終わる。
とても面白い映画だ。だが、なんか納得がいかない。
誘拐された子供が半年後、戻ってくる。しかし、彼は自分の息子ではない。なぜ、この子は嘘をつくのか。警察は間違いなくあなたの子供だ、と言う。だが、自分の息子を間違えるような母親はいない。それなら、誰がその子を彼女の息子に仕立てたのか。そこが気になるのだが、映画は「子供をすり替えたのは誰か」というミステリにはならない。そういう方向には行かないのだ。
警察が言うように彼女が混乱して、自分の子のことがわからなくなった、とは考えられない。それはあきらかにおかしい。9歳の子供の身長が半年で7センチも縮んだりはしない。学校の担任も別人と言っている。歯科医も歯型から本人ではないと断言している。なのに、警察は認めない。それどころか、彼女を精神病院に強制収容させてしまう。本来なら市民を守る立場の警察が自分たちの保身のためにミスを隠し、もみ消そうとする。1928年のロサンゼルス市警ではこんなことが公然と行われていたのだろうか。映画は腐食した警察機構の摘発を描くわけではない。
ひとりの女性の戦いを彼女に寄り添って描く。
だが、後半に入って映画は急展開を遂げていく。それは不法入国していた少年の告白から始まる。少年を使い誘拐を続けていた男。この犯人側の話が唐突に描かれることになる。何十人もの子供を誘拐して、殺害してきた異常者の検挙が描かれ、映画は裁判劇になっていく。だが、彼がなぜこんな凶行を行うに至ったのかが描かれていくわけではない。
話がスライドしていくのはいいが、その結果この映画が何を描こうとしたのかが見えてこなくなるのは問題だ。息子を失った母親の悲哀でも、警察の告発でもなく、ましてや少年連続殺人鬼のドラマでもない。1930年代のアメリカのひとつの社会問題を描いただけの映画なのか、というとそれはおかしい。様々な問題をてんこ盛りにしたため収拾が付かなくなっただなんて言わない。イーストウッドがそんな単純なミスはしない。彼は敢えてこういう映画の作り方を選んだのだろう。ミニマムな映画に見せて、映画はとてつもない広がりを見せていく。だが、その底に流れるのは、息子を失った母親がすべてを賭けて彼を取り戻そうとする執念の物語だ。様々な問題に簡単な答えを提示したりはしない。そのまま投げ出していく。
とてもおもしろいしが、釈然としない。イーストウッドはこの社会派劇をエンタテインメントにしてしっかり見せる。さすがだ。だが、その先が見えないまま宙ぶらりんに終わる。その居心地の悪さ、釈然としないこと。実はこれこそが、この映画の最大の魅力なのだ。いくつもの謎を謎のまま残して映画は終わる。