
下巻は49歳になった空子。あれから14年後の世界が描かれる。しかも今回は完結編である。20歳まで、35歳と続いて49歳。しかもこれが420ページ越えの大長編。一応4章が続くがこれは空子が亡くなった後のエピローグでしかないし、10ページにも満たない。
読んでいるとここで描かれるあり得るかもしれない未来に吐き気がする。これはますます異常なディストピア小説だな、と感じる。「上」の20歳の部分を読みながら感じた嫌悪感が甦る。あれは今ある世界に於ける不快感だったが、このあれから29年後を描く3章の不快感はここに描かれる歪な未来世界がまるで正しい世界であるかのように受け入れられる世界への違和感であり不快感だからだ。こんな綺麗だけど気味が悪い未来世界が平然と描かれる。しかもさらりとして淡々とドラマは続く。悪夢が日常化したお話。それがこの小説なのである。
下巻はまるで話が進まない。ダラダラと同じようなところで低徊するばかりだ。読んでいて退屈する。空子が人間であることを辞めてピョコルンになる。人間リサイクルシステムとか、道具としてのピョコルンにセックスだけでなく、妊娠出産まで委ねる世界。もちろん同性カップルの友人婚制度、3つのグループ分けがなされた世界。上巻から引き継ぐ世界観に中で描かれる未来。いろんなことを受け入れる。幸せな未来。果たしてこれがユートピアであるのか。ここには明らかにディストピアに向かう未来が描かれる。
残念だが、下巻はつまらない。50歳になった彼女の選択した死が自殺ではなくピョコルンとなり誰かの愛玩動物として自分を無くして生きることって何? そこに至るまでの日々を描いた420ページに至る物語にあまり意味を感じない。上巻の勢いには圧倒されたが、下巻の失速には失望した。